上 下
39 / 65
第五話 憧れの女学生らいふ~季節外れの雪と溶けない氷~

(8)

しおりを挟む
人気画家藤仙とうせん涼慎すずちかの家は停留場から少し歩き、細い道に入った街中まちなかでも静かな場所にあった。
洋館に外国風の庭があるんじゃないのかと勝手に想像していたのだが、実際は緑の垣根にぐるりと囲まれ、こじんまりとした家で他の家と大差なかった。

「堅実なんだな」

「洋風をあまり好まない人なんだ。なんでも、おもむきを感じられないからと言ってね。繊細な四季のうつろいを大事にしたいらしいよ」

その気持ちはわからなくもない。
俺も四季のうつろいを大事にしている。
季節の花が咲いている庭を眺めながらの昼寝は最高だ。
藤仙先生の家の玄関横の軒下には水気を多く含んだ緑の釣り忍が下がっている。
シダや苔、忍ぶ草の釣り忍。
これは夏を涼しくみせるためのもので様々な釣り忍を他の家でも同様に見ることができた。
玄関の格子戸を開けて有浄ありきよが奥に向かって声をかけた。

「ごめんください。一之森いちのもりです」

「ああ、玄関前が騒がしいと思ったら有浄君か。入ってきていいよ」

本当に普通の家だった。
違っているのは畳が汚れないように座敷には布が広げられ、その上に仕上がったばかりと思われる絵が数点、並べられていた。
はかなげな美人から美少女や美少年ものまである。
児童向けの挿絵の絵は飛行機を背後に少年が勇ましい姿で立っている。
家の主は座敷とは別のアトリエらしき十畳ほどの和室で熱心に絵の具の色を確認し、絵に色を塗っていた。
和室の窓からは庭が見え、雨音とつくばいの水音、かめの底に水滴が落ちる音が重なりひとつの曲を奏でている。
手水鉢ちょうずばちで洗われた水が水琴窟すいきんくつの綺麗な音色を作っているのだろう。
水琴窟の音を聴いていると心が落ち着く。

「約束の時間だとわかっていたんだけど、挿し絵の依頼が入っていてねって―――有浄君が誰かと一緒にいるなんて珍しいな」

そう言って顔をあげた藤仙先生は俺が思っていたよりずっと若く、短い髪はふわっとした茶色の癖毛で目も同じ色だ。
目鼻立ちがはっきりとし、色白で中性的な雰囲気でうっかりすれば女性のようにも見える。
シャツとグリーンの吊りズボンという軽装ながら、趣味のいい銀の飾りがついたループタイをつけ、袖口が邪魔なのかシャツを腕まくりしていた。

「先生も知っている相手ですよ。会ったことはないでしょうが、千年屋ちとせやの店主と洋食屋『カネオカ』の娘、そしてその友達です」

「店の名は知っているけど、僕が驚いているのは君に友人がいたってことだよ」

そうだろうな。
有浄もそうだと思ったのか、それは否定しなかった。

「あのっ! 先生が描いた少女倶楽部や少女の友の付録や小説の挿絵を全部持ってますっ! 特にミッションスクールの女学生達を題材にした小説なんですけど、ワンピース風の制服がすごく素敵でおしゃれでした」

興奮気味に話す兎々子ととことその横でこくこくとうなずくユキ。
そして、ぼんやりとそれを眺める俺。
この温度差よ。

「うんうん。ありがとう。洋食屋『カネオカ』にもよく足を運んでいるよ。お礼も兼ねて一筆描いて差し上げよう」

藤仙先生は鉛筆を手にするとスケッチブックの新しいページを開いた。
そのスケッチブックは神田の商店で扱われ始め、現在では中学校で使われているのと同じスケッチブックで特別なものではない。
白い紙の上に鉛筆をささっと動かすとリボンを付けた可愛らしい少女が首を傾げ、遠くを眺めている絵を描いた。

「わぁっー!」

兎々子とユキは目を輝かせ歓声をあげた。
そして、最後に藤仙とサインを入れるのを忘れない。
二枚目はおさげの少女で二つのリボンに雪の結晶の柄を入れた着物を描いた。
俺と有浄が驚いて藤仙先生を見た。
まさかユキの正体が雪女だとわかって―――?

「どうかした? 雪の結晶柄の着物なんか珍しくないと思うけど。君達は雪華図説せっかずせつを見たことがない?」

「いえ、時季外れな雪も悪くないと思っただけですよ」

有浄がさらりと何事もなかったかのように言った。
自分の意図を理解してくれたのかと思った藤仙先生は気をよくしたようだった。
ユキの絵にも自分のサインを描いて二人に渡した。

「どうぞ」

「家宝にします!」

「ありがとうございます!」

兎々子とユキは顔を赤くしてその絵を眺めていた。
かなり美化されてるが、まさか兎々子とユキ?

「……似顔絵?」

「そうだよ。美しい彼女らを絵で表現したんだ」

「美しい……?」

きゃっーと兎々子とユキははしゃいだ。
兎々子はともかく、ユキまで大喜びとはさすが人気画家。
ただものじゃない。

「和菓子屋の若旦那にも」

「どうも」

俺に渡された絵は『へのへのもへじ』の絵だった。

「わー。安海やすみちゃんにそっくりね」

笑いをこらえながら兎々子は言った。
ただの落書きなのに律儀りちぎに藤仙先生のサイン入り。
それが気になった。
鉛筆を机に置いた。

「最近、僕の絵の贋作がんさくが出回っているそうだ。金になるかららしいけど、面倒だなと思って今はどんな絵にもサインを入れるようにしている」

「贋作が?」

「わざわざ望月もちづき逸嵩はやたかという男がやってきて教えてくれた」

ここでもまた逸嵩の名前を聞いた。
有浄が目を細めて難しい顔をするのがわかった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

【2章完結】あやかし嫁取り婚~龍神の契約妻になりました~

椿蛍
キャラ文芸
出会って間もない相手と結婚した――人ではないと知りながら。 あやかしたちは、それぞれの一族の血を残すため、人により近づくため。 特異な力を持った人間の娘を必要としていた。 彼らは、私が持つ『文様を盗み、身に宿す』能力に目をつけた。 『これは、あやかしの嫁取り戦』 身を守るため、私は形だけの結婚を選ぶ―― ※二章までで、いったん完結します。

6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった

白雲八鈴
恋愛
 私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。  もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。  ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。 番外編 謎の少女強襲編  彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。  私が成した事への清算に行きましょう。 炎国への旅路編  望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。  え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー! *本編は完結済みです。 *誤字脱字は程々にあります。 *なろう様にも投稿させていただいております。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

諦めて溺愛されてください~皇帝陛下の湯たんぽ係やってます~

七瀬京
キャラ文芸
庶民中の庶民、王宮の洗濯係のリリアは、ある日皇帝陛下の『湯たんぽ』係に任命される。 冷酷無比極まりないと評判の皇帝陛下と毎晩同衾するだけの簡単なお仕事だが、皇帝陛下は妙にリリアを気に入ってしまい……??

処理中です...