上 下
52 / 65
第六話 夏の合戦~夜空の下の七夕流し~

(9)

しおりを挟む
卒業する時期が迫っていた。
第一高等学校を卒業すれば、帝国大学へ進むのが定石じょうせき
手堅い一手だと言えよう。
だが、正直言って迷っていた。
やりたいこともなく、勉強も好きではないのにこのまま大学に進んで親に学費を払ってもらうのも申し訳ない。
そんなことを考えながら、かぶっていた学帽をとり、詰め襟の制服を脱いで着物に着替えた。
寮は嫌いじゃないが、やはり家はほっとする。
まだ学友の誰にも言ってないが、俺にはもう一つ親から言われていることがあった。

上海シャンハイに行って商売をしようと思っている。一緒に来るか残るか自分で決めなさい』

両親はこのまま目的もなく帝大に入学させるより、息子の性格を考えたら、向こうで商売をしたほうが合っているのではと考えたらしい。
祖父母は反対していない。
気ままな血筋の千年屋ちとせや
各々がやりたいことをやればいいというのが家風だ。

「やりたいことか……」

どっちに進むかで俺の将来は大きく変わる。
上海で親子一緒に商売をするというより、親は俺が怠けないか監視するつもりなのかもしれない。
そもそも俺が一高に入学した理由からして酷いものだった。
ぼんやりしている息子だが、勉強だけはまあまあできる。
とりあえず、学校に通わせておけば昼寝ばかりしてないで落第しないようにがんばるだろうという思惑があったためだ。

「おい、安海やすみ。あんこを炊いてみるか」

「じいさん」

年の割に体つきもがっしりして筋肉質なじいさんは腕っぷしも強く、昔は千年屋の親分と呼ばれていたらしい。
そんなじいさんに比べ俺はひょろっとしていて、お世辞にも喧嘩が強いとは言えない。

「小豆を置いとくぞ。気が向いたら炊け」

工場こうばにきたら、なにかおやつがないかと思っていた俺だが、生の小豆を渡されてしまった。
当然だが、このままでは食べられない。
小豆を前にして俺はぼんやり工場の椅子に座っていた。
答えが出るかと期待していたわけじゃないが、工場にいると落ち着く。
きちんと片付けられ整えられた器具と祖父が集めた木製の型。
水道の水がぽとんと落ちて、たらいに波紋を描く。
しんっと静まり返った中、ばたばたと賑やかな足音が聞こえてきた。

「安海ちゃん、お腹空いたー!」

「俺もー。さすがに試験前は頭を使うからね。甘いものが食べたくなるよ」

兎々子ととこ有浄ありきよだった。
俺が将来について深く悩んでいるというのにこいつらときたら、『千年屋』に来ればなにか口にできると思っているのだからのんきなものだ。

「今、全員出掛けてるから、なにもないぞ。俺に与えられたのは生の小豆だけだ」

「ええええ!」

「脳に栄養がいかないと俺の試験は絶望的だなー。あー、落第するかもしれない」

「いや、有浄。お前の追試は遅刻が原因だからな?」

有浄の脳はいろんな意味で正常ではないが、学力的には問題ない。
なにをしていたのか有浄は試験当日、遅れてやってきた。
成績は優秀で落第とは無縁の有浄なのだが、遅刻したせいで試験を受けることができなかった。
その言い訳ときたら『陰陽師の仕事があったんですよ』だからな。
教師の戸惑った顔を俺は今もまだ忘れることができない。
俺が『家業が神社の神主なんです。すみません』と一緒に謝ったからよかったものの、下手すると追試は受けれず、危うく落第するところだった。
まあ、教師も有浄を早く卒業させたいと思っていたから追試にもっていくのは難しいことじゃなかった。

「ねえねえ、安海ちゃん。小豆があるなら、あんこが作れるよね?」

「安海のあんこか。楽しみだなぁ」

小豆を炊くと一言も言っていないのに二人は俺に期待を込めた視線を送っていた。
一度言い出したら聞かない二人だ。
こうなることがわかっていて、じいさんは小豆を置いていったのだろうか。
仕方ない。
そう思って小豆を炊いた。
炊き方は知っている。
生まれた時からじいさんや親父の手元を見て育った。
難しいものだとは思っておらず、火にかけておけば簡単に炊けるだろうと簡単に考えていた。
だが、途中から水の加減、小豆の煮え方、じいさんや親父が炊いているものと違うような気がして不安になり、小豆の表面に自分の顔が映るのではというくらい鍋近くまで覗き込み小豆とにらみあった。
その嫌な予感は当たっていた。
仕上がったあんこはボソボソし、いかにも不味そうなあんこが出来上がってしまった。
水分が抜けきり砂糖が少なかったせいか、うっすら砂糖味がするだけのあんこ。
もうこれはあんこと呼べない。
形がなくなるまで小豆を煮た物と言ったほうが正しい。
和菓子屋の孫のくせにあんこも炊けない俺。
二人に食べさせる前に一口食べてみたが、じいさんや親父のあんこに比べて口当たりも悪く、少しも美味しいとは思えなかった。

「わぁー! できたの?」

「へぇー。ちゃんと煮えてるじゃないか」

俺が鍋の中のあんこを食べて沈黙していると、二人が横から顔を覗かせ、ちゃっかり来客用の茶碗と箸を手にして食べる構えを見せていた。
俺が止める間もなく、二人は鍋からあんこを茶碗に山盛りとって食べ始めた。

「おい、待て」

腹が減っていたのか、二人はご飯でも食べるかのようにあんこを口の中に放り込んでいく。

「不味いだろ。無理して食うなよ」

「え? うまいよ。小豆の味がちゃんと残っていて、あっさりして食べやすい」

「うん。おいしいっ! 安海ちゃん、あんこが炊けるなんてすごいね。やっぱり和菓子屋さんの息子だよね!」

二人は何度もおかわりをして鍋にあったあんこを全部食べてしまった。
俺も茶碗にあんこを山盛りにして食べた。
けれど、それはやっぱりボソボソとして味気ないあんこで、食べても美味しいとは思えなかった。

「さーて、腹もふくれたし、帰って勉強しようかな」

「私は安海ちゃんと遊んでから帰ろうっと」

俺がいいとも悪いとも言ってないのに兎々子は遊んで帰るつもりらしい。
兎々子の手には孫に甘い兼岡かねおか商店のじいさんに買ってもらったばかりのお手玉があった。
友禅のお手玉を取り出して兎々子は工場こうばの机に並べた。

「安海ちゃんは和菓子屋さんね。これはお饅頭。私はお客さん役だから、ちゃんとお饅頭を売ってね?」

友禅のお手玉がお饅頭とはどんな和菓子屋だよと思いながら、鮮やかな柄のお手玉を手にした。

「安海が店を継いだら、『千年屋』の和菓子をずっと食べられるな」

「あんなに不味いあんこをずっと食べたいわけないだろ」

「安海のあんこが一番うまいよ」

「うん。一番おいしい! また作ってね。安海ちゃん」

まだ二人には上海シャンハイに行くかもしれないという話をしていなかった。
だから、俺が迷っていることも二人は知らない。
けれど今―――

「和菓子屋は考えてなかったな」

三つ目の選択肢がそこにはあった。
自分が不味いと思って食べ残したあんこを全部食べた。
食べ終わった時、俺は決めた。
もっとうまいあんこを炊けるようになって二人に俺が作った和菓子を食べさせてやろうと。         
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

望月何某の憂鬱(完結)

有住葉月
キャラ文芸
今連載中の夢は職業婦人のスピンオフです。望月が執筆と戦う姿を描く、大正ロマンのお話です。少し、個性派の小説家を遊ばせてみます。

鬼と私の約束~あやかしバーでバーメイド、はじめました~

さっぱろこ
キャラ文芸
本文の修正が終わりましたので、執筆を再開します。 第6回キャラ文芸大賞 奨励賞頂きました。 * * * 家族に疎まれ、友達もいない甘祢(あまね)は、明日から無職になる。 そんな夜に足を踏み入れた京都の路地で謎の男に襲われかけたところを不思議な少年、伊吹(いぶき)に助けられた。 人間とは少し違う不思議な匂いがすると言われ連れて行かれた先は、あやかしなどが住まう時空の京都租界を統べるアジトとなるバー「OROCHI」。伊吹は京都租界のボスだった。 OROCHIで女性バーテン、つまりバーメイドとして働くことになった甘祢は、人間界でモデルとしても働くバーテンの夜都賀(やつが)に仕事を教わることになる。 そうするうちになぜか徐々に敵対勢力との抗争に巻き込まれていき―― 初めての投稿です。色々と手探りですが楽しく書いていこうと思います。

百合系サキュバス達に一目惚れされた

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

ニンジャマスター・ダイヤ

竹井ゴールド
キャラ文芸
 沖縄県の手塚島で育った母子家庭の手塚大也は実母の死によって、東京の遠縁の大鳥家に引き取られる事となった。  大鳥家は大鳥コンツェルンの創業一族で、裏では日本を陰から守る政府機関・大鳥忍軍を率いる忍者一族だった。  沖縄県の手塚島で忍者の修行をして育った大也は東京に出て、忍者の争いに否応なく巻き込まれるのだった。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

学園戦記三国志~リュービ、二人の美少女と義兄妹の契りを結び、学園において英雄にならんとす 正史風味~

トベ・イツキ
キャラ文芸
 三国志×学園群像劇!  平凡な少年・リュービは高校に入学する。  彼が入学したのは、一万人もの生徒が通うマンモス校・後漢学園。そして、その生徒会長は絶大な権力を持つという。  しかし、平凡な高校生・リュービには生徒会なんて無縁な話。そう思っていたはずが、ひょんなことから黒髪ロングの清楚系な美女とお団子ヘアーのお転婆な美少女の二人に助けられ、さらには二人が自分の妹になったことから運命は大きく動き出す。  妹になった二人の美少女の後押しを受け、リュービは謀略渦巻く生徒会の選挙戦に巻き込まれていくのであった。  学園を舞台に繰り広げられる新三国志物語ここに開幕!  このお話は、三国志を知らない人も楽しめる。三国志を知ってる人はより楽しめる。そんな作品を目指して書いてます。 今後の予定 第一章 黄巾の乱編 第二章 反トータク連合編 第三章 群雄割拠編 第四章 カント決戦編 第五章 赤壁大戦編 第六章 西校舎攻略編←今ココ 第七章 リュービ会長編 第八章 最終章 作者のtwitterアカウント↓ https://twitter.com/tobeitsuki?t=CzwbDeLBG4X83qNO3Zbijg&s=09 ※このお話は2019年7月8日にサービスを終了したラノゲツクールに同タイトルで掲載していたものを小説版に書き直したものです。 ※この作品は小説家になろう・カクヨムにも公開しています。

失恋少女と狐の見廻り

紺乃未色(こんのみいろ)
キャラ文芸
失恋中の高校生、彩羽(いろは)の前にあらわれたのは、神の遣いである「千影之狐(ちかげのきつね)」だった。「協力すれば恋の願いを神へ届ける」という約束のもと、彩羽はとある旅館にスタッフとして潜り込み、「魂を盗る、人ならざる者」の調査を手伝うことに。 人生初のアルバイトにあたふたしながらも、奮闘する彩羽。そんな彼女に対して「面白い」と興味を抱く千影之狐。 一人と一匹は無事に奇妙な事件を解決できるのか? 不可思議でどこか妖しい「失恋からはじまる和風ファンタジー」

処理中です...