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第七話 闇色のしっぽと祭囃子~夏の夜船~
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話をした日以来、有浄が『千年屋』にやってくることはなかった。
こちらから顔を見に行けばよかったのだろうが、なんとなく行きづらく、そうこうしているうちに夏祭り当日になってしまった。
「店の前を通っている気配もないし、あいつどこに行ったんだ」
来ないだけではなく、姿を見かけないのだ。
夏祭りは一緒に行くと言っていたから、今日は顔を出すだろう。
それで俺は朝からあんこを炊き、アイスクリームのお礼も兼ねておはぎを作っていた。
正しく言えば、夏に作るのだからおはぎとは呼ばない。
夜船と呼ぶ。
季節によって名を変える和菓子。
春の牡丹餅、夏の夜船、秋のお萩、冬の北窓。
夏は餅をつかないことから隣の家の人もいつ餅をついたのか気づかない―――それを『夜は船がいつ着いたかわからない』とうまいこと誰かが言い換えて夏は夜船と呼ばれるようになった。
だから、今日作っているのはお萩や牡丹餅ではなく、夜船だ。
甘いものが大好きなおじさんのことだ。
手土産に持って行けば、喜ぶだろう。
それと、有浄の分なのだが―――
「あいつ、なにしてんだ」
米と餅米を混ぜて炊いたものをすりこぎで潰しながら最近、やってこない有浄のことを考えていた。
胡散臭い仕事をしているか、ただ疲れているから来ないのか。
「可能性としては両方か」
今日、夏祭りにこなかったら神社まで行って、この夜船を詰めた重箱を手土産に押しかけるつもりだった。
菓子を持っていけば、そうそう追い返されることもないだろう。
白い米を潰し終わると額に汗がにじんできた。
夏の工場は暑い。
汗もかく。
だが!
ここで満を持してのご登場。
俺は今年から秘密兵器を投入した。
その秘密兵器を設置する。
「その名も扇風機だ!」
黒い羽がつき、スイッチを押すとなんと四段階で風の強さが変わるという優れもの。
さっそくつけてみると涼しい風がぶわっと巻き起こり、一気に快適になった。
高速で回転する羽を眺めるのも楽しい。
ずっと眺めていたいところだが、そんなわけにいかない。
潰した白い米を丸め、小豆の味がしっかりと残る潰しあんで包みこむ。
そして、重箱に形が崩れぬよう一つずつ丁寧に詰めた。
扇風機の風で表面が乾かぬうちに蓋をする。
これで準備は万端だ。
「さてと。アイスクリームをご馳走になりに行くとするか」
藍色の甚平から麻の葉模様の浴衣に着替えた。
七夕の時と同じばあさんが縫ってくれた浴衣だ。
きっと二人もばあさんが縫った浴衣を着てくる。
約束しているわけではなかったが、自然にそうなっていた。
店の鍵を閉め、通りに出ると夕暮れの涼しい風が吹いていた。
下駄の底が石畳に触れるとカラコロと軽快な音を鳴らす。
石畳の道を走っていく子供達がいた。
通りはいつもの夕方より人通りが多く、賑やかな声がしてどこか大人も子供も夏祭りに行くのか浮き足立っていた。
洋食屋『カネオカ』に着くとすでに席は満席でアイスクリームを食べる客で溢れていた。
夏祭り目当てにやってきた客を呼び込むためだろう。
店の前にはアイスクリームの絵と『甘くて冷たい本格アイスクリーム』の文字が加えられた張り紙がしてあった。
本格アイスクリームという響きがまた素晴らしい。
期待しながら店に入り、すぐにおばさんを探したが、俺を最初に見つけたのは残念ながらおじさんのほうだった。
「おう! 安海!」
「……本日はどうも」
「なんでぇ。そんな渋い顔をして。お前、やってくれたな!」
へへっとおじさんは笑った。
これは新しい。
いつものおじさんなら喧嘩上等、入ったなり虫でも追い払おうとするくらいの勢いでくるのだが、今日は友好的だ。
まさか俺が夜船を作ってきたことを見抜いている?
