15 / 20
15 誓いの夜
しおりを挟む
会社近くにある高級マンションに着くと、瑞生さんは暗証番号をいれて自動ドアを開いた。
セキュリティは厳重で、監視カメラが至るところに設置され、エレベーターを使用するにも部屋のカードキーが必要らしい。
靴がないので、私を抱きかかえたまま、マンションに入り、私の姿を見たコンシェルジュの人が驚いていた。
「なにか履くものを」
瑞生さんの声に、ハッと我に返ったコンシェルジュが、一度引っ込み、すぐに戻ってきた。
「こちらをどうぞ」
「す、すみません」
スリッパを出してくれて、それを履く。
そのスリッパもホテルで使用するようなもので、履き心地は悪くない。
――使い捨てスリッパさえ、高級品ですか?
八木沢さんはコンシェルジュの人に事情を説明している。
私が二人に誘拐されてきたようにしか見えなかったから、確かに説明はいると思う。
「このマンションは宮ノ入で働く親戚も住んでいるが、気がねすることはない。会っても適当に挨拶しておけばいいからな」
「は、はい」
「まあ、社宅だ。本社近くに別宅があると便利だからな」
つまり、本宅も別に持っているってことですか……
さすが、巨大財閥宮ノ入グループ。
規模が違い過ぎて、それ以上、深く尋ねる気になれなかった。
「部屋に飲み物と食べ物を頼む」
「かしこまりました」
エントランスのフロントにいるコンシェルジュに頼めば、全部用意してくれるらしい。
エレベーターは最上階まで止まることなく、一気に昇ると扉が開き、広いフロアに出た。
そこはソファーやテーブルが置かれ、共用のスペースになっていた。
高そうな絵画や壺、花が飾られ、フロアに入ったなり、良い香りが漂っている。
部屋はそれも二つのみ。
以前、雑誌で見た高級ホテルのペントハウス風の雰囲気がある。
廊下の大きな窓から見える夜景が、とても綺麗だった。
「贅沢ですね」
「それだけ、稼いでいますから。会長は郊外の本邸に住んでいるので、本当に居心地がいいですね。空気もすがすがしい」
八木沢さんにとって、祖父にあたる宮ノ入会長。
一度もいいふうに言ったのを聞いたことがなく、どうやら二人は犬猿の仲らしい。
「こんなすごい場所に、私が来るとは思っていませんでした。こんな眺めも初めてで……」
「いや、今日からここに住むんだからな?」
わかっているよなと、不安そうに瑞生さんは言った。
つい数十分前まで、お風呂もない壊れかけた木造のアパートにいた私にとって、今の現実がなかなか受け入れられなかった。
――しかも、住むなんて夢以上の夢。
「美桜。気を付けろよ。隣の部屋には直真がいる。俺がいない時は絶対に開けるな」
「瑞生様……。自分への信用がないようですが」
「前科持ちは黙ってろ」
瑞生さんの低い声に、八木沢さんは悲しい顔をした。
八木沢さんにあんな顔させることができるのは、瑞生さんだけだと思う。
鍵を開けて、部屋の中に入る。
部屋の中は入るとすっきりしていて、必要な物だけ置いてあるという感じで、趣味とか好きなものなどは、パッと見ただけではわからない。
柄もなにもないシンプルな部屋には、白の螺旋階段があり、上はロフトになっている。
そこは瑞生さんの書斎なのか、外国語の本が置いてあった。
散らかっているのは、そこくらいで、後は使用していないのと同じ状態だ。
「美桜さんの部屋はこちらですよ。衣類と日用品はすべて入っていますから、お好きに使ってください」
「よくサイズがわかりましたね……」
下着まで顔色ひとつ変えずに、淡々と揃えたのかと思うと、八木沢さんはやっぱり恐ろしい人だ。
八木沢さんは笑いながら得意気な顔をした。
「ああ、それは……」
「それは、なんだ?」
「いえ! なんでもありません」
八木沢さんは瑞生さんに嫌われる前に退散しようと、これでお役御免とばかりに一礼した。
「では、自分はこれで。瑞生様。明日からのスケジュールに、変更が必要であれば、ご連絡ください」
「ああ」
あのヤクザのようだった八木沢さんの本性は、鳴りを潜め、まったくの別人のよう。
今は有能な秘書という雰囲気だった。
