~千年屋あやかし見聞録~和菓子屋店主はお休み中

椿蛍

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第七話 闇色のしっぽと祭囃子~夏の夜船~

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硝子戸を開けて店の中に入ってきた有浄ありきよはこざっぱりとした顔をしていた。
そして白の蜻蛉柄とんぼがら模様の紫黒しこく色の浴衣ゆかた姿。
それで俺はピンときた。

「有浄! お前、朝から風呂屋に行ってきたな!」

この裏切り者め!
俺は藍色の甚平じんべい、頭に手ぬぐいをかぶり朝から働いていたというのに有浄は優雅に朝湯あさゆときたもんだ。
有浄は手にした夏用の扇子を口にあて微笑んだ。

「風呂屋が土用どようの入りから桃の葉を湯に浮かべているって聞いたから、これは行かねばならないと思ってね。ほら、桃は魔除けになるって言うだろう? 安海やすみも行ってくるといいよ」

「俺を見ろ!」

「さっきから見てるよ」

「働いているんだぞ」

「いいことだね」

がっくりと陳列台の上に手をついた。
俺は風呂屋が大好きだ。
石畳の通りにある大きな風呂屋はつい最近、改装してタイル張りとなったと聞いた。
その上、浮世絵風に描かれた富士山のペンキ絵があるんだぞと耳にし、風呂屋好きとしてこれはぜひ見に行かねばと思っていたところだった。

「なあ……。ラムネも飲んだのか」

「飲んだね」

改装後、風呂屋が食品や日用品まで売り出したという噂は本当だったようだ。
俺が行った時は改装前で麦茶しかなかったというのに……
いや、麦茶でもいい。
風呂屋の二階で冷たい麦茶を飲みながら硝子窓を開け放ち、上から道行く人を眺める。
そして湯上がりの体を団扇でゆっくりと扇ぎながらのんびりするのが朝湯後の最高の過ごし方だ。
俺は悔しさから意気揚々と店を開けたことを少しだけ後悔してしまった。

心太ところてんを一つ」

俺の落胆ぶりを無視して有浄は財布を取り出すと心太の代金を置いた。

「わかった……」

渋々、有浄のために俺は店先の冷たい湧き水の中から心太の塊を一つ取り出し、心太つき棒でとんっと突いた。
心太が麺のようにしゅるりと出てきて、器の中にうまく収まる。

醤油しょうゆ辛子からしでいいか?」

「もちろん」

兼岡商店の松印醤油をさっとかけ、黄色の辛子をちょんっと器の端に添える。
見るからにひんやりとして涼を呼ぶ。

「湯上りには心太だね」

有浄は竹の長椅子に座り、風鈴の音を楽しみながら心太を箸でつまんだ。
夏の朝を満喫している。
恨めしい気持ちで有浄を横目で眺めつつ、俺は次から次へとやってくる客に菓子や心太を売った。
今日の和菓子は黄粉をたっぷりまぶしたわらび餅と赤紫蘇あかじそ餅。
赤紫蘇餅は桜餅のような形をしていて、赤紫蘇の葉を浸けた汁を生地に練り込み焼いたものに白あんを包んだ。
暑い時期、赤紫蘇の葉で巻いたさわやかな香りがする赤紫蘇餅は人気で売れ行きも上々。
昼過ぎにはほとんど売れてしまった。
数個だけ残っているのはいつもの常連である堂六どうろく先生が来ていないからだろう。
夏休み前で小学校の仕事が忙しいのかもしれない。
忙しいのは俺だけじゃないと思えば、少しだけ心が癒される。
だが、そんな俺をかえりみず、有浄は茶の間で赤紫蘇餅と渋い茶でくつろいでいる。

「おい、有浄。暇なのか」

「安海よりは忙しいよ」

有浄は縁側の柱に寄りかかり、朝顔を眺めながら言った。

「どこがだ!」

「いいじゃないか。たまには俺が休んでいても。わらび餅ひとつ」

俺の立ち位置を奪うなよ。
納得いかないまま、俺は蕨餅を差し出すと有浄は皿をひょいっと取り上げて言った。

「きな粉がいいねー」

蕨粉わらびこの味を殺さぬよう少量の砂糖で作った蕨餅はあっさりとした甘さに仕上げた。
たっぷりのきな粉をまぶした蕨餅はするすると口の中に入ってどれだけでも食べられる。

「もう一つ食べようかな」

二個目を食べようと店にまで出てきた有浄だったが、がらりと硝子戸が開く音と風鈴がチリーンと悲鳴をあげたのを耳にして手を止めた。

「安海ちゃーん! 有浄さん、こんにちは」

「こんにちは。兎々子ちゃん。学校の授業が終わったんだ?」

「うん。心太があるってテツさんから聞いて来たの」

「そういや、テツの奴。どこから帰ったんだ? あいつ、店の前を通らなかったな」

「もうすぐ夏祭りがあるでしょ? 兼岡商店も屋台を出すの。テツさんは夏祭りの打ち合わせのために橋を渡って川向うの町に行ってきたのよ」

「ああ、それでか」

夏祭りがあるのは料亭『菊井きくい』とうなぎ屋のある川沿いの並びだ。

「有浄さんはどのお菓子を食べたの? 心太? 蕨餅?」

そう兎々子が尋ねたが、有浄の返事がない。

「有浄?」

「あ……えーと、ぼんやりしてたよ。で、夏祭りがなんだって?」

「今は和菓子の話よ」

「どれもおいしかったよ」

「そうだろうな。心太食べて赤紫蘇餅を三個、蕨餅は二個目に突入するところだったぞ」

「そんなに食べたの!? ずるい! 安海ちゃん、私にも心太っ!」

「はいはい」

有浄にいつもの鋭さがないのは一人で朝湯に行き、茶の間でゴロゴロしていたからだろう。
まったく、人の家でくつろぎすぎだ。

「安海ちゃん、きな粉ちょうだい」

「待て! 心太にきな粉をかけるつもりか!」

「甘くして食べるの」

「醤油屋のじいさんが泣くぞ」

「お父さんは砂糖をかけてたわよ」

なお悪い。
せめて大豆を食えよ。
醤油屋の息子と孫は心太に醤油派ではないらしい。
蕨餅に使った残りのきな粉をかけてやると兎々子は大喜びで店の前の竹の長椅子にちょこんと座って心太を食べた。

「冷たくて甘くておいしーい」

昔から変わらない兎々子の姿に俺も有浄も笑った。

「あっ、そうだ! 二人とも今年も一緒に夏祭り行こうね」

「ヒヨコは買うなよ」

「可愛いのに」

「お前、よくそんなことが言えるな。成長した鶏に追いかけ回されていただろ? 蹴られた上にクチバシでつつかれたのを忘れたのか」

「ぐっ……! 知ってたの」

屋台生まれの屋台育ちは凶暴だとか、文句を言っていたのはお前だよ。
ブツブツ言いながら擦り傷を手当てしていたくせにまったく懲りてない。

「わ、私の鶏との戦いはいいのよ。あれはね、お互いの友情を深めあってるの! あー、夏祭り、楽しみー!」

なんだその無駄な強がりは。
俺だけじゃなく、有浄も呆れた顔をしていた。
だいたい夏祭りに行くのは毎年のことで俺も有浄も言われなくても行くつもりでいた。
今年も夏祭りの時期がやってきた。
そんな軽い気持ちだった。
―――この時は。
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