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March
4 情熱【理滉】
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―――正直言って、大したことないだろうとみくびっていた。
ドアを開けた瞬間、音の激流がきた。
駆り立てられるように弾く姿は一心不乱という言葉が一番しっくりくる。
あの小動物がどうやってあんな音を出しているのだろうと思うくらいだった。
速い指運びで白い鍵盤の上を滑らかに走っていく。
曲はショパンのエチュードOp.10-4。
手が小さく、この曲を弾くのは苦しいはずだが、楽しそうに弾いている。
ショパンのエチュードOp.10-4はコンクールでもよく選ばれているポピュラーな曲だ。
その曲を弾くイメージは彼女にはなかった。
小さい手が忙しく白の鍵盤の上を移動している。
それなのに無理をしているようには思えない。
見た目とは違う秘める熱。
もしかしたら、とんでもない激情を持った女なのかもしれない。
ふっと顔をあげた彼女と目が合った瞬間、音は止み、耳の奥に響く余韻を残して静かになった。
「梶井さん……」
「悪い。邪魔したな。スマホを取りに来た」
「あ、いえ。これは練習のようなものですから気にしないでください」
練習ね。
練習にしてはかなり激しかったが。
「止めるなよ。続きが聴きたい」
「下手くそなのに……」
ピアノを弾かないとやっぱりウサギちゃんだな。
顔を赤くしてうつむいている。
日本人形のような黒髪に小柄な体と白い肌。
高校生ではないと本人は言っていたが、俺にすれば、高校生くらいにしか見えない。
「いいから弾けよ」
俺のタイプではないが、小動物的な可愛さがあるからか、ついからかってしまう。
不服そうな顔でウサギちゃんはまたピアノを弾いた。
さっきよりテンポは乱れ、音も散乱している。
「おい。真面目にやれよ」
「無理」
「なにが無理だ」
近寄って、手を伸ばすと俺の手をぱちんと叩いた。
そして、ハッとした顔をする。
「ご、ごめんなさい」
「いや。いい」
小動物に拒否されると傷つくな。
まあ、いいかと思いながら言った。
「俺のスマホをもらえるか」
「あ、はい」
黒のリュックから俺のスマホを取り出して渡す。
「昨日はすみませんでした」
「いや、いい。スマホがなくてちょうどよかった。これがあると、うるさいからな」
「女の人からの電話ですか?」
「まあな」
どうせマネージャーの渡瀬だろう。
俺のメールアドレスの方に仕事の連絡がきていたからな。
スマホを受けとり、履歴を確認する。
その確認している俺の視界の端に顔を赤くして、黙り込むウサギちゃんがいた。
俺のことを好きになる女は多い。
それはわかっている。
けど、お前はダメだ。
ウサギちゃんは俺を必要としてないだろ?なあ?
「なんて顔して―――」
からかっておしまいにしてやろう。
そう思って声をかけた瞬間、店のドアが開いた。
「望未先生っ!」
振り返ると詰め襟の学生服を着た男子高校生が立っていた。
純粋な目にスポーツマンらしい爽やかな空気。
こいつに似合いそうなガキだな。
「あれ?関家君?レッスンの予約は今日の午後からだったよね?学校は?」
「春休みなんです。今から、生徒会の仕事で学校に行くところだったんで……たっ、たまたま、通りかかったら、ピアノの音がして、それで」
顔を赤くして、言い訳する高校生男子ね。
可愛いもんだな。
俺にもあんな時が―――なかったな。
「先生の彼氏ですか?」
「ち、違うっ!違うよ。昨日、スマホをお店で落としたお客さんで、取りに来てくれたの」
「そうですか」
関家はあからさまにホッとしていた。
そして、俺をジロジロと無遠慮に見てきた。
きっと『女なれした悪そうな男』だとでも思っているのだろう。
安心しろよ。
お前の恋の邪魔をするつもりはないから。
「それじゃあな、ウサギちゃん」
「はい……」
こいつはこいつで純粋すぎるんだよな。
名残惜しそうな顔をするなよ。
俺はウサギちゃんが俺から離れられるように言葉を選ぶ。
「お前にはその高校生がお似合いだ」
これでいい。
案の定、ウサギちゃんは俺が言った意味を理解したようだった。
『お前に俺は似合わない。だから。そいつにしておけよ』というわけだ。
俺は顔を赤くして黙り込むのを見て、背を向けた。
そして、店を出る。
久しぶりにあんな純粋で無邪気なタイプと触れ合ったかもな。
そう思うと俺の人生は歪みまくりだ。
くせ者揃いってところか。
自分の人間関係を笑ったその時―――バンッと背後で店のドアが開く音がして振り返った。
「バーカ、バーカ!」
「は!?」
「なにがお似合いよ!子供扱いしないでよね!」
俺は驚いて言葉がすぐに出なかった。
なに泣いてるんだ、こいつ。
赤い顔のまま、目に涙を浮かべていた。
関係に線引きされた言葉を察したのか、それとも馬鹿にされて悔しかったのか、どちらなのかわからないが―――
「泣くなよ」
俺は女の涙には弱い。
母が男にフラれて、よく泣いていたせいかもしれない。
店から飛び出したウサギちゃんを追ってきた男子高校生は距離を置いて足を止めた。
悪いな。
こいつの希望だから、叶えてやらないと。
俺は関家に視線を合わせたまま、ウサギちゃんの唇に二度目のキスをした。
地面に足を縫い付けられたかのように関家はその場から動けない。
こいつのことを本当に好きなら俺に挑め―――そして、俺から奪ってみせろよ。
挑発するように視線を送ったが、関家は顔を背け、店の中へ戻って行った。
つまらない奴だな。
やっぱり、面白いのは深月達だけか。
俺に牙を向けるくらいの強さを見せてくれよ。
そうじゃないと、楽しくないだろ?