八木沢さんが去ってから、すぐに部屋に食事と飲み物が届けられた。
水やお茶、ジュースなどの種類豊富な飲み物。
食事はローストビーフがメインで、添えにはソテーしたポテトとアスパラガス。サラダはスモークサーモンとチーズ。
カニのクリームパスタは、本物のカニの濃厚な味がした。
デザートは豪華に盛られたカットフルーツ――量の多さに目眩がした。
「ま、待ってください。こんなに食べられないです」
「食べられる分だけ食べればいいだろ?」
その言葉に震え、どこぞの王侯貴族ですかと言いたくなったけど、これが、瑞生さんの当たり前。
私と感覚が違いすぎる。
「明日から自炊します。絶対に!」
「自炊? 美桜もマンションのサービスを使えばいいだろ」
「サービス?」
私にサービスのリストを見せてくれた。
出張料理サービス、クリーニング、ルームクリーンサービス、リネン交換。
生活に必要な家事全般を完璧にフォローしたサービスの数々に、言葉を失った。
これがお金持ちの生活……
冷めた目で瑞生さんを眺めてしまった。
「どうかしたか?」
リストをぱたんと閉じて、私は言った。
「最低限の家事は、私がします」
「なぜ?」
「瑞生さん。こういう価値観の違いから、気持ちのすれ違いって始まるんですよね」
「すれ違い!? く……。わかった。ただし、買い物に行く時はボディガードをつける」
渋々、瑞生さんは譲歩して、うなずいた。
「料理はとても美味しいですけど、毎日食べていたら、特別な気持ちが薄れるでしょう?」
「そうか?」
「そうですよ」
「おにぎりは飽きなかったけどな。いつも特別だった」
ごちそうと比べられて、恥ずかしくなった。
私のおにぎりは、いつも適当でありあわせのものだった。
でも、瑞生さんはそれを特別だったという。
「……瑞生さんのそういうところが、危険なんですよ」
「危険!? 今の俺のどこが危険だったんだ!?」
「そういう自覚してないところです」
私にだけ見せている顔なのか、瑞生さんは時々とても素直で、私の心を一瞬で全部奪っていく。
不思議そうな顔で、首をかしげていたけれど、無自覚なら、よけいに危険だ。
自覚してしまったら、私はいつも瑞生さんに逆らえずに負けてしまう。
だから、どうか私の心に余裕を残して――赤い顔をした私が、ワイングラスの水に映っていた。
◇◇◇◇◇
私と瑞生さんの部屋は別々で、瑞生さんは今から仕事らしい。
プライベートな時間は、本当に少ないのだと実感した。
ブルーライトカットの眼鏡をかけたレアな姿で、ルームウェアなのにだらしなく見えない。
白いTシャツの上に、セットアップの紺色のシャツを羽織り、同色のボトムス。
パソコンを前にして、リビングのテーブルで難しい顔をしているけれど、つい魅入ってしまう。
「おやすみ」
私の視線に気づいた瑞生さんが微笑む。
「お、おやすみなさい……」
声が上ずってしまったかもしれない。
恥ずかしくて、慌てて自分の部屋へ入った。
ふかふかのベッドに横になってみたけれど、高級感がありすぎて落ち着かない。
――違う。落ち着かないのは、瑞生さんが近い場所にいるから。
これは夢で、一度眠ってしまったら、二度とこんな素敵な夢を見れないかも。
そう思うと、よけい眠れなかった。
「ちょっと落ち着くのに、水でも飲もう……」
起きて部屋を出て、リビングを通る。
リビングには瑞生さんがいて、ソファーで眠ってしまっていた。
久しぶりの寝顔に笑みがこぼれた。
「瑞生さん? 風邪をひきますよ?」
瑞生さんの顔を覗き込み、そっと髪を撫でる。
人を圧倒するオーラを持っているのに、眠っている時は可愛らしくて無害に見える。
それが不思議だった。
桜の木の下で見た寝顔。
すべて、あの時から、始まっていたのかもしれない。
生まれて初めて、私は恋をした――
「寝込みを襲うなよ」
私の指を捕まえ、瑞生さんが笑った。
「タヌキ寝入りですか?」
「眠ってた。でも、気配で気づいた」
「目を閉じていても、美桜は気配でわかる」
私たちの間に流れる空気は、いつも静かで穏やかだった。
