上 下
57 / 65
第七話 闇色のしっぽと祭囃子~夏の夜船~

(4)

しおりを挟む
風呂屋を後にし、石畳の通りを歩いて逸嵩はやたかと一緒に店に戻った。
千年屋ちとせや』は今日一日店を閉めるつもりで店先の木製の樽には西瓜スイカが浮かべてあった。
水に浮かべられた西瓜は竹から落ちてくる水を弾き、緑と黒の皮に水があたり軽い水音をたてている。

『店主の都合により本日休業』

そんな張り紙を堂々と張り出し、今日の風呂屋のために昨日から西瓜を買って準備したのは湯上りのおやつにするためだった。
それと、張り紙を無視して今日もやって来るであろう二人と西瓜を食べるつもりで用意した。
有浄ありきよ兎々子ととこが来るだろうと昨日のうちに黒糖羊羹こくとうようかんも作っておいたのだが、逸嵩はやたかが来るとは予想外だった。
逸嵩に黒糖羊羹を分厚く切り、麦茶を出した。
あゆを持ってきてくれた功績は称えねばならない。

「こないだの竹筒羊羮たけづつようかんもあっさりしていてうまいと思ったが、どっしりとした羊羮もうまいな。これ、黒糖か?」

「そうだ」

逸嵩は羊羹をさっさと食べ終わると俺が用意した七輪に炭を入れた。

「やっぱ魚を焼くなら七輪だよな」

逸嵩は手慣れた様子で鮎を串に刺し、表面が白くなるまで塩を振る。
あとは皮に焦げ目がついてぱりっとするまでじっくり待つのみだ。
俺は縁側に座り、団扇で扇ぎながら庭の逸嵩に話しかけた。

「逸嵩。今日は仕事に行かなくていいのか?」

「たまには俺も休もうと思ってな。周りから働きすぎだと言われて困っている」

それは否定しない。
逸嵩が忙しいのは人づてに聞いている。

「仕事が休みなのはいいが、結婚したばかりだろ。子爵家にいたほうがよかったんじゃないのか」

「息がつまる。だいたい考えてみろよ。俺はそんな大層な生まれでも育ちでもない。安海も知ってるだろ? 鮎を食うのにお上品に箸で身をほぐすなんて食った気がするか」

そういう理由で俺のところに来て七輪で焼いているのか。
串に刺さった鮎を眺め、なるほどとうなずいた。

「なあ、逸嵩。さっきの話なんだが、有浄はどこの夏祭りにいたんだ?」

一之森いちのもりが出没する夏祭りがどことは言えない」

「どういう意味だ?」

「内緒って言う意味じゃないぞ」

逸嵩は気まずそうに靴の先で庭の砂を掻いた。
蝉の声がうるさく、昼も近くなると木陰も小さくなり、涼める部分はあまりない。
庭を這う蟻も冷たい土を探しているのか、ふらふらして見えた。

「あいつが出没する夏祭りが多すぎて、どこだと限定して言えないってことだ」

そう言うと逸嵩は暑かったのか背広の上着を縁側に放り投げた。
そして引き続き七輪の炭の様子を眺めていた。
子爵家で七輪を自ら使うことがないせいか、逸嵩は目を細めて炭の赤い炎を楽しげに見つめている。

「俺は学生の頃から何度も一之森と夏祭りで顔を合わせていた」

「初耳だな」

「最初はただの偶然だと思っていたから気にしていなかった。それが毎年、そこらの夏祭りであいつの姿を目にしていることに気づいた」

「ほとんどの夏祭りにいるってことか?」

「ほとんどじゃない。夏祭りがある場所すべてに足を運んでいる」

「全部!?」

俺が驚くと逸嵩は気まずそうに頬をかいた。

「いや、俺も調べるつもりはなかったんだけどよ。つい、気になって部下にあいつの後を追わせたんだよな。それでわかった。毎年、夏の時期になると必ず夏祭りに行く。それも一人でだ」

知らなかった。
いや、少しは気づいていた。
この時期になると夕飯を一緒に食べることがなく、誘っても大抵断られていた。
ただ仕事が忙しいのかもしれないと思って気にしていなかったが―――夏祭り?