「お前にはここまでだ。じゃあな」
軽いキスだが、それでも、ウサギには毒だ。
キスに驚いた彼女の涙は止まっていた。
道路脇にとまっていた車の助手席に乗る。
運転席にはマネージャーの渡瀬が待っていた。
ひっつめ髪にメガネ、グレーのスーツといういつもの服装だ。
俺になびかない貴重な女で完全ビジネスライクな関係。
その渡瀬が冷たい目で俺を見ていた。
「おとなげないことしますね」
俺はその言葉になにも答えなかった。
望んだのはあいつだ。
俺のせいじゃない。
それにしても、あのウサギはおもしろい。
キス一つにゆでタコみたいな顔をしていたことを思い出して、俺は一人笑った。
また会えるかどうかは謎だが、嫌ではなかった。
小動物は昔から嫌いじゃない。
飼育係をするくらいには―――いや、飼育係をやったのは一度だけ。
「生き物は死ぬからな」
「なんですか?ペットでも飼いたくなったんですか?」
「いや、まさか」
死んでいる姿を見るのは人間も動物も苦手だ。
俺は渡瀬から目をそらし、窓のほうに向き目を閉じた。
それ以上、俺も渡瀬も黙ったまま、どちらもなにも話さなかった。
ドアを開けた瞬間、音の激流がきた。
駆り立てられるように弾く姿は一心不乱という言葉が一番しっくりくる。
あの小動物がどうやってあんな音を出しているのだろうと思うくらいだった。
速い指運びで白い鍵盤の上を滑らかに走っていく。
曲はショパンのエチュードOp.10-4。
手が小さく、この曲を弾くのは苦しいはずだが、楽しそうに弾いている。
ショパンのエチュードOp.10-4はコンクールでもよく選ばれているポピュラーな曲だ。
その曲を弾くイメージは彼女にはなかった。
小さい手が忙しく白の鍵盤の上を移動している。
それなのに無理をしているようには思えない。
見た目とは違う秘める熱。
もしかしたら、とんでもない激情を持った女なのかもしれない。
ふっと顔をあげた彼女と目が合った瞬間、音は止み、耳の奥に響く余韻を残して静かになった。
「梶井さん……」
「悪い。邪魔したな。スマホを取りに来た」
「あ、いえ。これは練習のようなものですから気にしないでください」
練習ね。
練習にしてはかなり激しかったが。
「止めるなよ。続きが聴きたい」
「下手くそなのに……」
ピアノを弾かないとやっぱりウサギちゃんだな。
顔を赤くしてうつむいている。
日本人形のような黒髪に小柄な体と白い肌。
高校生ではないと本人は言っていたが、俺にすれば、高校生くらいにしか見えない。
「いいから弾けよ」
俺のタイプではないが、小動物的な可愛さがあるからか、ついからかってしまう。
不服そうな顔でウサギちゃんはまたピアノを弾いた。
さっきよりテンポは乱れ、音も散乱している。
「おい。真面目にやれよ」
「無理」
「なにが無理だ」
近寄って、手を伸ばすと俺の手をぱちんと叩いた。
そして、ハッとした顔をする。
「ご、ごめんなさい」
「いや。いい」
小動物に拒否されると傷つくな。
まあ、いいかと思いながら言った。
「俺のスマホをもらえるか」
「あ、はい」
黒のリュックから俺のスマホを取り出して渡す。
「昨日はすみませんでした」
「いや、いい。スマホがなくてちょうどよかった。これがあると、うるさいからな」
「女の人からの電話ですか?」
「まあな」
どうせマネージャーの渡瀬だろう。
俺のメールアドレスの方に仕事の連絡がきていたからな。
スマホを受けとり、履歴を確認する。
その確認している俺の視界の端に顔を赤くして、黙り込むウサギちゃんがいた。
俺のことを好きになる女は多い。
それはわかっている。
けど、お前はダメだ。
ウサギちゃんは俺を必要としてないだろ?なあ?
