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暗闇の中、炎は蛇のように口を開け、すべてを食らおうとしている。蛇の舌先に火の粉が舞い、天を焦がす。
禍々しい光景を背にし、私に憎しみの目を向けるのは大国バルレリアの第一王子クラウディオ様。
彼は私の婚約者――けれど、私を一度も愛してはくれなかった。
それどころか剣を手にし、今まさに私を殺そうとしている。
「君が俺を裏切るとは思わなかった。レティツィア」
「う、裏切るなんて……」
恐怖で声が震え、うまく言葉を紡げない。
私が生まれ育った王宮は燃え、ごうごうと音をたてていた。
ここまで追い詰められた状況で、私になにができるというのだろうか。
炎に包まれたルヴェロナ王国の王宮。
春になると野の花が咲き、夏は青く澄んだ湖の水辺で遊び、秋には森の木々が鮮やかに染まり、冬が訪れると白鳥たちを見ることができる。田舎らしい素朴な王宮として知られている。
それなのに、今の王宮は焼けた煤で黒く染まり、湖には兵士が浮かび、雲のような煙が空を覆っていた。
「信じてください! クラウディオ様! 私は……いえ、私たち兄妹は一度も逆らったことはございません!」
恐怖で足が震え、その場から一歩も動けなくなった私を一片の温もりもない冷たい眼差しで見下ろしている。
今すぐにでも私を殺してしまいたい、そんな声が聞こえてくるようだった。
「一度も? 嘘をつくな。お前は俺を何度も裏切った」
「え……?」
「兄のヴィルフレードとともにアルドを庇い、今の今まで俺よりも、あの下賎な弟の味方だった」
アルドというのはクラウディオ様の腹違いの弟で、おとなしく穏やかな気性をしていて、私たち兄妹と仲が良かった。
親しくしていたのは認める。だからといって、クラウディオ様を一度も裏切ったことはない。
「アルドは……アルド様は私たちのお友達です。それにアルド様は第二王子で、クラウディオ様と立場が違います。だから、その……」
「ああ、それで。気難しい婚約者の俺ではなく、おとなしく御しやすいアルドを王にしてやろう考えたわけか。とんだ野心を持っていたものだ」
クラウディオ様にとって、異母弟のアルドが疎ましい存在であることは知っていた。知っていたけど、アルドは私たち兄妹と昔から仲良くしていて、お互いを呼び捨てにするくらいの仲なのだ。
婚約者に決まったからといって、アルドに突然冷たくするほうがおかしい。
「私たちに野心なんてありません。 第一王子であるクラウディオ様を差し置いてアルドを王にしようなんて考えたことは一度もございません。誤解です。私たちはなにもっ……」
「ヴィルフレードも同じことを言っていたな。だが、身の潔白を証明できなかった。結局、あいつも俺の敵だ。裏ではアルドと繋がり、俺を引きずり落とそうとしていたのだからな」
唇をぎゅっと噛んだ。何度言ってもクラウディオ様の心に私の言葉は届かない。
今だけじゃない。一度も私の言葉なんて聞いてくれたことがなかった。
悲しさと悔しさで目から大粒の涙がこぼれ、乾いた土の上に落ちた。
婚約者なんて名前だけ。いつも私のことを見下し、話をしても鼻先で笑い飛ばし、流行遅れだ、田舎くさいと言っては貶した。
馬鹿にしていた私を婚約者に指名したのは、私たちが自分を裏切っているかもしれないと疑ったからなのだろうか。
それなら、納得できる。
ルヴェロナ王国と私たちの動きを監視するためだとするならば、私のことを愛していないのも当然のこと。
「お兄様は……どこ……?」
クラウディオ様の口からお兄様の名を聞いて、姿が見えないことに気づいた。
一緒に逃げていたのに、王宮内が混乱していたせいで、はぐれてしまった。
「ヴィルフレードか?」
クラウディオ様がお兄様の名を呼ぶ。その声に温度を感じず、ひやりと背筋に冷たいものを感じた。
嫌な予感がする。
クラウディオ様が私に『身の潔白を証明できなかった』と言っていたのを思い出し、顔を上げた。
顔を上げた先にはクラウディオ様が立ち、その手には赤い血のついた剣が握られている。胸に黒い不安が広がっていくのを感じた。
