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14 誓約書

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 ――私はなんてことをしてしまったのだろう。

 悔やむ気持ちは、すべて終わった後、やってきた。 
 要人の輝かしい将来に消えない汚点を残し、私という存在から逃れられないよう縛り付けた。
 自分がやったことの浅ましさに、後悔したけれど、要人は約束通り、私とずっと一緒にいてくれた。
 私がご飯を食べ、眠るまで、毎日、アパートにいて、家族の様に過ごし、寂しさを感じさせないよう寄り添ってくれる。
 要人がいなかったら、きっとここまで立ち直れなかった。

「志茉。両親の代わりに、三者面談は俺が行く」
「でも……」
「大丈夫だって。俺は志茉の高校の先輩で、教師から、俺は気に入られている。誰もなにも言わない」

 言わないじゃなくて、言わせないの間違いだったけど、その申し出はありがたかった。
 就職するか大学へ進学しようか迷っていた私だけど、要人がいたから相談もできた。
 大学も要人と同じで、親友の恵衣めいも同じ大学を受験する。
 徐々に気持ちは安定し、ようやく私が、学校に通えるようになった頃、仁礼木にれきの家に呼ばれた。
 夏休みに入るのを待っていたのか、それとも要人がインターンでいない時期を狙ったのか、おじさんとおばさんが揃って私を出迎えた。

「どうして呼ばれたのかわかるわよね? 志茉さん?」

 曾祖父が外交官だった仁礼木のお屋敷は、歴史を感じる洋館で、ダイニングにはシャンデリア、サンルームからは広い洋風庭園を眺めることができる。
 洋風の客間はふたつ。
 私が通されたのは、小さいほうの客間で、丸みを帯びたテーブルとソファーが置かれている。
 サーモンピンクのカーテンが日差しを遮り、室内は薄暗く感じた。

「あまりきつく言わないように、言っただろう? 要人は昔から、志茉ちゃんのご両親にお世話になっていたんだ」

 いつもいる家政婦の八重子やえこさんは、でかけているのか、人の気配はなく、しんっと静まり返っていた。
 心細く感じたけれど、仁礼木のおじさんは、おばさんと違って優しい口調で言った。

「優しいご両親を亡くして、とても残念に思う。辛い志茉ちゃんを呼んで、厳しいことを言うつもりはないんだが……」
「あなた! いったいどちらの味方なの? あなたは要人さんの将来が心配じゃないの!? 志茉さんのせいで、優秀な要人さんの将来が……!」

 おばさんはヒステリックに声を張り上げ、おじさんを睨みつけた。

「お前が要人を心配する気持ちもわかるが、要人の気持ちもある」
「なにをおっしゃるのっ! 親である私たちがしっかりしないでどうするの! あの子はまだ大学生なんですよ」
 
 夫婦喧嘩になりかけ、弁護士さんが咳ばらいをした。
 
「そろそろお話されたほうが、よろしいかと……」
「ああ、そうだな」

 あまり気が進まないおじさんと、イライラしながら待っているおばさん。二人は対照的だったけれど、要人の将来を心配しているのは同じだ。
 私のそばにいるために、要人は大学をしばらく休んでいて、仁礼木の家じゃなく、私が住むアパートにいた。
 それは、恋人同士というより、やっぱり幼馴染の関係で、要人は私が眠っているか、食事を摂っているか、見張っているのだ。

「実はね、要人にとって、良くない噂があるんだ。その……両親が亡くなった志茉ちゃんをたぶらかして、部屋に出入りしてるっていう」
「要人は私をたぶらかしてなんていません」
「もちろんそうだ。兄妹のような感情しかないことは、わかってる。でも、こういう噂は、男側より、女の子のほうが傷つくだろう? だから……要人とは距離をとったほうがいいと思うんだ」

 ――要人にとって、私はよくないって思われてる。

 話の続きを聞かなくても、おじさんがなにをしたいのか、わかってしまった。
 
「志茉ちゃん。これにサインをしてもらえないかな。そうすれば、安心できるらしいから」

 怖い顔をしているおばさんに目をやり、私に一枚の白い紙を差し出した。

「これは……」

 書面に書かれていたのは、私が要人と結婚しない、恋人関係にはならないというような内容だった。
 そして、大きな誓約書の文字。

「志茉さん。サインしていただけるわよね?」
「でも、私……要人のこと……」

 最後まで言い終わる前に、おばさんは私の言葉を遮った。

「本当なら、要人の目の届くようなところにいてほしくないの! それを譲歩してあげたのよ!」
「おい。やめないか。すまないね……志茉ちゃん……」

 おじさんが私の境遇を考えて、おばさんを説得し、これが精一杯の妥協案だったのだろう。
 弁護士さんが淡々とした口調で、私に言った。

倉地くらちさん。アパートに住めなくなるのは困るでしょう? 仁礼木さんは保証人がいなくても、倉地さんの境遇を考えて、このままアパートに住んでもらって構わないとおっしゃってくれています」

 収入もなく、身寄りのない学生の私が、今のアパートに住み続けるには保証人が必要だった。
 
「誓約書にサインしないなら、アパートを壊すつもりよ。どうせ、古いし、住んでいる人も数人でしょ。以前から、家の隣に小汚いアパートが目に入って、不快だったのよね」
「壊すって……小汚いアパートって……そんな……」

 怒りと悲しみが混ざり、どんな顔をしていいかわからない。
 両親と一緒に暮らした思い出の場所を失い、暮らしていけるほど、まだ傷はそこまで癒えてなかった。
 アパートも要人も失わず、今まで通り暮らすには、おじさんが考えた妥協案を呑むしか、道はない。

「条件をのめば、仁礼木さんのご厚情により、アパートに住めますよ」

 弁護士さんが誓約書にサインをするよう求める。
 膝の上に置かれた自分の手が震えていた。 

「要人さんには、今日のことを言わないでちょうだい。あの子、怒ると面倒なのよね。要人さんに言ったら、アパートからすぐ出てってもらいますからね!」
「わ、私、要人と会えなくなるのは嫌です」

 涙を堪え、必死に言う私に、おじさんは優しく言った。

「大丈夫、会うなとは言わないよ。一緒に要人といてもいいんだ。ただこれにはサインをして欲しい」
 
 要人と引き離されずに済むのなら――そう思って、私は誓約書にサインをした。
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