あやかし嫁取り婚~龍神の契約妻になりました~

椿蛍

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第一章

5 両親の思惑

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 庭から正面へ回ると、父が落ち着かない様子で、玄関前をうろうろ歩き回っているのが見えた。
 紫水しすい様と陽文ひふみさんが、やってくるのを首を長くして待っていたようだ。
 父は紫水様たちの姿を見つけるなり、嬉々とした表情を浮かべ、駆け寄った。
 そばにいる私のことなど、まったく目に入っていない様子だった。

「いやぁ! よくいらしてくれました!」

 上機嫌な父に対して、陽文さんが愛想笑いを浮かべた。

「ご無理を言ってしまい、すみません。どうしても、亡くなられた千秋せんしゅう様の着物をご覧になりたいと、千後瀧ちごたき先生がおっしゃったものですから」
「とんでもない。郷戸ごうど三葉みわ財閥と千後瀧家の方をお招きできるとは光栄の極み。さあ、上がってください」

 大歓迎する父に促され、紫水様たちは郷戸の屋敷へ足を踏み入れた。
 けれど、私が正面から入ることは許されない。
 女中たちと同じ扱いで、女中部屋に近い裏口から入るよう言われていた。

「む……。 世梨せりか。なにをしている。なにか用でもあったか?」

 私がいることに、ようやく気づいた父は、なぜお前がここにいるという顔をした。

「いえ、お客様を玄関まで、ご案内しました」
「そうか。お前はもういい。仕事があるだろう。奥へ戻れ」
「……はい」
「待ってください。彼女に案内していただきたいのですが、いけませんか?」

 私を邪険に扱う父をみて、陽文さんが割って入った。

「三葉財閥様のお望みとあれば、どこでも案内させましょう!」

 三葉財閥の名に、父は完全に懐柔されてしまっていた。
 父が浮かれるのも無理はない。
 日本有数の財閥の名は、経済界に無知な私でさえ耳にしたことがある。
 特に三葉財閥が経営している三葉百貨店に、祖父母と何度も足を運んだ。
 外国の百貨店を真似た西洋風の内装が、三葉百貨店の売りで、アールヌーボー様式の曲線が美しい内装、芸術的な壁画、硝子のショーケースに入った興味を引く商品の数々――何度行っても飽きることがなく、とても楽しかったのを覚えている。

「郷戸家は古くから、この地に住む豪族だったそうですね」
「いやなに、ただの田舎者ですよ」
「そんなことありません。歴史を感じるたたずまいの邸宅は、眺めているだけでも楽しめます」
葉瀬はぜ様の屋敷に比べたら、お恥ずかしい限りです。震災さえなければ、東京の別宅に、ご招待できたのですがね」

 郷戸が所有する東京の家は、洋風建築を取り入れた立派なお屋敷だった。
 震災で焼けてしまい、今は新しい洋館を建てている最中で、女学校に通う玲花れいかと帝大に通う清睦きよちかさんのため、完成を急がせている。

「いえ、こちらのほうが趣があっていいと思います。ですよね、先生?」
「ああ、そうだな」

 陽文さんに比べ、紫水様は父の話にあまり関心がないようで、気のない返事をして、庭を眺めている。
 
「水墨画家の千後瀧先生に、我が家を評価していただけるとは嬉しいですなぁ」
 
 父は自慢げに、広い庭を見せた。
 自慢に思うのも無理はない。
 郷戸家は坂の上の屋敷を囲むようにして、白漆喰しろしっくいの塀が続き、村を見下ろす小高い土地を占有している。
 敷地には土蔵どぞうが連なり、使用人が寝起きする住居、客人をもてなすための茶室など離れがいくつもある。
 今、通りすぎた二間続きの広い座敷は使わず、大勢のお客様を招く時に使う部屋で、そこにはまだ囲炉裏が残っていた。

「ぜひとも先生に、我が郷戸家を題材にした水墨画を一枚描いていただきたい」
「気が向けば」
「そうですか! いやぁ、楽しみにしてますよ!」

 気が向かなかったら、描かないということなのに、父は前向きで、紫水様の返答に機嫌がよくなった。

「さあ、どうぞ。こちらから眺める庭が、我が家で一番素晴らしいんですよ」

 書院造の座敷から見える日本庭園は手入れされ、立派な石灯籠と鹿威ししおどしに、松の木に紅葉、緑の苔が青々と生い茂り、一年中楽しめる庭だ。
 二人が大切な客人であることがわかるように、郷戸で一番立派な客間へ通された。
 大抵、この立派な客間に入ったお客様は、庭の眺めてから、室内に飾られた壺、皿などを褒めるはずだけど――

「千後瀧先生、見てくださいよ。さすが古い家柄の地主の家ですね。そこらにうまそうな……いえ、素晴らしい物ばかりありますよ」
「陽文。あまり見てやるな。家がざわつく」

 陽文さんは天井の梁や建具に目をやり、庭や窓を眺めている。
 明らかに、今まで郷戸家にやってきた人達と違う。
 なにが見えるというのだろうか。

「ん? 今、うまそうとおっしゃいましたかな?」
「あ、いえいえ! うまくできた皿だなぁって」

 心のこもっていない言葉だったというのに、父はさすが三葉財閥の御曹司だ、お目が高い、これは特別な品でしてと、満面の笑みを浮かべた。

「本当に素晴らしい。つい、僕の熱い視線を送ってしまいました」

 ハンチング帽をとった陽文さんは前髪を手で払った。
 熱い視線を送っていたのは、皿ではなく、天井や窓あたりだったような気がした。
 それに、熱い視線というよりは獲物を狙う目のほうが正しい。

「お茶をお持ちします」

 私がこれ以上、ここにいる理由はなかった。
 お茶の準備をするため、台所へ向かおうとしたその時――

「こんな田舎まで、わざわざご足労いただきありがとうございます」

 母と玲花れいかが現れた。
 くちなし色の着物に、柄は御所車文ごしょぐるまもん、松と菊。
 一瞬、今朝の夢を思い出し、ぎくりとして足を止めた。
 着ている着物は似ていたけど、まったく違うものだ。
 それなのに、首を締められたかのような息苦しさを感じて首をなでた。

「お初にお目にかかります。郷戸玲花と申します」

 玲花は三つ指をつき、二人にお辞儀をする。
 両親は完璧な挨拶をする娘を誇らしげに、紹介した。

「東京の女学校に通っている娘です。見目みめも悪くないし、愛想もいい。お二人と話でもどうかと思いまして」

 父が落ち着かなかった理由がわかった。
 紫水様と陽文さん、二人のどちらかを玲花の夫にしようと目論み、躍起やっきになっていたのだ。
 母にねだって、東京の百貨店で購入したという棒紅ぼうべにをつけた玲花は美しかった。

「親の私が言うのもなんですが、可愛らしい娘なんですよ」

 父の褒め言葉に、玲花の薔薇色の唇が、艶やかな笑みを作る。

「ありがたい申し出ではありますが、我々の妻は普通の娘では務まりません」
 
 やんわりとした口調で、陽文さんがお断りした。
 最初から、うまくいくと考えていなかった父が、このまま、あっさり引き下がるわけがなかった。
 父は負けじと前へ出る。

「もちろん、そうでしょうなぁ。お二人の家柄を考えたら、礼儀作法から血筋まで、完璧な相手でなければ、務まりますまい」
「うちの玲花は普通の娘ではございません。普通の娘より勘が良くて、役に立つと評判の娘ですのよ」
「失せ物探しが得意と、周りには言っておりますが、実際はもっとすごい娘でね」
「立場上、敵も多いことでしょう。玲花なら、葉瀬様や千後瀧様がお気に召さないお相手の秘密を暴くこともできますわ」

 ここぞとばかりに両親は、玲花が持つ特異な力について語った。
 玲花が誇らしげな顔をし、肩にかかった髪を指でくるくると巻いて、気取った仕草をしてみせる。

「確かに普通の娘ではないようですね。でも、僕はどちらかというと、もう一人の娘さんに興味があります。彼女は着物作家である千秋せんしゅう様……いえ、本宮もとみや千資せんすけ様の元で育った唯一のお孫さんですよね?」

 そう言うと、陽文さんは私に向かって、にっこり微笑んだ。
 両親と玲花の表情が凍りつき、私の背筋に寒いものが走った。
 手塩にかけて育てた娘の玲花より、養女に出した私のほうに興味があると言われれば、そうなるのは当たり前だ。 
 両親の――特に母の顔が歪む。

「世梨は本宮で育ちましたけれど、私の父の世話をしていただけで、女学校も美術学校も出ていない無芸な娘です」

 わざわざ言わなくてもいいことを母はムキになって言った。
 母は祖父の後継者を目指していた過去がある。
 叔父夫婦から聞いた話によると、母は昔、祖父に憧れて美術学校の絵画科に通い、数少ない女性画家として注目されていたらしい。
 当時、美術学校へ通う女性は少なく、活躍を期待され、もてはやされたけれど、祖父は一度も母の絵を褒めなかったという。
 祖父は仕事に関して、譲らないところがあった。
 自分の仕事に誇りを持っていた祖父は、心から素晴らしいと思ったものしか、褒めない。

「本宮のお父様は立派な着物作家でしたけれど、見誤ることもございますわ。その点、玲花は才能があります。女学校の写生で一番をとりましたのよ。ぜひ、ご覧になっていただきたいわ」

 母の自慢を聞いた紫水様と陽文さんは、微かに笑った。
 それを好印象と取ったのか、母と玲花は私に勝ち誇った顔をし、私に命じた。

「世梨。なにをしているの? 早くお茶を持ってきて」
不調法ぶちょうほうな姉で本当に申し訳ありません」

 玲花は振り返り、私に小声で耳打ちする。

「私の着物が立派だからって、物欲しげに見ないでよ! 入ってきた時から、見てたでしょ!」
「そんな理由で見てたわけじゃ……」
「嘘つき。私の立派な着物が、羨ましかったんでしょ。この着物は、おじい様の古くさい着物と違うんだから。有名な着物作家のお友達からいただいたものなのよ」
「おじいちゃんの着物は古くさくなんてないわ」

 玲花の着物は、くちなし色に御所車、松、菊――目新しい図案ではない。
 むしろ、私が気になったのは、玲花がお友達だと言った着物作家のことだった。
 古くから伝わる文様には、それぞれ意味がある。
 そう教えてくれたのは、祖父だ。
 むしろ、着物作家から贈られた着物だというのなら、なんらかの意図があって、玲花に贈ったとしか考えられない。

「玲花。この着物は誰から……」
「世梨っ! 奥に下がりなさい!」

 母の鋭い叱責の声に、ハッと我に返った。
 ここにいていいのは綺麗に着飾り、可愛らしい玲花だけ。
 みすぼらしい娘を見られて、両親は恥ずかしいとばかりに、廊下へ追いやり、ぴしゃりと和室の戸を閉めた。
 目の前で閉まった障子戸は、私に明るく華やかな世界は相応しくないと教えていた。
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