37 / 39
37 恋はここまで【梶井】
しおりを挟む
野外ステージでプレリュードを披露し、恩師と語らった後、別れを告げた。
その時には大騒ぎしていたあの生意気な奴らはいなくなっていた。
「最後のお願いだったんだけどな……」
あっさり断られてしまった。
彼女が俺を選ばないことはわかっていた。
ライトアップされた公園は後片付けが終わって誰もいない。
今は暗い。
煙草の火だけが暗闇の中ぼんやりと灯っていた。
東屋のベンチに腰かけて、星の見えない空を見上げていた。
じゃりっと小石を踏む音に気づき、目を向けるとそこにはグレーのスーツにひっつめ髪の渡瀬がいた。
「王子にお姫様を奪われてしまいましたね」
「……渡瀬」
なんて顔してるんだ。
それは今までで一番感情をむき出しにした顔だった。
あのビジネスライクな渡瀬が―――
「恥ずかしい真似をしないでください!」
初めて渡瀬が俺を本気で怒鳴りつけた。
腹の底から怒っている。
それも感情を露わにして拳を握りしめていた。
拳で殴る気かよ。
さすがに俺は避けるぞ。
今まで女に平手で殴られたことはあっても拳はない。
「それは否定しない。ものの見事にフラれたからな」
「とぼけないでください」
―――バレてたか。
俺はくすりと笑った。
「あなたは世界的なチェリストなんですよ!舞台で共演者を動揺させて演奏を乱すのは三流のやることです!」
「お前の言葉は殴られるより効くな」
「そんな泣きそうな顔をするくらいなら、正々堂々真っ向から勝負するべきでした。深月さんは少なくとも彼女のために必死に弾いていましたよ」
わかっている。
不得意な曲調であるにも関わらず食らいついてきた。
それで俺は理解した。
想いの強さは向こうが上だということを。
こっちはなりふり構わず、あんな必死になれる年齢じゃない。
そう思った時点で俺は負けていた。
体裁も常識も捨てられるくらい俺も必死にならないと手に入らなかったのだと。
彼女の前で、いつも俺はかっこいい初恋の人を演じていた。
それを演じきった。
お願いの時ですら、情けなくすがることはできなかった。
「悪かった」
謝ったせいか、渡瀬の険しい表情が少しだけやわらいだ。
「二度とあんな真似をしないでください」
渡瀬はバシッと俺の顔に封筒を叩きつけた。
傷心の俺にも容赦がない。
優しくされるよりはいいか……
自嘲気味に笑った俺に対して渡瀬は厳しい口調で言った。
「この仕事を断ることは許しません。社長から絶対に引き受けさせるようにときつく言われています」
落ちた封筒を拾い上げ、砂を手ではらう。
受けるかどうしようか迷っていた仕事だ。
海外のオーケストラの首席チェリストとして呼ばれている。
俺の尊敬するチェリストから首席チェリストとしてやらないかと誘われていた。
こんな名誉なことはない。
やりたいと思った。
けれど、俺は一度は断った。
そして、返事も送ってない。
奏花ちゃんにはもう行くことが決まったかのように言ったが、あれは嘘だ。
まだ迷っていた。
受ける返事を書いたはいいけれど、送れずにいた。
「引き受ける」
―――もう迷う理由はない。
「当たり前です」
渡瀬はきっぱりと言い切った。
「あなたは梶井理滉なんですから。若者と一緒になって遊ぶのはここまでにしてください」
『恋はここまで』
そう渡瀬に言われたような気がした。
「そうだな」
「泣くなら泣いていいですよ。笑ってあげますから」
「そんなこと言われて泣けるかっ!」
「私、男の泣く顔を見るのが好きなんですよ」
「嫌な嗜好だな」
「自分でもそう思います」
母が死んで以来、初めて泣いた。
声もなく―――ただ静かに涙がこぼれて落ちた。
男の涙が好きだという渡瀬が抱きしめてくれた。
こいつがこんな真似できるとは思っていなかったから、正直驚いた。
でも、今は助かる。
誰にも泣いていることを見られたくはない。
知られたくもない。
「勘違いしないでください。甘やかすのは今だけですからね」
「ああ……」
こいつの香りは甘くない。
緑と水の香りか―――その甘くない香りが俺の頭を明瞭にさせた。
これから進むべき道も。
小さな彼女と出会ったこの東屋の中で決断する。
彼女の幸せのために去ることを。
その時には大騒ぎしていたあの生意気な奴らはいなくなっていた。
「最後のお願いだったんだけどな……」
あっさり断られてしまった。
彼女が俺を選ばないことはわかっていた。
ライトアップされた公園は後片付けが終わって誰もいない。
今は暗い。
煙草の火だけが暗闇の中ぼんやりと灯っていた。
東屋のベンチに腰かけて、星の見えない空を見上げていた。
じゃりっと小石を踏む音に気づき、目を向けるとそこにはグレーのスーツにひっつめ髪の渡瀬がいた。
「王子にお姫様を奪われてしまいましたね」
「……渡瀬」
なんて顔してるんだ。
それは今までで一番感情をむき出しにした顔だった。
あのビジネスライクな渡瀬が―――
「恥ずかしい真似をしないでください!」
初めて渡瀬が俺を本気で怒鳴りつけた。
腹の底から怒っている。
それも感情を露わにして拳を握りしめていた。
拳で殴る気かよ。
さすがに俺は避けるぞ。
今まで女に平手で殴られたことはあっても拳はない。
「それは否定しない。ものの見事にフラれたからな」
「とぼけないでください」
―――バレてたか。
俺はくすりと笑った。
「あなたは世界的なチェリストなんですよ!舞台で共演者を動揺させて演奏を乱すのは三流のやることです!」
「お前の言葉は殴られるより効くな」
「そんな泣きそうな顔をするくらいなら、正々堂々真っ向から勝負するべきでした。深月さんは少なくとも彼女のために必死に弾いていましたよ」
わかっている。
不得意な曲調であるにも関わらず食らいついてきた。
それで俺は理解した。
想いの強さは向こうが上だということを。
こっちはなりふり構わず、あんな必死になれる年齢じゃない。
そう思った時点で俺は負けていた。
体裁も常識も捨てられるくらい俺も必死にならないと手に入らなかったのだと。
