婚約者の王子に殺された~時を巻き戻した双子の兄妹は死亡ルートを回避したい!~

椿蛍

文字の大きさ
上 下
1 / 30

1 巻き戻る時間

しおりを挟む
 暗闇の中、炎は蛇のように口を開け、すべてを食らおうとしている。蛇の舌先に火の粉が舞い、天を焦がす。
 禍々しい光景を背にし、私に憎しみの目を向けるのは大国バルレリアの第一王子クラウディオ様。
 彼は私の婚約者――けれど、私を一度も愛してはくれなかった。
 それどころか剣を手にし、今まさに私を殺そうとしている。

「君が俺を裏切るとは思わなかった。レティツィア」
「う、裏切るなんて……」

 恐怖で声が震え、うまく言葉を紡げない。
 私が生まれ育った王宮は燃え、ごうごうと音をたてていた。
 ここまで追い詰められた状況で、私になにができるというのだろうか。
 炎に包まれたルヴェロナ王国の王宮。
 春になると野の花が咲き、夏は青く澄んだ湖の水辺で遊び、秋には森の木々が鮮やかに染まり、冬が訪れると白鳥たちを見ることができる。田舎らしい素朴な王宮として知られている。
 それなのに、今の王宮は焼けた煤で黒く染まり、湖には兵士が浮かび、雲のような煙が空を覆っていた。

「信じてください! クラウディオ様! 私は……いえ、私たち兄妹は一度も逆らったことはございません!」
 
 恐怖で足が震え、その場から一歩も動けなくなった私を一片の温もりもない冷たい眼差しで見下ろしている。
 今すぐにでも私を殺してしまいたい、そんな声が聞こえてくるようだった。

「一度も? 嘘をつくな。お前は俺を何度も裏切った」
「え……?」
「兄のヴィルフレードとともにアルドを庇い、今の今まで俺よりも、あの下賎な弟の味方だった」

 アルドというのはクラウディオ様の腹違いの弟で、おとなしく穏やかな気性をしていて、私たち兄妹と仲が良かった。
 親しくしていたのは認める。だからといって、クラウディオ様を一度も裏切ったことはない。

「アルドは……アルド様は私たちのお友達です。それにアルド様は第二王子で、クラウディオ様と立場が違います。だから、その……」
「ああ、それで。気難しい婚約者の俺ではなく、おとなしく御しやすいアルドを王にしてやろう考えたわけか。とんだ野心を持っていたものだ」

 クラウディオ様にとって、異母弟のアルドが疎ましい存在であることは知っていた。知っていたけど、アルドは私たち兄妹と昔から仲良くしていて、お互いを呼び捨てにするくらいの仲なのだ。
 婚約者に決まったからといって、アルドに突然冷たくするほうがおかしい。

「私たちに野心なんてありません。 第一王子であるクラウディオ様を差し置いてアルドを王にしようなんて考えたことは一度もございません。誤解です。私たちはなにもっ……」
「ヴィルフレードも同じことを言っていたな。だが、身の潔白を証明できなかった。結局、あいつも俺の敵だ。裏ではアルドと繋がり、俺を引きずり落とそうとしていたのだからな」

 唇をぎゅっと噛んだ。何度言ってもクラウディオ様の心に私の言葉は届かない。
 今だけじゃない。一度も私の言葉なんて聞いてくれたことがなかった。
 悲しさと悔しさで目から大粒の涙がこぼれ、乾いた土の上に落ちた。
 婚約者なんて名前だけ。いつも私のことを見下し、話をしても鼻先で笑い飛ばし、流行遅れだ、田舎くさいと言っては貶した。
 馬鹿にしていた私を婚約者に指名したのは、私たちが自分を裏切っているかもしれないと疑ったからなのだろうか。
 それなら、納得できる。
 ルヴェロナ王国と私たちの動きを監視するためだとするならば、私のことを愛していないのも当然のこと。

「お兄様は……どこ……?」

 クラウディオ様の口からお兄様の名を聞いて、姿が見えないことに気づいた。
 一緒に逃げていたのに、王宮内が混乱していたせいで、はぐれてしまった。

「ヴィルフレードか?」

 クラウディオ様がお兄様の名を呼ぶ。その声に温度を感じず、ひやりと背筋に冷たいものを感じた。
 嫌な予感がする。
 クラウディオ様が私に『身の潔白を証明できなかった』と言っていたのを思い出し、顔を上げた。
 顔を上げた先にはクラウディオ様が立ち、その手には赤い血のついた剣が握られている。胸に黒い不安が広がっていくのを感じた。

「どうなったか知りたいか」
「まさか……その血は……」
「裏切り者は殺した」
「こ……殺したって……お兄様っ……!」

 クラウディオ様の言葉を信じたくなくて、お兄様を探そうと走り出した瞬間。私の胸に強い衝撃が加わる。

「……クラウディオ様……わたし、たち、本当になにも……」

 殺された憎しみより先に信じてもらえなかったことが悲しくて涙がこぼれた。
 血の中に倒れ、最後に見たのはクラウディオ様の笑顔。冷たい目で笑っている。
 微笑んだのは自分を脅かす敵を殺すことができたから――ああ、私は死ぬのだ。
 徐々に意識が遠退き、暗闇の中に沈んでいく。
 冷たくなる手足と重さを増す体――私は完全に死んだ。
 殺されたのは十六歳の誕生日。十六歳になった私とクラウディオ様の結婚式が行われるはずの年だった。

 ◇◇◇◇◇

 気がつくと、私は真っ暗な闇の中にいた。
 そこは無音で自分の息づかいの音さえしない。闇と静寂が意識を消していく。
 私の体も意識も、どんどん深い闇へ消えていくのがわかった。
 これが冥府。
 生きていた時の記憶が剥がれて溶けていく――悲しみさえも。
 そう思っていた。

『自分の命を全部あげます。だから、二人を生き返らせてください』

 消えそうになっていた私の耳に暖かな光と声が届く。
 静寂だけだった世界に亀裂が入り、光が闇を打ち消した。ふわりと闇の中から体が浮かんで、明るいほうへ引っ張られ、どんどん意識が明瞭になり、気のせいでなければ、体の感触も戻ってきた。
 目を開けようとしても、闇の中にいた私は眩しくて、なかなか目を開けられない――死んで暗闇の中にいたのにそれはおかしい。
 
「えっ……?」

 眩しい光が窓から差し込み、部屋の床を照らす。
 窓ガラスに映る私は寝間着姿で、手にテディベアを持っている。子供の頃、お気に入りだったテディベアは赤いリボンつき。
 抱き締めるとふかふかして安心できた。
 懐かしい――ってそうじゃない。

「私の手足が縮んでいる?」

 私が抱き締めているのは大きいサイズのテディベア。だけど、十六歳の私が持つと、もっと小さく見えたはずだ。
 私の顔とテディベアの顔がご対面するのはおかしい。

「どうなってるの? この姿はなにっ? 子供? 子供になってる!」

 それだけじゃない。
 燃えていた王宮は以前のままの形を留めている。
 そして、窓の外は見慣れた湖と森、さらに遠くには畑が広がり、羊や牛、馬が平和に草を食んでいる。
 燃えていたはずの木々は青々とし、兵士が浮かんでいた湖面は朝の光を反射させ、鳥の家族が列を作って浮いている平和な光景。 

「なにが起きたの?」
「んー? おかしいな? 首を切られたはずなのに首と胴体がつながっているぞ」

 窓に映る自分の姿に呆然としていた私の背後で、なにやらホラーななことを呟いたのは双子の兄、ヴィルフレードお兄様だった。
 子供頃はお揃いの寝間着を着ていたから、私たちはそっくりで鏡を見ているみたいだけど、違う。

「首と胴体がつながってるだけじゃなくて、手足が縮んでいるのもおかしいんだよなー」
「お兄様。生きてる人間なら、首と胴がつながっているのは当たり前よ」
「うわっ! レティツィアがいるっ。それも小さい! いや、レティツィアはこんなもんだったか?」
「そんなわけないでしょ! お兄様と同じ十六歳だったのを忘れたの?」

 テディベアを抱き締めて声を張り上げた私をお兄様が真剣な目で見つめる。

「昔は僕に似て可愛かったなぁ」
「どういう意味よっ! 十六歳の私は可愛くなかったとでも言うの?」
「十六歳のレティツィアも可愛かったよ。なるほど。レティツィアも僕と同じで、十六歳までの記憶を持っているようだね」

 十六歳――それは私たちの誕生日の日、私とクラウディオ様の結婚式が執り行われるはずだった年。
 だんだんと記憶が鮮明になってきた。

「そ、そうなの。私、クラウディオ様に殺されたの!」
「同じく。ブチギレのクラウディオに最後に首をチョン切られた。僕がクラウディオを裏切ったなんて言われてね。あと、ふざけた態度も気に入らないって言われたっけ」

 あー、やだねぇと言いながら、お兄様は首をさすっていた。
 その態度がクラウディオ様を一番怒らせたのではと思わなくもない。
 そこはちょっと否定できなかった。

「私はクラウディオ様に裏切り者って呼ばれて、剣で胸を貫かれて……」

 クラウディオ様の冷たい目を思い出し、寒気が走った。
 あれは夢なんかじゃない。
 まだ殺された生々しい感覚を覚えている。恐怖でガタガタと震え出した体を押さえるため、テディベアをきつく抱き締めた。

「妹よ。安心しろ。どういうわけか僕たちは生き返ったようだ」
「この状況でどう安心できるっていうのよっ!」
「少なくとも僕たちは生きている。死んだけど死んでいない」
「そ、そうだけどっ……」

 混乱し、青ざめた顔をしている私と、すでに状況を呑み込んで適応しつつあるお兄様。鏡の前に並んで立つと、性格はともかく双子の私たちは黒目黒髪、顔も背格好も似ている。
 子供部屋の時計が規則正しく時を刻む音が聞こえてきた。その時計の数字の年月日を見ると、今日が私たちの七歳の誕生日であることを示していた。
 つまり、この体は七歳。
 私たちが一度死んだのは事実で、なぜか死んでから時間が巻き戻ったことになる。

「私たち、七歳の頃に戻ったっていうことかしら?」
「たぶん、そーなんじゃないかな? 神様が僕たちに人生をやり直して生き延びるチャンスをくれたのかもしれないね」
「生き延びるためのチャンス……」
「誰かが僕たちが生き返ることを神様に祈って、その願いが通じたってところかな」
「お兄様も声を聞いたの?」
「ああ」

 暖かい光と声。
 あれは私だけにもたらされたものではなかったのだ。
 私だけが体験していることなら、信じられず、きっと頭がおかしくなったか、夢でも見ていたんだって思って終わりだったはずだ。
 でも、私と同じことをお兄様も同じ体験をしている。
 だから、私たちがクラウディオ様に殺されたのも、一度死んだのも、夢ではない。
 現実に起きたことなのだ――死の瞬間を思いだし、ぶるっと体が震えた。

「二度とクラウディオ様に殺されたくないわ……。とても怖かったんだから!」
「それは僕も同じ気持ちだよ。殺されたい人間なんていない」

 ふざけていたお兄様だけど、今は神妙な面持ちでなにか考えている。

「僕たちにチャンスは与えられた。それはいい。けどさ、運命を変えるって、相当難しい気がするな」
「そうかしら? だって、私たちはなにが起きるかわかってるのよ。同じことをしなけれないいのよ」
「じゃあさ、聞くけど。大国バルレリアがレティツィアをクラウディオの婚約者にって、また申し込んできたらどうなる? 人間の数より牛と羊の数のほうが多いようなルヴェロナ王国が断れると思う?」
「そ、それは……」

 お兄様の言うことはもっともだ。
 小国は大国に振り回される運命にある。ルヴェロナ王国はバルレリア王国と過去に姻戚関係があり、それを理由になんとか他国から侵略されずに済んでいるのだ。

「たまたま、ルヴェロナ王国の王女に美人がいて、先々代よりももうひとつ前の代にバルレリア王の妃になったから、今も親戚扱いしてもらえているけど……いや、遠い親戚か」

 私に美人な王女の面影がないのが悲しい。
 そもそも今のバルレリア王の曾祖父の前の時代。
 遠い親戚というか、もう他人と言っても差し支えない気がする。
 ちなみに私もお兄様もそこそこ可愛いくらいで、絶世の美女にはほど遠い。
 その美人な王妃の血のおかげかどうか知らないけど、バルレリア王国のほうは美形揃いだから、なんだか複雑な気持ちだ。

「僕たちが生き残るためには前回の人生で起きたことを変えていくしかない」
「そうね」

 お兄様の提案に異論はなく、力強くうなずいた。
 でも、変えると言っても具体的にどうすればいいのだろうか。なにも思いつかない。

「レティツィア。運命を変えるのは簡単じゃないと思う。けど、僕たちは死ぬわけにはいかない」
「そうね」
「だから、そのために前回とまったく違うイレギュラーな行動が必要だ」
「まったく違うこと? 私だったら、クラウディオ様の婚約者にならないよう避ければいいってことかしら?」
「それだけじゃ生ぬるい。つまり、僕という人間、ヴィルフレードだけど、ヴィルフレードじゃなくなればいいってことだよ」
「そんなことできるわけないわ」

 ため息をつく私に対して、お兄様は違っていた。

「僕に名案がある。任せろ! 我が妹よ!」

 目を輝かせて親指を立て、得意顔でウインクをキメてきた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。

さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。 忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。 「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」 気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、 「信じられない!離縁よ!離縁!」 深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。 結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?

双子の妹を選んだ婚約者様、貴方に選ばれなかった事に感謝の言葉を送ります

すもも
恋愛
学園の卒業パーティ 人々の中心にいる婚約者ユーリは私を見つけて微笑んだ。 傍らに、私とよく似た顔、背丈、スタイルをした双子の妹エリスを抱き寄せながら。 「セレナ、お前の婚約者と言う立場は今、この瞬間、終わりを迎える」 私セレナが、ユーリの婚約者として過ごした7年間が否定された瞬間だった。

身分違いの恋に燃えていると婚約破棄したではありませんか。没落したから助けて欲しいなんて言わないでください。

木山楽斗
恋愛
侯爵令嬢であるセリティアは、ある日婚約者である侯爵令息のランドラから婚約破棄を告げられた。 なんでも彼は、とある平民の農家の女性に恋をしているそうなのだ。 身分違いの恋に燃えているという彼に呆れながら、それが危険なことであると説明したセリティアだったが、ランドラにはそれを聞き入れてもらえず、結局婚約は破棄されることになった。 セリティアの新しい婚約は、意外な程に早く決まった。 その相手は、公爵令息であるバルギードという男だった。多少気難しい性格ではあるが、真面目で実直な彼との婚約はセリティアにとって幸福なものであり、彼女は穏やかな生活を送っていた。 そんな彼女の前に、ランドラが再び現れた。 侯爵家を継いだ彼だったが、平民と結婚したことによって、多くの敵を作り出してしまい、その結果没落してしまったそうなのだ。 ランドラは、セリティアに助けて欲しいと懇願した。しかし、散々と忠告したというのにそんなことになった彼を助ける義理は彼女にはなかった。こうしてセリティアは、ランドラの頼みを断るのだった。

【完結】悪役令嬢の妹ですが幸せは来るのでしょうか?

まるねこ
恋愛
第二王子と結婚予定だった姉がどうやら婚約破棄された。姉の代わりに侯爵家を継ぐため勉強してきたトレニア。姉は良い縁談が望めないとトレニアの婚約者を強請った。婚約者も姉を想っていた…の? なろう小説、カクヨムにも投稿中。 Copyright©︎2021-まるねこ

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

【完結】不貞された私を責めるこの国はおかしい

春風由実
恋愛
婚約者が不貞をしたあげく、婚約破棄だと言ってきた。 そんな私がどうして議会に呼び出され糾弾される側なのでしょうか? 婚約者が不貞をしたのは私のせいで、 婚約破棄を命じられたのも私のせいですって? うふふ。面白いことを仰いますわね。 ※最終話まで毎日一話更新予定です。→3/27完結しました。 ※カクヨムにも投稿しています。

貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後

空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。 魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。 そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。 すると、キースの態度が豹変して……?

【完結】傷跡に咲く薔薇の令嬢は、辺境伯の優しい手に救われる。

朝日みらい
恋愛
セリーヌ・アルヴィスは完璧な貴婦人として社交界で輝いていたが、ある晩、馬車で帰宅途中に盗賊に襲われ、顔に深い傷を負う。 傷が癒えた後、婚約者アルトゥールに再会するも、彼は彼女の外見の変化を理由に婚約を破棄する。 家族も彼女を冷遇し、かつての華やかな生活は一転し、孤独と疎外感に包まれる。 最終的に、家族に決められた新たな婚約相手は、社交界で「醜い」と噂されるラウル・ヴァレールだった―――。

処理中です...