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11 Lorelei

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 コーヒーを配り終え、今日のスケジュールを確認した。
 今日は店舗チェックに行く日で、ファッションビルにある『Fillフィル』の店舗へ顔を出す予定になっていた。
 お客様の様子をうかがうのはもちろん、店員さんたちから反応を聞いたり、売れ行きをチェックする仕事だ。
 自分がデザインした服が売れていると、すごく嬉しい。
 今のところ、私がデザインした服は一着だけ。
 四月から本格的に働きだした私だけど、以前から学校に通いながら、この事務所でバイトをし、勉強させてもらっていた。
 事務所の立ち上げから、とんとん拍子の『Fillフィル』は、人手が足りない。
 いいことだけど、とても忙しい。
 でも、無名で卒業したばかりの私が、デザインしたものを形にできるのは、ここしかない。
 一着だけでも形になった時は達成感があった。

 ――来年、紡生さんたちが褒めてくれたデザイン画を形にしたい。

 来年の今ごろ、私はきっと結婚しているはずなのに、結婚話が白紙にならないか、期待している自分がいた。

 ――無理だってわかってる。自分の夢は諦めたくないけど、千歳ちとせの命には変えられない。

 どうして、父は自分の娘である私たちを利用することしか考えてないのか……
 自由に生きれない私と好きなように生きてる父。

 ――お母さんが生きてたら、違ってたのかな。

 憂鬱な気持ちで傘をさし、雨の中、事務所を出る。
 地下鉄に乗り、地上に出ると、灰色の空の隙間に青空が見え、雨があがっていた

「せめて結婚してからも仕事を続けられたらいいのに……」

 ため息をつき、必要なくなった折りたたみ傘をバッグにしまう。
 帰ってきた私を待っていた現実は苦しいものだった。
 INUIグループの乾井いぬい啓雅けいがさんとの結婚話はなくならないだろう。
 お見合いの席で見た力関係を考えたら、こちらから断るのは難しい。
 事務所のみんなには、お見合いがあることを言えなかった。

 ――言えないわ。自分が父親から道具みたいに使われて、継母から嫌われてるなんて。

 どう考えても重すぎる。
 そんなふうに扱われてる自分が恥ずかしくて、悲しくて、苦しい――
 でも、酔っていたからか、リセにだけは言ってしまった。

 ――私、どうしてリセには言えたんだろう。

 交差点にさしかかり、赤信号で足を止めた。
 巨大なスクリーンにアーティストのMVが流れ、顔をあげた。
 それは私だけじゃなく、他の人も顔をあげて眺めていた。

「ローレライ……」

 スクリーンに映ったのは、モデルのローレライだった。
 一瞬で目を引くカリスマ性と圧倒的な美しさ。
 ブランド『Loreleiローレライ』のドレスを着た謎の美少女ローレライの姿は、ただただ美しい。
 歌を歌っているのは別のアーティストだけど、水を表現したドレスと木々の中にいるローレライはまるで妖精のようだった。
 女子高校生たちは、憧れの目でローレライを見つめる。

「ローレライって、人間じゃないみたい」
「作り物みたいに綺麗よね」
「ほとんど口をきかないらしいわよ」
「インタビューもテレビもNGなんでしょ」

 みんな、同じ印象を持つ。
 それは、デザイナー麻王悠世が作り上げた彼女のイメージである。
 わかっているけど、精巧に作られた人形のような美しいローレライから、目が離せない。

 ――麻王悠世はデザイナーとしてだけじゃなく、経営者としても間違いなく一流。

 巨大なスクリーンは、私の遥か上、頭上より高い場所にあった。

 ――あそこを目指すには、今の私には高すぎるよ。リセ。

 スクリーンを見上げる私の前髪を初夏の風がなでていった。
 信号が青に変わり、足を進めた。
 優しいリセが、夢を夢で終わらせないために、私にくれたチャンスオーフレッシュの香水。
 香水の香りが、私とリセの出会いを夢だったことにさせない。

 ――二度と会えないってわかっていても、私に希望をくれた。

 一生の思い出とともに。
 人の流れにのってファッションビルへ入っていくと、入口正面には『Loreleiローレライ』の服を着たマネキンがあった。
 雨の日を楽しもうというタイトルと一緒に、素敵なミモレ丈のワンピースが飾られている。
 ドット柄のフレンチスリーブのタイトワンピース。
 まるで、フランス映画に出てきそうなワンピースで、ウエストに黒のリボンがついている。
 素敵だなぁと思って見ていると、私と同じようにワンピースを眺めている女の子たちがいた。

「お父様におねだりして、『Loreleiローレライ』が出した夏の新作を買ったのよ」
「雑誌に載っていた服かしら?」
「そうよ」

 お嬢様学校で有名なエスカレーター式の学校の制服を着ていた。

「このワンピース、素敵ね。夏休みの旅行に着たいわ」
「ええ。避暑地にぴったり」

 はしゃぐ女子高校生の声を聞き、それからエスカレーターに乗り、三階へ向かった。

 ――避暑地で着る服って?

 海外リゾートに行ったことがない私が、そこで素敵に過ごす服なんて、想像できるわけがなかった。
Loreleiローレライ』のデザイナー麻王あさお悠世ゆうせい麻王あさおグループの御曹司である。
 お金持ちな上に成功者。
 そんな彼だからこそ、作れるのだ。
 そして、自分の洋服が、どの層に求められているのか、わかっている。

 ――そんな『Loreleiローレライ』と私が並べと言われても、どうしたらいいかわからない。

 三階フロアに行くと、人が集まっているのが見えた。
 ざわざわとしていて騒がしい。

「すっごいイケメンよね」
「貴公子って言葉がぴったりよ」
「わかる~。テレビでも見たことあるけど、生のほうが断然かっこよくない?」

 芸能人が来ているのか、人が集まっている。

 ――もしかして、リセ?

 人の頭で、誰がいるのか見えないけど、この先には『Fillフィル』の店舗がある。
 なんとか、店舗前に行こうとしても、女性の壁が厚すぎる。

 ――いったいどんなイケメンなのよ!?

 人の隙間から、やっと見えたその人は――

麻王あさお悠世ゆうせい!? どうして、彼が?」

 テレビと雑誌で見たことがあるくらいだけど、すぐにわかった。
 なぜか彼は『Fillフィル』の店舗前にいる。
 見間違いだと思いたいけど、あんなイケメンがこの世に何人もいるわけがない。
 『貴公子』呼びにふさわしく、彼は梅雨の季節にもかかわらず、サラサラの髪をし、汗ひとつかかないような別次元の雰囲気を漂わせていた。
 シワひとつないシャツ、イギリス式のオーダーメイドスーツ、革靴も見るからに立派。
 なにもかもが一流。
 一目見ただけで、いい生地を使っているのだとわかる。

「君がここの店舗の責任者?」
「あ、あの……その……」

Fillフィル』の店舗スタッフが、話しかけられ、どうしていいかわからず、赤い顔でうつむいているのが見えた。

「すみません! 通してください!」

 人混みに向かって声をかけ、なんとか通してもらい店舗前までやってこれた。

「あっ! 琉永るなさーん!」

 店舗スタッフは天の助けがやってきたとばかりに、私を見つけると、ダッと駆け寄ってきた。

「詳しいことは琉永さんに聞いてください。『Fillフィル』のデザイナーですから!」

 そう言うと、販売スタッフはサッと私の後ろに隠れた。

「私だけ!?」
「相手はデザイナーさんですよ。それも世界的に有名な『Loreleiローレライ』のデザイナー。私がなにを話すっていうんですか」

 私を温度のない目で、麻王あさお悠世ゆうせいは見つめていた。
 その目は値踏みではなく、彼は私が何者なのか、分析しているようだった。

「へぇ、君。『Fillフィル』のデザイナーなんだ?」
「そうです。なにかご用ですか?」
「用ってほどでもないんだけど、椛本かばもと紡生つむぎ埴田はにだ恩未めぐみのブランドが、どんなふうに成長しているのか、見に来ただけだよ」

 店舗内をぐるりと見回し、目を細め、口元に嘲笑を浮かべた。

「『Loreleiローレライ』にくれば、もっといい服を作れたのに、彼女たちは独立が早すぎた。残念だよ」

 店頭にあった新作のトレーナーを眺め、感想を述べた。

「紡生さんのデザインは、じゅうぶん素敵です。このトレーナーだって、肌触りがいいように考えられていて、動きやすくて余裕のあるサイズ感にしているんです」

 それなのにだらしなく見えない。
 そのギリギリのラインでデザインしてあるのだ。

「ああ、気に障ったなら悪かった。そうじゃない。『Loreleiローレライ』で働いていれば、彼女たちはもっと上にいけたってこと。それなのに、これで満足しているのかと思うと、残念だっていう意味だよ」

 なにも言い返せなかった。
 私はこれでベストだと思っているのに彼は違っていた。

「このままだと成長できず、ただのカジュアルブランドとして終わる。そう、俺が言ってたって、伝えておいてくれるかな。『Fillフィル』のトップデザイナーにね」
「……はい」

 私はトップデザイナーではないと見抜かれている。
 どれだけ、彼は情報を持っているのか、私になにも聞かなかった。
 本当に『Fillフィル』の成長を見るためだめに、やってきたのだ。

「いい子だなぁ。素直な子は好きだよ。じゃあね」

 そう言って麻生悠世は、私の横をスッと通りすぎていった。
 圧倒的な存在感と余裕を感じる。

 ――彼は王様で、私はそれを眺めるだけの脇役。

 舞台にすら上がらせてもらえず、完全に敗北した私は、その姿を追うことができずに、うつむき、ぎゅっと拳を握りしめた。

「遅かったな。理世りせ
「悠世。俺に任せないで、『Loreleiローレライ』の売り上げくらい自分で確認しろよ」
「兄さんだろ? まったく年々、生意気になる。売り上げなんか見なくてもわかる」
「すごい自信だな。まあ、夏服の売り上げは好調だったし、常連客の反応も悪くなかった」
「当たり前だ」

 私の背後で、弟と会話している声が聞こえた。
 人のざわめきが大きくて、よく聞き取れなかった。
 でも、後ろを振り向いて、再び彼を見る勇気がない。
 私はなにも言い返せないまま、ただ返事をするだけで精一杯だった。
 それが悔しい。
 もっと私に知識があって、ちゃんと受け答えできたら、彼と対等に話せたはず。

 ――リセ、私は『Loreleiローレライ』の麻王悠世と肩を並べられるようなデザイナーになれるの?

 自分に自信がない私は、その場から一歩も動けなくなり、足元を見つめた。

『これで満足しているのかと思うと、残念だっていう意味だよ』

 その言葉を理解できなかった。
 きっと紡生さんなら、彼が言っていた言葉の意味がわかったに違いない。

 ――私と違う世界にいる人たち。

 上を見ることすら、できないくらい私は打ちのめされていたのだった。
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