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第二話 薬狩りの月~緑葉の菓子~

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―――さっきもここを通った。
ハンカチの端切はぎれがそれを教えていた。
何度も同じ場所を歩いているという気がして、結んでおいたのだが、俺の感覚は正しかったようだ。
入らずの森に入って行った兎々子ととこに気付き、後を追って足を踏み入れた時はまだ明るかった。
森に入って、そんなに時間は経っていないはずだ。
それなのにすっかり日が暮れてしまい、灯り一つない森の中は真っ暗だった。
鳥の鳴き声や葉擦れの音が不気味に聞こえてくる。
兎々子ととこは気丈にも泣きたいのをぐっとこらえているが、草むらがガサッと音をたてただけで『ぎゃっ』とか、『ひえっ』と悲鳴をあげて震えていた。
泣き出さないだけまだましだ。
いくら猫を追ってきたとはいえ、まだ小さい兎々子が怖がりもせずによく暗い森の中へ入ったと感心するくらいだ。
森に入った時、兎々子の切り揃えた髪にはリボンをつけていたが、どこでなくしたのかリボンがなくなっていた。
フランスへ洋食の修行に行っていた兎々子の父親がお土産にと買ってきたフランス製のレースのリボンで、兎々子は着物の時もそのリボンをつけるくらい気に入っていた。
失くしたことに気づいているはずだ。
いつもなら、大泣きしていただろう。
それでも兎々子が泣くのを我慢しているから叱れない。

安海やすみちゃん……ごめんなさい……。入っちゃだめって言われてたのに」

「兎々子のせいじゃない」

そうだ。
そんな奥まで森の中に入った覚えはない。
気づいたら、閉じ込められていた。

「森から出るまでなにか笑える楽しいことでも考えていろよ」

気休めにそんなことを言って誤魔化した。
けど、いい加減ここから出ないと危険な気がしていた。
さっきから木々の間から視線を感じる。
俺達を見ているものが人間じゃないことくらいわかる。
正直、俺は人間じゃないものに関しては専門外だ。
有浄ありきよがいてくれたら、なんとかなったのかもしれないが―――木々の中に大きな黒い影が見えたその瞬間、『おーい』と呼ぶ声がした。

「安海ちゃん、誰か呼んでるよ!」

「待て。兎々子。返事をするな」

それが人間なのか、人間ではないものなのか、わからない。
灯りがひとつ、暗い森のなかに火の玉のように浮かんだ。
身を低くして様子をうかがいつつ、草のかげに身を隠していると俺と兎々子の両脇を狐が二匹走っていった。

「安海! 兎々子ちゃん!」

俺と同じ詰襟の学生服を着て現れたのは有浄だった。
同じ年頃の子供より身長が低く、痩せ気味だった有浄だが、この入らずの森の中では頼もしく見えた。
兎々子も同じように思ったらしく、有浄を見るなり、顔を赤くして目を潤ませた。
大きな黒い影に向かって、有浄は手に持っていた大きな焼き饅頭を投げた。
白くふかふかとした饅頭には『千年屋ちとせや』の焼き印が押されていた。
俺の祖父が作った饅頭で中にとろりとした口当たりのいい甘いこしあんが入っている。
腹一杯になるくらい饅頭が食べたいというお客さんのために顔ほどある大きな焼き饅頭を作り売っていた。
その饅頭を黒い影が口を開けて、ごくりと飲み込むのが見えた。

「これでよし。二人とも無事でよかったよ。ああ……そうだ、これ」

有浄がごそごそと制服のポケットから取り出したのは兎々子のリボンだった。
それを見て助かったと思ったのか、うわーんと兎々子がせきを切ったように泣き出した。

「泣き声だけで追い払えたんじゃないかな」

いつものように笑った有浄だったが、よく見ると自慢の綺麗な顔にすり傷ができ、頭の上に葉っぱが乗り、泥や草で制服が汚れていた。
後にも先にもそんな有浄を見ることがなかった。
それ以来、俺も兎々子も二度と入らずの森に近寄ずにいたーーーのだが、再び俺は森の中にいた。

「過去の失敗に学べよ、俺」

はぁっとため息をついた。

「まあ、有浄が迎えに来るだろ」

そこの川縁かわべりで昼寝でもして待っているか。
明るくて気持ちのいい春の風が吹いている。
俺は重要なことに気づいてしまった。
もしや、今こそ絶好の昼寝の機会じゃないのか!?
誰にも邪魔されないということはそういうことだ!
俺は一番いい寝場所を求め、移動しようとしたその時、『おーい』と俺を呼ぶ声がした。

「なんだ、もう来たのか。こっちだ―――」

俺は有浄が来たのかと思って返事をしてしまった。
だが、そこにいたのは有浄ではなかった。
大きな黒い影。
明るい場所には出てこないが、暗い森の中から俺をジッと見ていた。
せめて気づかない振りをするべきだったと後悔したが、もう遅い。
しっかり目を合わせてしまった。

『また盗っ人がやってきた。人間ではないはずだが、人間の臭いがするな。あやしい奴め』

あやしいものにあやしいと言われてしまう、俺。
ちょっと俺の人生を考えたくなった。
またということはこの黒い影は有浄が菖蒲しょうぶを採り、黙って持っていったこと知っている。
そして、そのことに対して怒っているのだろう。

『あの無礼な小僧の仲間か』

木の籠にはしっかり柏の葉も笹の葉も蓬も入っていて、なにを言ったところで聞いてもらえそうにない。
だが、有浄が無礼ということには同感だ。
わかる、わかるぞ。
俺もあいつにはいつも苦しめられているからな。
有浄のふざけた顔を思い出した。
そうだ。
出会った時は菓子をやるんだったな。

「悪かったな。これであいつの無礼を許してやってくれ」

着物のたもとから茶色の笹の皮に包まれたあんこ玉を出して、あの時の有浄と同じように包みを放り投げた。
投げると包みごと大きな黒い影が飲み込んだ。

『お前は話がわかる奴だ』

『うまい』

『こいつは信用できる』

『好きなだけ葉を採っていけ』

大きな影がひとつだけだと思っていたが、違っていた。
割れた影は少しだけ色を帯び、日の光がその姿を透かし、本来の姿を一瞬だけ垣間見ることができた。

『またこいよ』

『懐かしい味だった』

再びひとつの黒い影に戻ると、森の深く暗い場所を求めるように消えていった。
俺はその影が去った方をぼんやりと眺めていた。
あの黒い影は悪いものというよりは―――

「安海」

見計らったように影が去った場所から有浄が現れた。 

「お、たくさん採れたなぁ」

笑顔の有浄はかすり傷ひとつなく、服には木の葉一枚すらついていない。

「有浄。さっきの影は……」

どんっと俺の肩に腕を回し、有浄は言った。

「面倒が嫌なら、深入りしないことだよ。森も人もあやかしも深入りはしすぎると囚われて、そこから出られなくなるからね」

まるで忠告だ。
いや、まるでじゃなく、忠告なのだ。
これは。

「……そうだな」

俺が返事をすると有浄はそれでいいというようにニヤリと笑った。

「それじゃあ、帰るか」

「そうだな。長居は無用だ」

「あー。笹の葉の香りがする美味しいちまきが食べたいなー」

突然、大きな声で有浄が言った。
それが聞こえたのか、さっきまで見えなかった道がそこに現れ、俺と有浄は迷うことなく森の外に出ることができたのだった。
つまりあれだ。
森から俺を出す代わりに粽を作れということだった―――
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