29 / 65
第四話 美人画の怪~よひらの花が咲く頃に~
(8)
しおりを挟む
「なにしてるの? 安海ちゃん、有浄さん。お茶が入ったよー」
「……ああ。今行く」
「ありがとう。兎々子ちゃん」
いつものように茶の間のちゃぶ台を囲んで俺達は座った。
太郎にも兎々子は皿を用意し、カステラをあげていた。
大喜びしている太郎の頭を兎々子は微笑みながらなでていた。
完全に犬だ。
犬神としてのプライドはどこにいったんだ?
犬扱いするなって言っていたのはどこの誰だよ。
「はい。有浄さんの毒みたいなお茶はこれね」
「毒って……兎々子ちゃん……」
兎々子は慎重に湯呑みを間違えないように俺の前には鶴、有浄は桔梗、自分のところには兎柄の湯呑みを置いた。
そして、今日も有浄のお茶は深緑だった。
確かに毒々しい色だ。
「有浄。勝手に自分専用の湯呑みを買うなよ」
「やだなー。趣味のいい湯呑みでお茶を飲みたいだけだよ」
趣味云々の話になると俺は弱い。
学生時代からの変わらぬ書生姿の俺と洋装の有浄。
どちらがお洒落か一目瞭然。
言い返せず、お茶を一口飲んだ。
だんだんこうやって、こいつらの私物が増えていくんだな。
これ以上増やさないように気を付けなければならない。
これ以上、侵略させてなるものか。
そう思いつつも有浄が持ってきてくれたカステラは絶品で口のなかで卵の味が広がり、おいしかった。
茶色の部分が香ばしく、そこだけを別にして食べるのも好きだった。
俺の機嫌がカステラで直ったと思ったのか、有浄が口を開いた。
「兎々子ちゃん。昨晩、料亭『菊井』に幽霊は現れた?」
「ううん。今日の朝、私の家に郁里さんがやってきて、幽霊が出なくなったってお礼を言って帰っていったわ。さすが陰陽師ね」
「なにが、さすが陰陽師だ。その幽霊は俺のところに来たんだぞ。それも有浄が俺を囮にしておびき寄せたんだからな」
「えっ!? 嘘! 安海ちゃん、大丈夫?」
兎々子が俺をじっと見た。
そして、しばし観察したかと思うと首を縦に振った。
「大丈夫みたい」
「いやいや!? そこは俺の返事を待てよ!」
どういう判断なんだよ。
太郎が幽霊を追い払ったのだろうが、あのまま一人だったらどうなっていたかわからない。
―――きっと、二度寝はしただろうが。
そのまま永遠に目覚めないってことはないよな?
「まあまあ。安海のおかげで幽霊騒ぎも落ち着きそうだからいいじゃないか」
「その幽霊の正体は望月子爵家の娘なんだろ? もしかして逸嵩の結婚相手か?」
「いや、違う。あいつが結婚したのは妹のほうだ。望月子爵家は二人姉妹で婿をとらなくてはいけなかったんだ」
「ああ、そういうことか。けど、どうして有浄は望月子爵家の娘だってわかったんだ?」
有浄はにやりと笑って立ち上がり、隣の部屋の襖を開けた。
茶の間の隣の部屋には床の間があり、家に大勢人が集まった時、襖を外して広く使うための部屋になっている。
その部屋の床の間に有浄は掛け軸をかけた。
そして、花を指差す。
「月見草だよ。望月子爵家は望月という名から月見草を好んで使っている。それこそ家紋も四弁の花にするくらいにね」
「なるほど。それで絵に月見草が描かれていたのか」
うん、と有浄はうなずいた。
「掛け軸が売りに出されたのは逸嵩が婿養子として入ってからの話だ。あいつは望月家が事業に失敗し、借金を抱えていることに気づいて借金返済のため蔵を開けて売れるものすべてを売り払った」
婿養子なのにか!? と、疑問に思ったが、逸嵩ならやりかねない。
昔から頭の回転が早く、なにをすべきかすばやく答えを出す男だった。
蔵の中にお宝があるのなら、それを売り払ってしまえば、借金に苦しめられることはなくなる。
それに骨董品など美術品の類には興味がない男だ。
売り払ってしまえとなるのも逸嵩の性格を考えたら納得できる。
「望月子爵は娘の絵を売らないで欲しいと言ったそうだが、逸嵩はそれを許さなかった」
「逸嵩が? そんなひどい奴じゃないと思うんだが」
掛け軸の一枚くらい残してもよさそうなものだった。
「あいつは幽霊を見たから売った。手元に残しておけば、自分に害するかもしれないと危惧したんだろうな」