いやいや、そんなはずはない。
「お前のおかげで兎々子の奴……」
すんっとおじさんは鼻をすすった。
感動しているようだが、なにがあったのだろうか。
「米を炊けるようになったんだぞ!」
それかよ。
俺は口に出しておじさんにそう言いかけ、慌てて言葉をのみこんだ。
せっかくおじさんが友好的だというのに自分からこのいい空気を壊すわけにはいかない。
厨房の扉から弟子達がおじさんを『親馬鹿だな』という目で見ているが、きっと兎々子が米を炊けるようになったことを毎日聞かされていたに違いない。
その顔は見るからにおじさんの話に飽き飽きしている顔だった。
「あー……それはよかった。おじさん、これ。アイスクリームのお礼」
風呂敷に包んだ重箱を差し出した。
「お、気が利くじゃねえか。安海。お前も大人になったもんだな。そろそろ俺はお前と分かち合えそうな気がしてきたぞ」
「一番大きいのはおじさんのために作ったから」
「てめぇ、二度とひっかからないからな」
柏餅を思い出したらしい。
さっきまでの友好的な態度だったのだが、一変して険悪な雰囲気になってしまった。
これが日頃の行いってやつか。
「あっ! 安海ちゃーん! 来てたの?」
兎々子は髪をラジオ巻きにして朝顔柄の浴衣をきて現れた。
「お父さん、アイスクリーム二つもらうわね」
「兎々子っ……! 今年もこいつと夏祭りに行くのか」
「そうよ。有浄さんもよ」
空いた窓側の席を陣取った兎々子はアイスクリームが入った硝子の器を手にして座った。
おじさんから向けられる視線がグサグサと俺に突き刺さって痛い。
たぶん、おじさんは兎々子と夏祭りに行きたかったんじゃなかろうか。
ちらりと俺がおじさんの方を見ると寂しそうに背中を向けて厨房に戻って行く姿があった。
あれが男親の哀愁か。
背中が泣いている。
「あらあら、安海ちゃん。来てくれたのにごめんなさいね。忙しくって」
おばさんが銀色のスプーンを持ってきてくれた。
忙しそうに歩き回っているおばさんだが、息切れ一つせず、他の客にも愛想よく笑って挨拶している。
他の客をさばきつつ、合間を縫って俺に話しかけてきた。
「兎々子ね、お米を上手に炊けるようになったのよ」
おばさんまで喜んでいた。
米一つ炊くのに親をここまで悩ます娘も珍しいだろう。
「そうか。よかったな、兎々子」
「私だって本気になればなんだってできるのよ」
いつも本気を出せよと思わなくもなかったが、兼岡家の喜びに水を差すのが悪い気がして言えなかった。
「溶けないうちに食べてね。それじゃあ、ごゆっくり」
ふふふっとおばさんは嬉しそうに笑って去っていった。
アイスクリームが入った硝子の器まで凍らせたのか器は白く霜をはりつけて曇り硝子のようになっていた。
硝子の器に指を触れさせるとひんやりとして本格アイスクリームの謳い文句も納得できる。
器を冷やしてあるおかげか肝心のアイスクリームも細かい氷の粒がきらきらとしていて、どろりと溶ける様子はない。
固めのアイスクリームかと思っていたが、銀のスプーンをそっといれると中は柔らかく簡単にすくうことができた。
口の中で甘く広がった味は和菓子とはまったく違い牛乳の香りがした。
だが、牛乳のように臭くない。
飲みなれない牛乳を苦手だという人は大勢いるが、アイスクリームは食べ慣れていなくてもまずいと聞いたことがない。
それくらい特別な味がする。
「安海ちゃん。美味しいね」
「ああ」
兎々子もアイスクリームが大好きらしく、いつかバケツいっぱいに食べるのが夢だと以前言っていた。
「有浄さんも来ればよかったのに」
「来ないのか?」
「え? 安海ちゃんと有浄さん。喧嘩したんじゃないの?」
なぜ俺と有浄が喧嘩したことになっているのだろうか。
近所の噂話では俺と有浄が喧嘩したことになっているようだった。
「大丈夫よ。安海ちゃん! 喧嘩をしてもアイスクリームを食べたから仲直りできるわ」
「アイスクリームだけに溶けやすい。誤解は早く解けるって?」
「最後ま言わせてよっー!」
誰が言わせるか。
そもそも喧嘩をしていたわけじゃない。
そっちのほうが誤解だ。
「あいつ、夏祭りは一緒に行くって言っていたんだけどな」
「私が有浄さんと出会った時も三人で行こうねって言ったら有浄さんは行くって答えていたわよ」
