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第二話 薬狩りの月~緑葉の菓子~
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「有浄様」
紫地に白い藤の絵を描いた着物姿の女が現れた。
泣きぼくろがある色っぽい女性で半襟を大きく見せ、今風に着物を着こなしていた。
その見覚えがある顔はこの間の饅頭を取りに来た客だとわかった。
「富夕。どうした?」
「えっ!? 名前があったのか!」
「そりゃ、あるさ。人間の形をしているんだから、ないと不便だろう?」
人間の形ってお前……
あやかしだってことをもう隠そうともしてないじゃねーか。
ちょっとは隠そうとしろよ。
俺は有浄を冷ややかな目で見た。
「安海様。先日はお祝い饅頭をありがとうございました。嫁いだ妹も喜んでおりました」
「はあ、どうも」
どこからどう見ても人間だ。
美人すぎて作り物のように見えてしまうが、にこりと笑った顔は人間そのもの。
まさか正体が狐だとは誰も思わないだろう。
「有浄様。鎮守の森に入ったでしょう」
「うん。菖蒲の葉を採るのにね」
「黙って採っていったのが気に入らないと、森にいるあやかし達が騒いでおります」
「心が狭いなー」
「彼らが報復として、町に出て悪さをしないとも限りません。すでに菖蒲を持っている人間を探し回っているようです」
俺はバッと窓辺に吊るした菖蒲飾りを見た。
綺麗に揃えられ、束ねた菖蒲がまだ瑞々しい。
なるほど。
採ってきたばかりか。
どうりで新鮮な―――って違うだろ!
「おい、有浄!なにが邪気祓いだ。菖蒲がよからぬ奴らの目印になっているじゃねーか」
「安海。慌てるな。安心しろ。今の時期、どこの家にでも菖蒲がある。身に付けたり、菖蒲湯にしたりね。なにもここだけに菖蒲があるわけじゃない」
「いや、なおさら悪い状況なんだが」
町内じゅうに迷惑がかかる事態になっている。
俺がどうしたものかと思い悩んでいると、富夕さんは有浄のことを叱るように言った。
「有浄様。妹がいなくなって神社いるのは私だけです。以前と同じように考えていてはいけませんよ」
今、有浄の神社には狛犬が一体しかいない。
町の人たちも気づいているが、見て見ぬふりだ。
できることなら、俺もそうしたいよ。
「そうだね。ちょっと慢心していたかな」
「なにか頂いたら、きちんとお返しはするものですよ。あやかし相手とはいえ、礼を欠いてはなりません」
「わかってるよ。安海になにかこしらえてもらおう」
「それがよろしいでしょうね」
それで決まりと言わんばかりに頷き合っていて、肝心の俺に返事を聞かない。
いや、聞けよ!?
「待て待て。少しもよろしくないぞ。俺は引き受けるなんて一言も言っていないんだが」
「安海。町内の平和を守れよ。『千年屋』は町内の皆様あっての和菓子屋だろ?」
「平和が失われそうになってるのは誰のせいだよ」
「嫌だな。むしろ、俺は守っているほうなのにひどい言いがかりだ」
なにが言いがかりだ。
俺ははあっとため息をついた。
饅頭を作ったばかりだから、正直、材料がなにもない。
やる気もな。
あるのは昨日、饅頭作りで残ったあんこだけだ。
「安海様。有浄様をお願いしますね。私は神社に戻らなくてはなりません」
「あー。はい」
有浄のせいで苦労させられている富夕さんに俺が親近感を覚えたことはいうまでもない。
肝心の有浄は反省するどころか、にこにこと笑っている。
「まあ、森はこっちでなんとかするから、富夕は神社のほうを頼むよ」
「本当に酷い人ですね。有浄様は私を働かせすぎですよ」
それには同感だ―――うんうんと深くうなずいた。
富夕さんは急ぐそぶりを見せ、庭のツツジの木が生い茂る中へとサッと身を翻す。
そこに道はなかったのだが、まるで道があるかのように茂みの中へと入っていった。
完全に姿が見えなくなると、雲に隠れた太陽が顔を出し、地上を照らした。
「おい。富夕さんにあんまり迷惑かけるなよ(俺にもな)」
「かけた覚えはないんだけどなー」
うーんと腕を組み、有浄が本気で悩んでいるのを見て腹が立つのを通り越して、心の底から呆れた。
「自覚しろよ」
「俺だけのせいじゃない」
有浄は笑顔を見せていたが、目は険しい。
「狛犬をひとつ失ったからといって侮られては困る。人の形にもなれないような連中が調子に乗っているのも気に入らない」
「調子に乗ってるのはお前だろ」
「うん。ご名答」
あははっと有浄は笑った。
けれど、事態はあまりよくないらしい。
有浄の苛立ちようから、それを察した。
俺は座布団を横目で見ながら、昼寝を諦めた。
残念だが、ご町内の平和あっての『千年屋』だ。
「とりあえず、なにか作ればいいんだな」
「頼むよ。安海」
こいつはこいつで大変なのかもしれない。
詳しく事情を聞くつもりはないが、人より多くのものを目にするというのは厄介ものだ。
神主として町を守っているというのも嘘ではないだろうし、町を危険にさらし、さすがの有浄も今回は反省していると思う―――そう思いたい。
白い襷を手にして、俺が準備していると有浄が俺に言った。
「それじゃ、安海。甘いものでも持って鎮守の森へ薬狩りに行こうか」
「は!? 薬狩りってまだなにか採るつもりか。いい加減、懲りろよ!」
なにが薬狩りだ。
前言撤回。
有浄はまったく反省していなかった―――
紫地に白い藤の絵を描いた着物姿の女が現れた。
泣きぼくろがある色っぽい女性で半襟を大きく見せ、今風に着物を着こなしていた。
その見覚えがある顔はこの間の饅頭を取りに来た客だとわかった。
「富夕。どうした?」
「えっ!? 名前があったのか!」
「そりゃ、あるさ。人間の形をしているんだから、ないと不便だろう?」
人間の形ってお前……
あやかしだってことをもう隠そうともしてないじゃねーか。
ちょっとは隠そうとしろよ。
俺は有浄を冷ややかな目で見た。
「安海様。先日はお祝い饅頭をありがとうございました。嫁いだ妹も喜んでおりました」
「はあ、どうも」
どこからどう見ても人間だ。
美人すぎて作り物のように見えてしまうが、にこりと笑った顔は人間そのもの。
まさか正体が狐だとは誰も思わないだろう。
「有浄様。鎮守の森に入ったでしょう」
「うん。菖蒲の葉を採るのにね」
「黙って採っていったのが気に入らないと、森にいるあやかし達が騒いでおります」
「心が狭いなー」
「彼らが報復として、町に出て悪さをしないとも限りません。すでに菖蒲を持っている人間を探し回っているようです」
俺はバッと窓辺に吊るした菖蒲飾りを見た。
綺麗に揃えられ、束ねた菖蒲がまだ瑞々しい。
なるほど。
採ってきたばかりか。
どうりで新鮮な―――って違うだろ!
