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3 初日
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「今まで、表を取り仕切っていたのは長くお勤めされていた静代さんだからね。私達は裏向きしかしてこなかったから、困っているのよ」
「そうよ。あんなベテランがいなくなると、どうしていいか、正直わからないわよねぇ」
私だって、裏向きがいいけど。
同じ宮竹家政婦紹介所から派遣されている豊子さんと祥枝さんが言った。
年齢は五十代前半で二人もベテランなのだが、やっぱり静代さんには敵わない。
紹介所の名前が入った青いエプロンをして、夕食の準備にとりかかった。
キャベツを茹でながら、ふときいてみた。
「あの、私ってガキ臭いですか?」
「え?そうね。髪をわけて三つ編みを二つしていると、幼く見えるわね」
「そうですか。恭士さんに高校生と間違えられてしまって」
「確かにそうかも。童顔だから、よけいにね」
やっぱり。
がっくり肩を落とした。
「気にしなくていいわよ。無視されずに話しかけてくれるなら、まだいい方よ」
以前からいる二人は夕飯のサヤエンドウのスジをとりながら、ため息をついた。
「気難しいから、夏乃子ちゃんも気を付けてね」
「はあ」
気難しいのは見て、すぐにわかった。
それにしても、どう扱えばいいんだろう。
奥様はお優しそうだけど、問題は恭士さんだ。
初っぱなから、キスシーンはさすがにうら若き乙女としては堪えるわよ!
しかも、ちょっとくらい悪びれるか、申し訳なさそうにしたらどうなのよっー!!
「顔が赤いけど、夏乃子ちゃん、大丈夫?」
「だっ、大丈夫です!」
平常心!と自分に言い聞かせ、気持ちを落ち着かせた。
春キャベツを使ったロールキャベツのクリーム煮を完成させ、サヤエンドウと卵の炒め物、スモークサーモンサラダとバケットにワインを夕食に用意した。
買い物は全て近所の高級スーパーで野菜はオーガニックの物を使用する。
テーブルセッティングをし、帰りを待ちながら、完璧に準備された夕食を満足そうに眺めた。
けれど、8時になっても奥様は帰らなかった。
「よくあるのよ」
「奥様は時間を気にならない方だから」
なんて自由な。
旦那様は怒らないのかな。
そういえば、夕食は二人分しか頼まれていない。
そこまで考えてから、別宅の話を思い出して、一人納得していた。
滅多に帰宅されないのかもしれない。
口に出さないのは暗黙の了解といったところだろう。
「後はお願いね」
「はい」
通いの二人は帰ってしまった。
どうしようと思いながら、キッチンにいると車の音がして、玄関まで迎え出ると帰ってきたのは奥様ではなく、恭士さんだった。
「おかえりなさいませ」
「ただいま」
恭士さんはちら、と私を見た。
「夏乃子。母さんが帰っていないんだろう」
「よくおわかりになりましたね」
「ああ」
「お食事はどうされますか?」
「着替えてから、食べる」
「はい」
キッチンに戻り、食事を温めた。
奥様がまるで帰らないことがわかっていたみたいだったけど。
もしかして、頻繁にあることなの?
恭士さんがダイニングに来る前にサラダとワイン、バケットを用意し、椅子に座るのを見て、ロールキャベツとサヤエンドウの炒め物を出した。
一瞬、恭士さんが渋い顔をするのを見逃さなかった。
「お嫌いな物がありましたか?」
「いや、ない」
嘘だ、と思った。
野菜が苦手らしく、特に生野菜を食べる時、眉間に皺を寄せた。
無理しているはずなのにそれを見せずに食べきり、ワインを飲んでいた。
「母さんは帰ってきてもこの時間なら、食事を済ませてくる。片付けていいぞ」
「はい」
片付けながら、余ったものは冷凍保存して、私達の賄いにしようと決めた。
明日の朝に残り物を出すわけにはいかないから。
いらないなら、いらないって言ってくれたらいいのに。
食材がもったいない。
恭士さんがちょうど食事を終えた頃、奥様が帰宅された。
「あら、恭士さん。お帰りが早いのね」
奥様はふうん、と言いながら恭士さんを見た。
「仕事が早く終わったもので」
「そう。私は食事を済ませてきたから結構よ」
「はい」
恭士さんが言ったとおりだった。
奥様からは待たせたことへの謝罪はなく、私に目を合わせることもせず、知らん顔をしてダイニングから出ていってしまった。
その態度から、奥さまにとって、私はまるで空気のような存在なんだと思った。
そう思うと、まだ恭士さんの方が話をするだけ、まだマシなような気がした。
たとえ、口が悪くて威圧感が半端なくてもね……。
ダイニングのテーブルを片付けて、布巾を消毒し、干すとやっと一日の仕事が終わる。
たいしたことはしていないのに一人になると、ドッと疲れが襲ってきて、お風呂に入りながら、眠りそうになってしまった。
「あ、危ない。お風呂で溺れるとか、シャレにならないわ」
お湯からでて、髪を乾かした。
住み込みの家政婦用の部屋は広く、アパートのワンルームくらいはある。
ただし、陽当たりの悪い裏口近くだけど。
バスとトイレは別だし、文句はないし、むしろ、待遇がいいくらい。
気がつくと、一日の報告書を書きながら、眠気からぐらぐらと頭を揺らしていた。
「もう寝よう……。初日だもん。疲れて当たり前だよね」
ふあ、と欠伸をして、ベッドに横になると、自分でも思っていた以上に疲れていたらしく夢も見ないで眠ってしまった。
「そうよ。あんなベテランがいなくなると、どうしていいか、正直わからないわよねぇ」
私だって、裏向きがいいけど。
同じ宮竹家政婦紹介所から派遣されている豊子さんと祥枝さんが言った。
年齢は五十代前半で二人もベテランなのだが、やっぱり静代さんには敵わない。
紹介所の名前が入った青いエプロンをして、夕食の準備にとりかかった。
キャベツを茹でながら、ふときいてみた。
「あの、私ってガキ臭いですか?」
「え?そうね。髪をわけて三つ編みを二つしていると、幼く見えるわね」
「そうですか。恭士さんに高校生と間違えられてしまって」
「確かにそうかも。童顔だから、よけいにね」
やっぱり。
がっくり肩を落とした。
「気にしなくていいわよ。無視されずに話しかけてくれるなら、まだいい方よ」
以前からいる二人は夕飯のサヤエンドウのスジをとりながら、ため息をついた。
「気難しいから、夏乃子ちゃんも気を付けてね」
「はあ」
気難しいのは見て、すぐにわかった。
それにしても、どう扱えばいいんだろう。
奥様はお優しそうだけど、問題は恭士さんだ。
初っぱなから、キスシーンはさすがにうら若き乙女としては堪えるわよ!
しかも、ちょっとくらい悪びれるか、申し訳なさそうにしたらどうなのよっー!!
「顔が赤いけど、夏乃子ちゃん、大丈夫?」
「だっ、大丈夫です!」
平常心!と自分に言い聞かせ、気持ちを落ち着かせた。
春キャベツを使ったロールキャベツのクリーム煮を完成させ、サヤエンドウと卵の炒め物、スモークサーモンサラダとバケットにワインを夕食に用意した。
買い物は全て近所の高級スーパーで野菜はオーガニックの物を使用する。
テーブルセッティングをし、帰りを待ちながら、完璧に準備された夕食を満足そうに眺めた。
けれど、8時になっても奥様は帰らなかった。
「よくあるのよ」
「奥様は時間を気にならない方だから」
なんて自由な。
旦那様は怒らないのかな。
そういえば、夕食は二人分しか頼まれていない。
そこまで考えてから、別宅の話を思い出して、一人納得していた。
滅多に帰宅されないのかもしれない。
口に出さないのは暗黙の了解といったところだろう。
「後はお願いね」
「はい」
通いの二人は帰ってしまった。
どうしようと思いながら、キッチンにいると車の音がして、玄関まで迎え出ると帰ってきたのは奥様ではなく、恭士さんだった。
「おかえりなさいませ」
「ただいま」
恭士さんはちら、と私を見た。
「夏乃子。母さんが帰っていないんだろう」
「よくおわかりになりましたね」
「ああ」
「お食事はどうされますか?」
「着替えてから、食べる」
「はい」
キッチンに戻り、食事を温めた。
奥様がまるで帰らないことがわかっていたみたいだったけど。
もしかして、頻繁にあることなの?
恭士さんがダイニングに来る前にサラダとワイン、バケットを用意し、椅子に座るのを見て、ロールキャベツとサヤエンドウの炒め物を出した。
一瞬、恭士さんが渋い顔をするのを見逃さなかった。
「お嫌いな物がありましたか?」
「いや、ない」
嘘だ、と思った。
野菜が苦手らしく、特に生野菜を食べる時、眉間に皺を寄せた。
無理しているはずなのにそれを見せずに食べきり、ワインを飲んでいた。
「母さんは帰ってきてもこの時間なら、食事を済ませてくる。片付けていいぞ」
「はい」
片付けながら、余ったものは冷凍保存して、私達の賄いにしようと決めた。
明日の朝に残り物を出すわけにはいかないから。
いらないなら、いらないって言ってくれたらいいのに。
食材がもったいない。
恭士さんがちょうど食事を終えた頃、奥様が帰宅された。
「あら、恭士さん。お帰りが早いのね」
奥様はふうん、と言いながら恭士さんを見た。
「仕事が早く終わったもので」
「そう。私は食事を済ませてきたから結構よ」
「はい」
恭士さんが言ったとおりだった。
奥様からは待たせたことへの謝罪はなく、私に目を合わせることもせず、知らん顔をしてダイニングから出ていってしまった。
その態度から、奥さまにとって、私はまるで空気のような存在なんだと思った。
そう思うと、まだ恭士さんの方が話をするだけ、まだマシなような気がした。
たとえ、口が悪くて威圧感が半端なくてもね……。
ダイニングのテーブルを片付けて、布巾を消毒し、干すとやっと一日の仕事が終わる。
たいしたことはしていないのに一人になると、ドッと疲れが襲ってきて、お風呂に入りながら、眠りそうになってしまった。
「あ、危ない。お風呂で溺れるとか、シャレにならないわ」
お湯からでて、髪を乾かした。
住み込みの家政婦用の部屋は広く、アパートのワンルームくらいはある。
ただし、陽当たりの悪い裏口近くだけど。
バスとトイレは別だし、文句はないし、むしろ、待遇がいいくらい。
気がつくと、一日の報告書を書きながら、眠気からぐらぐらと頭を揺らしていた。
「もう寝よう……。初日だもん。疲れて当たり前だよね」
ふあ、と欠伸をして、ベッドに横になると、自分でも思っていた以上に疲れていたらしく夢も見ないで眠ってしまった。
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