社長はお隣の幼馴染を溺愛している

椿蛍

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12 理由

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『立ち入り禁止』

 アパートのドアに、大きく張り出した紙を見たはずだ。
 なのに、それを無視して部屋へ侵入する悪い男がいる。

要人かなめ! 張り紙を見たでしょ?」
「これか?」
「はがさないでよ。その立ち入り禁止は、要人に向けて書いたものよ。鍵だって、ちゃんとかけて……」
「鍵?」

 要人は私の両親が渡した合鍵を見せる。
 
 ――ぐっ! 一番危険な人間に鍵を渡してるのよ! 私の両親はっ!

 がっくりと畳の上に膝をついた。
 ここで、諦めたら、要人のペースになってしまう。
 すでに要人が部屋に入ってきた時から、向こうのペースになっているけど、負けるわけにはいかない。
 
「会社で、よくもあんな嫌がらせをしてくれたわね!?」
「嫌がらせ? キス?」
「ちがっ……それも違わないけど……」
「ああ、香水の名前がわからなかったからか? テールドゥエルメスだ。志茉しまが好きそうな香りだと思って使った。気に入ったなら、志茉も使うか?」
「使いたいから、名前を知りたいとかじゃないのっ」

 そうじゃない。そうじゃないのに、要人はわかってるくせに、うまくはぐらかす。
 ここは一発逆転。
 ビシッと核心を突くことにした。
 
「要人のお見合い相手って、扇田おおぎだ工業のお嬢様だったんでしょ?」
「そうだ。俺の見合い相手だった。あの女、仕方ないとはいえ、邪魔過ぎる」

 要人は外で見るような怖い顔をし、虚空を鋭く睨み付けた。

「仕方ないってどういうこと? 邪魔って、婚約の話まで出てるのに、なに言ってるのよ?」
「便宜上はな」
「なにが便宜上!?」
「こっちにも色々と都合がある。それが済むまでは、俺の身を犠牲にする必要があった」

 まるで、ビジネス。
 扇田工業は沖重おきしげグループだけでなく、親会社の宮ノ入みやのいりグループとも取引がある重要な会社だ。

「目障りだろうが、志茉は気にすることないからな」
「要人。もっと誠実になってよ。婚約したのに、そんな言い方……」
「志茉こそ誠実なれよ。俺を適当に扱いすぎだ」

 要人は私の手から『立ち入り禁止』と書いた紙を奪い、それを投げ捨てる。
 瞳の奥の青い色が、見えるくらいの距離に気づいた。
 きちんと話をしなくてはいけない時期が、やってきたのだ。

 ――これはタイムリミット。

 私と要人はいつまでも幼馴染でいられない。
 覚悟を決め、私は要人に言った。

「私、要人には幸せになって欲しいと思ってる。だから、要人と恋人同士にはなれないの」
「俺は志茉と恋人同士になるつもりはない」
「そ、そう、それなら、よかった……」
「夫婦になる」

 ――なにこのプロポーズ。 

 恋人同士を飛び越して、要人は夫婦になろうと言う。
 なにを言っているか、一瞬理解できず、固まってしまった。

「なっ、なに言ってるのよ! そんなの、仁礼木の家が許すわけないでしょ?」
「仁礼木なんか関係ない。俺は俺だ」

 過去から現在に至るまで、着実に積み上げてきた実績で、絶対的な自信と力を得た要人は強い。
 こうなった時の要人は、頑固で一歩も譲らないことを私は知っている。

「俺はもう学生じゃなく、自立した大人だ。あの頃とは違う。だから、志茉。言えよ」
「え……。な、なにを……」

 私の声は自分でもわかるほど、震えていた。
 すべて、わかっているとばかりに、要人は鋭い口調で言った。

「志茉。お前、なにを言われた? 俺の母親か父親に、俺と付き合うなとでも言われたか?」
「ど、どうしてそんなこと急に……。おばさんの嫌みなんていつものことだし……」
「違うだろ。昔は素直に俺を頼っていたのに、あの後から――」
「やめて!」

 その先を言わないで欲しかった。
 ずっと蓋をしてきたのに――私たちの関係が壊れないようなかったことにして。
 
「志茉の両親が死んで、俺が志茉を抱いた後から、俺と距離を置いた。違うか?」
「ち、違うわ!」

 否定しても要人は私を逃がさない。
 私の腕を掴んだまま、放してくれなかった。

「仁礼木から、なにを言われた?」
「言いたくない!」

 ふわっと体が宙に浮き、大きな手に支えられたかと思ったら、そのまま、畳の上に押し倒された。
 痛くはなかったけど、驚いて要人を見上げた。

「要人……! 駄目!」
「じゃあ、ちゃんと逃げずに話せ! いつまで、俺から逃げるつもりだ!」
 
 顔を背けても、あごをつかまれ、要人のほうを向かせる。
 私がどんなに睨んでも、要人は私から絶対に、目を逸らさなかった。

「言わないなら、抱くぞ」

 外で怒った時の要人は、冷たい雰囲気を持つ。
 でも、私に対してだけは違う。
 感情を隠さず、正直に私に言うのだ。
 だから、これは本気だ。本気で要人は言っている。
 隠し続けてきたことを言ってしまえば、私は楽になる。
 けれど、要人はきっと苦しむ。
 だから、言いたくなかったのだ。
 ずっと――
 
「俺を忘れて、どこかへ行くつもりか? そんなことできると思うな。どこへ行っても俺は探し出して、連れ戻す」

 要人は私を抱き締め、髪に顔を埋めて、キスをする。
 大きな手は、私の頭を撫で、そして、耳元で囁いた。

「志茉、俺が全部悪い。あの時、止まれなかった俺が悪い。志茉の後悔は、俺が全部もらう」
「違う。要人は悪くない。私が悪いの! 一人になりたくなくて、要人にすがって。誰かそばにいてほしくて……」
「それをわかっていて、奪ったのは俺だ」

 私だけでなく、要人も同じように悔やんでいたのだと知る。
 違う形でお互いの想いを伝えられていたなら、私たちはいびつな関係のまま、過ごさずに済んだかもしれない。
 でも、過去の私たちは若く、そんな冷静でいられなかった。
 
「俺の家族は志茉だけだ。だから、言えよ。志茉を追い詰めたのは、仁礼木なんだろ?」

 幸せそうに見えたお隣のお屋敷だけど、中身は違っていた。
 ずっと要人は孤独で、私たちの暮らすアパートへ来ていたのは、私と同じ。
 一人になりたくなかったからだ。
 私の目から、涙がこぼれた。

「仁礼木の家に呼び出されて……。要人に言ったら、アパートから出ていってもらうって言われたの……」

 高校生で保証人もいなかった私は、住んでいたアパートを追い出されれば、どこにも行くあてがなかった。
 それをわかっていて、要人の両親は私に言ったのだ。

「要人と絶対に恋人関係にならないって、約束をさせられて、誓約書にサインした……。それが、私が要人のそばにいて、いい条件だったから」
「誓約書……。高校生の志茉相手にか」

 要人の表情が、歪み、怒りで声を震わせた。
 私の隠してきたことを知った要人は、悔しそうに拳を握りしめていた。

「要人も大学生だったから……。どうにもできないわよ……」

 無力だったあの頃。
 両親が亡くなった時、私はまだ高校生で、要人も大学生だった――
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