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20 焦がれる想い ※要人視点

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  ――俺は母が倉地くらちの家族に、嫉妬していることを知っていた。

 倉地のおじさんとおばさんが、亡くなったと母に告げた時、うっすら笑みを浮かべたのを俺は見逃さなかった。
 自分より裕福でない志茉たち家族が、幸せそうに暮らしているのを目にし、母はいつもイライラしていた。
 俺が懐いていたのも気に入らなかったのだろう。
 誰だって、明るい場所が好きで、自分にとって居心地のいい場所を自然と求める。
 暗い思いが潜む場所よりも――

朝比あさひ。アパートに設置してあった監視カメラの中身を警察に渡してくれたか?」
『はい。ですが……。よろしかったのですか?』
「ああ」

 俺はその中身を見ていない。
 朝比が気遣いながら、俺に言う。
 中身を見た朝比が、俺に気を遣うということは、そこに映っていたのは、きっと俺の母だ。
 聞かずともわかる。

『明日は社長と倉地さんをお休みにしておきます。火事も明日のニュースに取り上げられるでしょうから』
「ああ、頼む」

 すでに宮ノ入みやのいりグループの八木沢やぎさわ常務にも伝えてある。
 もし、母が逮捕ということになれば、スキャンダルになる恐れがある。
 それを事前に防ぐためだ。
 なにかあった時のために、段取りをすべて終えてから、電話を切った。
 
「家族か……」

 リビングのテーブルには、アパートから持ち出したアルバムがあった。
 倉地家の家族写真だ。 
 ページをめくっていけば、小学生の頃の自分がいる。
 作り笑いばかりだった仁礼木の写真は、雑誌の撮影のようで、見る気にはなれないが、このアルバムとは違う。
 志茉たちに母は嫉妬し、俺は焦がれた。
 焦がれた場所へ俺を迎え、居場所をくれたのは、志茉だった――

 ◇◇◇◇◇

 仁礼木にれき家の次男に生まれた俺のほうが、兄より不自由だった。
 母に対し、冷たく扱いづらい兄より、下の俺を構うようになったからだ。
 
「要人さん、今日は家庭教師の先生が来ますからね。この間みたいに、近所の子供たちと遊んじゃだめよ? 要人さんのレベルに合った学校のお友達がいるでしょ」

 習い事は毎日あった。
 バイオリン、スイミングスクール、絵画教室、英会話と他の外国語をいくつか。
 それが終われば家庭教師と勉強。
 自由時間はなく、決められたスケジュールどおり、行動するのが母の望みだ。 
 それでも、わずかな隙を見つけ、抜け出すこともあった。
 性格的に母の言いなりになるわけがなく、家政婦の八重子やえこさんから、両親の予定を聞き出せば、家から簡単に出られた。
  八重子さんに家事をすべて任せ、愛人とゲームのように浮気を楽しむ。
 それが、俺の母親だ。
 そのくせ、父や俺たちが母を無視するから悪いと言い張る。

「……家族なんか、俺にはいない」

 そう思いながら、家から出た。
 隣の古い木造アパートには、最近引っ越したばかりの家族がいる。
 その家族はいつも幸せそうで、窓を開けると、明るい声で笑う声が聞こえてくるのだ。
 嫉妬より、俺はまるでドラマを観るように、その世界を眺めていた。
 自分には無縁な世界すぎると、妬ましさより、憧れのほうが勝つのだと知った。
 今日はアパートの庭に、座り込んでいる子供がいた。
 俺の視線に気づき、大きな目で、俺を見る。

「こんにちは。近くに住んでいる人? わたし、くらちしま。ここに引っ越してきたばかりなの」

 ――ずっと窓から見ていたから、知っている。
 黙っている俺に、遠慮なく話しかけてくる。
 
「トマト食べる? これねぇ、前に住んでたところから、持ってきて植えたの」

 緑の葉の中に、トマトがいくつも実をつけていた。

「いらない」
「そっかぁ……。お友達にあげようと思って、持ってきたのに。お坊ちゃまみたいだし、食べないよね。お坊ちゃまのトマトは、どこのトマトを食べるの?」
「誰がお坊ちゃまだ! 俺の名前は仁礼木要人だ!」
「かなめ……かなめって名前なんだ」

 俺と志茉がしばらくお互いの顔を眺めた。
 泥のついた顔とトマト。
 スコップとバケツ、じょうろを横に置いて、顔には泥がついていた。
 ポケットの中から、ハンカチを取り出して、顔を拭いてやる。

「うー」
「泥がとれないだろ。どうやったら、顔につくんだよ……」
「畑の世話をしてたから。ほら、見て!」

 得意げな顔で見せた畑はこじんまりとして、普通の家庭菜園より、少し広いくらいだ。
 先週、別荘に行った時にみた畑は広くて、こんな猫の額みたいな畑じゃなかった。

「小さいな」
「いっ、いいの! 味は悪くないんだから! 食べてみてよ!」

 トマトをもぐと、無理やり俺の口の中へ放り込んだ。

「野菜は洗えよ!」
「えー」

 口の中に放り込まれたものは仕方ない。
 吐き出すわけにもいかず、トマトを食べた。
 いつも食べる野菜よりもずっと味が濃い。

「うまいな……」
「そうでしょ!」

 志茉は嬉しそうに手を叩いて喜んだ。
 アパートの二階のドアが開き、階下の志茉を呼ぶ声がする。

「志茉。そろそろ中に入りなさい、お昼よ」
「今日の昼は、志茉が好きなそうめんだぞ~!」

 若い夫婦は昼食を作っていたらしく、エプロン姿だった。 
 志茉は元気よく手を挙げた。

「はーい! かなめ、よかったら、ごはん食べていく?」
「呼び捨てかよ」

 そこは、かなめお兄ちゃんか、かなめ君だろう。
 つくづく、生意気な子供……俺もだが。生意気なのはお互い様かと、思い直した。

「畑の野菜で作ったご飯だよ?」
「いや、俺は……」

 そこに、足を踏み入れてはいけない気がした。
 明るくて、幸せそうな家族の姿は、理想のままでいてほしい。
 俺がその中へ入ったら、壊れてしまう気がした。

「かなめ、行こっ!」

 強引に志茉が俺の手を引き、アパートの二階へ連れていく。

「あら、志茉。お友達?」
「そう!」

 いつの間に友達になったんだと思いながら、自分の手を握る温かい手を振りほどけず、アパートの部屋へ入った。

「まあ、可愛らしい男の子ね」
「引っ越し先の友達第一号だな! 志茉、よかったなぁ」
「うん!」

 来客用の座布団は、手作りで刺繍入り。
 裕福ではなかったけど、外から見た光景の続きが、そこにはあった。

「名前はなんていうんだい?」
「仁礼木要人です」
「まあ、お隣のお坊ちゃんじゃないの。お口にあうかしら」
「大丈夫! うちのご飯はおいしいから」

 心配する両親に、志茉は無邪気に笑って言った。

「それにねぇ、トマトも美味しいって言ってた!」

 志茉の両親は優しい目をし、自分の娘を眺める。
 あんな目で親は子を見るのだと、初めて知った。
 志茉の家で食べたご飯は、今までで一番美味しくて、幸せな味がした。

 ――この日から、俺の将来の夢はひとつだけ。

 いつか、がれた場所へたどり着きたい。
 小さな手が教えてくれた世界へ。

 ◇◇◇◇◇

 小さかった手を思い出しながら、その細い指に自分の手を絡めた。
 苦しい思いで、抱いた『初めて』が、終わり、今は違う気持ちで、志茉に触れられる。
 
「志茉……」

 志茉は俺にとって、特別な存在だ。
 明るい場所へ連れ出してくれた。

「どれだけ、俺がずっと手に入れたかったか、知らないんだろうな」

 安心しきって眠る志茉の細い肩に額を寄せた。
 薔薇の甘い香りと柔らかな体。髪の先まで俺のもの。

 ――志茉はここにいる。 

 やっと手に入れた焦がれた存在。
 もう二度と、自分の元から奪われないように、その体を強く抱き締めた。
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