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第七話 闇色のしっぽと祭囃子~夏の夜船~

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空には夏祭りの綿菓子わたがしを思い出させるような綿雲わたぐもが浮かんでいた。
今日の『千年屋ちとせや』は休業中。
この暑さでは仕方あるまい。
ひんやりした縁側の木の床に寝転がり、団扇をゆっくり動かして生温い風を送る。
庭を眺めると赤や青の朝顔が咲く中に糸瓜へちまが背を高くして屋根にまで蔓を伸ばしていた。
毎年のことながら、糸瓜の勢いには圧倒される。

「おーい、安海やすみ。また店を休んでいるのか」

「安海だけ休みたい」

「千年屋の血筋は洒落を言わないと気が済まないのかな」

そんなことを言いながら、いつものように有浄は茶の間に入って来た。
鉄黒てつぐろ色の浴衣を着ている有浄は千景ちかげと似ていて、その顔からしばらく目を離すことができなかった。

「ん? 安海、いつも以上にぼうっとしてるけど大丈夫か?」

「いつも以上には余計だ。有浄、風呂屋に行こうぜ」

「いいね」

「その後は風呂屋の二階で将棋をして、帰りに洋食屋『カネオカ』でアイスクリームってのはどうだ」

「将棋か。イカサマしないならいいよ」

有浄は苦笑しながら浴衣のたもとから駒を一つ取り出して俺に渡した。

「俺があの時、歩をこっそり回収したからよかったものの、バレていたら今頃どうなっていたかわからないよ」

「有浄なら気がつくと思ったからやったに決まってるだろ」

有浄から渡された将棋の駒を俺は指でもてあそんだ。
よくやったぞ、と駒を褒めてやる。
この将棋の駒は夏祭りに行く前、こっそり着物のたもとに忍ばせておいた将棋の駒だ。
千景と将棋をするつもりで隠し持っていたわけじゃない。
毎年、俺にイカサマを仕掛けてくる詰将棋屋の親父に一泡吹かせるために持っていたものだ。

「詰将棋屋の店主と一局やって、今年こそ俺が勝って仕返ししてやるつもりだったんだよ」

「安海は毎年、詰将棋に負けて金を巻き上げられているからね」

それは言わなくていい。

「俺が言ってるのは詰将棋じゃなくて、対局の方だ!」

毎年詰将棋屋と一局指すのだが、大抵向こうが勝つ。
将棋の腕はそんなに強くないのに負けたことがない。
俺はなぜだか考えていた。

「奴はイカサマをしてたってわけだ」

「イカサマにイカサマで返そうとするところがせこい」

「いいだろ。俺のおかげでうまいこと帰ってこれたんだからな」

「うまいことね……。こっちはヒヤヒヤしてたよ」

千景はイカサマに気づいていたのかもしれない。
けど、有浄が俺に協力したのを見て千景は諦めたのだろう。
今のところは、だろうが。

「まったく、お前はいつも肝心なことを言わないからこんな面倒なことになるんだ。じいさんとばあさんのことも俺にちゃんと話せばよかっただろ」

「言ったら安海は二人を探さなくていいって言うからね」

否定はしない。
あのしぶとい二人が簡単に死ぬとは俺も俺の両親も思っていなかった。
居場所くらい言ってから行けよ、周りに心配させるな。
その程度の感覚だった。

「毎年、有浄が夏祭りに一人で行ってたのは猫だけに相手の尻尾をつかもうとしてたんだな」

「さりげなく冗談を入れてくるね」

「笑えよ」

「笑える要素がどこにもなかったよ。まあ、夏祭りに行けば、あやかしの世界にふらりと紛れ込めるんじゃないかと簡単に考えていた。けど、俺の気持ちが向こうには伝わっていたから入れなかったんだな」

「お前の気持ち?」

「ここにいたいっていう気持ちだよ」

俺が笑うと有浄も笑った。
俺と兎々子を引きずり込んでから有浄を連れていく予定だったのだろうが、有浄が阻止し続けてそうさせなかった。
結局、有浄がここにいたいという気持ちが勝ったのだろう。
生きづらい世の中に思えても俺達には楽しいこともある。
そう、たとえば。

「風呂屋に行くぞ! 有浄! 富士山の絵を見ながら湯につかろうぜ!」

「安海はこういう時だけ活動的で驚くよ」

俺と有浄は連れだって風呂屋へ向かうため石畳の道を歩く。
途中、打ち水をして石が濡れている。
通る人が暑かろうと家の主がまいたのだろう。
おかげで少しだけ涼しく感じた。

「安海。風呂屋もいいけどさ。俺は食べ損ねた夜船よふねが食べたいな」

「また作ってやるよ。次はお萩の時期にな」

「なんだ。お萩まで待たないといけないのか」

有浄が肩を落としたのがわかって、少しだけ作ってやろうかという気になった。
まずいと言われたままなのも悔しい。
家々の前には朝顔が咲き、夏祭りで買った新しい植木が並んでいた。
風鈴の音がちりんと鳴る音と蝉の声。
しみじみと平和と夏の風情を噛み締めた―――

「あっ! 安海ちゃーん、有浄さーん!」

それを一瞬で消し去ったのは兎々子の声だった。
ぶんぶんと手を振りながら、やってくる。
良い笑顔だが、あいつがいい笑顔な時ほど要注意だ。
あの顔はまたろくでもない話を持ってきたに違いない。

「慌てるなよ。転ぶぞ」

そう兎々子に声をかけた時、石畳の通りを悠然と歩く黒猫を見つけた。
ジッと見つめても黒猫がただの猫かあやかしかどうか俺が見破れるわけもなく。
通りすぎる人々が人かどうかもわからない。
夏の暑さが頭をぼんやりとさせた。
もう、あちらもこちらも曖昧になっている。
向こう側がちらりと見えるんじゃないかと思わせる暑さの中。
俺をからかうように黒猫の尻尾が左右に動いていた―――

【了】
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