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第三話 犬の住処探し~味は違えど柏餅~
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『本日売り切れ』
堂々と貼り紙をはることができる(今日は)。
ありがたいことに柏餅は売り切れた。
空になったの木箱を工場に置き、茶の間に入ると有浄が俺の分と自分の分の柏餅とお茶をちゃぶ台に用意してくれてあった。
「有浄。ちゃぶ台に柏餅を直置きするなよ。皿があるだろ」
「わかってないなー」
「なにがだよ」
「柏の葉だよ」
「確かに桜の葉ではないな」
俺が気を利かせて皿を出そうとするとそれすら止められた。
「いいか。安海。柏の木には神が宿る。柏の葉は神事には供え物の器として扱うんだ」
「そうだな。葉を使う和菓子が多いのもそれが理由かもな」
桜餅、椿餅、粽―――思えば、結構あるな。
「だから皿はいらない」
俺は皿を出してきて柏餅を無言でのせた。
今は大正。
皿がなかった時代じゃあるまいし。
有浄のわけのわからん蘊蓄に付き合っていられるか。
「あー……これだから情緒のない男は」
「それとこれは別だ」
どうせ皿を出すのが面倒だっただけだろう。
お茶だけはちゃんとはいっていた。
ただし、有浄がいれるお茶は渋め、兎々子がいれるお茶は薄め。
有浄がいれた深緑色のお茶を一口飲むと早起きをしたせいで、ぼんやりとしていた頭に衝撃が走った。
なんだこれ、お茶が脳髄に響くってありなのか。
「渋すぎる……」
「これくらいがいいんじゃないか」
いつもはお湯をいれて薄めるのだが、いれずに飲んだらこれだ。
お茶くらい普通の人間と同じ濃さで飲めないのか。
こいつは。
可哀想なのは兎々子だ。
以前、有浄がいれたお茶を飲み、まるで毒でも飲んだかのように苦しんでいた。
薬缶を手にし、黙ってお湯を湯呑に注ぎ、薄めた。
まだ濃いが飲めないほどじゃない。
「さていただこうか」
有浄は機嫌よく柏餅の葉をとった。
柏の葉は乾燥したものとは違う青々しい色をしていた。
まだ柔らかい餅を口にするとほんのり甘く、中から固めの潰しあんが出てきた。
食べ応えのあるどっしりとした柏餅はひとつ食べただけでもじゅうぶん満足感がある。
「蓬がいい香りだ。今年は蓬の柏餅もあるとは安海にしては気が利いてるね」
「中身は同じあんこだけどな」
「うん。でも、いいよ、これ。緑の香りが強くてうまい。俺は蓬餅が気に入った」
「そうか」
二色の餅をお用意したのがよかったのか、売れ行きは順調でいつもの倍の数を買ったお客もいた。
有浄はどれだけ柏餅が好きなのか、白と蓬の二色をあっという間に食べ尽くし、お茶を飲んでいた。
よくあんな渋いお茶を顔色ひとつ変えずに飲める。
飲み干すと有浄は言った。
「兎々子ちゃんが連れてきた犬だけど、あれは放っておくと入らずの森で見たものと同じものになるよ」
「それを早く言えよ!」
飲んでいたお茶を吹き出しかけて手で押さえた。
「今すぐじゃない。安海、入らずの森で見ただろう?」
低い声で有浄は言われ、ぎくりとした。
そういう類いの話はなるべく避けていたのだが、話を振られた俺は森の中に蠢く黒い影を思い出していた。
目の錯覚でなければ、俺が見た影の形はひとつではなかった。
天狗だったり、狐だったりと、ひとつの塊となって森の中を移動していた。
意思はあるし、話すことはできる。
ただ個としての己が何者なのかわかっていないようだった。
「あれは全部、居場所を失った神だよ。森に引き寄せられてああなった。徐々に自分が何者であったかわからなくなり、影になって行き場のないまま彷徨うか、その身を堕とし妖怪と呼ばれるか―――そんなところだ」
「お前にはあの犬モドキの正体がなんなのかわかるのか」
「陰陽師だからね」
「神主って言えよ! 陰陽師なんて胡散臭い職業はやめろ!」
「偏見はよくないよ、偏見は」
「全国のみなさんに聞いてみろよ。俺と同じことを言うからな!?」
「わかった。今度新聞の質問欄で全国に呼び掛けてみよう」
「やめろ。お前の胡散臭い商売が全国区に広まるだけだ」
残念そうな顔をした有浄を見ていると結構本気で新聞に載せるつもりだったらしい。
いや、神主として真面目に働けよ。
俺が言うのもなんだが。
正午を知らせる大砲の音が外から聞こえ、俺と有浄は同時に縁側の方を眺めた。
天気のよい明るい日差しが差し込んでいて、このまま縁側で昼寝でもすれば最高だ。
だが―――
「有浄。兎々子の様子を見に行くぞ」
さすがに心配だ。
「わかった。俺はハヤシライスにする。今の気分はカレーというよりハヤシライス気分だ」
「お前の食べたい物の話じゃねーよ! 今は犬だろ!?」
「なんだ。安海は食べないのか?」
「えっ、いや、オムライスを食べるつもりだけど」
「オムライスか。オムライスもいいな」
洋食好きな有浄はもう食べることしか考えていなかった。
こいつとまともに話そうとした俺が馬鹿だった。
俺は諦めて、柏餅を包んだ風呂敷を手にした。
この柏餅は俺と有浄のことを毛嫌いしている兎々子の父親のために用意しておいた。
ご機嫌取り?
いや違う。
俺なりのちょっとした手土産だ。
なぜか俺のことを敵視してくるからな。
多少の仕返しを用意するのが礼儀だ。
いつもは常識人で平和主義な俺もたまには悪さをすることもある。
待ってろ、洋食屋『カネオカ』―――
堂々と貼り紙をはることができる(今日は)。
ありがたいことに柏餅は売り切れた。
空になったの木箱を工場に置き、茶の間に入ると有浄が俺の分と自分の分の柏餅とお茶をちゃぶ台に用意してくれてあった。
「有浄。ちゃぶ台に柏餅を直置きするなよ。皿があるだろ」
「わかってないなー」
「なにがだよ」
「柏の葉だよ」
「確かに桜の葉ではないな」
俺が気を利かせて皿を出そうとするとそれすら止められた。
「いいか。安海。柏の木には神が宿る。柏の葉は神事には供え物の器として扱うんだ」
「そうだな。葉を使う和菓子が多いのもそれが理由かもな」
桜餅、椿餅、粽―――思えば、結構あるな。
「だから皿はいらない」
俺は皿を出してきて柏餅を無言でのせた。
今は大正。
皿がなかった時代じゃあるまいし。
有浄のわけのわからん蘊蓄に付き合っていられるか。
「あー……これだから情緒のない男は」
「それとこれは別だ」
どうせ皿を出すのが面倒だっただけだろう。
お茶だけはちゃんとはいっていた。
ただし、有浄がいれるお茶は渋め、兎々子がいれるお茶は薄め。
有浄がいれた深緑色のお茶を一口飲むと早起きをしたせいで、ぼんやりとしていた頭に衝撃が走った。
なんだこれ、お茶が脳髄に響くってありなのか。
「渋すぎる……」
「これくらいがいいんじゃないか」
いつもはお湯をいれて薄めるのだが、いれずに飲んだらこれだ。
お茶くらい普通の人間と同じ濃さで飲めないのか。
こいつは。
可哀想なのは兎々子だ。
以前、有浄がいれたお茶を飲み、まるで毒でも飲んだかのように苦しんでいた。
薬缶を手にし、黙ってお湯を湯呑に注ぎ、薄めた。
まだ濃いが飲めないほどじゃない。