「どうなったか知りたいか」
「まさか……その血は……」
「裏切り者は殺した」
「こ……殺したって……お兄様っ……!」
クラウディオ様の言葉を信じたくなくて、お兄様を探そうと走り出した瞬間。私の胸に強い衝撃が加わる。
「……クラウディオ様……わたし、たち、本当になにも……」
殺された憎しみより先に信じてもらえなかったことが悲しくて涙がこぼれた。
血の中に倒れ、最後に見たのはクラウディオ様の笑顔。冷たい目で笑っている。
微笑んだのは自分を脅かす敵を殺すことができたから――ああ、私は死ぬのだ。
徐々に意識が遠退き、暗闇の中に沈んでいく。
冷たくなる手足と重さを増す体――私は完全に死んだ。
殺されたのは十六歳の誕生日。十六歳になった私とクラウディオ様の結婚式が行われるはずの年だった。
◇◇◇◇◇
気がつくと、私は真っ暗な闇の中にいた。
そこは無音で自分の息づかいの音さえしない。闇と静寂が意識を消していく。
私の体も意識も、どんどん深い闇へ消えていくのがわかった。
これが冥府。
生きていた時の記憶が剥がれて溶けていく――悲しみさえも。
そう思っていた。
『自分の命を全部あげます。だから、二人を生き返らせてください』
消えそうになっていた私の耳に暖かな光と声が届く。
静寂だけだった世界に亀裂が入り、光が闇を打ち消した。ふわりと闇の中から体が浮かんで、明るいほうへ引っ張られ、どんどん意識が明瞭になり、気のせいでなければ、体の感触も戻ってきた。
目を開けようとしても、闇の中にいた私は眩しくて、なかなか目を開けられない――死んで暗闇の中にいたのにそれはおかしい。
「えっ……?」
眩しい光が窓から差し込み、部屋の床を照らす。
窓ガラスに映る私は寝間着姿で、手にテディベアを持っている。子供の頃、お気に入りだったテディベアは赤いリボンつき。
抱き締めるとふかふかして安心できた。
懐かしい――ってそうじゃない。
「私の手足が縮んでいる?」
私が抱き締めているのは大きいサイズのテディベア。だけど、十六歳の私が持つと、もっと小さく見えたはずだ。
私の顔とテディベアの顔がご対面するのはおかしい。
「どうなってるの? この姿はなにっ? 子供? 子供になってる!」
それだけじゃない。
燃えていた王宮は以前のままの形を留めている。
そして、窓の外は見慣れた湖と森、さらに遠くには畑が広がり、羊や牛、馬が平和に草を食んでいる。
燃えていたはずの木々は青々とし、兵士が浮かんでいた湖面は朝の光を反射させ、鳥の家族が列を作って浮いている平和な光景。
「なにが起きたの?」
「んー? おかしいな? 首を切られたはずなのに首と胴体がつながっているぞ」
窓に映る自分の姿に呆然としていた私の背後で、なにやらホラーななことを呟いたのは双子の兄、ヴィルフレードお兄様だった。
子供頃はお揃いの寝間着を着ていたから、私たちはそっくりで鏡を見ているみたいだけど、違う。
「首と胴体がつながってるだけじゃなくて、手足が縮んでいるのもおかしいんだよなー」
「お兄様。生きてる人間なら、首と胴がつながっているのは当たり前よ」
「うわっ! レティツィアがいるっ。それも小さい! いや、レティツィアはこんなもんだったか?」
「そんなわけないでしょ! お兄様と同じ十六歳だったのを忘れたの?」
テディベアを抱き締めて声を張り上げた私をお兄様が真剣な目で見つめる。
「昔は僕に似て可愛かったなぁ」
「どういう意味よっ! 十六歳の私は可愛くなかったとでも言うの?」
「十六歳のレティツィアも可愛かったよ。なるほど。レティツィアも僕と同じで、十六歳までの記憶を持っているようだね」
十六歳――それは私たちの誕生日の日、私とクラウディオ様の結婚式が執り行われるはずだった年。
だんだんと記憶が鮮明になってきた。
「そ、そうなの。私、クラウディオ様に殺されたの!」
「同じく。ブチギレのクラウディオに最後に首をチョン切られた。僕がクラウディオを裏切ったなんて言われてね。あと、ふざけた態度も気に入らないって言われたっけ」
あー、やだねぇと言いながら、お兄様は首をさすっていた。
その態度がクラウディオ様を一番怒らせたのではと思わなくもない。
