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7 桜が散る場所
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桜の花が完全に散ってしまった週末の日曜日。
明け方に降った雨は止み、青い空が広がっていた。
その明るい陽射しとは真逆の黒のスーツを着て、黒い鞄と靴、真珠のネックレスを身につけた。
玄関に置いてある父と母の写真に手を合わせ、アパートのドアに鍵をかける。
階段を降り、駅に向かうのに仁礼木のお屋敷前を通った。
「昨日は要人さんと食事をして楽しかったかしら?」
私を待ち伏せていたのか、仁礼木のおばさんに捕まった。
今日は会いたくなかったけれど、会ってしまったものは仕方ない。
「……おはようございます」
挨拶をするも、向こうは私の挨拶を無視して、一方的に話し出す。
「昨日、聞いたとおり、要人さんにとてもいい縁談がきているの。自分が仁礼木家に相応くないことはおわかりよね? 仁礼木との約束を忘れないでちょうだい」
私が住む古いアパートと仁礼木のお屋敷を見比べ、おばさんは意地悪く笑った。
「要人さんは優しい子ですからね。志茉さんの可哀想な身の上に同情しているだけなのよ。自分の立場に合った女性と付き合えば、目が覚めるわ」
「そうですね……」
――私への好意は同情。
両親を亡くした私を見捨てられなかった要人。
一人になるのが怖くて、要人にすがった私。
私さえ、いなければ要人はもっと自由に生きることができる。
黒い服を着た私にかけられる言葉は、優しいものではなく、心まで黒く染められてしまう気がした。
「用事があるので、失礼します」
おばさんの横を通りすぎようとした瞬間。
「お金が必要なら言ってちょうだい。要人さんから、お金をもらっているんでしょ?」
さすがにこれは――ぐっとこらえていた言葉が口をついて出る。
「いいえ。そんなふうにしか考えられないのなら、可哀想なのはおばさんのほうです」
おばさんはなにをやっても満たされず、幸せではないのかもしれない。
要人とおばさんのやりとりは、親子というより敵同士。
仲がいいようには、まったく見えなかった。
「要人とは付き合っていません。今日は両親の命日なんです。静かに過ごさせてください」
そう告げると、さすがのおばさんも黙った。
私の服装が、遊びにいくような服装でないことがわかったのだろう。
おばさんに会釈して、前を通り過ぎ、駅へ向かう。
日曜日の朝だけあって、人の流れは緩やかで、電車の中も空いている。
霊園のある駅に降り、近くの花屋に寄って、バスに乗り換えた。
山のほうにある霊園には、遅咲きの濃いピンク色の桜の花が咲いていた。
「おはようございます。いい天気ですね」
霊園には、お寺の方がいて掃除をしていた。
雨が降った後の霊園は、山からの木の葉が落ちている。
「……おはようございます」
「今年も待っていましたよ」
昔から、私を知っているお寺の方は、それだけ言って、また掃除を始めた。
お墓があるまでの道、桜の木からは花びらが降り注ぎ、地面を桃色に染めて美しい。
今日の朝方に降った雨が、ところどころに水溜まりを作り、水面に花びらを浮かべていた。
お墓の前に行くと、すでに花と両親が好きだった店の和菓子が置いてあった。
「要人ね」
誰がきたのか、すぐにわかる。
自分が持ってきた花を飾り、手を合わせた。
――私への好意は同情。おばさんはそう言ったけれど、もし、私の両親が生きていたら、要人と付き合っていたのかな?
今日は誰も一緒に来てほしくなかった。
泣く姿を誰にも見られたくなかったから。
まだ痛みは癒えず、この傷が癒える日が来るのは、いつなのかと苦しく思う。
気持ちが落ち着くと、しゃがんで、また手を合わせた。
「またお盆に来るね」
そう言って、お墓から離れた。
霊園から出ると、バス停がある駐車場に、マセラティが見えた。
――やっぱり目立つ。
そのマセラティに寄りかかり、立っていたのは他でもない要人。
黒のスーツを着て腕を組み、私から不評だったサングラスを外して、こちらを見る。
「終わったか」
要人は助手席のドアを開ける。
今年も要人は、私を待っていた。
毎年、要人はお墓参りが終わるまで、ここで待っていてくれる。
この日だけは、一緒に行くとは言わない。
一緒に行けば、見栄っ張りで意固地な私はきっと泣けないだろうとわかっているのだ。
「要人、ありがとう」
「ああ」
毎年同じはずの私たちの墓参りなのに、あと何回、このやりとりをするんだろうと思ってしまうのは、隣の幼馴染でいられる時間が、それほど多くないと知っているから。
お互い黙ったままの私たちは、きっと同じことを考えていただろう。
なにも言わずに、要人は運転し、車は精進料理屋へたどり着く。
「朝食、食べてないだろ」
「うん……。でも……」
高級そうな精進料理屋を見て、今朝、おばさんに言われたことを思い出してしまった。
「ん? どうした? 中に入るぞ」
車から降りた私に、要人は手を差し伸べて笑う。
なんでもない要人の笑顔が、今は安心する。