けれど、アイスクリームを食べ終わっても有浄はやってこなかった。
夏祭り目的でやってきた客も減り、外が薄暗くなった頃、俺は言った。
「先に夏祭りに行っているのかもな」
「うん、そうよね」
夏祭りに向かう人々が窓の外から見え、席から立ち上がった。
「あら、行くの? 気を付けてね。さっき兼岡商店のテツさんがやってきて、有浄さんの姿を夏祭りで見たって言ってたわよ」
「やっぱり先に行っているんだな」
「そうみたい。アイスクリーム、食べる気分じゃなかったとか?」
不思議そうに兎々子は首をかしげた。
気持ちはわかる。
アイスクリームを食べないという選択肢を選べるとはなんて強靭な精神力だ。
「あ、そうだ。夏祭りだから狐のお面を忘れないようにしないとっ」
兎々子はじゃーんと頭の上に狐のお面をつけた。
「はいっ! 安海ちゃんのも」
「どうして兎々子が俺のお面を持っているんだよ」
「安海ちゃんが忘れたら困ると思って、前もって用意しておいたの」
「俺の家から勝手に持ち出すなよ」
「え? 安海ちゃんの家にあるものは私も使っていいんだと思ってたけど」
どこぞのガキ大将かよ。
恐ろしい奴だ。
「その認識は今日で改めておけよ」
「えー!」
不満そうにしていたが、当たり前だろう。
俺は差し出された狐面を受け取った。
さて行くかと店を出ようとした時、おじさんが厨房から飛び出してきた。
「おい、安海! あんまり遅くまで娘を連れ回すなよ! 一回りしたらすぐに帰ってこい。いいな!?」
「なかなか帰してくれないのは兎々子のほうなんだが……」
何度も夜店を往復するのは決まって兎々子だ。
それに付き合わされる俺と有浄の身にもなって欲しい。
「うるさいっ! お前に娘を持つ父親の気持ちがわかってたまるか」
ぐすっと涙ぐみながらおじさんは俺が作った手土産の夜船を手にしていた。
俺が大きいものをおじさんにと言ったせいか、一番小さいものを選んだらしい。
それを口にいれた。
「ぶっ……! なんじゃこりゃー! すっぱああああ!」
「兎々子、行くぞ!」
俺は兎々子の手をとり、慌てて店を出た。
「安海ちゃん、なにしたの!?」
「一番小さい夜船をおじさんが食べるだろうと予想して中に梅干しをいれといた」
前回と同じく大きいものに入れるわけがない。
二番煎じどころか出がらしもいいところ。
俺がそんなくだらない真似をすると思うか?
「……安海ちゃんって時々、子供っぽいよね」
兎々子に言われるのは心外だったが、否定はしない。
けど、俺が悪戯をするのはおじさんにだけだ。
それを兎々子は知らない。
知っているのはいつも一緒にいた有浄ならきっと大笑いしていたところだ。
こちらから顔を見に行けばよかったのだろうが、なんとなく行きづらく、そうこうしているうちに夏祭り当日になってしまった。
「店の前を通っている気配もないし、あいつどこに行ったんだ」
来ないだけではなく、姿を見かけないのだ。
夏祭りは一緒に行くと言っていたから、今日は顔を出すだろう。
それで俺は朝からあんこを炊き、アイスクリームのお礼も兼ねておはぎを作っていた。
正しく言えば、夏に作るのだからおはぎとは呼ばない。
夜船と呼ぶ。
季節によって名を変える和菓子。
春の牡丹餅、夏の夜船、秋のお萩、冬の北窓。
夏は餅をつかないことから隣の家の人もいつ餅をついたのか気づかない―――それを『夜は船がいつ着いたかわからない』とうまいこと誰かが言い換えて夏は夜船と呼ばれるようになった。
だから、今日作っているのはお萩や牡丹餅ではなく、夜船だ。
甘いものが大好きなおじさんのことだ。
手土産に持って行けば、喜ぶだろう。
それと、有浄の分なのだが―――
「あいつ、なにしてんだ」
米と餅米を混ぜて炊いたものをすりこぎで潰しながら最近、やってこない有浄のことを考えていた。
胡散臭い仕事をしているか、ただ疲れているから来ないのか。
「可能性としては両方か」
今日、夏祭りにこなかったら神社まで行って、この夜船を詰めた重箱を手土産に押しかけるつもりだった。
菓子を持っていけば、そうそう追い返されることもないだろう。
白い米を潰し終わると額に汗がにじんできた。
夏の工場は暑い。
汗もかく。
だが!
ここで満を持してのご登場。
俺は今年から秘密兵器を投入した。
その秘密兵器を設置する。
「その名も扇風機だ!」
黒い羽がつき、スイッチを押すとなんと四段階で風の強さが変わるという優れもの。
さっそくつけてみると涼しい風がぶわっと巻き起こり、一気に快適になった。
高速で回転する羽を眺めるのも楽しい。
ずっと眺めていたいところだが、そんなわけにいかない。
潰した白い米を丸め、小豆の味がしっかりと残る潰しあんで包みこむ。
そして、重箱に形が崩れぬよう一つずつ丁寧に詰めた。
扇風機の風で表面が乾かぬうちに蓋をする。
これで準備は万端だ。
「さてと。アイスクリームをご馳走になりに行くとするか」
藍色の甚平から麻の葉模様の浴衣に着替えた。
七夕の時と同じばあさんが縫ってくれた浴衣だ。
きっと二人もばあさんが縫った浴衣を着てくる。
約束しているわけではなかったが、自然にそうなっていた。
店の鍵を閉め、通りに出ると夕暮れの涼しい風が吹いていた。
下駄の底が石畳に触れるとカラコロと軽快な音を鳴らす。
石畳の道を走っていく子供達がいた。
通りはいつもの夕方より人通りが多く、賑やかな声がしてどこか大人も子供も夏祭りに行くのか浮き足立っていた。
洋食屋『カネオカ』に着くとすでに席は満席でアイスクリームを食べる客で溢れていた。
夏祭り目当てにやってきた客を呼び込むためだろう。
店の前にはアイスクリームの絵と『甘くて冷たい本格アイスクリーム』の文字が加えられた張り紙がしてあった。
本格アイスクリームという響きがまた素晴らしい。
期待しながら店に入り、すぐにおばさんを探したが、俺を最初に見つけたのは残念ながらおじさんのほうだった。
「おう! 安海!」
「……本日はどうも」
「なんでぇ。そんな渋い顔をして。お前、やってくれたな!」
へへっとおじさんは笑った。
これは新しい。
いつものおじさんなら喧嘩上等、入ったなり虫でも追い払おうとするくらいの勢いでくるのだが、今日は友好的だ。
まさか俺が夜船を作ってきたことを見抜いている?
いやいや、そんなはずはない。
「お前のおかげで兎々子の奴……」
すんっとおじさんは鼻をすすった。
感動しているようだが、なにがあったのだろうか。
「米を炊けるようになったんだぞ!」
それかよ。
俺は口に出しておじさんにそう言いかけ、慌てて言葉をのみこんだ。
せっかくおじさんが友好的だというのに自分からこのいい空気を壊すわけにはいかない。
厨房の扉から弟子達がおじさんを『親馬鹿だな』という目で見ているが、きっと兎々子が米を炊けるようになったことを毎日聞かされていたに違いない。
その顔は見るからにおじさんの話に飽き飽きしている顔だった。
「あー……それはよかった。おじさん、これ。アイスクリームのお礼」
風呂敷に包んだ重箱を差し出した。
「お、気が利くじゃねえか。安海。お前も大人になったもんだな。そろそろ俺はお前と分かち合えそうな気がしてきたぞ」
「一番大きいのはおじさんのために作ったから」
「てめぇ、二度とひっかからないからな」
柏餅を思い出したらしい。
さっきまでの友好的な態度だったのだが、一変して険悪な雰囲気になってしまった。
これが日頃の行いってやつか。
「あっ! 安海ちゃーん! 来てたの?」
兎々子は髪をラジオ巻きにして朝顔柄の浴衣をきて現れた。
「お父さん、アイスクリーム二つもらうわね」
「兎々子っ……! 今年もこいつと夏祭りに行くのか」
「そうよ。有浄さんもよ」
空いた窓側の席を陣取った兎々子はアイスクリームが入った硝子の器を手にして座った。
おじさんから向けられる視線がグサグサと俺に突き刺さって痛い。
たぶん、おじさんは兎々子と夏祭りに行きたかったんじゃなかろうか。
ちらりと俺がおじさんの方を見ると寂しそうに背中を向けて厨房に戻って行く姿があった。
あれが男親の哀愁か。
背中が泣いている。
「あらあら、安海ちゃん。来てくれたのにごめんなさいね。忙しくって」
おばさんが銀色のスプーンを持ってきてくれた。
忙しそうに歩き回っているおばさんだが、息切れ一つせず、他の客にも愛想よく笑って挨拶している。
他の客をさばきつつ、合間を縫って俺に話しかけてきた。
「兎々子ね、お米を上手に炊けるようになったのよ」
おばさんまで喜んでいた。
米一つ炊くのに親をここまで悩ます娘も珍しいだろう。
「そうか。よかったな、兎々子」
「私だって本気になればなんだってできるのよ」
いつも本気を出せよと思わなくもなかったが、兼岡家の喜びに水を差すのが悪い気がして言えなかった。
「溶けないうちに食べてね。それじゃあ、ごゆっくり」
ふふふっとおばさんは嬉しそうに笑って去っていった。
アイスクリームが入った硝子の器まで凍らせたのか器は白く霜をはりつけて曇り硝子のようになっていた。
硝子の器に指を触れさせるとひんやりとして本格アイスクリームの謳い文句も納得できる。
器を冷やしてあるおかげか肝心のアイスクリームも細かい氷の粒がきらきらとしていて、どろりと溶ける様子はない。
固めのアイスクリームかと思っていたが、銀のスプーンをそっといれると中は柔らかく簡単にすくうことができた。
口の中で甘く広がった味は和菓子とはまったく違い牛乳の香りがした。
だが、牛乳のように臭くない。
飲みなれない牛乳を苦手だという人は大勢いるが、アイスクリームは食べ慣れていなくてもまずいと聞いたことがない。
それくらい特別な味がする。
「安海ちゃん。美味しいね」
「ああ」
兎々子もアイスクリームが大好きらしく、いつかバケツいっぱいに食べるのが夢だと以前言っていた。
「有浄さんも来ればよかったのに」
「来ないのか?」
「え? 安海ちゃんと有浄さん。喧嘩したんじゃないの?」
なぜ俺と有浄が喧嘩したことになっているのだろうか。
近所の噂話では俺と有浄が喧嘩したことになっているようだった。
「大丈夫よ。安海ちゃん! 喧嘩をしてもアイスクリームを食べたから仲直りできるわ」
「アイスクリームだけに溶けやすい。誤解は早く解けるって?」
「最後ま言わせてよっー!」
誰が言わせるか。
そもそも喧嘩をしていたわけじゃない。
そっちのほうが誤解だ。
「あいつ、夏祭りは一緒に行くって言っていたんだけどな」
「私が有浄さんと出会った時も三人で行こうねって言ったら有浄さんは行くって答えていたわよ」
けれど、アイスクリームを食べ終わっても有浄はやってこなかった。
夏祭り目的でやってきた客も減り、外が薄暗くなった頃、俺は言った。
「先に夏祭りに行っているのかもな」
「うん、そうよね」
夏祭りに向かう人々が窓の外から見え、席から立ち上がった。
「あら、行くの? 気を付けてね。さっき兼岡商店のテツさんがやってきて、有浄さんの姿を夏祭りで見たって言ってたわよ」
「やっぱり先に行っているんだな」
「そうみたい。アイスクリーム、食べる気分じゃなかったとか?」
不思議そうに兎々子は首をかしげた。
気持ちはわかる。
アイスクリームを食べないという選択肢を選べるとはなんて強靭な精神力だ。
「あ、そうだ。夏祭りだから狐のお面を忘れないようにしないとっ」
兎々子はじゃーんと頭の上に狐のお面をつけた。
「はいっ! 安海ちゃんのも」
「どうして兎々子が俺のお面を持っているんだよ」
「安海ちゃんが忘れたら困ると思って、前もって用意しておいたの」
「俺の家から勝手に持ち出すなよ」
「え? 安海ちゃんの家にあるものは私も使っていいんだと思ってたけど」
どこぞのガキ大将かよ。
恐ろしい奴だ。
「その認識は今日で改めておけよ」
「えー!」
不満そうにしていたが、当たり前だろう。
俺は差し出された狐面を受け取った。
さて行くかと店を出ようとした時、おじさんが厨房から飛び出してきた。
「おい、安海! あんまり遅くまで娘を連れ回すなよ! 一回りしたらすぐに帰ってこい。いいな!?」
「なかなか帰してくれないのは兎々子のほうなんだが……」
何度も夜店を往復するのは決まって兎々子だ。
それに付き合わされる俺と有浄の身にもなって欲しい。
「うるさいっ! お前に娘を持つ父親の気持ちがわかってたまるか」
ぐすっと涙ぐみながらおじさんは俺が作った手土産の夜船を手にしていた。
俺が大きいものをおじさんにと言ったせいか、一番小さいものを選んだらしい。
それを口にいれた。
「ぶっ……! なんじゃこりゃー! すっぱああああ!」
「兎々子、行くぞ!」
俺は兎々子の手をとり、慌てて店を出た。
「安海ちゃん、なにしたの!?」
「一番小さい夜船をおじさんが食べるだろうと予想して中に梅干しをいれといた」
前回と同じく大きいものに入れるわけがない。
二番煎じどころか出がらしもいいところ。
俺がそんなくだらない真似をすると思うか?
「……安海ちゃんって時々、子供っぽいよね」
兎々子に言われるのは心外だったが、否定はしない。
けど、俺が悪戯をするのはおじさんにだけだ。
それを兎々子は知らない。
知っているのはいつも一緒にいた有浄ならきっと大笑いしていたところだ。
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