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12 新しい仕事

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 月曜日になったけど、普段と変わらず、宮ノ入出勤できるような状況ではなかった。
 土日の間、ほとんどなにも食べられず、眠りも浅かった私は、体に力が入らず、ふらふらで頭も回らない。
 でも、働かなくては、継母が渡したお金はわずかで、食事もままならなかった。
 私は清掃スタッフとして、働くよう言われ、やってきた初日の配属先は沖重おきしげ本社。
 何度か、父に届け物をしたことがあったため、これが初めてではない。
 継母が用意した服は、おばさんが着るような服で、唯一の利点として、掃除スタッフの年配の女性に溶け込めるというのが利点だろうか。
 とにかく、目立たずに済めばよかった。
 今の私にとって、これ以上の揉め事を受け入れられるだけの余裕はなく、寝不足のひどい顔が、ロッカールームの鏡に映る。
 掃除スタッフの制服に着替え、一緒に働くスタッフに挨拶をすると、ロッカールームが一瞬で、にぎやかになった。

「偉いねぇ。アンタみたいな若い子が、掃除の仕事とは感心だよ」
「その若さだったら、違う仕事もあったんじゃないかい?」
「そうだよ。綺麗な顔しているんだからさっ!」

 次々繰り出される会話の数々に、私は圧倒され、返事に窮する。
 作り笑いさえ、できなくなっていた私だったけど、向こうはまったく気にしていない。

「私もあと二十年若かったら、水商売も悪くなかったけどねぇ」
「あんたが水商売? いやぁ。どうだろうね」

 若い子が入ってきたというだけで、職場は大盛り上がりで、もてはやされ、居心地は悪くなかった。

「若いから、朝食抜きできたんだろ?」
「ほら、お菓子でも食べな」 
「コーヒーは飲める? 紅茶もあるよ?」 

 お菓子とコーヒーを出し、階段下の掃除用具置き場で、朝のティータイムが始まった。
 ロッカーから、なんでも出てくる。

「若い新人が来るってわかってたら、もっと若い子が好きそうなお菓子を用意したんだけどね」
「いえ、美味しいです。ありがとうございます」

 会話の隙間に、なんとか入り込み、お礼を言えた。
 私のお礼の言葉に、おばちゃん達はまた大騒ぎする。

「あ~。そういうの、いいから! ほら、途中で飴でも食べな」

 私の返事も待たずに、ぎゅむっとポケットに飴を入れてきた。

「す、すみません」
「そんな痩せてちゃだめよぉ」
「そうそう。もっと食べないとね!」

 梨沙は嫌がらせで、この仕事を選んだのは間違いないけれど、今はこの賑やかさに救われる気がした。

「今日も一日、がんばるよっ!」
「は、はい」

 掃除用具をのせたカートを押しながら進み、廊下をモップで拭く。
 その間も沖重の社員の人たちが通るけど、私の知った顔はいなかった。 
 廊下掃除が終わると、フロアに移動し、床にモップをかけ、ごみ箱のごみを回収する。
 この繰り返しなので、簡単なフロアは、私に任せ、一緒に組んでいた人は別の場所を掃除するため、私から離れた。

「沖重さん、そのバッグ可愛い~。エルメスですか?」
「わかる? 限定のバッグなの」
 
 女性社員たちのおしゃべりが聞こえ、掃除の手を止めた。
 おしゃべりの中心にいるのは、梨沙だった。
 梨沙は仕事をせず、騒いでいる。
 同じフロアで働いている社員たちを見ると、不満そうな顔をし、黙って仕事をしていた。
 これが、沖重の日常なら、社員はますますやる気を失うだろう。
 そんなことを思っていると、私に丸めた紙がぶつけられた。
 
「掃除のおばさん。拾って片付けておいて」

 梨沙がぐしゃぐしゃにした書類をぶつけてきた。
 机の上にあった書類をわざと手で払い、床に落とし、それを私が拾い集めるのを頭上から眺めていた。

「これもよ」

 梨沙は灰皿を手に取り、私の頭の上から、タバコの吸い殻を落とす。
 フロア内がざわつき、騒然としたけれど、梨沙が気にする様子はなく、むしろ楽しそうだった。

「ゴミ箱と間違えちゃった」
「梨沙さん。気を付けてくださいよ」
「おばさん、ちゃんと掃除して」

 一緒にいる社員まで大騒ぎし、私に嫌がらせをする。

「靴が汚れたわ。雑巾でふきなさい」

 梨沙はそう言いながら、わざと顔に靴を押し付けて、大笑いした。

「きたなーい」

 梨沙は私の服で、靴についた灰を拭き取った瞬間――バンッとドアが開いた。
 廊下から現れたのは、私と組んでいた掃除スタッフ。中の騒ぎを聞きつけて、飛び込んできたようだ。
 
「ちょっと! あんたっ!」

 私をかばおうとしたことに気づき、慌ててそれを手で押し止めた。

「あ、あの、いいんです。ここは私が掃除しますから!」

 フロアから廊下へ押し出し、手早くこぼれた灰を片付ける。
 私が片付ける間、他の社員も見ていたけれど、梨沙の手前、なにも言えず、黙っていた。
 梨沙は掃除スタッフの剣幕に驚き、面白くなさそうにしているだけで、それ以上の嫌がらせはできないようだった。
 他人から怒られることがなかった梨沙は、きっと驚いたのだろう。

「失礼しました」

 仕事中だった社員たちに、迷惑をかけてしまった。
 本当なら、父は社長として、梨沙の勤務態度を許してはいけないのに、どうして、梨沙の好きなようにさせておくのかわからない。
 申し訳なくて、頭を下げてフロアから出た。

「大丈夫かい!?」
「聞いたよ! ひどい目にあったね……」
 
 私が出てくるのを待っていた掃除スタッフたちは、タオルで顔や髪を拭いてくれた。

「嫌な女だよ。社長の娘だと思って、調子に乗ってるね」
「皆さんの仕事を増やしてしまって、ごめんなさい」

 私が謝ると、スタッフの一人のスマホが鳴った。
 清掃会社の本部からで、スタッフはなにか文句を言っていた。

「今日、配属になったばかりの子ですよ? 午後から違う場所へやるんですか?」

 なにか言い争っていたけど、結局、本部の命令に負けたらしく、渋い顔をして、私に言った。

「ごめんねぇ……。本部からの命令で、今から宮ノ入グループ本社の清掃に行ってくれって……」
「なんだって!? 新人教育もまだ終わってない子なのに、どうしてまた、そんなわからないこと言うんだろうね」

 継母が裏から手を回したのだとわかったのは、きっと私だけ。
 これは罠だとわかっているのに、逃げられなかった。

「宮ノ入グループの本社ですね。わかりました」

 清掃会社は巻き込まれただけで、迷惑をかけるわけにはいかない。
 素直にうなずいた私を見て、他の清掃スタッフは心配そうな顔をした。 
 きっと私は、ひどい顔色をしていたに違いない。
 でも、私は黙って沖重本社を出て、宮ノ入本社へ向かう。
 継母の狙いは、私を働いていた場所で掃除をさせ、知り合いにその姿を見せ、私に恥をかかせるのが、継母の目的なのだろう。

 ――ずっと尾行されてる。

 興信所の人なのか、アパートを出てから職場まで、ずっと監視されている。
 継母は少しの時間でさえ、私に自由を与えるつもりはない。
 いつまで、あの監視が続くのか、わからなかった。
 梨沙が結婚するまでなのか、私が死ぬまでなのか――継母の憎しみには底がない。
 会社に入ると、梨沙がいた。
 私が来ることがわかっていた梨沙は、入口を見張っていたようだった。
 入ったなり、瑞生さんの腕に自分の腕を絡め、高い声で言った。

「宮ノ入さんと会えて嬉しいです。そんな梨沙に会いたかったなんで、知りませんでしたぁ~。早く社長室に連れていってください」

 背を向けていて、瑞生さんの顔は見えなかった。
 今、声をかけられたらいいのに――そう思ったけど、エレベーターのドアは閉じ、声をかけるタイミングを失った。
 梨沙が社長を急がせたのは、そのためだ。
 泣きそうになったのを堪えた。
 ここで、私が誰かを頼れば、きっとその誰かが被害を受ける。
 継母の監視は、宮ノ入本社へ簡単に入ることができた。監視の人の黒いスーツは、どこかで見覚えがあったけど、それがどこだったか思い出せなかった。
 監視する人を気にしながら、受付で清掃会社の名前を言って、パスカードを受け取る。

「一時的なパスカードになります。この臨時発行されたパスカードは、社長室および役員室のフロアへ立ち入りはできませんので、ご了承ください」

 マスクと眼鏡のおかげか、私だとわからないようだ。
 もちろん、継母が私に与えた服も運よく変装になっていて、誰も私に気づかない。

「宮ノ入本社担当の真嶋まじまです! わからないことがあれば、聞いてくださいね」

 アルバイトの真嶋さんは明るい声で、掃除道具の説明をしてくれた。
 道具が入ったカートを押しながら、やってきたのは総務部があるフロアだった。

「フロア内は社員が退勤後に、掃除をすることになっているので、廊下とトイレから、始めましょう」
「はい」

 真嶋さんは三角巾とマスクで、顔はわからないけれど、若そうに見える。
 パスカードにはアルバイトと書いてあるから、大学生だろうか。

「えっと、私が男子トイレを掃除しますね。廊下が終わったら、一緒に女子トイレの掃除をお願いします」
「わかりました」

 廊下の植木鉢の下もモップをかけため、移動させながらの大変な作業だ。
 知っている人もいたけれど、素通りして行き、誰も気づかない。
 でも、一人だけ私に気づいた。

「えっ……!?」
「き、木村さん……」

 口元に指をあて、静かにしてと合図する。
 監視の人がいるのだ。
 カートから、『清掃中』の札を手に取り、女子トイレ前に置く。
 木村さんは頭の回転が良く、私が札を置く前にサッとトイレに入り、私と会話してもおかしくない状況を作る。

「沖重先輩、なにかあったんですか?」

 さすがに女子トイレに、監視の男の人は入ってこれないようだった。
 木村さんは小声で、私に尋ねる。

「話すと長くなるんだけど……。私に監視の人がついていて、関わるとなにをされるかわからないの」
「もしかしてなんですけど、社長の本命って、沖重先輩ですか?」
「どうしてわかったの!? 気づいたのは木村さんだけよ?」

 両腕を組み、木村さんは天井を見上げた。

「情報の羅列です。まず、社長が海外支店に戻ってきた時期、沖重先輩の香水。それから、八木沢さんの呼び出しですか。情報を揃え、流れを組み立てることによって、難敵も攻略できる……いえ、結果が生まれるんです」
「そ、その通りよ。でも、よく答えを弾き出したわね」
「得意なので」

 フッと木村さんは不敵に笑った。
 八木沢さんの力を持ってしても、女性(主に木村さん)の勘の鋭さの前では、無力だったということだ。

「あと、社長の婚約者を名乗る女が、先輩のロッカーの荷物を漁りに来たので隠しました。余計かなとも思ったんですけど、私のロッカーに荷物を移しておきました」
「本当に!? 助かるわ」

 通帳と貴重品は、会社のロッカーに金庫を入れ、保管していたので、木村さんが女神のように見えた。

「先輩がスペアキーを引き出しの裏に隠したのを見てました」
「私のことを見すぎじゃない!?」
「まあまあ。よかったじゃないですか」

 結果オーライですっと言って、笑いながら、木村さんは言った。
 木村さんが隣の席で、心からよかったと思えた。

「悪いけれど、もう少し保管していてもらっていい? 実は身動きがとれなくて……」
「まかせてください。先輩の荷物は死守します」

 木村さんと時間は短く、廊下から靴音が聞こえた。
 その音に気づいた木村さんは、手を水で濡らし、ハンカチで拭きながら、自然な態度でトイレから出ていく。
 不自然なところはなにもなかった。
 さっきまで私と話していたのが、嘘のようだ。
 監視の人は、さすがに女子トイレをジロジロ見れず、離れた場所にいた。
 
 ――木村さん。ありがとう。

 心の中でお礼を言った。
 とりあえず、無一文という状況だけは、免れたようで、ホッと胸を撫で下ろした。
 どん底だったけど、まだ私は絶望したわけではなかった。

  ◇◇◇◇◇

 掃除スタッフとして働き、三日目。
 継母は宮ノ入本社で働かせることが、私への最大の嫌がらせになると判断したようで、配属先は宮ノ入本社になった。

「美桜さんは仕事も丁寧で、早いから助かります」

 そう言ったのは、アルバイトの真嶋さん。
 大学に通いたくて、ファミレスのアルバイトをかけ持ちしている。
 父親が仕事をリストラされてしまい、収入が減って生活費が必要なため、新しい仕事が見つかるまでは、大学に通う余裕がないらしい。 
 大変そうだけど、とても明るい子だった。
 年も近くて、話しやすく、なにかと親切にしてくれる。

「私が作ったおにぎりなんですけど、どうぞ。今日は夕方から、ファミレスのバイトなので、食べないと力が出ないんですよね」

 午後からの休憩は、おやつというより、ちょっとしたお弁当になっていた。
 夜遅くまで仕事があるため、勤務時間帯が長い。

「ありがとうございます」

 清掃スタッフは和気あいあいとしていて、なごやかな雰囲気だった。

「あっ、美桜ちゃん。これ、お取り寄せしたせんべい。よかったら食べて」

 私は三日目になると、すっかり順応してしまった。
 でも、清掃スタッフの観察眼は侮れない。
 毎日、社内を回っているからか、その情報の収集力はすさまじいものがある。
 出入りする人を大勢目にしているからか、見る目が鍛えられている。

「美桜ちゃん。アンタ、ワケアリだね?」
「えっ? ワケアリだったんですか?」

 毎日シフトに入っていないのと年齢もあってか、真嶋さんだけは、気づいてなかったようで驚いていた。

「真嶋さんは甘いねぇ~。すーぐわかったよ。沖重の清掃スタッフから、社長令嬢から嫌がらせを受けたって聞いていたし、これは裏にドラマがあるって思ったね」

 ずらりと並ぶベテラン清掃スタッフ。その年配女性の迫力ときたら、私がなにも言えなくなるくらいだった。

「さーて。詳しく聞かせてもらおうかね」
「えっ? どうしてですか?」
「面白いからに決まっているだろっ!」

 すがすがしいまでに、はっきり言われてしまった。

「すみません。私の力じゃ助けてあげられません。話さなかったら、話すまでスッポンのように食らいついてきますよ」

 すでに過去、スッポンのように食らいつかれた真嶋さんが、私に教えてくれた。
 結局、私はことの顛末てんまつを説明するはめになった。
 私の境遇をひととおり話終えると、全員の目が潤んでいた。

「なんてひどいんですかっ! その継母は!」

 真嶋さんは激怒し、ほかの人たちは涙をぬぐってる。

「年をとると涙もろくていけないねぇ」

 興味本位とはいえ、気のいい人たちだということはわかった。

「私らもね、噂で聞いていたんだよ。宮ノ入社長が無理矢理、婚約させられたってね」
「付き合っている女性がいたことも聞いてたよ」 

 さすが、社内のすべてを知る人たちに知らないことがない。

「宮ノ入社長の相手。それが、美桜ちゃんだったとはね」
「信じてくれるんですか?」
「もちろんさ。じゃないと、嫌がらせされる理由がないからね」
「監視付きとかドラマみたいだわあー!」
「わくわくするねえ!」

 全員、ものすごく盛り上がっていた。
 真嶋さんが真剣な顔で、スッと手を挙げた。

「あの、提案なんですが。私たちなら、宮ノ入社長へ美桜さんの居場所を知らせることができるんじゃないですか? 監視がついているのは、美桜さんだけですし」
「それはアリだね!」
「夕方から、社長室があるフロアの清掃スケジュールが入ってるから、うまくいけば、渡せるんじゃないかい?」

 真嶋さんはすばやくエプロンのポケットから、持ち歩いているメモ帳とペンを取り出した。

「これに住所か地図を書いてください。社長に渡してきます」
「もし、私に協力したとわかったら、ひどい目に遭います。今までずっとそうだったんです」

 私が断ると、背中をバンッと叩かれた。

「若い時は、私も随分とヤンチャをしたものさ。紙切れ一枚くらい忍ばせるくらいなんてことないね!」

 全員の拍手が巻き起こる。
 気分は女スパイなどと言って、ポーズまでとる始末。

「あんた、もっと図々しくなりな! 迷惑になるかもなんて言ってたら、いつまで経っても前に進まないよ! ほら、書きな!」
「は、はい」

 住所を書くと、それを奪い取り、清掃スタッフたちはうなずき合う。

「そうそう。それでいいよ。渡しておけば、相手は社長。向こうがうまくやってくれるはずさ!」
「私たちのチームワークをなめるんじゃないよ!」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 最強の味方ができたような気がした。
 住所を書いたメモを社長室フロアの担当スタッフへ渡す。
 
 ――どうか無事に、瑞生さんの元へ届きますように!

 そう祈らずにはいられなかった。
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