「……なんでもない」
要人といられるのは、あと少しだけ。
今はこの時間を大事にしようと思った――
明け方に降った雨は止み、青い空が広がっていた。
その明るい陽射しとは真逆の黒のスーツを着て、黒い鞄と靴、真珠のネックレスを身につけた。
玄関に置いてある父と母の写真に手を合わせ、アパートのドアに鍵をかける。
階段を降り、駅に向かうのに仁礼木のお屋敷前を通った。
「昨日は要人さんと食事をして楽しかったかしら?」
私を待ち伏せていたのか、仁礼木のおばさんに捕まった。
今日は会いたくなかったけれど、会ってしまったものは仕方ない。
「……おはようございます」
挨拶をするも、向こうは私の挨拶を無視して、一方的に話し出す。
「昨日、聞いたとおり、要人さんにとてもいい縁談がきているの。自分が仁礼木家に相応くないことはおわかりよね? 仁礼木との約束を忘れないでちょうだい」
私が住む古いアパートと仁礼木のお屋敷を見比べ、おばさんは意地悪く笑った。
「要人さんは優しい子ですからね。志茉さんの可哀想な身の上に同情しているだけなのよ。自分の立場に合った女性と付き合えば、目が覚めるわ」
「そうですね……」
――私への好意は同情。
両親を亡くした私を見捨てられなかった要人。
一人になるのが怖くて、要人にすがった私。
私さえ、いなければ要人はもっと自由に生きることができる。
黒い服を着た私にかけられる言葉は、優しいものではなく、心まで黒く染められてしまう気がした。
「用事があるので、失礼します」
おばさんの横を通りすぎようとした瞬間。
「お金が必要なら言ってちょうだい。要人さんから、お金をもらっているんでしょ?」
さすがにこれは――ぐっとこらえていた言葉が口をついて出る。
「いいえ。そんなふうにしか考えられないのなら、可哀想なのはおばさんのほうです」
おばさんはなにをやっても満たされず、幸せではないのかもしれない。
要人とおばさんのやりとりは、親子というより敵同士。
仲がいいようには、まったく見えなかった。
「要人とは付き合っていません。今日は両親の命日なんです。静かに過ごさせてください」
そう告げると、さすがのおばさんも黙った。
私の服装が、遊びにいくような服装でないことがわかったのだろう。
おばさんに会釈して、前を通り過ぎ、駅へ向かう。
日曜日の朝だけあって、人の流れは緩やかで、電車の中も空いている。
霊園のある駅に降り、近くの花屋に寄って、バスに乗り換えた。
山のほうにある霊園には、遅咲きの濃いピンク色の桜の花が咲いていた。
「おはようございます。いい天気ですね」
霊園には、お寺の方がいて掃除をしていた。
雨が降った後の霊園は、山からの木の葉が落ちている。
「……おはようございます」
「今年も待っていましたよ」
昔から、私を知っているお寺の方は、それだけ言って、また掃除を始めた。
お墓があるまでの道、桜の木からは花びらが降り注ぎ、地面を桃色に染めて美しい。
今日の朝方に降った雨が、ところどころに水溜まりを作り、水面に花びらを浮かべていた。
お墓の前に行くと、すでに花と両親が好きだった店の和菓子が置いてあった。
「要人ね」
誰がきたのか、すぐにわかる。
自分が持ってきた花を飾り、手を合わせた。
――私への好意は同情。おばさんはそう言ったけれど、もし、私の両親が生きていたら、要人と付き合っていたのかな?
今日は誰も一緒に来てほしくなかった。
泣く姿を誰にも見られたくなかったから。
まだ痛みは癒えず、この傷が癒える日が来るのは、いつなのかと苦しく思う。
気持ちが落ち着くと、しゃがんで、また手を合わせた。
「またお盆に来るね」
そう言って、お墓から離れた。
霊園から出ると、バス停がある駐車場に、マセラティが見えた。
――やっぱり目立つ。
そのマセラティに寄りかかり、立っていたのは他でもない要人。
黒のスーツを着て腕を組み、私から不評だったサングラスを外して、こちらを見る。
「終わったか」
要人は助手席のドアを開ける。
今年も要人は、私を待っていた。
毎年、要人はお墓参りが終わるまで、ここで待っていてくれる。
この日だけは、一緒に行くとは言わない。
一緒に行けば、見栄っ張りで意固地な私はきっと泣けないだろうとわかっているのだ。
「要人、ありがとう」
「ああ」
毎年同じはずの私たちの墓参りなのに、あと何回、このやりとりをするんだろうと思ってしまうのは、隣の幼馴染でいられる時間が、それほど多くないと知っているから。
お互い黙ったままの私たちは、きっと同じことを考えていただろう。
なにも言わずに、要人は運転し、車は精進料理屋へたどり着く。
「朝食、食べてないだろ」
「うん……。でも……」
高級そうな精進料理屋を見て、今朝、おばさんに言われたことを思い出してしまった。
「ん? どうした? 中に入るぞ」
車から降りた私に、要人は手を差し伸べて笑う。
なんでもない要人の笑顔が、今は安心する。
「……なんでもない」
要人といられるのは、あと少しだけ。
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