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第六話 夏の合戦~夜空の下の七夕流し~
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「狸がまた来たか」
「なぜわかるっ!」
狸は化け上手。
それこそ狐よりもうまいかもしれない。
だが、人の形になれても中身までは無理のようだ。
もしかすると、狐のほうがうまく人間というものを演じるかもしれない。
「先生はもう買って帰ったぞ」
着物の袂から新聞紙に包んだ虫食いの小豆を取り出した。
小豆を投げつけようと構えると狸が慌てだした。
「ま、待て! 今日こそ話をしよう」
「わかった」
そう返事をして小豆をバラッと投げつけた。
今日は連続でいける。
なぜなら、虫食い小豆だから心置きなく投げられる。
「ぎゃっ! い、いてっ、いててっ!」
先生の姿から茶色の狸に戻ると涙目で俺を見上げた。
「わかったと言いながら小豆を投げつけるとはとんでもない悪党だな! 信用ならん人間め!」
「いや、堂六先生に化けて俺を騙そうとしたくせに信用ならんと言われても困るんだが」
俺は身を守っただけ。
自己防衛してなにが悪いんだ。
狸はなにがしたかったのか、近所のおばちゃん達がワイワイと集まって来たのを見て逃げて行った。
「安海ちゃん! 買ってきたよ。赤色の金魚!」
帆布製の肩掛け鞄を今日ほど恨めしく思ったことはない。
自由を与えてはいけない人間に自由を与えてしまったようだ。
洗濯タライに金魚を入れるなんて鬼の所業だろう。
病み上がりの俺の仕事がすでに二つも増えた。
七夕の笹を用意することと金魚鉢を買うことだ。
「まったくお前は本当にろくなことを……」
どんな金魚を買ったのかと洗濯タライを覗き込むと中に石ころが二つと木の葉が二枚ぷかりと浮かんでいた。
金魚の姿はどこにも見当たらない。
「あ、あれ?」
兎々子は両手で洗濯タライを持ち、食い入るように中を覗き込んでいた。
「どうして? さっきまで金魚だったよね!?」
「いや、俺は見てない」
俺が見た時にはすでに石ころと木の葉だった。
兎々子は金魚売りを探すが、さっきまでいたはずの金魚売りはもういなくなっていた。
泣き出しそうな顔で洗濯タライの石ころを眺めているのを見るとさすがに可哀想になり、声をかけようとしたその時―――
「店が開いていると耳にしたから来たんだけど、『千年屋』は和菓子屋をやめて洗濯屋にでも転職したのかな?」
石畳の道を有浄がのんびり歩きながら太郎を連れてやってきた。
今日の有浄は流行色の鳩羽色の着物を着ている。
夏は着流しと決めているのか夏扇子を帯の左側に差し、今日も涼し気な姿だ。
洋装でなくとも十分にお洒落で、藍色の甚平に頭に手ぬぐいをかぶっている俺とは大違いだった。
「有浄さん、聞いて! 金魚が石ころに変わったの。私が買った時は赤い金魚が水の中を泳いでいたのよ? それなのに……」
「たちの悪い金魚売りだったね」
「私、騙されたの?」
「そうみたいだね」
有浄はきっぱりと言った。
慰めは一切なし。
兎々子はズーンと漬け物石二個は頭の上にのせたかのように落ち込んだ。
「あー、兎々子。今から学校だろ? 早く行かないと遅刻するぞ」
「うん……」
兎々子はトボトボと洗濯タライを庭に片付けに行き、戻って来てもまだ落ち込んでいた。
自分が酷いドジを踏んだ時より騙された時の方が精神的に堪えるらしい。
「いってきます……」
その声は蝉の鳴き声に負けていた。
「あ、ああ……気をつけてな」
「いってらっしゃい」
兎々子の背中は心なしか丸まっていた。
それを眺めた有浄が言った。
「太郎。兎々子ちゃんの護衛をしてくれるかな。どうも悪い狸達が周りにいるようだ」
『ふん! 狸のくせに兎々子様を騙すとは生意気な。狸どもがやってきたら追い払ってくれるわ!』
口ではかっこいいことを言った太郎だが、普通の犬のように兎々子の後ろを追いかけていった。
途中すれ違った子どもから『あっ、犬だー』と言われているのもばっちり聞こえた。
「これで兎々子ちゃんは大丈夫だろう」
「それならいいが、あの狸達はなんだ? 有浄の知り合いか? それともお前への復讐か?」
「俺達への力試しかな」
「俺達ってなんだその仲間扱い」
「仲間だよ」
「なんのだよ」
「そうだなー。和菓子を美味しくたべるための仲間」
「むっ……!」
それを言われては反論できない。
にやにやと有浄は笑って肩を組んできた。
「さーて、今日はなにを食べようかな」
「完全にお前の厄介ごとに巻き込まれてるからな!」
「俺も迷惑してるよ。安海の偽者がやってきたからね」
「俺の!?」
「冗談を言わない真面目な安海だったよ」
「そいつは偽者だ!」
とうとう俺の偽者まで出たとなるとこれは大問題だ。
「狸が俺達に挑戦してなにが楽しんだろうな」
「挑戦してきたのは狸というよりあちら側からの挑戦だよ」
「あちら側ね……」
こちら側もあちら側もないと思うんだが、どうも世界はややこしい。
さて、店に入るかと思っていると背広の上着を振り回しながらやってきた男がいた。
「よお! いい朝だな!」
千客万来とはこのことだ。
逸嵩がやってきた。
「暑苦しい朝だ」
有浄の冷え冷えとした声が逸嵩とは対照的で今は狸が化けた有浄でもよかったかもしれないと思ってしまった。
「なぜわかるっ!」
狸は化け上手。
それこそ狐よりもうまいかもしれない。
だが、人の形になれても中身までは無理のようだ。
もしかすると、狐のほうがうまく人間というものを演じるかもしれない。
「先生はもう買って帰ったぞ」
着物の袂から新聞紙に包んだ虫食いの小豆を取り出した。
小豆を投げつけようと構えると狸が慌てだした。
「ま、待て! 今日こそ話をしよう」
「わかった」
そう返事をして小豆をバラッと投げつけた。
今日は連続でいける。
なぜなら、虫食い小豆だから心置きなく投げられる。
「ぎゃっ! い、いてっ、いててっ!」
先生の姿から茶色の狸に戻ると涙目で俺を見上げた。
「わかったと言いながら小豆を投げつけるとはとんでもない悪党だな! 信用ならん人間め!」
「いや、堂六先生に化けて俺を騙そうとしたくせに信用ならんと言われても困るんだが」
俺は身を守っただけ。
自己防衛してなにが悪いんだ。
狸はなにがしたかったのか、近所のおばちゃん達がワイワイと集まって来たのを見て逃げて行った。
「安海ちゃん! 買ってきたよ。赤色の金魚!」
帆布製の肩掛け鞄を今日ほど恨めしく思ったことはない。
自由を与えてはいけない人間に自由を与えてしまったようだ。
洗濯タライに金魚を入れるなんて鬼の所業だろう。
病み上がりの俺の仕事がすでに二つも増えた。
七夕の笹を用意することと金魚鉢を買うことだ。
「まったくお前は本当にろくなことを……」
どんな金魚を買ったのかと洗濯タライを覗き込むと中に石ころが二つと木の葉が二枚ぷかりと浮かんでいた。
金魚の姿はどこにも見当たらない。
「あ、あれ?」
兎々子は両手で洗濯タライを持ち、食い入るように中を覗き込んでいた。
「どうして? さっきまで金魚だったよね!?」
「いや、俺は見てない」
俺が見た時にはすでに石ころと木の葉だった。
兎々子は金魚売りを探すが、さっきまでいたはずの金魚売りはもういなくなっていた。
泣き出しそうな顔で洗濯タライの石ころを眺めているのを見るとさすがに可哀想になり、声をかけようとしたその時―――
「店が開いていると耳にしたから来たんだけど、『千年屋』は和菓子屋をやめて洗濯屋にでも転職したのかな?」
石畳の道を有浄がのんびり歩きながら太郎を連れてやってきた。
今日の有浄は流行色の鳩羽色の着物を着ている。
夏は着流しと決めているのか夏扇子を帯の左側に差し、今日も涼し気な姿だ。
洋装でなくとも十分にお洒落で、藍色の甚平に頭に手ぬぐいをかぶっている俺とは大違いだった。
「有浄さん、聞いて! 金魚が石ころに変わったの。私が買った時は赤い金魚が水の中を泳いでいたのよ? それなのに……」
「たちの悪い金魚売りだったね」
「私、騙されたの?」
「そうみたいだね」
有浄はきっぱりと言った。
慰めは一切なし。
兎々子はズーンと漬け物石二個は頭の上にのせたかのように落ち込んだ。
「あー、兎々子。今から学校だろ? 早く行かないと遅刻するぞ」
「うん……」
兎々子はトボトボと洗濯タライを庭に片付けに行き、戻って来てもまだ落ち込んでいた。
自分が酷いドジを踏んだ時より騙された時の方が精神的に堪えるらしい。
「いってきます……」
その声は蝉の鳴き声に負けていた。
「あ、ああ……気をつけてな」
「いってらっしゃい」
兎々子の背中は心なしか丸まっていた。
それを眺めた有浄が言った。
「太郎。兎々子ちゃんの護衛をしてくれるかな。どうも悪い狸達が周りにいるようだ」
『ふん! 狸のくせに兎々子様を騙すとは生意気な。狸どもがやってきたら追い払ってくれるわ!』
口ではかっこいいことを言った太郎だが、普通の犬のように兎々子の後ろを追いかけていった。
途中すれ違った子どもから『あっ、犬だー』と言われているのもばっちり聞こえた。
「これで兎々子ちゃんは大丈夫だろう」
「それならいいが、あの狸達はなんだ? 有浄の知り合いか? それともお前への復讐か?」
「俺達への力試しかな」
「俺達ってなんだその仲間扱い」
「仲間だよ」
「なんのだよ」
「そうだなー。和菓子を美味しくたべるための仲間」
「むっ……!」
それを言われては反論できない。
にやにやと有浄は笑って肩を組んできた。
「さーて、今日はなにを食べようかな」
「完全にお前の厄介ごとに巻き込まれてるからな!」
「俺も迷惑してるよ。安海の偽者がやってきたからね」
「俺の!?」
「冗談を言わない真面目な安海だったよ」
「そいつは偽者だ!」
とうとう俺の偽者まで出たとなるとこれは大問題だ。
「狸が俺達に挑戦してなにが楽しんだろうな」
「挑戦してきたのは狸というよりあちら側からの挑戦だよ」
「あちら側ね……」
こちら側もあちら側もないと思うんだが、どうも世界はややこしい。
さて、店に入るかと思っていると背広の上着を振り回しながらやってきた男がいた。
「よお! いい朝だな!」
千客万来とはこのことだ。
逸嵩がやってきた。
「暑苦しい朝だ」
有浄の冷え冷えとした声が逸嵩とは対照的で今は狸が化けた有浄でもよかったかもしれないと思ってしまった。
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