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7 ここは素敵な秘密基地

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天清たかきよさんは私がもらってあげるわね』

響子きょうこに言われたその言葉がずっと頭の中でぐるぐると巡っていた。
仕事しなきゃいけないのに。
ハンカチで濡れた髪とスーツを拭いた。
昔から、気に入らないことがあると、陰で響子は私に嫌がらせをしてきた。
親の目が届かない所で。
親の前ではいい子で自己アピールの上手な響子は両親を騙してきた。
私が泣いて訴えても親は響子の言い分を信じて、私の言葉を信じてくれなかった。
どれだけ、真剣に訴えても『響子がそんなことするわけないでしょ』と言われて。
うまく説明できなかった私は段々自分の気持ちを話せなくなっていった。

―――だから、諦めている。
わかってもらおうなんて思ってない。
ただ静かに暮らせたら、それでいい。
きっと天清さんも他の人と同じ。
響子を選ぶ。
私とは表面だけの夫婦関係になるのかな。
それとも離婚?

「だいたい……私のことが好きっておかしいと思ってたし……これが現実よ」

私が結婚した。
そんな夢を見ていたと思おう。
夢オチよ、夢オチ!
平常心を取り戻しかけた瞬間

「月子いたー!!」

バアンッと資料室のドアが大きな音をたてて、開いた。
ぎゃー!!と悲鳴をあげかけて、手で口をふさいだ。
なに!?心臓が飛び出るかと思った。

「な、な、な、何事ですか!?」

「いや、どこにいるのか探してた。人に聞いたら、月子は地下で仕事してるっていうからさ」

私の一人で働く暗い姿を天清さんが見れば、百年の恋も冷める。
たった一日の結婚生活でした―――

「へー。ここが月子の職場か」

―――終わった。
なんて短い結婚生活だったんだろう。
天清さんの目の前にいるのは薄暗い地下室で一人仕事をする暗い女。
次の言葉を怯えながら待っていると

「すごいなあ。秘密基地みたいでいいな!キッチンまである!」

「はあ。新メニューの開発が私の仕事なので」

「そっか。誰が新メニューを考案してるのか、気になっていたけど月子だったのか」

「え?」

「いや。なんでもない。それより、どうして髪と服がそんな水浸しになったんだ?さすがに地下に雨は降らないよな?」

ハッとして、自分の姿に目をやると前髪はぺたんとしていて、メイクもとれ、ブラウスまで水が染みてひどい姿だった。
ハンカチでふいたとはいえ、髪も服もこんな短時間で乾くわけがなかった。
今まで誰かに見られることがなかったせいで、身だしなみを見直すなんて考えておらず、自然に乾くのを待っていましたなんて恥ずかしくて言えない。
なんて、恐ろしい習慣よ。

「え、えっとこれは」

「着替えは?」

「な、ないです」

「天清さん!やっと追い付いた!階段から一気にジャンプするのはやめてください!いくら、あのしつこい響子さんをまくためとはいえ、怪我でもしたらどうするおつもりですか」

秘書の遠堂えんどうさんが息を切らせて現れた。

「遠堂。月子に似合う服を買ってきてくれ。俺は仕事をする」

「ええっ?服?なぜ服が必要で……?」

天清さんが財布からカードを出して渡すと遠堂さんはやっと気づいたらしく、私の姿を見て驚いていた。

「水浴びですか?」

「い、いえ!そういうわけでは」

「遠堂。月子が風邪をひくと困るから、急いでくれ」

「お任せください」

遠堂さんは一目見ただけでサイズがわかったのか、さっといなくなった。
ええっー!?それって、どんな能力!?