「おい、有浄!なにが邪気祓いだ。菖蒲がよからぬ奴らの目印になっているじゃねーか」
「安海。慌てるな。安心しろ。今の時期、どこの家にでも菖蒲がある。身に付けたり、菖蒲湯にしたりね。なにもここだけに菖蒲があるわけじゃない」
「いや、なおさら悪い状況なんだが」
町内じゅうに迷惑がかかる事態になっている。
俺がどうしたものかと思い悩んでいると、富夕さんは有浄のことを叱るように言った。
「有浄様。妹がいなくなって神社いるのは私だけです。以前と同じように考えていてはいけませんよ」
今、有浄の神社には狛犬が一体しかいない。
町の人たちも気づいているが、見て見ぬふりだ。
できることなら、俺もそうしたいよ。
「そうだね。ちょっと慢心していたかな」
「なにか頂いたら、きちんとお返しはするものですよ。あやかし相手とはいえ、礼を欠いてはなりません」
「わかってるよ。安海になにかこしらえてもらおう」
「それがよろしいでしょうね」
それで決まりと言わんばかりに頷き合っていて、肝心の俺に返事を聞かない。
いや、聞けよ!?
「待て待て。少しもよろしくないぞ。俺は引き受けるなんて一言も言っていないんだが」
「安海。町内の平和を守れよ。『千年屋』は町内の皆様あっての和菓子屋だろ?」
「平和が失われそうになってるのは誰のせいだよ」
「嫌だな。むしろ、俺は守っているほうなのにひどい言いがかりだ」
なにが言いがかりだ。
俺ははあっとため息をついた。
饅頭を作ったばかりだから、正直、材料がなにもない。
やる気もな。
あるのは昨日、饅頭作りで残ったあんこだけだ。
「安海様。有浄様をお願いしますね。私は神社に戻らなくてはなりません」
「あー。はい」
有浄のせいで苦労させられている富夕さんに俺が親近感を覚えたことはいうまでもない。
肝心の有浄は反省するどころか、にこにこと笑っている。
「まあ、森はこっちでなんとかするから、富夕は神社のほうを頼むよ」
「本当に酷い人ですね。有浄様は私を働かせすぎですよ」
それには同感だ―――うんうんと深くうなずいた。
富夕さんは急ぐそぶりを見せ、庭のツツジの木が生い茂る中へとサッと身を翻す。
そこに道はなかったのだが、まるで道があるかのように茂みの中へと入っていった。
完全に姿が見えなくなると、雲に隠れた太陽が顔を出し、地上を照らした。
「おい。富夕さんにあんまり迷惑かけるなよ(俺にもな)」
「かけた覚えはないんだけどなー」
うーんと腕を組み、有浄が本気で悩んでいるのを見て腹が立つのを通り越して、心の底から呆れた。
「自覚しろよ」
「俺だけのせいじゃない」
有浄は笑顔を見せていたが、目は険しい。
「狛犬をひとつ失ったからといって侮られては困る。人の形にもなれないような連中が調子に乗っているのも気に入らない」
「調子に乗ってるのはお前だろ」
「うん。ご名答」
あははっと有浄は笑った。
けれど、事態はあまりよくないらしい。
有浄の苛立ちようから、それを察した。
俺は座布団を横目で見ながら、昼寝を諦めた。
残念だが、ご町内の平和あっての『千年屋』だ。
「とりあえず、なにか作ればいいんだな」
「頼むよ。安海」
こいつはこいつで大変なのかもしれない。
詳しく事情を聞くつもりはないが、人より多くのものを目にするというのは厄介ものだ。
神主として町を守っているというのも嘘ではないだろうし、町を危険にさらし、さすがの有浄も今回は反省していると思う―――そう思いたい。
白い襷を手にして、俺が準備していると有浄が俺に言った。
「それじゃ、安海。甘いものでも持って鎮守の森へ薬狩りに行こうか」
「は!? 薬狩りってまだなにか採るつもりか。いい加減、懲りろよ!」
なにが薬狩りだ。
前言撤回。
有浄はまったく反省していなかった―――
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