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第五話 憧れの女学生らいふ~季節外れの雪と溶けない氷~

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洋食屋『カネオカ』を出て向かったのは馴染みの寿司屋だった。
川沿いに柳の木がずらりと並んだ場所にいなり寿司のうまい寿司屋がある。
天気のいい日は風が吹くと、軽やかに枝をなびかせる柳の木も今日は雨で葉を濡らし、重たく頭を垂れていた。
その柳の木の中で頭ひとつ飛び出した木の下にいつもいる寿司屋の屋台が一番うまい。
昔は木桶きおけをかついで売っていたそうだが、今は食べるなら屋台か店が主流だ。
寿司屋の屋台の周りにはイカや海老などの寿司を立ったまま食べる人が大勢いた。
雨だというのにこれだけ繁盛しているとなると、決まった場所に店を構えるのもそう遠くはないだろうと思いつつもここでずっと屋台を続けて欲しいという気持ちもあった。
人気の屋台だけあってお目当てのいなり寿司が残っているかどうか不安だったが、暖簾のれんをくぐって大将を呼んだ。

「大将。いなり寿司あるか?」

「おっ!千年屋ちとせやの若旦那。また一之森いちのもりの狐に頼まれたんですかい?」

有浄ありきよを狐と呼ぶな」

「あー、すみません。つい」

「この重箱にいなり寿司を入れられるだけいれてくれ」

「毎度!」

大将に悪気がないことはわかっている。
有浄がこの辺りじゃ狐の子だとか、狐に育てられたとか、昔から噂されていることを俺も知っている。
確かに一緒にいるとおかしなことが時々起こるが、あいつ自身はどこからどうみても人間だ。
だいたい有浄も悪い。
陰陽師を自称せず、神主だと主張すればいいものを陰陽師と言い張るから胡散臭さが倍増するのだ。
自分で自分の首を絞めているとしか思えない。
まったく兎々子といい有浄といい手のかかる幼馴染みだ。
酒饅頭が入っていた重箱に次はいなり寿司をぎゅうぎゅうに詰めてもらった。
お代を払い、重箱を受け取って、さあ、暖簾を出るかというところで大将に呼び止められた。

「若旦那。こないだ望月もちづき子爵の入婿いりむこが寄っていきましたぜ」

逸嵩はやたかが?」

学生の頃からここの寿司を気に入っていて、俺の家に遊びに来た帰りに寄っていくことが多かった。
味もいいのと寿司が大きく、すぐに腹を満たすことができたため、いつもなにかと忙しい逸嵩にはちょうどよかったのだろう。

「それが驚いたことに芸者も遊女もそばに侍らせずに一人で」

驚くところがそこかよ。
もっと重要な話かと思っていたが、ただの噂話をしたいだけのようだ。

「結婚したからな。遊びを控えているそうだ」

「それだけじゃないと思いますぜ。ここだけの話、議員になったのも次の仕事のためで裏では政府関係の仕事をやってるとか」

「暇ではないだろうな」

正直、逸嵩がやっている仕事に興味がない。
勧誘はされたが、詳しく内容は聞かなかった。
俺の反応がいまいちだったせいでがっかりしていた。

「寿司屋だけにネタがいまいちだったからって、そんなに落ち込むなよ」

大将は俺の顔を真顔で見た。
そこは愛想笑いでいいから笑えよ。

「はぁ。若旦那は世の中がどうなろうと知ったこっちゃないようで」

「関心はないな。それじゃ、いなり寿司をもらっていく。ありがとうな」

「へえ、毎度ご贔屓に」

大将は鉢巻をした頭をペコリと下げた。
日に焼けてがっしりとしている大将。
俺より年上に見えるが、ああ見えて俺のひとつ下だ。
大将は物心ついた時から親と一緒に寿司を売っていたそうだ。
すでに寿司屋の店主としての貫禄がある。
近いうちに屋台でなく、店を構えるせいか、大将はしっかりしてきたように思えた。
以前の大将なら酒の一升瓶をだしていて、一杯やっていきますかと聞いてきたが、今日はそれがなかった。
店の主ともなると一国一城の主のような気分になるのだろう。
段々寿司も蕎麦も屋台より店で出す店が増えてきた。
味さえ落ちなければ、俺は屋台でも店でも構わないが、距離は屋台のほうが近いような気がする。
世の中に関心はなくとも、口に入るものだけは別だ。

「いなり寿司の味はこのままがいいな」

そう思いながら、風呂敷に包んだ重箱を持って一之森いちのもり神社に向かった。
石畳の道を歩き、豆腐屋、小間物屋、兼岡商店の並びを通りすぎ、『千年屋』の前を横切り、さらに歩くと石畳の終わりが見えてくる。
その舗装されていない土の道路と石畳の終わるちょうどその境目に一之森神社がある。
向こうとこちらは町が違う。
まるで境界を守る結界のように神社が置かれ、立ち入ることを禁じているようだった。
石段をのぼりきったところに手水舎ちょうずしゃと狛犬が見え―――ないな。

「狛犬がいないんだが……」

おいおい。
目撃したのが俺だからいいものの、町内の人が見たらまたいらぬ噂が立つ。
神社の狛犬が勝手に動いていなくなるなんて神社はそうそうないぞ。

安海やすみ様じゃありませんか」

泣きボクロが特徴の妖艶な美女、富夕ふゆさんが現れた。
富夕さんが現れたのと同時にギャアギャアと入らずの森から不気味な鳥の鳴き声がしたのは気のせいだろうか。
富夕さんは切れ長の目を細めて森のほうを軽くにらんでいた。
これはいなり寿司を手土産にして大正解だったかもしれない。
よくやった、俺。
えらいぞ、俺。
過去の俺に称賛を送った。

「あー、えーと。これ、いなり寿司」

「まあ! ありがとうございます」

富夕さんの機嫌がよくなり、雲に隠れた太陽が顔を出し、灰色の空を割り光の柱が数本、神社下の田んぼや畑を照らした。

「安海様が有浄様に頼まれもしないのに神社まで足を運ぶなど珍しいこともありますね。なにかご相談ですか」

―――鋭い。
いや、わかっているのかもしれない。
入らずの森から逃がしてしまったあやかしがいることを知っているはずだ。

「入らずの森から逃げたあやかしを見つけたから、有浄にどうにかするように言いにきた。雪女だったが、放置しておいて平気なのか?」

「そうでございますわねぇ。雪女は気に入った男を殺すそうですよ。けれど、安海様が気に入られたわけではございませんのでしょ?」

「俺はまったく気に入られてないな」

「雪女といえど、誰でもいいわけではありませんからね。相手は選ぶといったところでしょうか」

なんとなく富夕の言い方に引っ掛かるものを感じたが、まあいい。

「相手はあやかしだ。なにをやらかすかわらからない。有浄にどうにかしろと伝えてくれ」

富夕の顔色が変わった。
これはやばいぞと俺にすらわかる。

「最近、有浄様は私をここ留め置いてあの犬とばかり森で遊んでいますわ。逃がしたのも犬の手落ち。その尻拭いを私はちょっとでもしたくありません」

ざわざわと木々が揺れていた。
神社の家内安全のお守りはどうなっているんだ。
まったく効果がないようだが、それでいいのか!?

「気持ちはわかる。だから、そのー、伝言だけでも頼む」

「承知しました。いつもは気の利かない安海様がいなり寿司を買ってきて下さったんですものね。その努力だけは認めましょう」

「おい。誰が気の利かない人間だって?」

「あら、失礼」

着物の袖で口元を隠すと、富夕はほほほっと笑って失言を誤魔化した。

「けど、安海様もご用心なされませ。あやかしといえど冷たくされるより気遣われたいものですからね。ヘソを曲げられたくなかったら、うまく付き合うことですよ」

「……わかった」

俺が素直に返事をすると富夕は嬉々として重箱を抱えて社殿のほうへ消えていった。
いなり寿司を手土産にしたのは大正解だったようだ。
これで有浄に伝わるだろう。
やっと俺は今日の仕事を終えた。
俺は本当に働き者だよな……
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