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第五話 憧れの女学生らいふ~季節外れの雪と溶けない氷~
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人気画家藤仙涼慎の家は停留場から少し歩き、細い道に入った街中でも静かな場所にあった。
洋館に外国風の庭があるんじゃないのかと勝手に想像していたのだが、実際は緑の垣根にぐるりと囲まれ、こじんまりとした家で他の家と大差なかった。
「堅実なんだな」
「洋風をあまり好まない人なんだ。なんでも、趣を感じられないからと言ってね。繊細な四季のうつろいを大事にしたいらしいよ」
その気持ちはわからなくもない。
俺も四季のうつろいを大事にしている。
季節の花が咲いている庭を眺めながらの昼寝は最高だ。
藤仙先生の家の玄関横の軒下には水気を多く含んだ緑の釣り忍が下がっている。
シダや苔、忍ぶ草の釣り忍。
これは夏を涼しくみせるためのもので様々な釣り忍を他の家でも同様に見ることができた。
玄関の格子戸を開けて有浄が奥に向かって声をかけた。
「ごめんください。一之森です」
「ああ、玄関前が騒がしいと思ったら有浄君か。入ってきていいよ」
本当に普通の家だった。
違っているのは畳が汚れないように座敷には布が広げられ、その上に仕上がったばかりと思われる絵が数点、並べられていた。
はかなげな美人から美少女や美少年ものまである。
児童向けの挿絵の絵は飛行機を背後に少年が勇ましい姿で立っている。
家の主は座敷とは別のアトリエらしき十畳ほどの和室で熱心に絵の具の色を確認し、絵に色を塗っていた。
和室の窓からは庭が見え、雨音とつくばいの水音、瓶の底に水滴が落ちる音が重なりひとつの曲を奏でている。
手水鉢で洗われた水が水琴窟の綺麗な音色を作っているのだろう。
水琴窟の音を聴いていると心が落ち着く。
「約束の時間だとわかっていたんだけど、挿し絵の依頼が入っていてねって―――有浄君が誰かと一緒にいるなんて珍しいな」
そう言って顔をあげた藤仙先生は俺が思っていたよりずっと若く、短い髪はふわっとした茶色の癖毛で目も同じ色だ。
目鼻立ちがはっきりとし、色白で中性的な雰囲気でうっかりすれば女性のようにも見える。
シャツとグリーンの吊りズボンという軽装ながら、趣味のいい銀の飾りがついたループタイをつけ、袖口が邪魔なのかシャツを腕まくりしていた。
「先生も知っている相手ですよ。会ったことはないでしょうが、千年屋の店主と洋食屋『カネオカ』の娘、そしてその友達です」
「店の名は知っているけど、僕が驚いているのは君に友人がいたってことだよ」
そうだろうな。
有浄もそうだと思ったのか、それは否定しなかった。
「あのっ! 先生が描いた少女倶楽部や少女の友の付録や小説の挿絵を全部持ってますっ! 特にミッションスクールの女学生達を題材にした小説なんですけど、ワンピース風の制服がすごく素敵でおしゃれでした」
興奮気味に話す兎々子とその横でこくこくとうなずくユキ。
そして、ぼんやりとそれを眺める俺。
この温度差よ。
「うんうん。ありがとう。洋食屋『カネオカ』にもよく足を運んでいるよ。お礼も兼ねて一筆描いて差し上げよう」
藤仙先生は鉛筆を手にするとスケッチブックの新しいページを開いた。
そのスケッチブックは神田の商店で扱われ始め、現在では中学校で使われているのと同じスケッチブックで特別なものではない。
白い紙の上に鉛筆をささっと動かすとリボンを付けた可愛らしい少女が首を傾げ、遠くを眺めている絵を描いた。
「わぁっー!」
兎々子とユキは目を輝かせ歓声をあげた。
そして、最後に藤仙とサインを入れるのを忘れない。
二枚目はおさげの少女で二つのリボンに雪の結晶の柄を入れた着物を描いた。
俺と有浄が驚いて藤仙先生を見た。
まさかユキの正体が雪女だとわかって―――?
「どうかした? 雪の結晶柄の着物なんか珍しくないと思うけど。君達は雪華図説を見たことがない?」
「いえ、時季外れな雪も悪くないと思っただけですよ」
有浄がさらりと何事もなかったかのように言った。
自分の意図を理解してくれたのかと思った藤仙先生は気をよくしたようだった。
ユキの絵にも自分のサインを描いて二人に渡した。
「どうぞ」
「家宝にします!」
「ありがとうございます!」
兎々子とユキは顔を赤くしてその絵を眺めていた。
かなり美化されてるが、まさか兎々子とユキ?
