上 下
1 / 29

(序)本日、契約妻になりました

しおりを挟む
 私は出会って間もない相手と結婚した――人ではないと知りながら。

 春だというのに寒い日で、桜の蕾はまだ固く、咲く花の少ない庭で松葉の濃い緑だけが色を添えている。
 花の代わりに舞う雪は水を多く含んだ牡丹雪ぼたんゆき
 雪は静かに春の気配を教えていた。
 正絹しょうけん白無垢しろむくと同じ色をした雪が、庭を埋めていく。

「見合いもしないで、娘を嫁にやるらしいな」
「おおかた金に目が眩んだのだろう」

 お酒を飲み、酔いが回った招待客たちは騒がしい。
 ずっと外を眺めているわけにもいかず、座敷の宴席のほうへ視線を戻した。
 座敷には家紋入りのお膳が並び、郷戸家ごうどけ自慢の煮しめや漬け物が、彩りよく重箱に入れられている。
 お膳の料理とは別に出されている重箱の中身は、母ではなく、郷戸家で働いている女中たちが作ったものだ。
 黒塗り金蒔絵きんまきえの重箱、文様は松。
 大皿に盛られた料理の隙間から見えるのは菊文、八重菊やえぎく

 ――ひとつ、ふたつ、みっつ。

 気持ちを落ち着けるように、文様を数えた。
 文様とは、美術品や装飾品などに施された図案や図柄のことをいう。
 文様にはそれぞれ意味があり、私が身に付けている白無垢の鶴も文様のひとつ。
 鶴は一度夫婦になったら離れない。
 そんな意味があるから、白無垢の柄に選ばれる。
 ぼんやり文様を眺めていると、招待客たちの話し声が耳に届いた。

「突然、祝言を挙げるとは驚いた。東京から、去年の秋に戻ってきたばかりだってのに。急すぎないかい?」
「上の子は養女にやった子だからな。今さら、返されても困るさ。結婚はていのいい厄介払いだろう」
「やった途端に、向こうで跡継ぎが生まれるなんてなぁ。運の悪い子だ」

 ――私はいらない子だ。

 両親の私への情は薄い。
 私を育ててくれた祖父母が他界し、戻った今も私の名は郷戸世梨ではなく、本宮もとみや世梨せりのまま。
 幼い頃、どうか捨てないでと、両親に泣いてすがった記憶が残っている。
 たぶん、あれが私の最初の記憶。
 養女として引き取られてすぐ、本宮の本家に跡継ぎが誕生した。
 いらなくなった私をどうするか、両家で話し合いが始まったけれど、そのまま本宮の養女として、育てられることになった。
 ただし、私を養女として迎えた弟夫婦の元ではなく、本宮の祖父母の元で。

 ――私はあの時、戻りそびれてしまった。

 そして今、私を育ててくれた祖父母が亡くなり、郷戸の家へ戻された。
 厄介払いと噂されるのも無理はない。
 結婚の口約束だけで、相手に逃げられては困ると思ったのか、父の行動は早かった。
 本来、嫁ぎ先側でやるはずの宴席も父が段取りし、村中に声をかけ、あっという間に嫁入りの支度を整えてしまったのである。

「郷戸の旦那はうまくやったな」
「まったくだ。嫁がせておけば、外聞も悪くない。それも金持ちらしいし、めでたい話じゃないか」

 集まった親戚たちは、父を褒め、羨ましそうにしていた。
 その父は、兄と妹に相応しい結婚相手がいないか、親戚に声をかけて回っている。
 お酌をし、私には目もくれない。
 こっちをずっと見ているのは、二つ下の妹だけ。
 私の妹の玲花れいかは目鼻立ちがくっきりして、西洋人形のように可愛らしい。
 微笑めば、芙蓉の花のように艶やかだ。
 けれど、今は笑みひとつない。
 祝い膳に一切、手をつけず、私を見る目は鬼のような目をしていた。

「次は下の子か」
「わざわざ東京の女学校に通わせてるくらいだ。名の知れた金持ちを結婚相手に狙っているんだろ」
「姉ほどの相手が見つかるかどうか。せいぜい、地元の名士がいいとこだ」
 
