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番外編【遠堂】

従者の憂い(2)

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動物園に来たのは両親が亡くなってから初めてかもしれない。
それも懐かしいなと思いながら、ゲートをくぐると詩理さんも滅多にくることがないらしく、興味津々でどこかに行ってしまいそうだった。

「走らないでください。危ないですよ」

夢中になっているのか、自分の声が届かない。
困った……。
数歩後ろを歩いていると、詩理さんが振り返った。

「遠堂はどの動物がお好きなの?」

「ライオンですね」

「まあ。ライオン、強いからですの?」

「いえ。天清さんに似ているので」

その答えは失敗だったらしく、詩理さんは頬を膨らませて黙り込んでしまった。
そのすねる様子が可愛らしいなと思いながら後ろを歩きながら、笑った。
詩理さんといると心が安らぐ。
そして、笑うこともできる。
けれど、恋愛感情を持ってはいけない方だ。
彼女は新崎家のお嬢さんで将来的には父親が選んだなに不自由ない家に嫁がれるのだから。
ウサギを抱き抱え、微笑む詩理さんを静かに眺めていた。
柵の向こう側から。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「へぇー、動物園!いいな!」

「天清さんにお土産があるんですよ」

いそいそとライオンのボールペンを差し出した。

「ありがとうってお前、俺にお土産買ってる場合じゃないだろ!?」

「気に入りませんでしたか」

「いや、使うけど。詩理とはどうなんだ?」

「運転手として頑張らせて頂いております」

真面目な顔で天清さんに言うと、微妙な顔をされた。

「お前、最近楽しそうな顔していることに気づいているか?」

「はい」

それは認める。
実際、詩理さんの運転手は嫌ではない。
楽しいと思っている。

「で、そのウサギのぬいぐるみは俺にお土産じゃないだろ?」

「……ですぎた真似だと思いまして、天清さんから渡して頂けませんか」

ウサギとふれあう詩理さんがあまりに幸せそうな顔をしていたので、つい買ってしまったのだ。
買ってから、渡すという行動をしなくてはいけないことに気づいた。

「俺は構わないけど。遠堂から渡したほうが詩理は喜ぶぞ。詩理は遠堂のことが好きだと思う」

ぎくりとして、身をこわばらせた。
天清さんは自分を信頼し、運転手を任せてくれたというのに詩理さんがそんな感情を自分に持っているとするなら、自分は―――

「それなら、なおさら渡せません」

危険は回避する。
新崎のお嬢様と自分が釣り合うわけがない。
お互いの感情が淡いまま、深入りする前に距離をおくべきなのだ。
恋愛映画だけであんなに泣く詩理さんを傷つけたくはなかった。
どうせ、最後は結ばれないのだから。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


それは夕方のニュースだった。
新崎の運転手が元気そうにマラソン大会に出場し、ピースをしている。
―――やられた。

「天清さん……」

「あー、うん。ぎっくり腰、治ったみたいだな。よかったなぁ、あははは」

「わざと自分を詩理さんに近づけましたね?」 

「うん、ごめんな!」

明るく言われた。
いや、それ反省してますか?
していないですよね?

「詩理に婚約の話がでてる。相手は金持ちの親父。年齢は詩理より二十も上だ」

一瞬、言葉がでなかった。

「俺は詩理に幸せになってほしい。遠堂。俺はお前にも幸せになってほしい」

「詩理さんの相手としては相応しくありません」

「俺が相応しいと言っているんだぞ?じゃあ、こうしよう。詩理が遠堂のことを好きだと言ったら、お前は詩理のために相応しい男になるため努力していずれは結婚相手になれ。いいな?」

「詩理さんが自分を好きになることなど、ありえませんよ」

笑いながら聞き流した。
天清さんは本当に頭の回転が早い。
そして、とんでもないことを言ってくる。
詩理さんが好きだなんて言うわけがない。
新崎の飼い犬相手に本気になるか?
あり得ないだろう。
そうタカをくくっていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「さっさと復帰してください」

詩理さんの運転手に連絡し、呼び出した。
なにがマラソン大会だ。
あのやりきった笑顔を思い出すだけでも腹が立つ。

「天清さんはいいと言ったのに」

と、電話口でブツブツ文句を言われたが、知ったことではない。

「今日で最後ですからね」

天清さんにそう告げると天清さんは面白くなさそうな顔をしていた。

「自分の気持ちから逃げるつもりか」

「仕組んだのは天清さんでしょう。とんでもない方だ」

おかしなことになる前に離れなくては。
焦っていた。
もし、詩理さんが自分を好きだと言ったら?
ありえないと何度も繰り返し、車に乗った。
これで最後かと思うと胸が痛んだ。

「これ今までのお礼に」

そう言って詩理さんがくれたのは押し花のキーホルダーだった。
やはりまだまだ可愛らしい。
そう思い、お礼を言って前を向いた。
お礼も終わった。
もうこれ以上のことは起こらない。
完全に油断していた。

「私、遠堂のことが好きみたいなの」

今、なんと?
それは突然やってきた。
バックミラーから見える詩理さんは恥ずかしそうにうつむき、完全に恋する乙女だった。
天清さんの得意満面な顔が浮かんだ。
あの人はこんな純真な詩理さんが自分を好きになるように仕向けるなんて、とんでもないことをしてくれたものだ。

「すみません。そのお気持ちには応えることはできません」

とっさにその言葉が口をついてでた。
『今は』と。
言えたらよかった。
たが、言うわけにはいかない。
自分は新崎の飼い犬。
相手は新崎の大切なお嬢様。
傷ついた顔をして、うつむいた詩理さんになにも声をかけることはできなかったのは―――

この苦しい感情をどう扱えばいいかわからなかったからだ。
恨みますよ、天清さん―――こうして運転手としての最後の日を終えたのだった。
今まで感じたことのない複雑な感情を残して。
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