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第七話 闇色のしっぽと祭囃子~夏の夜船~
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香ばしい魚の焦げた匂いが漂い、炊き立てのご飯が白い湯気を上げていた。
ちゃぶ台の上には大根の味噌汁と胡瓜の浅漬けが並ぶ。
「俺が食べたいのはこういうものだ!」
魂の叫びか?
逸嵩は子爵家での暮らしが合わないのか、俺の質素な朝昼ご飯を絶賛した。
「食べたいものを台所に言えばいいだろう」
「言えるか」
「変なところで強がらなくてもいいと思うが」
「一応、俺は成り上がりとはいえ、優秀な男ってのが売りだからな。嫌いだとかやりたくないって言葉は簡単に口にできない」
そんな逸嵩は鮎が刺さった串にがぶりと食らいつき、湯気が上がる白い身をうまそうに食べた。
「子爵家でなにを食べてるんだよ」
「主に洋食だな。朝は卵料理にパン、コーヒー、果物。夜はフルコース」
「豪勢だなぁ」
逸嵩は鮎の腸を食べたのか、苦い顔をした。
焼き立ての鮎の皮からは炭の香りが漂い、胴からかぶりつくとパリッとした皮が破れ、柔らかい白い身が出てきた。
ふんわりとした身にちょうどいい塩加減が口の中に広がる。
鮎は雪のような塩をまとっていて、それがご飯とよく合う。
逸嵩はのんびり食べている俺とは違って、勢いよく炊き立てのご飯を二杯食べ、お茶を一気に飲んだ。
「よし、ごちそうさん! のんびりしていたいが、午後から仕事だ」
休みなのは午前だけだったらしい。
「やっぱりお前は忙しい奴だな」
「馬鹿言え。忙しい方がいいに決まっている。忙しいほど物事が動いている証拠だからな」
脱いだ背広の上着を着てネクタイを結び直し、逸嵩は身なりを整えた。
「安海。なにかあったらすぐに言えよ」
「ああ。心配かけて悪いな」
店の前まで出て逸嵩を見送った。
すぐ近くに迎えがきていたらしく、車に乗って去っていった。
最初は用事がないふりをしていた逸嵩だが、結局のところ、俺に有浄の話をするために寄ったのだろう。
「有浄と話をするか……」
あいつと俺の仲で真面目な話をすることは滅多にない。
むしろ、かしこまって話をするほうが不自然だ。
だが、毎晩のように夏祭りを探して歩き回っているのはおかしい。
逸嵩が自分を監視していること有浄に有浄は気づいているのだろうか、
「あら。安海ちゃん、今日はお店休みなのね」
一瞬、兎々子の声かと思い、ハッとして振り返るとそこには洋食屋『カネオカ』のおばさんが立っていた。
出掛けていたのか手には風呂敷包みを持ち、強い日差しを避けるため白い日傘をさしている。
奥様らしく、おばさんは杜若色の紗の生地に黄色と白の縦縞が入った着物、珊瑚の草花細工の帯どめをつけていた。
「いつも兎々子が迷惑かけてごめんなさいね」
「そうですね」
そこは否定しない。
おばさんはがっくり肩を落とした。
「そ、そうよね。娘ながら、料理はできないし、裁縫は苦手だし、親から見てもちょっとドジだものね」
ちょっとではないが、俺は素直にうなずいた。
「でもね、優しい子なのよ。前に兎々子がお見合いを失敗したのだって、猫にお菓子を盗られて追いかけたからなのよ。それは安海ちゃんが作ったお菓子でね」
いつでも食べれるのだから、黙って猫にやっておけばいいものを猫相手に本気に争ったのだろう。
ドタバタぶりが目に浮かぶ。
「その後のお見合いが失敗したのもお相手がお菓子を食べないものだから、兎々子が美味しいお菓子なんですよってすすめたのよ。そしたら、お相手が洋菓子のほうがうまいですよって言われてね。それで喧嘩になったのよ」
「いや、洋菓子もうまいと思うが」
それは嗜好の問題で兎々子だって洋菓子が好きだったはずだ。
「全部、安海ちゃんが作ったお菓子だったから、腹が立ったんでしょうね。昔からあの子はずっと安海ちゃんのことが大好きだから」
「知ってます」
「えっ!? 知って……」
「懐かれていることは」
おばさんがまたがっくりと肩を落とした。
けど、悪い気はしなかった。
今日、兎々子がやってきたら黒糖羊羹を土産に持たせてやろうと思うくらいには嬉しかった。
「それより、おばさん。さすがに米くらいは炊けないと結婚どころか生活に困ると思う」
おばさんは小さい声でそうね……と呟いた。
「それから、兎々子が優しいのは知ってます」
「そうよね!」
親の手前せめてひとつは褒めておこうと俺は気を利かせて言ったつもりだったが、俺が思った以上におばさんは大喜びしていた。
「大事なのはお米ってこと……?」
米は主食だから大事に決まっている。
おばさんは真剣な顔でぶつぶつとつぶやいた。
「特訓すればご飯くらいは炊けるようになるわよね。同じ血をわけた兄妹なのにどうして兎々子は料理が苦手なのかしら」
年頃の娘を持つと悩みが尽きないようで大変だ。
それに洋食屋『カネオカ』の子供はもう一人いる。
フランスで洋食の修行をしている兎々子の兄で俺より年下だが、落ち着いていて兎々子とは正反対の性格をしている。
「兎々子には兎々子のいいところがあるから、気にしなくても」
「安海ちゃん、ありがとうね。私が責任もってご飯くらいは炊けるように仕込むわね!」
おばさんは力強く意気込んだ。
「そうだわ。いつも兎々子が迷惑かけているお詫びにアイスクリームをごちそうしてあげる。夏祭りの日、少し早めにいらっしゃいな」
「アイスクリーム!?」
「ええ。夏祭りの日は特別にアイスクリームを出すの」
冷たく甘いアイスクリーム。
口に入れると一瞬で溶けてしまう儚いアイスクリーム。
冬でも夏でもアイスクリームはうまいと思うくらい好物だった。
「絶対に行きます」
「有浄さんも誘ってね」
毎年三人で夏祭りに行くことをおばさんは知っている。
俺は力強くうなずいた。
有浄もアイスクリームは大好きだ。
絶対に喜ぶ。
おばさんはそれじゃあねと優しげな声で言って去っていった。
ちゃぶ台の上には大根の味噌汁と胡瓜の浅漬けが並ぶ。
「俺が食べたいのはこういうものだ!」
魂の叫びか?
逸嵩は子爵家での暮らしが合わないのか、俺の質素な朝昼ご飯を絶賛した。
「食べたいものを台所に言えばいいだろう」
「言えるか」
「変なところで強がらなくてもいいと思うが」
「一応、俺は成り上がりとはいえ、優秀な男ってのが売りだからな。嫌いだとかやりたくないって言葉は簡単に口にできない」
そんな逸嵩は鮎が刺さった串にがぶりと食らいつき、湯気が上がる白い身をうまそうに食べた。
「子爵家でなにを食べてるんだよ」
「主に洋食だな。朝は卵料理にパン、コーヒー、果物。夜はフルコース」
「豪勢だなぁ」
逸嵩は鮎の腸を食べたのか、苦い顔をした。
焼き立ての鮎の皮からは炭の香りが漂い、胴からかぶりつくとパリッとした皮が破れ、柔らかい白い身が出てきた。
ふんわりとした身にちょうどいい塩加減が口の中に広がる。
鮎は雪のような塩をまとっていて、それがご飯とよく合う。
逸嵩はのんびり食べている俺とは違って、勢いよく炊き立てのご飯を二杯食べ、お茶を一気に飲んだ。
「よし、ごちそうさん! のんびりしていたいが、午後から仕事だ」
休みなのは午前だけだったらしい。
「やっぱりお前は忙しい奴だな」
「馬鹿言え。忙しい方がいいに決まっている。忙しいほど物事が動いている証拠だからな」
脱いだ背広の上着を着てネクタイを結び直し、逸嵩は身なりを整えた。
「安海。なにかあったらすぐに言えよ」
「ああ。心配かけて悪いな」
店の前まで出て逸嵩を見送った。
すぐ近くに迎えがきていたらしく、車に乗って去っていった。
最初は用事がないふりをしていた逸嵩だが、結局のところ、俺に有浄の話をするために寄ったのだろう。
「有浄と話をするか……」
あいつと俺の仲で真面目な話をすることは滅多にない。
むしろ、かしこまって話をするほうが不自然だ。
だが、毎晩のように夏祭りを探して歩き回っているのはおかしい。
逸嵩が自分を監視していること有浄に有浄は気づいているのだろうか、
「あら。安海ちゃん、今日はお店休みなのね」
一瞬、兎々子の声かと思い、ハッとして振り返るとそこには洋食屋『カネオカ』のおばさんが立っていた。
出掛けていたのか手には風呂敷包みを持ち、強い日差しを避けるため白い日傘をさしている。
奥様らしく、おばさんは杜若色の紗の生地に黄色と白の縦縞が入った着物、珊瑚の草花細工の帯どめをつけていた。
「いつも兎々子が迷惑かけてごめんなさいね」
「そうですね」
そこは否定しない。
おばさんはがっくり肩を落とした。
「そ、そうよね。娘ながら、料理はできないし、裁縫は苦手だし、親から見てもちょっとドジだものね」
ちょっとではないが、俺は素直にうなずいた。
「でもね、優しい子なのよ。前に兎々子がお見合いを失敗したのだって、猫にお菓子を盗られて追いかけたからなのよ。それは安海ちゃんが作ったお菓子でね」
いつでも食べれるのだから、黙って猫にやっておけばいいものを猫相手に本気に争ったのだろう。
ドタバタぶりが目に浮かぶ。
「その後のお見合いが失敗したのもお相手がお菓子を食べないものだから、兎々子が美味しいお菓子なんですよってすすめたのよ。そしたら、お相手が洋菓子のほうがうまいですよって言われてね。それで喧嘩になったのよ」
「いや、洋菓子もうまいと思うが」
それは嗜好の問題で兎々子だって洋菓子が好きだったはずだ。
「全部、安海ちゃんが作ったお菓子だったから、腹が立ったんでしょうね。昔からあの子はずっと安海ちゃんのことが大好きだから」
「知ってます」
「えっ!? 知って……」
「懐かれていることは」
おばさんがまたがっくりと肩を落とした。
けど、悪い気はしなかった。
今日、兎々子がやってきたら黒糖羊羹を土産に持たせてやろうと思うくらいには嬉しかった。
「それより、おばさん。さすがに米くらいは炊けないと結婚どころか生活に困ると思う」
おばさんは小さい声でそうね……と呟いた。
「それから、兎々子が優しいのは知ってます」
「そうよね!」
親の手前せめてひとつは褒めておこうと俺は気を利かせて言ったつもりだったが、俺が思った以上におばさんは大喜びしていた。
「大事なのはお米ってこと……?」
米は主食だから大事に決まっている。
おばさんは真剣な顔でぶつぶつとつぶやいた。
「特訓すればご飯くらいは炊けるようになるわよね。同じ血をわけた兄妹なのにどうして兎々子は料理が苦手なのかしら」
年頃の娘を持つと悩みが尽きないようで大変だ。
それに洋食屋『カネオカ』の子供はもう一人いる。
フランスで洋食の修行をしている兎々子の兄で俺より年下だが、落ち着いていて兎々子とは正反対の性格をしている。
「兎々子には兎々子のいいところがあるから、気にしなくても」
「安海ちゃん、ありがとうね。私が責任もってご飯くらいは炊けるように仕込むわね!」
おばさんは力強く意気込んだ。
「そうだわ。いつも兎々子が迷惑かけているお詫びにアイスクリームをごちそうしてあげる。夏祭りの日、少し早めにいらっしゃいな」
「アイスクリーム!?」
「ええ。夏祭りの日は特別にアイスクリームを出すの」
冷たく甘いアイスクリーム。
口に入れると一瞬で溶けてしまう儚いアイスクリーム。
冬でも夏でもアイスクリームはうまいと思うくらい好物だった。
「絶対に行きます」
「有浄さんも誘ってね」
毎年三人で夏祭りに行くことをおばさんは知っている。
俺は力強くうなずいた。
有浄もアイスクリームは大好きだ。
絶対に喜ぶ。
おばさんはそれじゃあねと優しげな声で言って去っていった。
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