 玲花の話を始めた招待客たちに気づいた郷戸の女中が、慌てて近寄り注意した。

「シッ! 玲花お嬢さんは上の子と違って、勘のいい子だからね。悪口を言ってると、なにを言われるかわからないよ」

 女中はお膳の上の食べ終わった器を回収すると、逃げるように去っていった。
 巻き込まれては困る――そういうことだ。
 女中が言っていた勘のいい子とは、玲花が持つ特別な力のことだった。
 失せ物探しから人の秘密まで、普通の人なら、わからないことまで暴いてしまう。
 郷戸の家で長く働いている人たちは、そんな玲花の力を嫌というほど知っていて、秘密を暴かれることを恐れ、まだ十六歳の少女に気を遣っていた。

「恐ろしいねぇ」
「まったくだ。しかし、上の子も愛想がよけりゃ、もう少し郷戸の両親も可愛がっただろうに」

 今のところ、私に関するいい話はひとつもなく、旦那様に申し訳ない気持ちになった。

「あの……。本当に私を妻にしても、よろしかったのですか?」
 
 私にも聞こえたのだ。
 隣に座っている旦那様の耳にも入ったはず。
 今ならまだ、私を『いらない』と言っても間に合う。

「ああ」

 低い声で返事をしたのは、私の旦那様となった千後瀧ちごたき紫水しすい様。
 彼は有名な水墨画家で、郷戸の床の間にも彼の作品が飾られている。
 本業は蒐集家しゅうしゅうかであり、水墨画家は副業だと、本人が語っていたけれど、本気なのか冗談なのか、よくわからない。
 父が気に入ったのは、彼が名の知れた有名人というだけでなく、千後瀧家の当主だったからだ。
 千後瀧家は政財界に顔が利く名家で、議員を目指す父は、彼との繋がりをどうしても持ちたかった。

「価値があるかないか、普通の人間にはわからない。だが、俺は蒐集家だからな」

 蒐集家だからこそ、価値がわかると言いたいのか、紫水様は得意げな顔をしていた。
 私のほうは、妹と違い女学校にも通っておらず、習い事もやっていない無芸な人間だ。
 立派な肩書きを持つ旦那様には、相応しくない気がしてならない。

「私に価値なんてありません」
千秋せんしゅうがそれを聞いたら、あの世で悲しむぞ」
 
 千秋とは、着物作家だった祖父の雅号である。
 紫水様は祖父と面識があったらしく、祖父が遺した着物を蒐集する目的で、郷戸に訪ねてきた。

「自分に価値がないと言うのなら、宴席を見たらどうだ?」

 言われて、座敷のほうへ目をやった。

「隙あらば、俺からお前を奪おうと、人ではない者たちが紛れ込み、集まってきている」

 紫水様は酒のさかずきを宴席のほうへ傾ける。
 どれだけ飲むのか、金彩きんだみ蝶文ちょうもん徳利とっくりが、周りに何本も転がっていた。
 それでも、酔う気配はない。

「人ではないものですか?」
「かつては神。今はあやかしと呼ばれる者たちだ。特異な力を持った娘を見つけ出し、自分の嫁にするため、集まっている」

 あやかしたちは時代の流れと共に、その存在が消えてしまわないよう姿かたちを人に似せ、生き残ろうとしていた。
 そのためには、人でありながら、人でない力を持った娘を嫁にする必要があった。
 あやかしを父とし、特異な力を持った娘との間に誕生する子供は、あやかしとしての本性を失うことがないそうだ。

「あやかしの血を絶やさぬようにということですよね……」
「そういうことだ」
 
 紫水様の視線が、賑やかな宴席へ向けられる。
 招待客に紛れ込んでいる人ではないもの。
 私の目からは、人間となんら変わりない姿にしか見えない。

「龍神である俺を恐れず、よく集まったな」

 そう言って宴席を眺め、口の端を上げる。
 彼もまた人ならぬ存在――龍神だ。
 天井近くの 欄間らんまに龍を見つける。
 郷戸の家の欄間にあったのは、 雲龍文うんりゅうもん
 大きな渦の雲の中にいる龍が睨みをきかせて、客人たちを見下ろしている。

「俺から、お前を奪おうと集まった連中が大勢いる」
「私を奪うだなんて、そんなこと……」
 
 両親から捨てられ、養女先からは、いらないと言われた私を誰が必要とするだろうか。

「世梨。俺は他の奴らのように、お前の特異な力に興味を持ったわけじゃない。もうひとつ、お前には名前があるだろう? 俺はそれに興味がある」

 私の驚いた顔に、紫水様はしてやったりという顔をした。
 
「でも、それは……」
「ずいぶんと楽しそうね」

 酔いの回った宴席から抜け、こちらへやってきたのは、妹の玲花れいかだった。
 微笑む玲花の目は笑っておらず、ぞっとするほど冷たい。
 
「祝いの言葉なら、受け取ろう」
「お祝い? そんなこと言うわけないでしょ。私を妻に選ばなかったことを後悔するわよって言いに来たの」

 自信たっぷりな口調で、玲花が言う。

「誰も欲しがらない世梨を押し付けられて、貧乏くじを引いたわね。この結婚で幸せになれると思っているのなら、大間違いよ」

 まだ雪が降り続くのか、遠くで雷鳴の轟く音がした。
 体に寒さを感じ、手が震えた。
 それは、玲花に対する恐怖心からだったかもしれない。
 紫水様は私の震える手に気づき、自分の手を重ねる。
 その手はひんやりとしていて、ぬくもりがなく、紫水様が人ではないことを私に教えていた。

「世梨が私より、条件のいい嫁ぎ先なんておかしいわ。私があなたの妻に選ばれるべきよ」

 玲花は気づいている。
 この結婚が、私と紫水様の取引だということに。
 紫水様は祖父が遺した作品の蒐集しゅうしゅうのため、私は自由を手に入れるため。
 利害一致による契約結婚だということを。

「隠したって無駄。私には隠しても全部わかっちゃうんだから。だって、声が聞こえるの。死んだ人たちの声がね」

 死者の声を聞くことができる玲花。
 その力を理由に、私から旦那様を奪おうとしている。

「これは、あやかしたちの嫁取り戦なんでしょ? 特異な力を持つ人間の女性を探し出し、自分の嫁にするため奪い合う。それなら、私こそ相応しいわ」

 玲花は十六歳とは思えない妖艶な笑みを見せた。

「そうだな。お前には資格がある」

 紫水様は否定しない。
 なぜなら、それは事実で、玲花は紫水様の妻になれる資格を持っている。
 そして、私より相応しい――      
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

旦那様の様子がおかしいのでそろそろ離婚を切り出されるみたいです。

バナナマヨネーズ
恋愛
 とある王国の北部を治める公爵夫婦は、すべての領民に愛されていた。  しかし、公爵夫人である、ギネヴィアは、旦那様であるアルトラーディの様子がおかしいことに気が付く。  最近、旦那様の様子がおかしい気がする……。  わたしの顔を見て、何か言いたそうにするけれど、結局何も言わない旦那様。  旦那様と結婚して十年の月日が経過したわ。  当時、十歳になったばかりの幼い旦那様と、見た目十歳くらいのわたし。  とある事情で荒れ果てた北部を治めることとなった旦那様を支える為、結婚と同時に北部へ住処を移した。    それから十年。  なるほど、とうとうその時が来たのね。  大丈夫よ。旦那様。ちゃんと離婚してあげますから、安心してください。  一人の女性を心から愛する旦那様(超絶妻ラブ)と幼い旦那様を立派な紳士へと育て上げた一人の女性(合法ロリ)の二人が紡ぐ、勘違いから始まり、運命的な恋に気が付き、真実の愛に至るまでの物語。 全36話

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

諦めて溺愛されてください~皇帝陛下の湯たんぽ係やってます~

七瀬京
キャラ文芸
庶民中の庶民、王宮の洗濯係のリリアは、ある日皇帝陛下の『湯たんぽ』係に任命される。 冷酷無比極まりないと評判の皇帝陛下と毎晩同衾するだけの簡単なお仕事だが、皇帝陛下は妙にリリアを気に入ってしまい……??

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

『別れても好きな人』 

設樂理沙
ライト文芸
 大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。  夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。  ほんとうは別れたくなどなかった。  この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には  どうしようもないことがあるのだ。  自分で選択できないことがある。  悲しいけれど……。   ―――――――――――――――――――――――――――――――――  登場人物紹介 戸田貴理子   40才 戸田正義    44才 青木誠二    28才 嘉島優子    33才  小田聖也    35才 2024.4.11 ―― プロット作成日 💛イラストはAI生成自作画像

処理中です...