『幽霊!? そんなものいるわけないだろ!』と大笑いする逸嵩の顔が思い浮かんだ。
「逸嵩に幽霊が見えているとは思えないが……」
「それは安海にそう思わせているだけだ。あいつにすれば、見えないことにしたほうが都合がいい。なにもかも新しくしたい側の人間としては古いものは邪魔なんだろう」
有浄は兎々子の膝にのっている太郎の頭をなでた。
どちらが悪いとは言えない。
俺は温くなったお茶を一口飲んだ。
まだこの国は変化の途中にある。
逸嵩だけでなく、帝大を卒業した学友達の多くはそういう仕事に就いている。
きっと俺と有浄のほうが世間では異端なのだ。
「まあ、そんなわけで望月子爵家が所有していたものが市場に多く出回ったわけだ。子爵家が所有していたものとなると、物は確かだから当然、骨董商達は飛びついた。その中でも最近の絵だったとはいえ、人気画家藤仙涼慎が描いたものだったから、なかなかの値がついた」
「えー! 藤仙先生が描いたの? すごーい!」
兎々子が目を輝かせた。
「誰だ、それ?」
冷たい目で兎々子は俺を見た。
「前に私が便箋買ってたでしょ? あれが藤仙先生の絵の便箋よ」
「へー」
「藤仙先生の挿絵がある少女向けの雑誌や婦人雑誌はすっごく売れるんだから。先生は絵だけじゃなくて、お洒落な洋服のデザインまでしちゃう時代の最先端をいく人気画家なのよ」
「ふーん」
俺が興味なさそうにしていると兎々子はにらんできた。
「絵のほうはこれで片付いた。兎々子ちゃんのほうが詳しいはずだ。望月子爵家の亡くなったお姉さんは兎々子ちゃんが通う女学校の先輩だったんだからね。紫陽花にまつわる話を知っているよね?」
「紫陽花の話って……もしかして、あの話って望月子爵家のご令嬢の話だったの?」
「そうだよ」
兎々子が驚き、太郎をなでていた手を止めた。
そして、語ってくれた。
紫陽花にまつわる悲しい恋の話を。
「……ああ。今行く」
「ありがとう。兎々子ちゃん」
いつものように茶の間のちゃぶ台を囲んで俺達は座った。
太郎にも兎々子は皿を用意し、カステラをあげていた。
大喜びしている太郎の頭を兎々子は微笑みながらなでていた。
完全に犬だ。
犬神としてのプライドはどこにいったんだ?
犬扱いするなって言っていたのはどこの誰だよ。
「はい。有浄さんの毒みたいなお茶はこれね」
「毒って……兎々子ちゃん……」
兎々子は慎重に湯呑みを間違えないように俺の前には鶴、有浄は桔梗、自分のところには兎柄の湯呑みを置いた。
そして、今日も有浄のお茶は深緑だった。
確かに毒々しい色だ。
「有浄。勝手に自分専用の湯呑みを買うなよ」
「やだなー。趣味のいい湯呑みでお茶を飲みたいだけだよ」
趣味云々の話になると俺は弱い。
学生時代からの変わらぬ書生姿の俺と洋装の有浄。
どちらがお洒落か一目瞭然。
言い返せず、お茶を一口飲んだ。
だんだんこうやって、こいつらの私物が増えていくんだな。
これ以上増やさないように気を付けなければならない。
これ以上、侵略させてなるものか。
そう思いつつも有浄が持ってきてくれたカステラは絶品で口のなかで卵の味が広がり、おいしかった。
茶色の部分が香ばしく、そこだけを別にして食べるのも好きだった。
俺の機嫌がカステラで直ったと思ったのか、有浄が口を開いた。
「兎々子ちゃん。昨晩、料亭『菊井』に幽霊は現れた?」
「ううん。今日の朝、私の家に郁里さんがやってきて、幽霊が出なくなったってお礼を言って帰っていったわ。さすが陰陽師ね」
「なにが、さすが陰陽師だ。その幽霊は俺のところに来たんだぞ。それも有浄が俺を囮にしておびき寄せたんだからな」
「えっ!? 嘘! 安海ちゃん、大丈夫?」
兎々子が俺をじっと見た。
そして、しばし観察したかと思うと首を縦に振った。
「大丈夫みたい」
「いやいや!? そこは俺の返事を待てよ!」
どういう判断なんだよ。
太郎が幽霊を追い払ったのだろうが、あのまま一人だったらどうなっていたかわからない。
―――きっと、二度寝はしただろうが。
そのまま永遠に目覚めないってことはないよな?
「まあまあ。安海のおかげで幽霊騒ぎも落ち着きそうだからいいじゃないか」
「その幽霊の正体は望月子爵家の娘なんだろ? もしかして逸嵩の結婚相手か?」
「いや、違う。あいつが結婚したのは妹のほうだ。望月子爵家は二人姉妹で婿をとらなくてはいけなかったんだ」
「ああ、そういうことか。けど、どうして有浄は望月子爵家の娘だってわかったんだ?」
有浄はにやりと笑って立ち上がり、隣の部屋の襖を開けた。
茶の間の隣の部屋には床の間があり、家に大勢人が集まった時、襖を外して広く使うための部屋になっている。
その部屋の床の間に有浄は掛け軸をかけた。
そして、花を指差す。
「月見草だよ。望月子爵家は望月という名から月見草を好んで使っている。それこそ家紋も四弁の花にするくらいにね」
「なるほど。それで絵に月見草が描かれていたのか」
うん、と有浄はうなずいた。
「掛け軸が売りに出されたのは逸嵩が婿養子として入ってからの話だ。あいつは望月家が事業に失敗し、借金を抱えていることに気づいて借金返済のため蔵を開けて売れるものすべてを売り払った」
婿養子なのにか!? と、疑問に思ったが、逸嵩ならやりかねない。
昔から頭の回転が早く、なにをすべきかすばやく答えを出す男だった。
蔵の中にお宝があるのなら、それを売り払ってしまえば、借金に苦しめられることはなくなる。
それに骨董品など美術品の類には興味がない男だ。
売り払ってしまえとなるのも逸嵩の性格を考えたら納得できる。
「望月子爵は娘の絵を売らないで欲しいと言ったそうだが、逸嵩はそれを許さなかった」
「逸嵩が? そんなひどい奴じゃないと思うんだが」
掛け軸の一枚くらい残してもよさそうなものだった。
「あいつは幽霊を見たから売った。手元に残しておけば、自分に害するかもしれないと危惧したんだろうな」
『幽霊!? そんなものいるわけないだろ!』と大笑いする逸嵩の顔が思い浮かんだ。
「逸嵩に幽霊が見えているとは思えないが……」
「それは安海にそう思わせているだけだ。あいつにすれば、見えないことにしたほうが都合がいい。なにもかも新しくしたい側の人間としては古いものは邪魔なんだろう」
有浄は兎々子の膝にのっている太郎の頭をなでた。
どちらが悪いとは言えない。
俺は温くなったお茶を一口飲んだ。
まだこの国は変化の途中にある。
逸嵩だけでなく、帝大を卒業した学友達の多くはそういう仕事に就いている。
きっと俺と有浄のほうが世間では異端なのだ。
「まあ、そんなわけで望月子爵家が所有していたものが市場に多く出回ったわけだ。子爵家が所有していたものとなると、物は確かだから当然、骨董商達は飛びついた。その中でも最近の絵だったとはいえ、人気画家藤仙涼慎が描いたものだったから、なかなかの値がついた」
「えー! 藤仙先生が描いたの? すごーい!」
兎々子が目を輝かせた。
「誰だ、それ?」
冷たい目で兎々子は俺を見た。
「前に私が便箋買ってたでしょ? あれが藤仙先生の絵の便箋よ」
「へー」
「藤仙先生の挿絵がある少女向けの雑誌や婦人雑誌はすっごく売れるんだから。先生は絵だけじゃなくて、お洒落な洋服のデザインまでしちゃう時代の最先端をいく人気画家なのよ」
「ふーん」
俺が興味なさそうにしていると兎々子はにらんできた。
「絵のほうはこれで片付いた。兎々子ちゃんのほうが詳しいはずだ。望月子爵家の亡くなったお姉さんは兎々子ちゃんが通う女学校の先輩だったんだからね。紫陽花にまつわる話を知っているよね?」
「紫陽花の話って……もしかして、あの話って望月子爵家のご令嬢の話だったの?」
「そうだよ」
兎々子が驚き、太郎をなでていた手を止めた。
そして、語ってくれた。
紫陽花にまつわる悲しい恋の話を。
1
お気に入りに追加
563
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
諦めて溺愛されてください~皇帝陛下の湯たんぽ係やってます~
七瀬京
キャラ文芸
庶民中の庶民、王宮の洗濯係のリリアは、ある日皇帝陛下の『湯たんぽ』係に任命される。
冷酷無比極まりないと評判の皇帝陛下と毎晩同衾するだけの簡単なお仕事だが、皇帝陛下は妙にリリアを気に入ってしまい……??
[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件
森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。
学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。
そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……
別れてくれない夫は、私を愛していない
abang
恋愛
「私と別れて下さい」
「嫌だ、君と別れる気はない」
誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで……
彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。
「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」
「セレンが熱が出たと……」
そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは?
ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。
その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。
「あなた、お願いだから別れて頂戴」
「絶対に、別れない」
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
王太子の子を孕まされてました
杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。
※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる