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2 お兄様がお姉様!? 女装ですか?

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 お兄様の自信満々の顔を見て、正直、嫌な予感しかしなかった。
 期待よりも不安のほうが大きい。
 お兄様も私も七歳。剣も使えなければ、馬だって乗れない無力な子供。頼りにできるような年齢じゃないというのにどう頼りにしろと?
 冷めた目で現実と向き合う私、外見年齢七歳。七歳の私たちになにができるのか。
 お兄様に現実を教えようとしたその時――

「まあああっ! ヴィルフレード様、レティツィア様! お目覚めになったら、まずお顔を洗ってください。毎日言っているでしょう? 朝からお二人で遊んでいらしたんですか?」

 子供部屋の居間から続く隣の寝室から、恰幅のいい女性、私たちの乳母が現れた。
 乳母はシーツを取り替え、ベッドを整えていたらしく、シーツやカバーをメイドたちに渡しながら、早口で言う。

「お二人の朝食は卵とパン、それから野菜たっぷりのスープを。ミルクも忘れずつけて。ヴィルフレード様は酸味のあるものはお嫌いだから、フルーツは甘めのものをね。レティツィア様はパンにジャムがないと口にしないから忘れずに」

 乳母は一気に捲し立て、メイドたちに指示を出す。
 そして、私たちの前にドンッと立ち塞がった。
 七歳の体のせいもあるだろうけど、乳母の体が大きくて前が見えない。

「よろしいですか。今日は特別な日なんですよ。何度も陛下たちからご説明されたのに忘れてしまったんですか?」

 乳母の子供扱いにお兄様はげんなりした表情を浮かべ、大人びた態度でお兄様はやれやれと肩をすくめた。

「覚えてるよ。今日は七歳の誕生日だ。僕たちの存在を外部に公表する日だよね」

 ルヴェロナ王国の王家では子供が七歳になるまで子供の存在を公表しない。七歳になると、子供が成人まで順調に育つと信じられているからだ。
 両親は私たちの七歳の誕生日が近づくにつれ、安堵し、喜んでいるのがわかった。
 王宮の奥で限られた人間に世話をされて育ってきた私たちもようやく自由に外へ出られる日がやって来たのだと、七歳になるのを楽しみにしていた。
 ――ただし、楽しみにしていたのは前回の私たち。
 今回は誕生日が嬉しいなんて、素直に思えなかった。
 十六歳の誕生日が近づけば近づくほど、クラウディオ様に殺される可能性が高まるのだから。

「今日が特別な日だとわかっていらっしゃるなら、早く着替えを済ませましょう。陛下たちも楽しみにしていますからね」
「それなんだけどさ。僕、ドレスがいいな」
「ヴィルフレード様? 今なんとおっしゃられましたか?」

 部屋中をイノシシみたいに忙しなく動き、ぬいぐるみや人形、らくがきした紙を片付けていた乳母が動きを止め、ぐるりと体をこちらへ向けた。

「だから、僕が着る服だけど、レティツィアが着ているようなドレスが欲しいんだ」

 お兄様の言葉に、乳母は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。口を大きくあんぐりと開けていた。

「ご、ご冗談でしょう?」
「ドレスを準備してよ。ドレスじゃないと僕は外に出ない」
「お兄様っ! なにを言ってるの? 本気?」

 乳母だけじゃない。私も同じようにポカンと口を開け、お兄様を見た。
 ヴィルフレードじゃなくなるって言ってたけど、それってつまり……

「ずっとレティツィアのドレスがいいなって思ってたんだよね」
「とんでもない! そんなわけにはいきませんっ! ヴィルフレード様は王子なんですよっ。王子は王子らしい服装をするべきです」
「じゃあ、外に出ない」

 お兄様は駄々をこねたけど、七歳の姿だけあって、それが演技に見えない。

「あー。絶対に僕は出ないぞ。出ないったら出ない」
「ヴィルフレード様、お待ちくださいっ! 陛下たちにご相談して参りますっ!」

 乳母は慌てふためき、部屋から出ていった。
 どうして、乳母があんなに慌てているのかというと、私たちのお披露目は国内だけにとどまらず、各国から国王夫妻や貴族たちが招待される言わば、ルヴェロナ王国の外交一大イベント!
 牛や羊がのどかに道を歩いても違和感のない田舎の小国、ルヴェロナ王国。
 そんな我が国にとって、国王陛下の結婚式以来、世界各国から注目してもらえる滅多とないチャンス。
 ここで、お祝いが中止になれば、招待客はなんのためにこんな田舎へやってきたのだと大騒ぎになるだろう。
 お土産として用意された特産の蜂蜜やルヴェロナ羊(他の羊の毛より手触りがいい)の毛糸、リンゴ酒程度じゃ許されない。

「こっ、こらー! ヴィルフレード! ドレスが着たいとは何事だっ!」

 乳母から話を聞いたお父様が廊下をドタバタと走り、王冠が落ちそうになりながら、慌てて子供部屋にやってきた。
 さらにその後ろからはお母様が顔を出す。でも、お母様のほうは落ち着いている。
 でも、お母様はちょっと変わった人だから、今、なにを考えているのかわからない。

「落ち着いて、あなた」

 占いオタクのお母様は水晶玉を手にし、黒の瞳を私たちに向けた。その瞳は夜の色に似ていて、その瞳の色を気に入ったお父様はお母様にプロポーズをした。
『君の夜色の瞳に映しだされるたったひとつの星になりたい』――だったとか。
 こっそりポエムを綴っているお父様らしいエピソード。 
 お母様の夜色の瞳にジッと見つめられると、余裕ぶっていたお兄様もわずかに怯んだ。

「なぜヴィルフレードがこんなことを言い出したのか、星に聞いてみましょう……」
「王妃よ。また占いか? 星に聞かずにヴィルフレードに聞いてくれ」

 ――正論すぎます、お父様。
 そう言いたかったけど、これはきっとお兄様なりに考えた生き残るための手段なのだ。
 それがわかるのはこの場できっと私だけ。

「あなた! 水晶玉がこう告げています。『王子として育ったら、この子は十六歳の誕生日に殺されるだろう』と!」
「星に聞いたんじゃないのか。なぜ水晶玉から告げられた言葉なのだ?」
「星の言葉を水晶玉が受信しました」

 真剣な顔でお母様がそう告げた。
 けど、その占いは当たっているだけに、私もお兄様も笑えなかった。
 やっぱり、このままだとクラウディオ様に殺されるのは間違いないようだ。

「お母様。実は僕もそんな気がしていたんだ。王子の姿をした僕が死ぬ夢を見て……これってお告げだよね?」
「ヴィルフレードの夢が私の占いと一致するなんて……」
「おいおい。夢はただの夢……」
「違いますっ!」
「お父様、違うと思うよ」

 私はお父様の味方になって、一緒にお母様とお兄様の暴走を止めるべきなんだろうけど、自分の命がかかっているから、それはできない。
 お父様に申し訳ないと思いながらも、ただ成り行きを見守るしかなかった。

「ヴィルフレード。いいえ、ヴィルジニア。あなた、これからはヴィルジニア王女として育てましょう」

 お父様はそんな馬鹿なと小さく呟いたけど、お母様の占いがそこそこ当たるのも知っているはずだ。
 まあ……前回の人生でお母様の占いが当たったのは牛のお産の日と夕食のスープの具くらいだったけど、今回はどうなのだろう。
 お父様の顔を見ていると、同程度だと考えて良さそうだった。

「あのな……」
「私はあなたと結婚することを当てました」
「それはまあ、そうなんだが。いや、しかし、幼馴染みだったし……他に相手も……」
「ピクニックの日に雨が降るのも当てましたわよね?」
「それ占いか? 天気予報では……」
「私を信じられないんですか?」

 お母様が目を潤ませると、お父様は苦笑した。このやりとりを何百回と見てきたことか。
 平和な光景が懐かしくて、泣きそうになった。
 それはお兄様も同じだったようで、黙って二人をじっと見つめていた。

「わかった。だが、ヴィルフレード。一度、王女と公表されてしまえば、二度と王子として生きていけなくなる。それでもいいんだな?」
「僕はいいよ。殺されずに済むのなら」
 
 そう答えたお兄様は七歳の姿だったけど、私の目には十六歳のお兄様に見えた。
 バルレリア王国からルヴェロナ王国を守り、クラウディオ様に殺される運命を回避する――お兄様の覚悟が私にも伝わってきた。

「ドレスを用意しろ。それから、今後は口の固い者たちをヴィルフレードの世話係に任命し、男であることを外に漏れないようにしなくては」
「あなた、私を信じてくださったのですね」
「お前の占いは当たるからな。それにどんな形であっても我が子が元気育ってくれるのが一番だ」

 両親は人目も憚らず、いちゃいちゃして乳母を呆れさせた。
 でも、私とお兄様は違っていた。幸せなこの光景を二度と失いたくないと思っていた。
 私もなにかやれることをしなくてはと決意し、お兄様に尊敬の眼差しを向ける。

「あ、そのレースたっぷりなドレスにしてくれる? その趣味の悪いドレスはちょっと。リボンが多ければ可愛いって話じゃないんだよね」

 お兄様の乗り気な様子を見て、尊敬の眼差しが少し冷たいものになってしまった。
 もしかして、これが本性なのではと疑いたくなる。

「髪型? あー、だめだめ。結い上げれば、大人でおしゃれってわけじゃないんだよ。むしろ、この黒髪の艶やかさを前面に出してさ」

 侍女たちを困らせるくらいのこだわりぶり。
 これでは普通の七歳に見えない。お兄様に注意しようとすると、乳母や侍女はお兄様のことを褒め出した。

「七歳でドレスや髪型のトレンドがわかるなんて!」
「ヴィルフレード様、いいえっ! ヴィルジニア様は天才じゃないかしら」
「さっきもご立派だったわ。きっと神童ねっ!」

 イチャついていたお父様たちはハッとした顔でお兄様を見る。

「さすが我が子だ。そこら辺にいる鼻を垂らした子供とは違う」
「天才だと思っていたわ」

 乳母や侍女より盲目なのは親の愛。残念なことにこの場で私ひとりだけが冷静だった。
 ルンルンとお兄様はドレスに着替え、髪を整える。

「レティツィア。もたもたしてないで早く着替えなくちゃ。お客様をお待たせするのは駄目よ? もう、困った妹ね」

 えーいっと可愛い仕草で私のおでこを指でつついた。
 あまりに似合いすぎていて、私は『無茶よ! 自暴自棄になるのはやめて、お兄様!』だとか、『もっといい案があるかもしれないわ』という台詞が口から出てこなかった。

「あ、あの、お兄様……。本当によかったの?」
「え? なにが?」
「だ、だから、その、じょ、女装をすることよ」
「いいも悪いもない。これは生き延びるための手段だ!」
「う、うん、そうだけど……」
「あっ! 髪に飾るのはドレスとお揃いのリボンより花の飾りがいいな。お揃いとか、ありきたりすぎるし」

 お兄様がそう言うと周りは『おしゃれの天才!』『なんて賢い子なの』『我が子は世界一可愛い』と、盛り上がって誰ひとりとして止める気配はない。
 お兄様は生き延びるためだと言ったけど、なんだか以前よりイキイキとして見えるのは私の気のせいだろうか。
 
「レティツィア、どうだ。可愛いだろう!」

 私の目の前でファサッと髪を手で払うお兄様はお世辞抜きで私より可愛かった。
 七歳の誕生日――お兄様は私の姉となったのだった。
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