そこはちょっと否定できなかった。
「私はクラウディオ様に裏切り者って呼ばれて、剣で胸を貫かれて……」
クラウディオ様の冷たい目を思い出し、寒気が走った。
あれは夢なんかじゃない。
まだ殺された生々しい感覚を覚えている。恐怖でガタガタと震え出した体を押さえるため、テディベアをきつく抱き締めた。
「妹よ。安心しろ。どういうわけか僕たちは生き返ったようだ」
「この状況でどう安心できるっていうのよっ!」
「少なくとも僕たちは生きている。死んだけど死んでいない」
「そ、そうだけどっ……」
混乱し、青ざめた顔をしている私と、すでに状況を呑み込んで適応しつつあるお兄様。鏡の前に並んで立つと、性格はともかく双子の私たちは黒目黒髪、顔も背格好も似ている。
子供部屋の時計が規則正しく時を刻む音が聞こえてきた。その時計の数字の年月日を見ると、今日が私たちの七歳の誕生日であることを示していた。
つまり、この体は七歳。
私たちが一度死んだのは事実で、なぜか死んでから時間が巻き戻ったことになる。
「私たち、七歳の頃に戻ったっていうことかしら?」
「たぶん、そーなんじゃないかな? 神様が僕たちに人生をやり直して生き延びるチャンスをくれたのかもしれないね」
「生き延びるためのチャンス……」
「誰かが僕たちが生き返ることを神様に祈って、その願いが通じたってところかな」
「お兄様も声を聞いたの?」
「ああ」
暖かい光と声。
あれは私だけにもたらされたものではなかったのだ。
私だけが体験していることなら、信じられず、きっと頭がおかしくなったか、夢でも見ていたんだって思って終わりだったはずだ。
でも、私と同じことをお兄様も同じ体験をしている。
だから、私たちがクラウディオ様に殺されたのも、一度死んだのも、夢ではない。
現実に起きたことなのだ――死の瞬間を思いだし、ぶるっと体が震えた。
「二度とクラウディオ様に殺されたくないわ……。とても怖かったんだから!」
「それは僕も同じ気持ちだよ。殺されたい人間なんていない」
ふざけていたお兄様だけど、今は神妙な面持ちでなにか考えている。
「僕たちにチャンスは与えられた。それはいい。けどさ、運命を変えるって、相当難しい気がするな」
「そうかしら? だって、私たちはなにが起きるかわかってるのよ。同じことをしなけれないいのよ」
「じゃあさ、聞くけど。大国バルレリアがレティツィアをクラウディオの婚約者にって、また申し込んできたらどうなる? 人間の数より牛と羊の数のほうが多いようなルヴェロナ王国が断れると思う?」
「そ、それは……」
お兄様の言うことはもっともだ。
小国は大国に振り回される運命にある。ルヴェロナ王国はバルレリア王国と過去に姻戚関係があり、それを理由になんとか他国から侵略されずに済んでいるのだ。
「たまたま、ルヴェロナ王国の王女に美人がいて、先々代よりももうひとつ前の代にバルレリア王の妃になったから、今も親戚扱いしてもらえているけど……いや、遠い親戚か」
私に美人な王女の面影がないのが悲しい。
そもそも今のバルレリア王の曾祖父の前の時代。
遠い親戚というか、もう他人と言っても差し支えない気がする。
ちなみに私もお兄様もそこそこ可愛いくらいで、絶世の美女にはほど遠い。
その美人な王妃の血のおかげかどうか知らないけど、バルレリア王国のほうは美形揃いだから、なんだか複雑な気持ちだ。
「僕たちが生き残るためには前回の人生で起きたことを変えていくしかない」
「そうね」
お兄様の提案に異論はなく、力強くうなずいた。
でも、変えると言っても具体的にどうすればいいのだろうか。なにも思いつかない。
「レティツィア。運命を変えるのは簡単じゃないと思う。けど、僕たちは死ぬわけにはいかない」
「そうね」
「だから、そのために前回とまったく違うイレギュラーな行動が必要だ」
「まったく違うこと? 私だったら、クラウディオ様の婚約者にならないよう避ければいいってことかしら?」
「それだけじゃ生ぬるい。つまり、僕という人間、ヴィルフレードだけど、ヴィルフレードじゃなくなればいいってことだよ」