でも、今は少し違っていた。
私の指に自分の指を絡め、瑞生さんが視線を落とす。
「美桜の指は細いな」
「瑞生さんの手は大きいですね」
黙って目を閉じ、お互いの気配を追う。
重なる唇と肌に触れる髪の感触に、瑞生さんの存在がここだと教えてくれる。
「美桜」
「はい」
「怖い思いをさせて悪かった」
私を抱きしめ、髪に顔を埋める。
怖い思いをしたのは、私だけではない気がした。
弱みを他人に悟られないよう教育されてきた瑞生さんは、私の前だけは素直で、無邪気で、人間らしい熱を感じる。
「瑞生さん。助けてくれてありがとうございます。今まで、誰もあの家から、私を助けることはできませんでした」
なにもかも諦めて生きてきた私を強い力でさらえたのは、あなただけ。
あげられるものは、なにもないと思っていた。
でも、ひとつだけある。
『自分を差し出せばいい』
八木沢さんの声が聞こえたような気がした。
瑞生さんの不安を消すために、私からキスをする。
唇を離すと、目を細めて、瑞生さんは嬉しそうに笑っていた。
そして、次は瑞生さんから、キスをする。
今までの優しいキスではなく、激しく食らうようなキス。
「俺から余裕を奪うなよ」
「瑞生さんこそ……ん……!?」
言葉を言う前に、唇を重ねられ、床の上にもつれて倒れた。
まるで、大型の獣に食われているような体勢。品のいい獣が、私のパジャマのボタンを外し、喉元に唇をあてる。
ネックレスのチェーンを指で持ち上げ、瑞生さんは私を見つめた。
「指輪だけは……ずっと身に付けていたから、取り上げられずに済んだんです」
「そうか」
低い声が耳のすぐそばで聞こえ、ぞくりと体が震えた。
喜びから、私に危害を加えた人間への怒りの色をにじませた声。怖いはずの低い声が、私を誘ってくる。
「た、瑞生さん……。あのっ……わ、私……初めてで……その……」
「手加減はする」
――今までのキスは手加減していたんですか?
そう尋ねる前に唇を塞がれた。
深く食らいつかれて、奥まで味わうように舌が中をなぞる。
シャツを握りしめ、その激しさを受け止めた。
「ふっ……あ……」
息を乱し、涙目になって喘ぐ私を、瑞生さんは極上の獲物を捕らえたかのように抱きしめる。
軽々と私の体を抱きかかえ、自分の寝室へ連れていくと、ベッドの上へ横たわらせる。
冷たい床より、瑞生さんの香りがするベッドのほうが、背中も痛くないし、心地よい。
二人の体が重なり合い、白いシーツの中へ沈む。
すべて私の体が、瑞生さんに包まれている安心感。
腕を伸ばし、瑞生さんを抱きしめた。
「美桜……。愛してる」
切なげな表情で、私の体に何度もキスを落とす。
その何度目かのキスの途中で、私の耳元で囁いた。
「奪われた時、全部壊してやろうかと思った」
「こ、わす……」
熱い息が耳にかかり、大きな手は、ゆっくり私の胸を撫でる。
「ん……あ……」
思考は甘く蕩け、手に意識が向いてしまう。
「そう。全部」
残酷なはずの言葉を口にして、私の耳朶を甘く噛む。
舌が耳の形をなぞり、じわじわ追い詰めて、感度をあげていく。
一瞬で仕留めず、少しずつ――
「瑞生さん……、壊しちゃ……駄目ですよ?」
強い力に流されてしまわないよう必死に言って、彼の頬を両手で包み込む。
瑞生さんは感情を表に出さないよう教育されたからか、弱みをみせない。
でも、心の中には激情が潜んでいる。
「美桜が俺を感情的にさせる」
頬に触れた手を取り、その手のひらにもキスをする。
「今も」
「えっ……? い、今?」
自分がなにをしたか、わからない。
唇を塞ぎ、角度を変えて何度も激しいキスをされる。
翻弄されているうちに、私の服ははぎとられ、夜の闇に肌を晒した。
白い肌の上に、瑞生さんは唇を滑らせ、自分の印を刻みつけていく。
肌の濡れた感触が、甘く私を苛んだ。
ただ触れられているだけなのに、自分の感度が、少しずつ変化して、舌と指から与えられる快楽に、ずるずると堕ちていく。
「あっ……んんっ……」
声が甘いものへ変わると、指はゆるゆると腹部から下へ移動し、敏感な部分をなぞる。