「俺もここで仕事しよっと」

『専務』と書いたプレートを勝手に私の机に置いた。
ご丁寧に持ってきたらしい。

「ま、まさか。一緒に仕事をするつもりじゃ!?」

「そうだよ?机が足りないなら運ばせる。一緒に仕事をしよう!月子!」

私の不安を吹き飛ばすように天清さんは太陽みたいに笑って、そう言ったのだった―――


◇    ◇    ◇    ◇    ◇


私のいる資料室に机が運び込まれ、寒ざむしいコンクリートの床には豪華な絨毯が広がり、はずされていた蛍光灯がはめられ、電球だった所はお洒落なシェードカバーがかぶされた。
キッチンの調理器具は真新しくなり、部屋には色鮮やかな花が飾られ、壁には素敵な風景画がかけられて、資料室はお料理番組のスタジオみたいな空間に変わってしまった。

「魔法使いみたい……」

口を挟む余裕もないほどの手際の良さだった。

「月子、新しいスーツ似合うな」

「あ、ありがとうございます……」

ネイビーのスーツはワンピーススーツになっていて、タイトスカートタイプ。
ウエストベルト付きで細身に見え、大人っぽい。
仕事が出来る秘書のように見える。
見た目だけは。
お礼を言うと私を頭から爪先まで遠堂さんは眺め首を横に振った。
部屋を整えていた遠堂さんが天清さんに近寄ると小さな紙袋を渡し、一礼し、さっと後ろに下がった。

「それでは、私は書類をとって参ります」

「おー、頼むー」

遠堂さんが部屋を出ていくと天清さんはニコッと私に微笑んだ。
な、なに?
スタスタと歩いて近寄ってくると、紙袋からとんとんとんっとリズムよくアクセサリーケースを机に並べ、髪に触れた。

「っ!!?」

逃げ出そうとしたけれど、ギュッと掴まれた。

「はい、逃げない」

「ひ、ひえっ!」

「大丈夫だって。俺は何もしないから。約束を守る男だって言うのは昨晩で証明されてるはずだよね?」

「は、はい」

確かにそうだ。
むしろ、絶対防衛ラインを越えていたのはこの私。
逃げないとわかると、そっと手を離してくれた。

「髪に触れても?」

「もう触れてます……けど」

「あ、本当だ。いいよね?」

『はい』も『いいえ』も待たずに指が髪に触れ、髪を器用にまとめると銀色のバレッタでとめてくれた。
私は人に近寄られるのも触れられるのも苦手なのに今、少しも嫌じゃなかった。
―――不思議な人。
ぼんやりと天清さんを観察するように眺めてていた。

「鏡で見る?」

鏡に映った私は仕事が出来る秘書みたいな髪型とスーツでいつもと雰囲気がガラリと変わっていた。
服装やアクセサリーでこんなに違うものなんだ……。
趣味がいいな、と思いながら髪を見ると、銀色のバレッタが映った。
このバレッタ、シャネルのマークに見えるのは私の気のせい?

「この中に色々入ってるから、使うといいよ」

「あ、ありがとうございます。ちょっと派手じゃないですか?」

自分の姿があまりにいつもと違うから、自信がない。
悪い顔をして目を細めた天清さんは顔を近づけて耳元で囁いた。

「大丈夫」

「ひゃ!?」

息がかかって、ぞくりと皮膚が粟立った。
ぐらりと倒れかけた体を支えて、天清さんの声が頭の上から降ってきた。

「よく似合ってるよ」

指が耳をなぞり、首すじをなでる。
ぞくぞくするその感覚は今まで味わったことがない。

「っ!」

「約束だからね」

な、な、なっ、何が約束よー!
触れるだけ触れて、さっと手を離した。
無邪気な笑顔を浮かべているのにやることはやっぱり油断ならない。
完全容量キャパオーバー。
一言も声を発することができずに顔を真っ赤にしてその場に固まる私を満足そうに見ると、天清さんは仕事を始めた。

「じゃ、仕事しようか?」

ひらひらと書類を見せて、私に気持ちを切り替えるように言ったつもりかもしれないけど……。
触れられた場所の感触がいつまでも消えずに残っていて、なかなか平常心を取り戻せそうにはなかった―――

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