「なんて顔して―――」
からかっておしまいにしてやろう。
そう思って声をかけた瞬間、店のドアが開いた。
「望未先生っ!」
振り返ると詰め襟の学生服を着た男子高校生が立っていた。
純粋な目にスポーツマンらしい爽やかな空気。
こいつに似合いそうなガキだな。
「あれ?関家君?レッスンの予約は今日の午後からだったよね?学校は?」
「春休みなんです。今から、生徒会の仕事で学校に行くところだったんで……たっ、たまたま、通りかかったら、ピアノの音がして、それで」
顔を赤くして、言い訳する高校生男子ね。
可愛いもんだな。
俺にもあんな時が―――なかったな。
「先生の彼氏ですか?」
「ち、違うっ!違うよ。昨日、スマホをお店で落としたお客さんで、取りに来てくれたの」
「そうですか」
関家はあからさまにホッとしていた。
そして、俺をジロジロと無遠慮に見てきた。
きっと『女なれした悪そうな男』だとでも思っているのだろう。
安心しろよ。
お前の恋の邪魔をするつもりはないから。
「それじゃあな、ウサギちゃん」
「はい……」
こいつはこいつで純粋すぎるんだよな。
名残惜しそうな顔をするなよ。
俺はウサギちゃんが俺から離れられるように言葉を選ぶ。
「お前にはその高校生がお似合いだ」
これでいい。
案の定、ウサギちゃんは俺が言った意味を理解したようだった。
『お前に俺は似合わない。だから。そいつにしておけよ』というわけだ。
俺は顔を赤くして黙り込むのを見て、背を向けた。
そして、店を出る。
久しぶりにあんな純粋で無邪気なタイプと触れ合ったかもな。
そう思うと俺の人生は歪みまくりだ。
くせ者揃いってところか。
自分の人間関係を笑ったその時―――バンッと背後で店のドアが開く音がして振り返った。
「バーカ、バーカ!」
「は!?」
「なにがお似合いよ!子供扱いしないでよね!」
俺は驚いて言葉がすぐに出なかった。
なに泣いてるんだ、こいつ。
赤い顔のまま、目に涙を浮かべていた。
関係に線引きされた言葉を察したのか、それとも馬鹿にされて悔しかったのか、どちらなのかわからないが―――
「泣くなよ」
俺は女の涙には弱い。
母が男にフラれて、よく泣いていたせいかもしれない。
店から飛び出したウサギちゃんを追ってきた男子高校生は距離を置いて足を止めた。
悪いな。
こいつの希望だから、叶えてやらないと。
俺は関家に視線を合わせたまま、ウサギちゃんの唇に二度目のキスをした。
地面に足を縫い付けられたかのように関家はその場から動けない。
こいつのことを本当に好きなら俺に挑め―――そして、俺から奪ってみせろよ。
挑発するように視線を送ったが、関家は顔を背け、店の中へ戻って行った。
つまらない奴だな。
やっぱり、面白いのは深月達だけか。
俺に牙を向けるくらいの強さを見せてくれよ。
そうじゃないと、楽しくないだろ?
「お前にはここまでだ。じゃあな」
軽いキスだが、それでも、ウサギには毒だ。
キスに驚いた彼女の涙は止まっていた。
道路脇にとまっていた車の助手席に乗る。
運転席にはマネージャーの渡瀬が待っていた。
ひっつめ髪にメガネ、グレーのスーツといういつもの服装だ。
俺になびかない貴重な女で完全ビジネスライクな関係。
その渡瀬が冷たい目で俺を見ていた。
「おとなげないことしますね」
俺はその言葉になにも答えなかった。
望んだのはあいつだ。
俺のせいじゃない。
それにしても、あのウサギはおもしろい。
キス一つにゆでタコみたいな顔をしていたことを思い出して、俺は一人笑った。
また会えるかどうかは謎だが、嫌ではなかった。
小動物は昔から嫌いじゃない。
飼育係をするくらいには―――いや、飼育係をやったのは一度だけ。
「生き物は死ぬからな」
「なんですか?ペットでも飼いたくなったんですか?」
「いや、まさか」
死んでいる姿を見るのは人間も動物も苦手だ。
俺は渡瀬から目をそらし、窓のほうに向き目を閉じた。
それ以上、俺も渡瀬も黙ったまま、どちらもなにも話さなかった。
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(Twitter)https://twitter.com/yukiyukisnow7?s=21
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