初めて触れられる場所に、びくりと体を震わせ、身を強張らせた。
「瑞生さっ……ん……」
私の恐怖を奪うように、唇を重ねて、頭の奥を痺れさせる。
「ん……ふぁ……」
快楽を引きずり出す指の動きに、耐え切れず、淫らな嬌声を上げた。
繰り返し感じる部分をなぞり、滴る蜜を指に絡める。
こぼれた蜜を掬い取り、蕩けた中を浅くえぐる。
それだけで、無知な私の頭も体も、高められた熱に浮かされ、甘い愛撫に溺れてしまう。
「だ……めっ……もう……」
首を横に振り、必死に瑞生さんの逞しい体にしがみつく。
指が動くたび、淫らな水音を鳴らし、指をくわえて離さない。
自分の体なのに、自分じゃないような感覚。胎内がじくじくと疼き、浅い部分だけでは、物足りないと訴えている。
「美桜。駄目じゃないだろう?」
「あ……ん……」
狂おしい快楽から救ってほしくて、瑞生さんの言葉に小さくうなずいた。
――全部、壊して。
ぐっと指が奥まで込められた瞬間、体が大きく仰け反った。
「あっ……ああっ……!」
目の前がちかちかして、体から力が抜けていく。
初めての経験に、頭がついていかない。
舌先がちろりと肌を舐め、ひくっと体が反応する。
たったそれだけなのに、私の感度は最大にまで高められ、少しでも触れられたなら、それは快楽に変換されてしまう。
「あ……う……」
力の抜けた体を抱え、瑞生さんは私の手に自分の手を重ねた。
「美桜……」
「瑞生さ……ん」
キスをしながら、ゆっくり自分の中へ熱く硬いものが押し進められ、息苦しさを感じた。
「平気か?」
「だい……じょうぶ……です」
息を吐き出し、キスを受け入れる。
そのキスに溺れている間は、なにも考えずに済む。
自分の体がどうなっているのか、わからないくらい熱い。
私が初めてだからか、優しくゆるゆると動き、少しずつ慣らしていく。
「ん……あ、あぁ」
指は同時に外を嬲り、さらに快楽を与えていく。
時間をかけ、奥まで込められた時、私の意識は甘い快楽の中に、ほとんど沈んでいた。
「ふ……あ……ん……」
言葉にならない喘ぎ声を繰り返し、与えられるキスを貪り、どろどろに溶かされていた。
「美桜」
名前を呼ばれ、ハッとした。
苦しそうに顔を歪ませ、汗をにじませているのに、瑞生さんは嬉しそうに笑う。
この行為が、瑞生さんにとって、なにより特別なものであるのかのように。
「一生、大事にする」
それは家族になろうという言葉。
私は泣きながら、瑞生さんに抱きつき、お互いの熱が重なった時、瑞生さんをとどめていた理性は全部消えた。
本当は激しい感情が隠されている。
ガツガツと食らうような腰の動きに、体が揺さぶられ、あまりの激しさに声がかすれた。
奥まで突かれる苦しさに、喘ぎながら、自分を求める貪欲な感情に喜びを覚えた。
「んっ……あっ……も、うっ……」
何度目かの絶頂で、私のギリギリでとどまっていた意識が落ちていく。
それと同時に、中に瑞生さんを感じた。
「もう……むり……です……」
首を横に振り、泣き声をあげた私に、瑞生さんは愛おしげに髪をなでる。
くたりと体をシーツに埋め、力なく目を閉じた。
「悪い。無理させたな」
あたたかい手の感触に眠気が誘われる。
自分の耳元に瑞生さんの息がかかった。
私の目蓋に落とされた優しく甘いキス。
ただのキスではなく、それは重い誓いを含んでいた。
「全て取り返してやろう」
瑞生さんの低い声が聞こえてきたけれど、私は心地よい眠りに落ちて、目を開けることができなかった。
セキュリティは厳重で、監視カメラが至るところに設置され、エレベーターを使用するにも部屋のカードキーが必要らしい。
靴がないので、私を抱きかかえたまま、マンションに入り、私の姿を見たコンシェルジュの人が驚いていた。
「なにか履くものを」
瑞生さんの声に、ハッと我に返ったコンシェルジュが、一度引っ込み、すぐに戻ってきた。
「こちらをどうぞ」
「す、すみません」
スリッパを出してくれて、それを履く。
そのスリッパもホテルで使用するようなもので、履き心地は悪くない。
――使い捨てスリッパさえ、高級品ですか?
八木沢さんはコンシェルジュの人に事情を説明している。
私が二人に誘拐されてきたようにしか見えなかったから、確かに説明はいると思う。
「このマンションは宮ノ入で働く親戚も住んでいるが、気がねすることはない。会っても適当に挨拶しておけばいいからな」
「は、はい」
「まあ、社宅だ。本社近くに別宅があると便利だからな」
つまり、本宅も別に持っているってことですか……
さすが、巨大財閥宮ノ入グループ。
規模が違い過ぎて、それ以上、深く尋ねる気になれなかった。
「部屋に飲み物と食べ物を頼む」
「かしこまりました」
エントランスのフロントにいるコンシェルジュに頼めば、全部用意してくれるらしい。
エレベーターは最上階まで止まることなく、一気に昇ると扉が開き、広いフロアに出た。
そこはソファーやテーブルが置かれ、共用のスペースになっていた。
高そうな絵画や壺、花が飾られ、フロアに入ったなり、良い香りが漂っている。
部屋はそれも二つのみ。
以前、雑誌で見た高級ホテルのペントハウス風の雰囲気がある。
廊下の大きな窓から見える夜景が、とても綺麗だった。
「贅沢ですね」
「それだけ、稼いでいますから。会長は郊外の本邸に住んでいるので、本当に居心地がいいですね。空気もすがすがしい」
八木沢さんにとって、祖父にあたる宮ノ入会長。
一度もいいふうに言ったのを聞いたことがなく、どうやら二人は犬猿の仲らしい。
「こんなすごい場所に、私が来るとは思っていませんでした。こんな眺めも初めてで……」
「いや、今日からここに住むんだからな?」
わかっているよなと、不安そうに瑞生さんは言った。
つい数十分前まで、お風呂もない壊れかけた木造のアパートにいた私にとって、今の現実がなかなか受け入れられなかった。
――しかも、住むなんて夢以上の夢。
「美桜。気を付けろよ。隣の部屋には直真がいる。俺がいない時は絶対に開けるな」
「瑞生様……。自分への信用がないようですが」
「前科持ちは黙ってろ」
瑞生さんの低い声に、八木沢さんは悲しい顔をした。
八木沢さんにあんな顔させることができるのは、瑞生さんだけだと思う。
鍵を開けて、部屋の中に入る。
部屋の中は入るとすっきりしていて、必要な物だけ置いてあるという感じで、趣味とか好きなものなどは、パッと見ただけではわからない。
柄もなにもないシンプルな部屋には、白の螺旋階段があり、上はロフトになっている。
そこは瑞生さんの書斎なのか、外国語の本が置いてあった。
散らかっているのは、そこくらいで、後は使用していないのと同じ状態だ。
「美桜さんの部屋はこちらですよ。衣類と日用品はすべて入っていますから、お好きに使ってください」
「よくサイズがわかりましたね……」
下着まで顔色ひとつ変えずに、淡々と揃えたのかと思うと、八木沢さんはやっぱり恐ろしい人だ。
八木沢さんは笑いながら得意気な顔をした。
「ああ、それは……」
「それは、なんだ?」
「いえ! なんでもありません」
八木沢さんは瑞生さんに嫌われる前に退散しようと、これでお役御免とばかりに一礼した。
「では、自分はこれで。瑞生様。明日からのスケジュールに、変更が必要であれば、ご連絡ください」
「ああ」
あのヤクザのようだった八木沢さんの本性は、鳴りを潜め、まったくの別人のよう。
今は有能な秘書という雰囲気だった。
八木沢さんが去ってから、すぐに部屋に食事と飲み物が届けられた。
水やお茶、ジュースなどの種類豊富な飲み物。
食事はローストビーフがメインで、添えにはソテーしたポテトとアスパラガス。サラダはスモークサーモンとチーズ。
カニのクリームパスタは、本物のカニの濃厚な味がした。
デザートは豪華に盛られたカットフルーツ――量の多さに目眩がした。
「ま、待ってください。こんなに食べられないです」
「食べられる分だけ食べればいいだろ?」
その言葉に震え、どこぞの王侯貴族ですかと言いたくなったけど、これが、瑞生さんの当たり前。
私と感覚が違いすぎる。
「明日から自炊します。絶対に!」
「自炊? 美桜もマンションのサービスを使えばいいだろ」
「サービス?」
私にサービスのリストを見せてくれた。
出張料理サービス、クリーニング、ルームクリーンサービス、リネン交換。
生活に必要な家事全般を完璧にフォローしたサービスの数々に、言葉を失った。
これがお金持ちの生活……
冷めた目で瑞生さんを眺めてしまった。
「どうかしたか?」
リストをぱたんと閉じて、私は言った。
「最低限の家事は、私がします」
「なぜ?」
「瑞生さん。こういう価値観の違いから、気持ちのすれ違いって始まるんですよね」
「すれ違い!? く……。わかった。ただし、買い物に行く時はボディガードをつける」
渋々、瑞生さんは譲歩して、うなずいた。
「料理はとても美味しいですけど、毎日食べていたら、特別な気持ちが薄れるでしょう?」
「そうか?」
「そうですよ」
「おにぎりは飽きなかったけどな。いつも特別だった」
ごちそうと比べられて、恥ずかしくなった。
私のおにぎりは、いつも適当でありあわせのものだった。
でも、瑞生さんはそれを特別だったという。
「……瑞生さんのそういうところが、危険なんですよ」
「危険!? 今の俺のどこが危険だったんだ!?」
「そういう自覚してないところです」
私にだけ見せている顔なのか、瑞生さんは時々とても素直で、私の心を一瞬で全部奪っていく。
不思議そうな顔で、首をかしげていたけれど、無自覚なら、よけいに危険だ。
自覚してしまったら、私はいつも瑞生さんに逆らえずに負けてしまう。
だから、どうか私の心に余裕を残して――赤い顔をした私が、ワイングラスの水に映っていた。
◇◇◇◇◇
私と瑞生さんの部屋は別々で、瑞生さんは今から仕事らしい。
プライベートな時間は、本当に少ないのだと実感した。
ブルーライトカットの眼鏡をかけたレアな姿で、ルームウェアなのにだらしなく見えない。
白いTシャツの上に、セットアップの紺色のシャツを羽織り、同色のボトムス。
パソコンを前にして、リビングのテーブルで難しい顔をしているけれど、つい魅入ってしまう。
「おやすみ」
私の視線に気づいた瑞生さんが微笑む。
「お、おやすみなさい……」
声が上ずってしまったかもしれない。
恥ずかしくて、慌てて自分の部屋へ入った。
ふかふかのベッドに横になってみたけれど、高級感がありすぎて落ち着かない。
――違う。落ち着かないのは、瑞生さんが近い場所にいるから。
これは夢で、一度眠ってしまったら、二度とこんな素敵な夢を見れないかも。
そう思うと、よけい眠れなかった。
「ちょっと落ち着くのに、水でも飲もう……」
起きて部屋を出て、リビングを通る。
リビングには瑞生さんがいて、ソファーで眠ってしまっていた。
久しぶりの寝顔に笑みがこぼれた。
「瑞生さん? 風邪をひきますよ?」
瑞生さんの顔を覗き込み、そっと髪を撫でる。
人を圧倒するオーラを持っているのに、眠っている時は可愛らしくて無害に見える。
それが不思議だった。
桜の木の下で見た寝顔。
すべて、あの時から、始まっていたのかもしれない。
生まれて初めて、私は恋をした――
「寝込みを襲うなよ」
私の指を捕まえ、瑞生さんが笑った。
「タヌキ寝入りですか?」
「眠ってた。でも、気配で気づいた」
「目を閉じていても、美桜は気配でわかる」
私たちの間に流れる空気は、いつも静かで穏やかだった。
でも、今は少し違っていた。
私の指に自分の指を絡め、瑞生さんが視線を落とす。
「美桜の指は細いな」
「瑞生さんの手は大きいですね」
黙って目を閉じ、お互いの気配を追う。
重なる唇と肌に触れる髪の感触に、瑞生さんの存在がここだと教えてくれる。
「美桜」
「はい」
「怖い思いをさせて悪かった」
私を抱きしめ、髪に顔を埋める。
怖い思いをしたのは、私だけではない気がした。
弱みを他人に悟られないよう教育されてきた瑞生さんは、私の前だけは素直で、無邪気で、人間らしい熱を感じる。
「瑞生さん。助けてくれてありがとうございます。今まで、誰もあの家から、私を助けることはできませんでした」
なにもかも諦めて生きてきた私を強い力でさらえたのは、あなただけ。
あげられるものは、なにもないと思っていた。
でも、ひとつだけある。
『自分を差し出せばいい』
八木沢さんの声が聞こえたような気がした。
瑞生さんの不安を消すために、私からキスをする。
唇を離すと、目を細めて、瑞生さんは嬉しそうに笑っていた。
そして、次は瑞生さんから、キスをする。
今までの優しいキスではなく、激しく食らうようなキス。
「俺から余裕を奪うなよ」
「瑞生さんこそ……ん……!?」
言葉を言う前に、唇を重ねられ、床の上にもつれて倒れた。
まるで、大型の獣に食われているような体勢。品のいい獣が、私のパジャマのボタンを外し、喉元に唇をあてる。
ネックレスのチェーンを指で持ち上げ、瑞生さんは私を見つめた。
「指輪だけは……ずっと身に付けていたから、取り上げられずに済んだんです」
「そうか」
低い声が耳のすぐそばで聞こえ、ぞくりと体が震えた。
喜びから、私に危害を加えた人間への怒りの色をにじませた声。怖いはずの低い声が、私を誘ってくる。
「た、瑞生さん……。あのっ……わ、私……初めてで……その……」
「手加減はする」
――今までのキスは手加減していたんですか?
そう尋ねる前に唇を塞がれた。
深く食らいつかれて、奥まで味わうように舌が中をなぞる。
シャツを握りしめ、その激しさを受け止めた。
「ふっ……あ……」
息を乱し、涙目になって喘ぐ私を、瑞生さんは極上の獲物を捕らえたかのように抱きしめる。
軽々と私の体を抱きかかえ、自分の寝室へ連れていくと、ベッドの上へ横たわらせる。
冷たい床より、瑞生さんの香りがするベッドのほうが、背中も痛くないし、心地よい。
二人の体が重なり合い、白いシーツの中へ沈む。
すべて私の体が、瑞生さんに包まれている安心感。
腕を伸ばし、瑞生さんを抱きしめた。
「美桜……。愛してる」
切なげな表情で、私の体に何度もキスを落とす。
その何度目かのキスの途中で、私の耳元で囁いた。
「奪われた時、全部壊してやろうかと思った」
「こ、わす……」
熱い息が耳にかかり、大きな手は、ゆっくり私の胸を撫でる。
「ん……あ……」
思考は甘く蕩け、手に意識が向いてしまう。
「そう。全部」
残酷なはずの言葉を口にして、私の耳朶を甘く噛む。
舌が耳の形をなぞり、じわじわ追い詰めて、感度をあげていく。
一瞬で仕留めず、少しずつ――
「瑞生さん……、壊しちゃ……駄目ですよ?」
強い力に流されてしまわないよう必死に言って、彼の頬を両手で包み込む。
瑞生さんは感情を表に出さないよう教育されたからか、弱みをみせない。
でも、心の中には激情が潜んでいる。
「美桜が俺を感情的にさせる」
頬に触れた手を取り、その手のひらにもキスをする。
「今も」
「えっ……? い、今?」
自分がなにをしたか、わからない。
唇を塞ぎ、角度を変えて何度も激しいキスをされる。
翻弄されているうちに、私の服ははぎとられ、夜の闇に肌を晒した。
白い肌の上に、瑞生さんは唇を滑らせ、自分の印を刻みつけていく。
肌の濡れた感触が、甘く私を苛んだ。
ただ触れられているだけなのに、自分の感度が、少しずつ変化して、舌と指から与えられる快楽に、ずるずると堕ちていく。
「あっ……んんっ……」
声が甘いものへ変わると、指はゆるゆると腹部から下へ移動し、敏感な部分をなぞる。
初めて触れられる場所に、びくりと体を震わせ、身を強張らせた。
「瑞生さっ……ん……」
私の恐怖を奪うように、唇を重ねて、頭の奥を痺れさせる。
「ん……ふぁ……」
快楽を引きずり出す指の動きに、耐え切れず、淫らな嬌声を上げた。
繰り返し感じる部分をなぞり、滴る蜜を指に絡める。
こぼれた蜜を掬い取り、蕩けた中を浅くえぐる。
それだけで、無知な私の頭も体も、高められた熱に浮かされ、甘い愛撫に溺れてしまう。
「だ……めっ……もう……」
首を横に振り、必死に瑞生さんの逞しい体にしがみつく。
指が動くたび、淫らな水音を鳴らし、指をくわえて離さない。
自分の体なのに、自分じゃないような感覚。胎内がじくじくと疼き、浅い部分だけでは、物足りないと訴えている。
「美桜。駄目じゃないだろう?」
「あ……ん……」
狂おしい快楽から救ってほしくて、瑞生さんの言葉に小さくうなずいた。
――全部、壊して。
ぐっと指が奥まで込められた瞬間、体が大きく仰け反った。
「あっ……ああっ……!」
目の前がちかちかして、体から力が抜けていく。
初めての経験に、頭がついていかない。
舌先がちろりと肌を舐め、ひくっと体が反応する。
たったそれだけなのに、私の感度は最大にまで高められ、少しでも触れられたなら、それは快楽に変換されてしまう。
「あ……う……」
力の抜けた体を抱え、瑞生さんは私の手に自分の手を重ねた。
「美桜……」
「瑞生さ……ん」
キスをしながら、ゆっくり自分の中へ熱く硬いものが押し進められ、息苦しさを感じた。
「平気か?」
「だい……じょうぶ……です」
息を吐き出し、キスを受け入れる。
そのキスに溺れている間は、なにも考えずに済む。
自分の体がどうなっているのか、わからないくらい熱い。
私が初めてだからか、優しくゆるゆると動き、少しずつ慣らしていく。
「ん……あ、あぁ」
指は同時に外を嬲り、さらに快楽を与えていく。
時間をかけ、奥まで込められた時、私の意識は甘い快楽の中に、ほとんど沈んでいた。
「ふ……あ……ん……」
言葉にならない喘ぎ声を繰り返し、与えられるキスを貪り、どろどろに溶かされていた。
「美桜」
名前を呼ばれ、ハッとした。
苦しそうに顔を歪ませ、汗をにじませているのに、瑞生さんは嬉しそうに笑う。
この行為が、瑞生さんにとって、なにより特別なものであるのかのように。
「一生、大事にする」
それは家族になろうという言葉。
私は泣きながら、瑞生さんに抱きつき、お互いの熱が重なった時、瑞生さんをとどめていた理性は全部消えた。
本当は激しい感情が隠されている。
ガツガツと食らうような腰の動きに、体が揺さぶられ、あまりの激しさに声がかすれた。
奥まで突かれる苦しさに、喘ぎながら、自分を求める貪欲な感情に喜びを覚えた。
「んっ……あっ……も、うっ……」
何度目かの絶頂で、私のギリギリでとどまっていた意識が落ちていく。
それと同時に、中に瑞生さんを感じた。
「もう……むり……です……」
首を横に振り、泣き声をあげた私に、瑞生さんは愛おしげに髪をなでる。
くたりと体をシーツに埋め、力なく目を閉じた。
「悪い。無理させたな」
あたたかい手の感触に眠気が誘われる。
自分の耳元に瑞生さんの息がかかった。
私の目蓋に落とされた優しく甘いキス。
ただのキスではなく、それは重い誓いを含んでいた。
「全て取り返してやろう」
瑞生さんの低い声が聞こえてきたけれど、私は心地よい眠りに落ちて、目を開けることができなかった。
34
お気に入りに追加
3,146
あなたにおすすめの小説
溺愛ダーリンと逆シークレットベビー
葉月とに
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。
立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。
優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?
一夜の過ちで懐妊したら、溺愛が始まりました。
青花美来
恋愛
あの日、バーで出会ったのは勤務先の会社の副社長だった。
その肩書きに恐れをなして逃げた朝。
もう関わらない。そう決めたのに。
それから一ヶ月後。
「鮎原さん、ですよね?」
「……鮎原さん。お腹の赤ちゃん、産んでくれませんか」
「僕と、結婚してくれませんか」
あの一夜から、溺愛が始まりました。
【R18完結】エリートビジネスマンの裏の顔
白波瀬 綾音
恋愛
御社のエース、危険人物すぎます───。
私、高瀬緋莉(27)は、思いを寄せていた業界最大手の同業他社勤務のエリート営業マン檜垣瑤太(30)に執着され、軟禁されてしまう。
同じチームの後輩、石橋蓮(25)が異変に気付くが……
この生活に果たして救いはあるのか。
※サムネにAI生成画像を使用しています
性欲の強すぎるヤクザに捕まった話
古亜
恋愛
中堅企業の普通のOL、沢木梢(さわきこずえ)はある日突然現れたチンピラ3人に、兄貴と呼ばれる人物のもとへ拉致されてしまう。
どうやら商売女と間違えられたらしく、人違いだと主張するも、兄貴とか呼ばれた男は聞く耳を持たない。
「美味しいピザをすぐデリバリーできるのに、わざわざコンビニのピザ風の惣菜パンを食べる人います?」
「たまには惣菜パンも悪くねぇ」
……嘘でしょ。
2019/11/4 33話+2話で本編完結
2021/1/15 書籍出版されました
2021/1/22 続き頑張ります
半分くらいR18な話なので予告はしません。
強引な描写含むので苦手な方はブラウザバックしてください。だいたいタイトル通りな感じなので、少しでも思ってたのと違う、地雷と思ったら即回れ右でお願いします。
誤字脱字、文章わかりにくい等の指摘は有り難く受け取り修正しますが、思った通りじゃない生理的に無理といった内容については自衛に留め批判否定はご遠慮ください。泣きます。
当然の事ながら、この話はフィクションです。
政略結婚した夫の恋を応援するはずが、なぜか毎日仲良く暮らしています。
野地マルテ
恋愛
借金だらけの実家を救うべく、令嬢マフローネは、意中の恋人がすでにいるという若き伯爵エルンスト・チェコヴァの元に嫁ぐことに。チェコヴァ家がマフローネの家を救う条件として出したもの、それは『当主と恋人の仲を応援する』という、花嫁側にとっては何とも屈辱的なものだったが、マフローネは『借金の肩代わりをしてもらうんだから! 旦那様の恋のひとつやふたつ応援するわよ!』と当初はかなり前向きであった。しかし愛人がいるはずのエルンストは、毎日欠かさず屋敷に帰ってくる。マフローネは首を傾げる。いつまで待っても『お飾りの妻』という、屈辱的な毎日がやって来ないからだ。マフローネが愛にみち満ちた生活にどっぷり浸かりはじめた頃、彼女の目の前に現れたのは妖艶な赤髪の美女だった。
◆成人向けの小説です。性描写回には※あり。ご自衛ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる