優秀な姉よりどんくさい私の方が好きだなんてありえません!

椿蛍

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31 懐かしい洋館

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壱哉いちやさんは午後から、仕事を休んだ。
そんなこと滅多にないらしく、上から下まで大騒ぎになった。
「帰ってよかったんですか?」
「今日は特別だからいいんだ」
社長である尾鷹おだかのおじ様が難しい顔をしてたけど。
きっと私のことが気に入らないに違いない。
でも。
隣の壱哉さんを見た。
私と付き合っているとはっきり言ってくれたのは嬉しかった。
そして、壱哉さんは私の両親に何をどう説明したのか、『日奈子ひなこのことはよろしくお願いします』と言っていたと聞かされた。
壱哉さんが運転する車に乗せられ、どこに行くのかと思っていたら、自宅があるのと同じ町の中にある尾鷹おだかの洋館だった。
「壱哉さん、ここって」
「日奈子は来たことがあるだろう?」
小さな洋館は木々に囲まれていて、昔、来た時と変わらず庭には花やハーブがたくさん植えられているイングリッシュガーデンになっていた。
「この家はおばあ様が管理する家って前に聞いた気がします」
「日奈子がこの家が好きだと言っていたから、祖母に頼んで譲ってもらった」
尾鷹の家は土地だけじゃなく
、マンションから別荘までたくさん持っている。
杏美あずみちゃんの誕生会だけでも何ヵ所か行ったことはあるけれど、この家だけはパーティーで使われることのない場所で壱哉さんが私をよく連れてきてくれた。
「家の中は通いの家政婦が管理してくれるし、庭の手入れは人を頼んである。家も庭も日奈子の好きなように使っていい」
出窓に寄りかかり、言った壱哉さんは微笑んだ。
洋館の中は住むことが決まっていたかのようにリフォームを終えていた。
出来すぎというくらいに用意周到でカーテンやクッションは私が好きそうな物を集め、テーブルや廊下には庭で摘んだ花が差してあった。
魔法使いみたい。
洋館の中を見渡すとアンティーク調の内装にステンドグラスが入った窓、木の階段はつやつやしていて、痛まないように赤い絨毯が敷かれている。
「気に入ったか?」
「はい」
サンルームにピアノが置かれていた。
「ピアノ……」
うっと嫌な思い出が甦った。
美和子みわこお姉ちゃんも緋瞳ひとみお姉ちゃんもソナチネまでいったけど……。
私はバイエルの途中で挫折した。
ピアノの先生が怖かったのもあるけど、弾いている時に手を叩かれたり、お姉ちゃん達と比べられて辛い思いをした―――確かに出来の悪い生徒だったけど。
「久しぶりに弾こうか?」
壱哉さんのピアノは先生も絶賛するくらいで、後はヴァイオリンも習っていてたはず。
昔、聴かせてもらったことがある。
「いいんですか?」
「なにがいい?」
「えっと、それじゃ……。のんびりしたのを」
「わかった。じゃあ、ショパンのノクターンを」
かたんとピアノの鍵盤蓋を開けると、白い鍵盤に指を置いた。
壱哉さんが弾く音は軽やかで私の音とは全然違う。
私が牛の歩みのような重くてもたもたした音なのに軽やかな馬の足取りのような―――そんな音。
優しい音が家の中に響いて、それを聴いていると眠くなってきた。
「日奈子」
笑う声に目を開けた。
「ごっ……ごめんなさい!」
「いいよ」
くしゃくしゃと頭を撫でて、ピアノの蓋を閉めた。
「次は目が覚める曲にしようか。日奈子、リビングに行こう」
ううっ……。
これだから、私は。
壱哉さんに言われるがままに後ろを吐いて行くと、リビングのソファーを指さした。
「ほら」
リビングのソファーにトラとライオンのぬいぐるみが置いてあった。
「あの時の!」
「置いておくって言ったからな」
「そうでしたね」
嬉しくて、ぬいぐるみを手に取り眺めていると、背後から壱哉さんが覆い被さるようにして抱き締めた。
「日奈子。改めて言うけど、一緒に暮らさないか?」
「は、はい。私でよければ」
「よかった」
耳元で壱哉さんがホッとしたような声で言った。
「壱哉さんでも不安なことがあるんですね」
「たくさんある」
たくさん?
なんでもできるのに?
「日奈子のことは俺が守る」
不思議そうに壱哉さんの顔を見上げていると、そっとあごをつかまれて、キスされた。
それはまるで誓いのキスのようだった―――
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