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第一章

1 歓迎されない娘

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 この世で、唯一、私を可愛がってくれた祖父母が亡くなった。
 死んだ人間の言葉が聞けるものなら聞きたい。
 そして、会いたい――そう願っていた。
 けれど、聞いてはいけない言葉もあるのだと知った。

「ねえ、世梨せり。死んだ本宮もとみやのおじい様が、世梨のことをなんて言ってると思う?」

 美しい着物姿の玲花れいかが、私の前に現れた。
 柄の文様は御所車文ごしょぐるまもん、松と桜。
 そして、隠れた白い小さな花。

 ――あれは、くちなしの花だろうか。

 それを見て、この着物が源氏物語の六条御息所ろくじょうみやすどころをなぞったものだと気づいた。
 恋人を深く愛し、嫉妬のあまり生霊となった女性。
 そして、死後も愛執のため成仏できないという悲しい話――着物を眺めていた私に、玲花は近づく。

「おじい様が世梨に望んでることを知りたくない? 知りたいわよね?」

 なぜか声が出ず、言葉の代わりに首を横に振って拒んだ。
 育ての親としてだけでなく、着物作家としても尊敬している祖父の望みを聞いてしまったら、その言葉から、一生逃げられなくなる気がして怖い。
 
「冷たい孫娘。誰も引き取りたくなかった世梨を引き取って、育ててくれたのに、最後の最後で、期待を裏切られて可哀想」

 玲花は死んだ人の声を聞くことができる。
 私は見えないし、声も聞こえない。
 だから、玲花の口から、語られる言葉を嘘だと、断言できないのだ。
 知るのが怖い。
 だって、私は祖父の期待に応えられなかった――

「裏切り者」

 その重い一言が、私の心を苦しめた。
 玲花は声の出ない私を見て、笑っている。
 耳を塞ぎたいのに、体が動かない。

「役立たずな世梨。この先、ずっと、誰からも愛されずに生きていくのよ」

 玲花の手が、私の首に伸びた。
 首に手がかかっても抵抗できず、微笑む玲花の顔を眺めるだけ。
 玲花の手に力がこもる――

「玲花! やめて!」

 やっと声が出たと思った時には、私の首に玲花の手はなく、姿も消えていた。
 私の目の前にあったのは、天井の木目だった。

「夢……」

 夜明け前だというのに、からすたちの鳴き声が、外から聞こえてくる。
 暗い中で聞く鴉の声は不吉で、まだ夢の中にいるような気がした。
 あまりに鮮明な夢だったからか、体が震えていた。
 もう一度眠ろうとしても、気持ちが落ち着かず、眠れなかった。
 眠気と疲労感が残る体を起こす。

「私は裏切ってない。裏切ってないわ……」

 祖父の最期を看取ったけれど、祖父は私になにも望まなかった。
 怖い夢を見た時、安心する言葉をくれた祖母も祖父より先に他界し、私は本当に孤独ひとりになったのだと、実感した。

「ごめんなさい……」

 両肩を抱き、誰にも届かない自分の言葉を呑み込んで、胸の奥に隠した。
 そして、暗い部屋を見回す。
 本宮もとみやの叔父夫婦が、私の着物のほとんどを売ってしまったせいで、私の持ち物は少ない。
 祖父の着物は高値で売れる。
 だから、祖父の財産処分を理由にして、祖父が私のために、作ってくれた着物も売り飛ばされてしまった。
 祖父母と暮らした家も叔父夫婦の手に渡り、郷戸に帰ってきた私に与えられたのは、暗く狭い布団部屋の一室だった。
 郷戸ごうどの両親は華やかな妹の玲花れいかと、帝大に通う優秀な兄の清睦きよちかさんがいれば、それで満足なのだ。
 私の存在は、両親が描く完璧な家庭の中で、唯一の汚点として扱われている。
 だからだろうか。
 玲花が、私を殺そうとした夢を見たのは。

「起きないと……」
 
 鮮明な夢が毎日続いて、眠りが浅いからか、体が重い。
 郷戸に戻った私が、郷戸の娘として扱われることはなく、女中として働くよう命じられた。
 表向きは花嫁修業の行儀見習いだったけど、玲花が自分と同じ扱いはおかしいと主張したためだった。
 本宮の名を名乗るからには、本宮の娘であり、郷戸の娘ではないと――

『どうせ嫁にやる娘だ。郷戸の名に戻す必要はない。さっとと嫁がせてしまえ』
 
 父が母にそう話しているのを聞いた。
 私を早々に、自分が決めた男の元へ嫁がせるつもりでいる。
 息苦しさを感じ、ぎゅっと自分の腕を掴んだその時。

「世梨さん、おはようございます。女中頭から、世梨さんが起きているかどうか、確認するよう言われまして……」
「今、支度をして台所へ参ります」

 若い女中がやってきて、布団部屋の戸を遠慮がちに叩いた。
 銘仙めいせんの着物にメリンスの羽織、白い割烹着かっぽうぎと、家事仕事用の服装に着替えた。
 私の朝は台所仕事をから始まる。

「申し訳ありません。遅くなりました」

 すでに台所がある土間では、若い女中たちが忙しなく動き、朝食の支度に取りかかっていた。

「遅くなんてないですよ。玲花お嬢さんと同じ時間でも……」

 構いませんよと、言いかけた女中は口をつぐんだ。
 近くにいた他の女中から、肘で強く押され、それ以上、言えなかったのだ。
 玲花は私を疎ましく思っていて、自分と同じように、私が扱われると癇癪かんしゃくを起こす。
 両親も女中たちもそれが怖い。
 玲花が本気になれば、自分たちが抱えている秘密を暴いてしまうから。
 それは私も同じ――今朝の夢を思い出し、暗い気持ちになった。

「世梨さん、ちょっといいかしら?」
 
 若い女中を押し退けて、女中頭が近づいてくる。

「怠けたら、旦那様や奥様に報告させていただきますからね。郷戸で育った玲花お嬢さんと世梨さんでは、立場が違うんですよ」
「わかっています……」
「女学校を卒業してない世梨さんと、郷戸のお嬢さんとして教育を受けた玲花お嬢さんでは、嫁ぎ先にも差が出るだろうと、奥様なりの配慮なんですよ」

 私と玲花は違う。だから、しっかり家事仕事を身に付けなさいと、母から言われていた。
 私が女中頭に深々と頭を下げるのを見て、若い女中たちが、ひそひそと小声で話す。

「女中に頭を下げるなんて、玲花お嬢さんじゃ考えられないわ」
「仕方ないわよ。世梨さんは本宮からも追い出されて、行き場がないんだもの」
「旦那様なんて、嫁にやるにも金がかかるって、ボヤいてたくらいよ」

 女中たちは私の境遇に同情しているものの、女中頭が怖くて、誰も近寄らなかった。
 もちろん、玲花のことも恐れている。
 
『なぁんだ。いらない子だから、郷戸の家に戻されたのね。誰からも必要とされないなんて、かわいそう』

 玲花と会った日に言われた言葉だった。
 事情を知らされてないのに、玲花が私の境遇を知れたのは、死者の声を聞く能力を玲花が持っていたから。
 玲花は自由気ままに、力を使っているようだった。

「世梨さん、昼食用の煮物をお願いします」
「はい」

 朝食の支度が終われば、掃除と昼食の準備が始まる。
 昼食用の煮物を作るため、冬に収穫した大根を取りに、裏口から外へ出る。
 小高い場所にある郷戸の家から、春霞はるがすみに包まれた村を眺めることができた。
 朝靄あさもやが少しずつ晴れ、遠くに見える空の青みが増す。
 今日は晴天のようだ。
 村を眺め、佇む私の頭上から声がした。
 
『村に恐ろしい客が来るぞ』

 鴉の鳴き声に混じる人の声。
 危険を察知し、仲間を呼ぶかのように、鴉たちはそこらじゅうで鳴いていた。
 歓迎されないお客様。
 それは、まるで私のようだった。
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