「さていただこうか」
有浄は機嫌よく柏餅の葉をとった。
柏の葉は乾燥したものとは違う青々しい色をしていた。
まだ柔らかい餅を口にするとほんのり甘く、中から固めの潰しあんが出てきた。
食べ応えのあるどっしりとした柏餅はひとつ食べただけでもじゅうぶん満足感がある。
「蓬がいい香りだ。今年は蓬の柏餅もあるとは安海にしては気が利いてるね」
「中身は同じあんこだけどな」
「うん。でも、いいよ、これ。緑の香りが強くてうまい。俺は蓬餅が気に入った」
「そうか」
二色の餅をお用意したのがよかったのか、売れ行きは順調でいつもの倍の数を買ったお客もいた。
有浄はどれだけ柏餅が好きなのか、白と蓬の二色をあっという間に食べ尽くし、お茶を飲んでいた。
よくあんな渋いお茶を顔色ひとつ変えずに飲める。
飲み干すと有浄は言った。
「兎々子ちゃんが連れてきた犬だけど、あれは放っておくと入らずの森で見たものと同じものになるよ」
「それを早く言えよ!」
飲んでいたお茶を吹き出しかけて手で押さえた。
「今すぐじゃない。安海、入らずの森で見ただろう?」
低い声で有浄は言われ、ぎくりとした。
そういう類いの話はなるべく避けていたのだが、話を振られた俺は森の中に蠢く黒い影を思い出していた。
目の錯覚でなければ、俺が見た影の形はひとつではなかった。
天狗だったり、狐だったりと、ひとつの塊となって森の中を移動していた。
意思はあるし、話すことはできる。
ただ個としての己が何者なのかわかっていないようだった。
「あれは全部、居場所を失った神だよ。森に引き寄せられてああなった。徐々に自分が何者であったかわからなくなり、影になって行き場のないまま彷徨うか、その身を堕とし妖怪と呼ばれるか―――そんなところだ」
「お前にはあの犬モドキの正体がなんなのかわかるのか」
「陰陽師だからね」
「神主って言えよ! 陰陽師なんて胡散臭い職業はやめろ!」
「偏見はよくないよ、偏見は」
「全国のみなさんに聞いてみろよ。俺と同じことを言うからな!?」
「わかった。今度新聞の質問欄で全国に呼び掛けてみよう」
「やめろ。お前の胡散臭い商売が全国区に広まるだけだ」
残念そうな顔をした有浄を見ていると結構本気で新聞に載せるつもりだったらしい。
いや、神主として真面目に働けよ。
俺が言うのもなんだが。
正午を知らせる大砲の音が外から聞こえ、俺と有浄は同時に縁側の方を眺めた。
天気のよい明るい日差しが差し込んでいて、このまま縁側で昼寝でもすれば最高だ。
だが―――
「有浄。兎々子の様子を見に行くぞ」
さすがに心配だ。
「わかった。俺はハヤシライスにする。今の気分はカレーというよりハヤシライス気分だ」
「お前の食べたい物の話じゃねーよ! 今は犬だろ!?」
「なんだ。安海は食べないのか?」
「えっ、いや、オムライスを食べるつもりだけど」
「オムライスか。オムライスもいいな」
洋食好きな有浄はもう食べることしか考えていなかった。
こいつとまともに話そうとした俺が馬鹿だった。
俺は諦めて、柏餅を包んだ風呂敷を手にした。
この柏餅は俺と有浄のことを毛嫌いしている兎々子の父親のために用意しておいた。
ご機嫌取り?
いや違う。
俺なりのちょっとした手土産だ。
なぜか俺のことを敵視してくるからな。
多少の仕返しを用意するのが礼儀だ。
いつもは常識人で平和主義な俺もたまには悪さをすることもある。
待ってろ、洋食屋『カネオカ』―――
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