「そんなことできるわけないわ」
ため息をつく私に対して、お兄様は違っていた。
「僕に名案がある。任せろ! 我が妹よ!」
目を輝かせて親指を立て、得意顔でウインクをキメてきた。
禍々しい光景を背にし、私に憎しみの目を向けるのは大国バルレリアの第一王子クラウディオ様。
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それどころか剣を手にし、今まさに私を殺そうとしている。
「君が俺を裏切るとは思わなかった。レティツィア」
「う、裏切るなんて……」
恐怖で声が震え、うまく言葉を紡げない。
私が生まれ育った王宮は燃え、ごうごうと音をたてていた。
ここまで追い詰められた状況で、私になにができるというのだろうか。
炎に包まれたルヴェロナ王国の王宮。
春になると野の花が咲き、夏は青く澄んだ湖の水辺で遊び、秋には森の木々が鮮やかに染まり、冬が訪れると白鳥たちを見ることができる。田舎らしい素朴な王宮として知られている。
それなのに、今の王宮は焼けた煤で黒く染まり、湖には兵士が浮かび、雲のような煙が空を覆っていた。
「信じてください! クラウディオ様! 私は……いえ、私たち兄妹は一度も逆らったことはございません!」
恐怖で足が震え、その場から一歩も動けなくなった私を一片の温もりもない冷たい眼差しで見下ろしている。
今すぐにでも私を殺してしまいたい、そんな声が聞こえてくるようだった。
「一度も? 嘘をつくな。お前は俺を何度も裏切った」
「え……?」
「兄のヴィルフレードとともにアルドを庇い、今の今まで俺よりも、あの下賎な弟の味方だった」
アルドというのはクラウディオ様の腹違いの弟で、おとなしく穏やかな気性をしていて、私たち兄妹と仲が良かった。
親しくしていたのは認める。だからといって、クラウディオ様を一度も裏切ったことはない。
「アルドは……アルド様は私たちのお友達です。それにアルド様は第二王子で、クラウディオ様と立場が違います。だから、その……」
「ああ、それで。気難しい婚約者の俺ではなく、おとなしく御しやすいアルドを王にしてやろう考えたわけか。とんだ野心を持っていたものだ」
クラウディオ様にとって、異母弟のアルドが疎ましい存在であることは知っていた。知っていたけど、アルドは私たち兄妹と昔から仲良くしていて、お互いを呼び捨てにするくらいの仲なのだ。
婚約者に決まったからといって、アルドに突然冷たくするほうがおかしい。
「私たちに野心なんてありません。 第一王子であるクラウディオ様を差し置いてアルドを王にしようなんて考えたことは一度もございません。誤解です。私たちはなにもっ……」
「ヴィルフレードも同じことを言っていたな。だが、身の潔白を証明できなかった。結局、あいつも俺の敵だ。裏ではアルドと繋がり、俺を引きずり落とそうとしていたのだからな」
唇をぎゅっと噛んだ。何度言ってもクラウディオ様の心に私の言葉は届かない。
今だけじゃない。一度も私の言葉なんて聞いてくれたことがなかった。
悲しさと悔しさで目から大粒の涙がこぼれ、乾いた土の上に落ちた。
婚約者なんて名前だけ。いつも私のことを見下し、話をしても鼻先で笑い飛ばし、流行遅れだ、田舎くさいと言っては貶した。
馬鹿にしていた私を婚約者に指名したのは、私たちが自分を裏切っているかもしれないと疑ったからなのだろうか。
それなら、納得できる。
ルヴェロナ王国と私たちの動きを監視するためだとするならば、私のことを愛していないのも当然のこと。
「お兄様は……どこ……?」
クラウディオ様の口からお兄様の名を聞いて、姿が見えないことに気づいた。
一緒に逃げていたのに、王宮内が混乱していたせいで、はぐれてしまった。
「ヴィルフレードか?」
クラウディオ様がお兄様の名を呼ぶ。その声に温度を感じず、ひやりと背筋に冷たいものを感じた。
嫌な予感がする。
クラウディオ様が私に『身の潔白を証明できなかった』と言っていたのを思い出し、顔を上げた。
顔を上げた先にはクラウディオ様が立ち、その手には赤い血のついた剣が握られている。胸に黒い不安が広がっていくのを感じた。