「……似顔絵?」
「そうだよ。美しい彼女らを絵で表現したんだ」
「美しい……?」
きゃっーと兎々子とユキははしゃいだ。
兎々子はともかく、ユキまで大喜びとはさすが人気画家。
ただものじゃない。
「和菓子屋の若旦那にも」
「どうも」
俺に渡された絵は『へのへのもへじ』の絵だった。
「わー。安海ちゃんにそっくりね」
笑いをこらえながら兎々子は言った。
ただの落書きなのに律儀に藤仙先生のサイン入り。
それが気になった。
鉛筆を机に置いた。
「最近、僕の絵の贋作が出回っているそうだ。金になるかららしいけど、面倒だなと思って今はどんな絵にもサインを入れるようにしている」
「贋作が?」
「わざわざ望月逸嵩という男がやってきて教えてくれた」
ここでもまた逸嵩の名前を聞いた。
有浄が目を細めて難しい顔をするのがわかった。
洋館に外国風の庭があるんじゃないのかと勝手に想像していたのだが、実際は緑の垣根にぐるりと囲まれ、こじんまりとした家で他の家と大差なかった。
「堅実なんだな」
「洋風をあまり好まない人なんだ。なんでも、趣を感じられないからと言ってね。繊細な四季のうつろいを大事にしたいらしいよ」
その気持ちはわからなくもない。
俺も四季のうつろいを大事にしている。
季節の花が咲いている庭を眺めながらの昼寝は最高だ。
藤仙先生の家の玄関横の軒下には水気を多く含んだ緑の釣り忍が下がっている。
シダや苔、忍ぶ草の釣り忍。
これは夏を涼しくみせるためのもので様々な釣り忍を他の家でも同様に見ることができた。
玄関の格子戸を開けて有浄が奥に向かって声をかけた。
「ごめんください。一之森です」
「ああ、玄関前が騒がしいと思ったら有浄君か。入ってきていいよ」
本当に普通の家だった。
違っているのは畳が汚れないように座敷には布が広げられ、その上に仕上がったばかりと思われる絵が数点、並べられていた。
はかなげな美人から美少女や美少年ものまである。
児童向けの挿絵の絵は飛行機を背後に少年が勇ましい姿で立っている。
家の主は座敷とは別のアトリエらしき十畳ほどの和室で熱心に絵の具の色を確認し、絵に色を塗っていた。
和室の窓からは庭が見え、雨音とつくばいの水音、瓶の底に水滴が落ちる音が重なりひとつの曲を奏でている。
手水鉢で洗われた水が水琴窟の綺麗な音色を作っているのだろう。
水琴窟の音を聴いていると心が落ち着く。
「約束の時間だとわかっていたんだけど、挿し絵の依頼が入っていてねって―――有浄君が誰かと一緒にいるなんて珍しいな」
そう言って顔をあげた藤仙先生は俺が思っていたよりずっと若く、短い髪はふわっとした茶色の癖毛で目も同じ色だ。
目鼻立ちがはっきりとし、色白で中性的な雰囲気でうっかりすれば女性のようにも見える。
シャツとグリーンの吊りズボンという軽装ながら、趣味のいい銀の飾りがついたループタイをつけ、袖口が邪魔なのかシャツを腕まくりしていた。
「先生も知っている相手ですよ。会ったことはないでしょうが、千年屋の店主と洋食屋『カネオカ』の娘、そしてその友達です」
「店の名は知っているけど、僕が驚いているのは君に友人がいたってことだよ」
そうだろうな。
有浄もそうだと思ったのか、それは否定しなかった。
「あのっ! 先生が描いた少女倶楽部や少女の友の付録や小説の挿絵を全部持ってますっ! 特にミッションスクールの女学生達を題材にした小説なんですけど、ワンピース風の制服がすごく素敵でおしゃれでした」
興奮気味に話す兎々子とその横でこくこくとうなずくユキ。
そして、ぼんやりとそれを眺める俺。
この温度差よ。
「うんうん。ありがとう。洋食屋『カネオカ』にもよく足を運んでいるよ。お礼も兼ねて一筆描いて差し上げよう」
藤仙先生は鉛筆を手にするとスケッチブックの新しいページを開いた。
そのスケッチブックは神田の商店で扱われ始め、現在では中学校で使われているのと同じスケッチブックで特別なものではない。
白い紙の上に鉛筆をささっと動かすとリボンを付けた可愛らしい少女が首を傾げ、遠くを眺めている絵を描いた。
「わぁっー!」
兎々子とユキは目を輝かせ歓声をあげた。
そして、最後に藤仙とサインを入れるのを忘れない。
二枚目はおさげの少女で二つのリボンに雪の結晶の柄を入れた着物を描いた。
俺と有浄が驚いて藤仙先生を見た。
まさかユキの正体が雪女だとわかって―――?
「どうかした? 雪の結晶柄の着物なんか珍しくないと思うけど。君達は雪華図説を見たことがない?」
「いえ、時季外れな雪も悪くないと思っただけですよ」
有浄がさらりと何事もなかったかのように言った。
自分の意図を理解してくれたのかと思った藤仙先生は気をよくしたようだった。
ユキの絵にも自分のサインを描いて二人に渡した。
「どうぞ」
「家宝にします!」
「ありがとうございます!」
兎々子とユキは顔を赤くしてその絵を眺めていた。
かなり美化されてるが、まさか兎々子とユキ?
「……似顔絵?」
「そうだよ。美しい彼女らを絵で表現したんだ」
「美しい……?」
きゃっーと兎々子とユキははしゃいだ。
兎々子はともかく、ユキまで大喜びとはさすが人気画家。
ただものじゃない。
「和菓子屋の若旦那にも」
「どうも」
俺に渡された絵は『へのへのもへじ』の絵だった。
「わー。安海ちゃんにそっくりね」
笑いをこらえながら兎々子は言った。
ただの落書きなのに律儀に藤仙先生のサイン入り。
それが気になった。
鉛筆を机に置いた。
「最近、僕の絵の贋作が出回っているそうだ。金になるかららしいけど、面倒だなと思って今はどんな絵にもサインを入れるようにしている」
「贋作が?」
「わざわざ望月逸嵩という男がやってきて教えてくれた」
ここでもまた逸嵩の名前を聞いた。
有浄が目を細めて難しい顔をするのがわかった。
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