「あいつに限って夏祭りが大好きってわけじゃないだろう」

「そんな話は聞いたことないな」

「そうか。俺はあいつがなぜ夏祭りに行くのかずっと理由を考えていた。だが、俺にはあいつがなにを考えているかわからなかった」

「俺に迷惑をかけることだけを考えていることは確かだ」

冗談(ほとんど本気)で俺はそんなことを言ったが、いつも有浄は夏の昼間、気だるげにしていたのを思い出した。
夏は暑くて苦手なだけかと思っていた。

「それでだ。一之森の考えはわからなくとも俺はひとつの仮定に思い至ったってわけだ。気を悪くするなよ? あくまで仮定なんだからな」

「ああ」

安海やすみのじいさんとばあさんがいなくなったのは夏だったと俺は記憶している」

「そうだが……」

つまり、逸嵩が部下まで使って調べていたのは俺のじいさんとばあさんの行方を有浄が知っているんじゃないかと疑って監視していたということか。
勘のいい逸嵩だ。
それはそこそこ当たっているのかもしれない。
長い間、有浄が夏祭りに現れる理由を逸嵩は考えていたのだろうが、答えは出ず、仮定として出た自分なりの答えを俺に伝えるしかなかった。
そういういことだろう。

「俺はあいつのことは嫌いじゃない。だが、得体が知れない男だと思っている」

パチッと炭が音をたてた。
赤い火の粉が散る。

「俺もな、綺麗な仕事ばかりをしているわけじゃない。だから、あえて言わなかった」

「なんの仕事をしてるんだ? 議員だろ?」

「俺の本当の仕事は国の発展のための開発事業だ」

「議員より逸嵩に似合っているよ」

「俺もそう思っている。でもな、発展のためには土地が必要なんだ。余っている土地がな。それで、まあ、余っている土地ってなるといわく付きか人の住んでない場所ってことになる」

「どんな場所だ?」

「神社や祠や町にある地蔵やら、邪魔になるものを排除して新しくそこに道路を引き、建物を建てる」

太郎の神社跡の更地が頭に浮かんだ。
そこはもう新しい建物が建っていて神社があったことを覚えている者がどれだけいるだろうか。
そして、入らずの森での姿と消えていくあやかし達。
俺が見たのはほんの一部だが、有浄はもっと多くのあやかしを目にしているのかもしれない。

「一之森にはきっと俺達と違うものが見えているんだろうな。それで俺を嫌っているんだろうが、俺には俺のやるべきことがある。信念ってやつだ」

「そうだな……」

俺はそう返事をするしかなかった。
ただの一般人で和菓子職人の俺は世の中で起きていることを逸嵩ほど理解しているわけじゃない。
そして、逸嵩は自分がこうだと思ったことを曲げずに貫くことも知っている。
簡単に止められるような男ではない。

「それでだ。俺の仕事上、いわくつきの場所を触るとおかしなことが起きることが何度かあった」

「触ると障るからな」

これは冗談ではない。
逸嵩は苦笑で返した。

「祟りってやつだろ。一之森も同じことを言っていた。だから、やめろとも言っていたか。まあ、やめられないんだが。それで俺の上司は一之森を呼んでなんとかしてもらっていた。帰る頃には大抵のおかしなことは収まる」

「一応、神主だからな」

「おい。もう少し危機感を持てよ。俺は安海に忠告しにきたんだぞ」

「俺に忠告?」

「あまりあいつに関わるなってことを言いにきた。お前までどこかに連れてかれたらかなわん」

逸嵩は俺のじいさんとばあさんが有浄にさらわれたんじゃないかと思っているらしい。
さすがにそれはない。
俺は笑いをこらえながら言った。

「逸嵩。あいつは人攫ひとさらいなんかするような奴じゃない。忙しい部下を使ってまで調べなくても大丈夫だ」

「信頼してるんだな」

「長い付き合いで腐れ縁だからな。逸嵩。鮎は焼けたか? 昼飯にしよう」

すでに朝飯とは呼べず、ちょうど正午のドンが鳴った。
それを合図に逸嵩は険しい顔をわずかに緩めた。
本気で逸嵩は有浄に俺のじいさんとばあさんが攫われたと思っているらしい。
そして、俺も攫われてどこかに連れていかれる。
そんな筋書きが逸嵩の中で出来上がっているようだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あやかし警察おとり捜査課

紫音
キャラ文芸
 二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。  しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。  反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。 ※第7回キャラ文芸大賞・奨励賞作品です。

諦めて溺愛されてください~皇帝陛下の湯たんぽ係やってます~

七瀬京
キャラ文芸
庶民中の庶民、王宮の洗濯係のリリアは、ある日皇帝陛下の『湯たんぽ』係に任命される。 冷酷無比極まりないと評判の皇帝陛下と毎晩同衾するだけの簡単なお仕事だが、皇帝陛下は妙にリリアを気に入ってしまい……??

雇われ側妃は邪魔者のいなくなった後宮で高らかに笑う

ちゃっぷ
キャラ文芸
多少嫁ぎ遅れてはいるものの、宰相をしている父親のもとで平和に暮らしていた女性。 煌(ファン)国の皇帝は大変な女好きで、政治は宰相と皇弟に丸投げして後宮に入り浸り、お気に入りの側妃/上級妃たちに囲まれて過ごしていたが……彼女には関係ないこと。 そう思っていたのに父親から「皇帝に上級妃を排除したいと相談された。お前に後宮に入って邪魔者を排除してもらいたい」と頼まれる。 彼女は『上級妃を排除した後の後宮を自分にくれること』を条件に、雇われ側妃として後宮に入る。 そして、皇帝から自分を楽しませる女/遊姫(ヨウチェン)という名を与えられる。 しかし突然上級妃として後宮に入る遊姫のことを上級妃たちが良く思うはずもなく、彼女に幼稚な嫌がらせをしてきた。 自分を害する人間が大嫌いで、やられたらやり返す主義の遊姫は……必ず邪魔者を惨めに、後宮から追放することを決意する。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

龍神様の婚約者、幽世のデパ地下で洋菓子店はじめました

卯月みか
キャラ文芸
両親を交通事故で亡くした月ヶ瀬美桜は、叔父と叔母に引き取られ、召使いのようにこき使われていた。ある日、お金を盗んだという濡れ衣を着せられ、従姉妹と言い争いになり、家を飛び出してしまう。 そんな美桜を救ったのは、幽世からやって来た龍神の翡翠だった。異界へ行ける人間は、人ではない者に嫁ぐ者だけだという翡翠に、美桜はついて行く決心をする。 お菓子作りの腕を見込まれた美桜は、翡翠の元で生活をする代わりに、翡翠が営む万屋で、洋菓子店を開くことになるのだが……。

イケメン歯科医の日常

moa
キャラ文芸
堺 大雅(さかい たいが)28歳。 親の医院、堺歯科医院で歯科医として働いている。 イケメンで笑顔が素敵な歯科医として近所では有名。 しかし彼には裏の顔が… 歯科医のリアルな日常を超短編小説で書いてみました。 ※治療の描写や痛い描写もあるので苦手な方はご遠慮頂きますようよろしくお願いします。

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

その手で、愛して。ー 空飛ぶイルカの恋物語 ー

ユーリ(佐伯瑠璃)
キャラ文芸
T-4ブルーインパルスとして生を受けた#725は専任整備士の青井翼に恋をした。彼の手の温もりが好き、その手が私に愛を教えてくれた。その手の温もりが私を人にした。 機械にだって心がある。引退を迎えて初めて知る青井への想い。 #725が引退した理由は作者の勝手な想像であり、退役後の扱いも全てフィクションです。 その後の二人で整備員を束ねている坂東三佐は、鏡野ゆう様の「今日も青空、イルカ日和」に出ておられます。お名前お借りしました。ご許可いただきありがとうございました。 ※小説化になろうにも投稿しております。

処理中です...