上 下
8 / 31

8 仕事

しおりを挟む

「だめだ」
「どうして!?」
まさか、聞き入れてもらえないとは思わず、戸惑いを隠せなかった。
「家事なら、きちんとやります」
「いや、家事は別にやらなくてもいい。必要ない」
目の前には家政婦さんが作ってくれた夕食が並んでいた。
家事はお昼近くに通いの家政婦さんがきて、昼食も夕食も作ってくれた。
やることがなくて、掃除をしようとすると、座っているよう言われ、おとなしくさせるためか、お茶を出されてしまった。
絹山きぬやまの家でも家政婦さんを雇っていたけれど、私は外でずっと仕事をしていたからか、なにかしてないと落ち着かない。
「掃除ならハウスクリーニングがあるし、食事は家政婦に来てもらう。洗濯は下着以外、クリーニングに出せば事足りる。家事をして欲しくて結婚したわけじゃない」
「それなら、なんのために結婚を?」
朗久あきひささんの顔をまじまじと見たけれど、黒ぶち眼鏡と前髪に隠れて感情は一切、読めない。
「ヒマなら、マンション内にある習い事教室かジムかプールにでも行けばいい。近くにショッピングモールもある」
そこまで言って、思い出したようにポケットから財布をとりだし、カードを差し出した。
「使え」
「頂けません」
「なぜ?」
「頂く理由がありません」
「妻なんだろう?いちいち理由がないとなにもかも、だめなのか?面倒だな」
その面倒な結婚を望んだのは自分なのに―――
「どうせ絹山の百貨店に行ったところで、新しい社長が仕切っているから、お前は邪魔者扱いだぞ」
邪魔者と言われて、ハッとした。
「そう………そうですよね」
新体制となり、私が行ったところで、何しに来たんだと思われてしまうだけ。
自分がいないと、と考えていたことを恥ずかしく感じた。
「いや、違う。その、なんだ。うまく言えないが、今まで莉世りせがやってきた仕事を否定しているわけじゃない」
慰めようとしてくれているのだろうか。
「そうですね。もう父が社長をしていた時とは違いますし、私、図々しかったですよね」
はっきり言ってもらえて、逆によかった。
一緒に働いていた人達から、嫌な顔をされるところだった。
よく考えれば、わかったことだ。
送別会までしてもらったのに今更―――もう戻れない。
失ったとはっきり自覚していたのに未練がましいにもほどがある。
「何か……違う仕事を探してもいいですか?」
朗久さんは驚いていた。
「ここにいるのはそんなに嫌か?不自由なく、過ごせるようにはしたと思っていたが」
不自由はなく、むしろ、居心地はいいと思う。
今日、一日過ごしただけでも贅沢な暮らしだと感じるくらいには。
「嫌ではないけれど、ずっと仕事をしてきたので落ち着かないんです」
正直な気持ちを話すと朗久さんはなるほど、と頷いて言った。
「そんなに働きたいなら、俺の会社で働くか?」
「朗久さんの?」
「そうだな。秘書になればいい」
ずっとマンションにいて、いらないことばかり考えるよりはいいような気がして、朗久さんの提案を二つ返事で受け入れたのだった。


◇    ◇    ◇    ◇    ◇


二日目の夜はそれぞれの部屋で眠った。
また夜に出かけて行ったみたいだったけれど、朝には帰ってきていた。
疲れているのに会いに行くなんて、よっぽど大切な人なんだと思っていた。
「それはいいけど、もう起きてもらわないと遅刻よ」
朗久さんが出社の時間になっても起きてこないので、部屋のドアを開けると、まだ眠っていた。
「朗久さん!」
「う……」
朝に弱いのか、もぞもぞと布団の中に潜ってしまった。
「起きてください」
ゆさゆさと揺さぶると、大きな手が出てきて私の体を捕まえた。
「えっ!?」
何が起きたか、一瞬わからず、気づくと朗久さんの腕の中にいた。
「わかった、わかった。一緒に寝よう」
「ま、待ってください、仕事は」
抵抗しようとすると、抱きすくめられ、頭を撫でられた。
まるで、小動物を愛でるかのように髪と額に口づけをされる。
「や、やめてください!朝なんですからっ!」
自分でも混乱して何を言っているかわからない。
「ん…?あー……。悪い」
枕元にあった眼鏡に手を伸ばし、眼鏡をかけると誰なのかわかったらしく、解放してくれた。
手を離してくれた瞬間、慌ててベッドから出た。
転びそうになりながら、部屋のドアの所まで行くと、朗久さんが苦笑した。
「そこまで警戒しなくてもいいだろう」
誰と間違えていたのか、知らないけれど、その手があまりに優しくて勘違いしそうになる。
「遅刻しますよ」
「ああ。今、用意する」
部屋をでて、くしゃくしゃになった髪を整えた。
鏡の向こうの私の顔は赤く染まっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

元彼にハメ婚させられちゃいました

鳴宮鶉子
恋愛
元彼にハメ婚させられちゃいました

逃げても絶対に連れ戻すから

鳴宮鶉子
恋愛
逃げても絶対に連れ戻すから

再会したスパダリ社長は強引なプロポーズで私を離す気はないようです

星空永遠
恋愛
6年前、ホームレスだった藤堂樹と出会い、一緒に暮らしていた。しかし、ある日突然、藤堂は桜井千夏の前から姿を消した。それから6年ぶりに再会した藤堂は藤堂ブランド化粧品の社長になっていた!?結婚を前提に交際した二人は45階建てのタマワン最上階で再び同棲を始める。千夏が知らない世界を藤堂は教え、藤堂のスパダリ加減に沼っていく千夏。藤堂は千夏が好きすぎる故に溺愛を超える執着愛で毎日のように愛を囁き続けた。 2024年4月21日 公開 2024年4月21日 完結 ☆ベリーズカフェ、魔法のiらんどにて同作品掲載中。

Good Bye 〜愛していた人〜

鳴宮鶉子
恋愛
Good Bye 〜愛していた人〜

冷淡だった義兄に溺愛されて結婚するまでのお話

水瀬 立乃
恋愛
陽和(ひより)が16歳の時、シングルマザーの母親が玉の輿結婚をした。 相手の男性には陽和よりも6歳年上の兄・慶一(けいいち)と、3歳年下の妹・礼奈(れいな)がいた。 義理の兄妹との関係は良好だったが、事故で母親が他界すると2人に冷たく当たられるようになってしまう。 陽和は秘かに恋心を抱いていた慶一と関係を持つことになるが、彼は陽和に愛情がない様子で、彼女は叶わない初恋だと諦めていた。 しかしある日を境に素っ気なかった慶一の態度に変化が現れ始める。

ワンナイトLOVEからの交際0日結婚❤︎

鳴宮鶉子
恋愛
ワンナイLOVEからの交際0日結婚。社長が相手で溺愛に翻弄されてます。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

絶体絶命!!天敵天才外科医と一夜限りの過ち犯したら猛烈求愛されちゃいました

鳴宮鶉子
恋愛
絶体絶命!!天敵天才外科医と一夜限りの過ち犯したら猛烈求愛されちゃいました

処理中です...