「どうなったか知りたいか」
「まさか……その血は……」
「裏切り者は殺した」
「こ……殺したって……お兄様っ……!」
クラウディオ様の言葉を信じたくなくて、お兄様を探そうと走り出した瞬間。私の胸に強い衝撃が加わる。
「……クラウディオ様……わたし、たち、本当になにも……」
殺された憎しみより先に信じてもらえなかったことが悲しくて涙がこぼれた。
血の中に倒れ、最後に見たのはクラウディオ様の笑顔。冷たい目で笑っている。
微笑んだのは自分を脅かす敵を殺すことができたから――ああ、私は死ぬのだ。
徐々に意識が遠退き、暗闇の中に沈んでいく。
冷たくなる手足と重さを増す体――私は完全に死んだ。
殺されたのは十六歳の誕生日。十六歳になった私とクラウディオ様の結婚式が行われるはずの年だった。
◇◇◇◇◇
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そこは無音で自分の息づかいの音さえしない。闇と静寂が意識を消していく。
私の体も意識も、どんどん深い闇へ消えていくのがわかった。
これが冥府。
生きていた時の記憶が剥がれて溶けていく――悲しみさえも。
そう思っていた。
『自分の命を全部あげます。だから、二人を生き返らせてください』
消えそうになっていた私の耳に暖かな光と声が届く。
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目を開けようとしても、闇の中にいた私は眩しくて、なかなか目を開けられない――死んで暗闇の中にいたのにそれはおかしい。
「えっ……?」
眩しい光が窓から差し込み、部屋の床を照らす。
窓ガラスに映る私は寝間着姿で、手にテディベアを持っている。子供の頃、お気に入りだったテディベアは赤いリボンつき。
抱き締めるとふかふかして安心できた。
懐かしい――ってそうじゃない。
「私の手足が縮んでいる?」
私が抱き締めているのは大きいサイズのテディベア。だけど、十六歳の私が持つと、もっと小さく見えたはずだ。
私の顔とテディベアの顔がご対面するのはおかしい。
「どうなってるの? この姿はなにっ? 子供? 子供になってる!」
それだけじゃない。
燃えていた王宮は以前のままの形を留めている。
そして、窓の外は見慣れた湖と森、さらに遠くには畑が広がり、羊や牛、馬が平和に草を食んでいる。
燃えていたはずの木々は青々とし、兵士が浮かんでいた湖面は朝の光を反射させ、鳥の家族が列を作って浮いている平和な光景。
「なにが起きたの?」
「んー? おかしいな? 首を切られたはずなのに首と胴体がつながっているぞ」
窓に映る自分の姿に呆然としていた私の背後で、なにやらホラーななことを呟いたのは双子の兄、ヴィルフレードお兄様だった。
子供頃はお揃いの寝間着を着ていたから、私たちはそっくりで鏡を見ているみたいだけど、違う。
「首と胴体がつながってるだけじゃなくて、手足が縮んでいるのもおかしいんだよなー」
「お兄様。生きてる人間なら、首と胴がつながっているのは当たり前よ」
「うわっ! レティツィアがいるっ。それも小さい! いや、レティツィアはこんなもんだったか?」
「そんなわけないでしょ! お兄様と同じ十六歳だったのを忘れたの?」
テディベアを抱き締めて声を張り上げた私をお兄様が真剣な目で見つめる。
「昔は僕に似て可愛かったなぁ」
「どういう意味よっ! 十六歳の私は可愛くなかったとでも言うの?」
「十六歳のレティツィアも可愛かったよ。なるほど。レティツィアも僕と同じで、十六歳までの記憶を持っているようだね」
十六歳――それは私たちの誕生日の日、私とクラウディオ様の結婚式が執り行われるはずだった年。
だんだんと記憶が鮮明になってきた。
「そ、そうなの。私、クラウディオ様に殺されたの!」
「同じく。ブチギレのクラウディオに最後に首をチョン切られた。僕がクラウディオを裏切ったなんて言われてね。あと、ふざけた態度も気に入らないって言われたっけ」
あー、やだねぇと言いながら、お兄様は首をさすっていた。
その態度がクラウディオ様を一番怒らせたのではと思わなくもない。
そこはちょっと否定できなかった。
「私はクラウディオ様に裏切り者って呼ばれて、剣で胸を貫かれて……」
クラウディオ様の冷たい目を思い出し、寒気が走った。
あれは夢なんかじゃない。
まだ殺された生々しい感覚を覚えている。恐怖でガタガタと震え出した体を押さえるため、テディベアをきつく抱き締めた。
「妹よ。安心しろ。どういうわけか僕たちは生き返ったようだ」
「この状況でどう安心できるっていうのよっ!」
「少なくとも僕たちは生きている。死んだけど死んでいない」
「そ、そうだけどっ……」
混乱し、青ざめた顔をしている私と、すでに状況を呑み込んで適応しつつあるお兄様。鏡の前に並んで立つと、性格はともかく双子の私たちは黒目黒髪、顔も背格好も似ている。
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「生き延びるためのチャンス……」
「誰かが僕たちが生き返ることを神様に祈って、その願いが通じたってところかな」
「お兄様も声を聞いたの?」
「ああ」
暖かい光と声。
あれは私だけにもたらされたものではなかったのだ。
私だけが体験していることなら、信じられず、きっと頭がおかしくなったか、夢でも見ていたんだって思って終わりだったはずだ。
でも、私と同じことをお兄様も同じ体験をしている。
だから、私たちがクラウディオ様に殺されたのも、一度死んだのも、夢ではない。
現実に起きたことなのだ――死の瞬間を思いだし、ぶるっと体が震えた。
「二度とクラウディオ様に殺されたくないわ……。とても怖かったんだから!」
「それは僕も同じ気持ちだよ。殺されたい人間なんていない」
ふざけていたお兄様だけど、今は神妙な面持ちでなにか考えている。
「僕たちにチャンスは与えられた。それはいい。けどさ、運命を変えるって、相当難しい気がするな」
「そうかしら? だって、私たちはなにが起きるかわかってるのよ。同じことをしなけれないいのよ」
「じゃあさ、聞くけど。大国バルレリアがレティツィアをクラウディオの婚約者にって、また申し込んできたらどうなる? 人間の数より牛と羊の数のほうが多いようなルヴェロナ王国が断れると思う?」
「そ、それは……」
お兄様の言うことはもっともだ。
小国は大国に振り回される運命にある。ルヴェロナ王国はバルレリア王国と過去に姻戚関係があり、それを理由になんとか他国から侵略されずに済んでいるのだ。
「たまたま、ルヴェロナ王国の王女に美人がいて、先々代よりももうひとつ前の代にバルレリア王の妃になったから、今も親戚扱いしてもらえているけど……いや、遠い親戚か」
私に美人な王女の面影がないのが悲しい。
そもそも今のバルレリア王の曾祖父の前の時代。
遠い親戚というか、もう他人と言っても差し支えない気がする。
ちなみに私もお兄様もそこそこ可愛いくらいで、絶世の美女にはほど遠い。
その美人な王妃の血のおかげかどうか知らないけど、バルレリア王国のほうは美形揃いだから、なんだか複雑な気持ちだ。
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「そうね」
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でも、変えると言っても具体的にどうすればいいのだろうか。なにも思いつかない。
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「そうね」
「だから、そのために前回とまったく違うイレギュラーな行動が必要だ」
「まったく違うこと? 私だったら、クラウディオ様の婚約者にならないよう避ければいいってことかしら?」
「それだけじゃ生ぬるい。つまり、僕という人間、ヴィルフレードだけど、ヴィルフレードじゃなくなればいいってことだよ」
「そんなことできるわけないわ」
ため息をつく私に対して、お兄様は違っていた。
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