彼女の前で、いつも俺はかっこいい初恋の人を演じていた。
それを演じきった。
お願いの時ですら、情けなくすがることはできなかった。
「悪かった」
謝ったせいか、渡瀬の険しい表情が少しだけやわらいだ。
「二度とあんな真似をしないでください」
渡瀬はバシッと俺の顔に封筒を叩きつけた。
傷心の俺にも容赦がない。
優しくされるよりはいいか……
自嘲気味に笑った俺に対して渡瀬は厳しい口調で言った。
「この仕事を断ることは許しません。社長から絶対に引き受けさせるようにときつく言われています」
落ちた封筒を拾い上げ、砂を手ではらう。
受けるかどうしようか迷っていた仕事だ。
海外のオーケストラの首席チェリストとして呼ばれている。
俺の尊敬するチェリストから首席チェリストとしてやらないかと誘われていた。
こんな名誉なことはない。
やりたいと思った。
けれど、俺は一度は断った。
そして、返事も送ってない。
奏花ちゃんにはもう行くことが決まったかのように言ったが、あれは嘘だ。
まだ迷っていた。
受ける返事を書いたはいいけれど、送れずにいた。
「引き受ける」
―――もう迷う理由はない。
「当たり前です」
渡瀬はきっぱりと言い切った。
「あなたは梶井理滉なんですから。若者と一緒になって遊ぶのはここまでにしてください」
『恋はここまで』
そう渡瀬に言われたような気がした。
「そうだな」
「泣くなら泣いていいですよ。笑ってあげますから」
「そんなこと言われて泣けるかっ!」
「私、男の泣く顔を見るのが好きなんですよ」
「嫌な嗜好だな」
「自分でもそう思います」
母が死んで以来、初めて泣いた。
声もなく―――ただ静かに涙がこぼれて落ちた。
男の涙が好きだという渡瀬が抱きしめてくれた。
こいつがこんな真似できるとは思っていなかったから、正直驚いた。
でも、今は助かる。
誰にも泣いていることを見られたくはない。
知られたくもない。
「勘違いしないでください。甘やかすのは今だけですからね」
「ああ……」
こいつの香りは甘くない。
緑と水の香りか―――その甘くない香りが俺の頭を明瞭にさせた。
これから進むべき道も。
小さな彼女と出会ったこの東屋の中で決断する。
彼女の幸せのために去ることを。
2
お気に入りに追加
1,421
あなたにおすすめの小説
【R18】国王陛下はずっとご執心です〜我慢して何も得られないのなら、どんな手を使ってでも愛する人を手に入れよう〜
まさかの
恋愛
濃厚な甘々えっちシーンばかりですので閲覧注意してください!
題名の☆マークがえっちシーンありです。
王位を内乱勝ち取った国王ジルダールは護衛騎士のクラリスのことを愛していた。
しかし彼女はその気持ちに気付きながらも、自分にはその資格が無いとジルダールの愛を拒み続ける。
肌を重ねても去ってしまう彼女の居ない日々を過ごしていたが、実の兄のクーデターによって命の危険に晒される。
彼はやっと理解した。
我慢した先に何もないことを。
ジルダールは彼女の愛を手に入れるために我慢しないことにした。
小説家になろう、アルファポリスで投稿しています。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
婚約破棄を突きつけに行ったら犬猿の仲の婚約者が私でオナニーしてた
Adria
恋愛
最近喧嘩ばかりな婚約者が、高級ホテルの入り口で見知らぬ女性と楽しそうに話して中に入っていった。それを見た私は彼との婚約を破棄して別れることを決意し、彼の家に乗り込む。でもそこで見たのは、切なそうに私の名前を呼びながらオナニーしている彼だった。
イラスト:樹史桜様
溺愛ダーリンと逆シークレットベビー
葉月とに
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。
立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。
優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?
【完結】やさしい嘘のその先に
鷹槻れん
恋愛
妊娠初期でつわり真っ只中の永田美千花(ながたみちか・24歳)は、街で偶然夫の律顕(りつあき・28歳)が、会社の元先輩で律顕の同期の女性・西園稀更(にしぞのきさら・28歳)と仲睦まじくデートしている姿を見かけてしまい。
妊娠してから律顕に冷たくあたっていた自覚があった美千花は、自分に優しく接してくれる律顕に真相を問う事ができなくて、一人悶々と悩みを抱えてしまう。
※30,000字程度で完結します。
(執筆期間:2022/05/03〜05/24)
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
2022/05/30、エタニティブックスにて一位、本当に有難うございます!
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
---------------------
○表紙絵は市瀬雪さまに依頼しました。
(作品シェア以外での無断転載など固くお断りします)
○雪さま
(Twitter)https://twitter.com/yukiyukisnow7?s=21
(pixiv)https://www.pixiv.net/users/2362274
---------------------
セカンドラブ ー30歳目前に初めての彼が7年ぶりに現れてあの時よりちゃんと抱いてやるって⁉ 【完結】
remo
恋愛
橘 あおい、30歳目前。
干からびた生活が長すぎて、化石になりそう。このまま一生1人で生きていくのかな。
と思っていたら、
初めての相手に再会した。
柚木 紘弥。
忘れられない、初めての1度だけの彼。
【完結】ありがとうございました‼
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる