優秀な姉よりどんくさい私の方が好きだなんてありえません!

椿蛍

文字の大きさ
上 下
68 / 69
番外編【杏美】

お兄様のカレーライス(前編)

しおりを挟む
「ねえ、貴戸きど。ガスコンロってどうやって使えばいいのかしら?」

そんな質問から私の結婚生活は始まった。
前途多難?
いうなれば、そうね。
貴戸は怒らずに『そうですね。使う時は自分がいる時にして頂けますか?』と言って、優しく教えてくれた。
私はお嬢様だった。
そう、過去形。
私は『駆け落ち』をした。
結婚式当日に―――


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「結婚したら、貴戸ともお別れね」

貴戸は抑揚のない声で『そうですね』と言った。
私が中学生の頃、貴戸の父親が運転手を引退して、それから跡を継いで私の運転手をしてくれるようになった。
愛想笑いも面白いことも何一つ言わない男だったけど、無駄口を叩かず、いつも静かにそばにいてくれた。
習い事の多い生活を送っていたから、自然と貴戸といる時間も多く、中学からは親友の日奈子とも学校が離れたから、中学の頃は貴戸の方が長く一緒にいたんじゃないかしら?
まあ、日奈子が心配で時々、顔を見に行ってあげたけどね。
親友として。
決まった時間にスーパーのあたりをうろうろしていれば、日奈子は大抵出没するから捕獲するのは簡単なことだった。

「ねえ、貴戸。私が結婚したら、寂しい?泣いてくれる?」

わずかに貴戸の表情が揺らいだ。
たったそれだけの反応jでも私は満足だった。
どうせまた『そうですね』としか言わないのだから。
いつものようにね。
私が貴戸に好きだと告げた時は『そうですか』だった。
さすがにその時は怒鳴りつけてしまったけど。
やっぱり、今日も同じ。
貴戸からの返事はない。
窓の外を眺め、通り過ぎて行く景色を眺めた。
私と貴戸に許された時間はこの時間だけ―――貴戸に私をさらえと言う方が無茶な話だとわかっている。
しかも、私の事なんてまだ子供だと思っているに違いないのだから。

「そうかもしれません」

その答えは新しい―――ふとバックミラーを見ると貴戸と目が合った。

「本当はあなたをさらってしまいたい」

「貴戸……」

「安島のような男でなければ、結婚するのを黙って見ていたでしょう。自分は杏美さんが幸せであれば、それでよかった。けれど、安島家に嫁ぎ、幸せになるとはどうしても思えない」

貴戸の声が震えていた。
真面目な貴戸は自分のその胸の内を語るのは勇気がいること―――そして、その先のことを考えてくれている。
そう確信した。
貴戸とは長い付き合いだからわかる。
こんなに話すのも初めてじゃないかしら?
『杏美ちゃんが幸せになれないなら友達として止めたいと思って』
そう言った日奈子の顔が浮かんだ。
あの時はカッとなって、日奈子とケンカになってしまった。
私の気持ちが貴戸に届くことはないって思っていたから―――八つ当たりしてしまったのだ。
あの優しい日奈子に。

「貴戸。あの鈍臭い親友と同じことを言うなら、その覚悟はできているんでしょうね?」

「もちろんです」

「そう、それなら貴戸。私と結婚しなさい」

「喜んで」

―――私は貴戸と結婚した。
それを知っているのは私達と祖父母だけ。
近所の教会で祖父母と私達だけの本当の結婚式をして、駆け落ちをした。
唯一の気がかりは日奈子とお兄様のことだけだったけど。
『日奈子、ごめんね』
駆け落ちをしたあの日、私が日奈子に言える精一杯の言葉だった。
尾鷹のことを全て押し付けて、姿を消した私をさすがに日奈子は怒っただろうし、恨む権利だってあるわ―――
『ウェディングリースにはね、永遠に幸せでいられますようにって意味が込められてるの。杏美ちゃんに幸せになってほしいから』
そう言って、日奈子がくれた小さなウェディングリースはドライフラワーにして大切にとってある。
小さなアパートで暮らす今も。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

お酒の席でナンパした相手がまさかの婚約者でした 〜政略結婚のはずだけど、めちゃくちゃ溺愛されてます〜

Adria
恋愛
イタリアに留学し、そのまま就職して楽しい生活を送っていた私は、父からの婚約者を紹介するから帰国しろという言葉を無視し、友人と楽しくお酒を飲んでいた。けれど、そのお酒の場で出会った人はその婚約者で――しかも私を初恋だと言う。 結婚する気のない私と、私を好きすぎて追いかけてきたストーカー気味な彼。 ひょんなことから一緒にイタリアの各地を巡りながら、彼は私が幼少期から抱えていたものを解決してくれた。 気がついた時にはかけがえのない人になっていて―― 表紙絵/灰田様 《エブリスタとムーンにも投稿しています》

【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜

雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。 【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】 ☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆ ※ベリーズカフェでも掲載中 ※推敲、校正前のものです。ご注意下さい

何も言わないで。ぎゅっと抱きしめて。

青花美来
恋愛
【幼馴染×シークレットベビー】 東京に戻ってきた私には、小さな宝物ができていた。

初色に囲われた秘書は、蜜色の秘処を暴かれる

ささゆき細雪
恋愛
樹理にはかつてひとまわり年上の婚約者がいた。けれど樹理は彼ではなく彼についてくる母親違いの弟の方に恋をしていた。 だが、高校一年生のときにとつぜん幼い頃からの婚約を破棄され、兄弟と逢うこともなくなってしまう。 あれから十年、中小企業の社長をしている父親の秘書として結婚から逃げるように働いていた樹理のもとにあらわれたのは…… 幼馴染で初恋の彼が新社長になって、専属秘書にご指名ですか!? これは、両片想いでゆるふわオフィスラブなひしょひしょばなし。 ※ムーンライトノベルズで開催された「昼と夜の勝負服企画」参加作品です。他サイトにも掲載中。 「Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―」で当て馬だった紡の弟が今回のヒーローです(未読でもぜんぜん問題ないです)。

お見合いから始まる冷徹社長からの甘い執愛 〜政略結婚なのに毎日熱烈に追いかけられてます〜

Adria
恋愛
仕事ばかりをしている娘の将来を案じた両親に泣かれて、うっかり頷いてしまった瑞希はお見合いに行かなければならなくなった。 渋々お見合いの席に行くと、そこにいたのは瑞希の勤め先の社長だった!? 合理的で無駄が嫌いという噂がある冷徹社長を前にして、瑞希は「冗談じゃない!」と、その場から逃亡―― だが、ひょんなことから彼に瑞希が自社の社員であることがバレてしまうと、彼は結婚前提の同棲を迫ってくる。 「君の未来をくれないか?」と求愛してくる彼の強引さに翻弄されながらも、瑞希は次第に溺れていき…… 《エブリスタ、ムーン、ベリカフェにも投稿しています》

忘れたとは言わせない。〜エリートドクターと再会したら、溺愛が始まりました〜

青花美来
恋愛
「……三年前、一緒に寝た間柄だろ?」 三年前のあの一夜のことは、もう過去のことのはずなのに。 一夜の過ちとして、もう忘れたはずなのに。 「忘れたとは言わせねぇぞ?」 偶然再会したら、心も身体も翻弄されてしまって。 「……今度こそ、逃がすつもりも離すつもりもねぇから」 その溺愛からは、もう逃れられない。 *第16回恋愛小説大賞奨励賞受賞しました*

ハイスペックでヤバい同期

衣更月
恋愛
イケメン御曹司が子会社に入社してきた。

処理中です...