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第二話 薬狩りの月~緑葉の菓子~
(1)
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皐月に入ったばかりの午後。
世間では田植えや種まきに忙しく、石畳の道を牛が通るのが見えた。
きっと俺より牛の方が働き者だ。
偉いぞ、牛。
がんばれ、牛。
心の中で牛を応援した。
そんな俺は邪魔者が入ってこないように店の鍵を閉め、縁側でごろごろと転がっていた。
天気もよく、日当たりも最高。
寝転んだ視線の先には緑の若葉が風に揺れ、さらさらと葉擦れの音をたてている。
お気に入りの座布団を枕にうとうととしながら、目を閉じた。
こんな素晴らしい午後ってあるか?
いや、ない。
「おーい」
俺を呼ぶ声がするが、あれはきっと気のせいだな。
「安海ー! まさか今日も安海だけに休みか?」
うるせえよ。
心の中で毒づいた。
俺のくだらない冗談には厳しいくせには自分はいいのかよ!
声の主は一之森有浄。
あいつの本業は菓子屋じゃなくて、神主だっていうのに和菓子屋よりも自分に甘いとはこれいかに。
あー、俺、冗談の天才だな。
うまいこと言った。
「おーい! 昼寝か? まったく怠け者だな」
鍵のかかった店の入り口前で騒いでいる。
せいぜい騒ぐがいい。
悪いが、鍵は開けてやらないぜ。
俺はまっとうな和菓子屋だ。
お前のような胡散臭い自称陰陽師と違って俺は真面目な和菓子職人なんだ。
だから、面倒事はごめんだ。
それに先日の饅頭作りで疲れている。
今の俺には休養が必要だ。
「おい、安海。起きろよ」
誰が起きるかと、半ば意地になっていた。
店の前には休業中と書いて貼り紙までした。
それで、ズカズカ入ってくる図々しい客はいないはずだ。
俺はしばらく仕事はしない。
これは絶対だ!
決定だ!
揺るがせてなるものか、このどうどうたる決意。
ぎゅっと俺は相棒(座布団)を抱きしめて目を閉じていた。
だが―――
「無視はよくないんだな、無視は」
俺の頭上にかかる黒い影。
どうやら、敵の侵入を許してしまったらしい。
洋装姿の有浄が赤や白のツツジの花が咲く庭のほうから現れた。
帽子を手でおさえ、してやったりとばかりに俺を覗き込んだ。
俺の平和よ、さよなら。
ぼっーとした目で目の前に現れた有浄をちょっとにらんでみた。
まったく凄みがない上に寝ぼけた顔のせいだろうか。
俺のにらみは外からの光で眩しくて目を細めた程度にしか、有浄の目には映らなかったようで、親切心からか手で外からの光を遮ってくれた。
いや、別に眩しいわけじゃない。
そろそろ気づけよ。
俺と有浄は長い付き合いだが、以心伝心とはいかないものだ。
落胆しながら、渋々起き上がった。
「有浄。どこから入った。神主のくせに無断で人の家に入ってくんな。お前のとこの神様は人の家に不法侵入を許可してんのかよ」
犯罪だぞ、犯罪。
俺の昼寝を邪魔した時点で重罪決定。
「冷たいことをいうなよ。親友のためにせっかくお守りを持ってきてやったっていうのに」
「お守り?」
「菖蒲飾りだ。皐月らしいだろ?」
菖蒲の強い香りが漂った。
青々しい緑の葉の香りが空気に溶け、清涼な澄んだ香りが部屋の隅々に広がっていくのがわかる。
緑の長い葉を束ね、榊と一緒に結ばれた菖蒲飾りを手にしていた。
これは有浄が作ったのだろう。
葉がしゃんとして萎れていない。
「わざわざ採って来たのか」
「まあね。薬狩りの時期だから、緑の葉をとるなら今がいい」
どこで採ってきたんだということは聞かないほうがいいな。
また面倒なことに巻き込まれかねない。
そもそも薬狩りってなんの薬を作るつもりだよ。
嫌な予感しかない。
「安海。この菖蒲飾りは邪気払いになるから、ちゃんと飾っておけよ」
「そうか。邪気払いか……」
すでに効果がないような気がしているのは俺だけだろうか。
邪気(有浄)が家の中まで入り込んできてしまっている。
「おい、安海。わざわざ持ってきてやったのにそんな不満そうな顔するなよ」
「あー、はい。ありがとうなー」
適当にお礼を言って、窓辺に菖蒲飾りを吊るした。
木枠に囲まれた窓硝子からは外の庭が見えた。
―――見なければよかった。
青々しいのはなにも菖蒲だけじゃない。
庭の草が伸び放題だった。
草むしりをしなくちゃなと思いながら、有浄をちらりと見た。
あの広い境内をどうやって草むしりしているのか、一之森神社はいつも綺麗に整えられていいる。
幼馴染とはいえ、有浄はいろいろと不思議な存在だ。
「安海。よかったな。俺のおかげで悪いものが寄ってこれないな」
「一番悪いものが寄ってきてるけどな」
「安海の冗談にしては面白いな」
「黙れ。自称陰陽師」
「俺の本業なのに」
「本業は神主だろ!」
「俺の本業は陰陽師だよ。人とあやかしの橋渡し役だからね」
太陽が雲に隠れ、有浄の顔に影がかかる。
庭が薄暗くなり、冷たい風が吹いた。
さっきまでの春のぽかぽかした暖かな陽気とは違う。
嫌な予感がした。
大抵、俺の予感は当たるのだ。
長年、有浄と兎々子に振り回され続けた結果、勘が冴えてしまった。
悲しいことに俺の予感は当たっていた―――
『千年屋』に新たな客が訪れた。
世間では田植えや種まきに忙しく、石畳の道を牛が通るのが見えた。
きっと俺より牛の方が働き者だ。
偉いぞ、牛。
がんばれ、牛。
心の中で牛を応援した。
そんな俺は邪魔者が入ってこないように店の鍵を閉め、縁側でごろごろと転がっていた。
天気もよく、日当たりも最高。
寝転んだ視線の先には緑の若葉が風に揺れ、さらさらと葉擦れの音をたてている。
お気に入りの座布団を枕にうとうととしながら、目を閉じた。
こんな素晴らしい午後ってあるか?
いや、ない。
「おーい」
俺を呼ぶ声がするが、あれはきっと気のせいだな。
「安海ー! まさか今日も安海だけに休みか?」
うるせえよ。
心の中で毒づいた。
俺のくだらない冗談には厳しいくせには自分はいいのかよ!
声の主は一之森有浄。
あいつの本業は菓子屋じゃなくて、神主だっていうのに和菓子屋よりも自分に甘いとはこれいかに。
あー、俺、冗談の天才だな。
うまいこと言った。
「おーい! 昼寝か? まったく怠け者だな」
鍵のかかった店の入り口前で騒いでいる。
せいぜい騒ぐがいい。
悪いが、鍵は開けてやらないぜ。
俺はまっとうな和菓子屋だ。
お前のような胡散臭い自称陰陽師と違って俺は真面目な和菓子職人なんだ。
だから、面倒事はごめんだ。
それに先日の饅頭作りで疲れている。
今の俺には休養が必要だ。
「おい、安海。起きろよ」
誰が起きるかと、半ば意地になっていた。
店の前には休業中と書いて貼り紙までした。
それで、ズカズカ入ってくる図々しい客はいないはずだ。
俺はしばらく仕事はしない。
これは絶対だ!
決定だ!
揺るがせてなるものか、このどうどうたる決意。
ぎゅっと俺は相棒(座布団)を抱きしめて目を閉じていた。
だが―――
「無視はよくないんだな、無視は」
俺の頭上にかかる黒い影。
どうやら、敵の侵入を許してしまったらしい。
洋装姿の有浄が赤や白のツツジの花が咲く庭のほうから現れた。
帽子を手でおさえ、してやったりとばかりに俺を覗き込んだ。
俺の平和よ、さよなら。
ぼっーとした目で目の前に現れた有浄をちょっとにらんでみた。
まったく凄みがない上に寝ぼけた顔のせいだろうか。
俺のにらみは外からの光で眩しくて目を細めた程度にしか、有浄の目には映らなかったようで、親切心からか手で外からの光を遮ってくれた。
いや、別に眩しいわけじゃない。
そろそろ気づけよ。
俺と有浄は長い付き合いだが、以心伝心とはいかないものだ。
落胆しながら、渋々起き上がった。
「有浄。どこから入った。神主のくせに無断で人の家に入ってくんな。お前のとこの神様は人の家に不法侵入を許可してんのかよ」
犯罪だぞ、犯罪。
俺の昼寝を邪魔した時点で重罪決定。
「冷たいことをいうなよ。親友のためにせっかくお守りを持ってきてやったっていうのに」
「お守り?」
「菖蒲飾りだ。皐月らしいだろ?」
菖蒲の強い香りが漂った。
青々しい緑の葉の香りが空気に溶け、清涼な澄んだ香りが部屋の隅々に広がっていくのがわかる。
緑の長い葉を束ね、榊と一緒に結ばれた菖蒲飾りを手にしていた。
これは有浄が作ったのだろう。
葉がしゃんとして萎れていない。
「わざわざ採って来たのか」
「まあね。薬狩りの時期だから、緑の葉をとるなら今がいい」
どこで採ってきたんだということは聞かないほうがいいな。
また面倒なことに巻き込まれかねない。
そもそも薬狩りってなんの薬を作るつもりだよ。
嫌な予感しかない。
「安海。この菖蒲飾りは邪気払いになるから、ちゃんと飾っておけよ」
「そうか。邪気払いか……」
すでに効果がないような気がしているのは俺だけだろうか。
邪気(有浄)が家の中まで入り込んできてしまっている。
「おい、安海。わざわざ持ってきてやったのにそんな不満そうな顔するなよ」
「あー、はい。ありがとうなー」
適当にお礼を言って、窓辺に菖蒲飾りを吊るした。
木枠に囲まれた窓硝子からは外の庭が見えた。
―――見なければよかった。
青々しいのはなにも菖蒲だけじゃない。
庭の草が伸び放題だった。
草むしりをしなくちゃなと思いながら、有浄をちらりと見た。
あの広い境内をどうやって草むしりしているのか、一之森神社はいつも綺麗に整えられていいる。
幼馴染とはいえ、有浄はいろいろと不思議な存在だ。
「安海。よかったな。俺のおかげで悪いものが寄ってこれないな」
「一番悪いものが寄ってきてるけどな」
「安海の冗談にしては面白いな」
「黙れ。自称陰陽師」
「俺の本業なのに」
「本業は神主だろ!」
「俺の本業は陰陽師だよ。人とあやかしの橋渡し役だからね」
太陽が雲に隠れ、有浄の顔に影がかかる。
庭が薄暗くなり、冷たい風が吹いた。
さっきまでの春のぽかぽかした暖かな陽気とは違う。
嫌な予感がした。
大抵、俺の予感は当たるのだ。
長年、有浄と兎々子に振り回され続けた結果、勘が冴えてしまった。
悲しいことに俺の予感は当たっていた―――
『千年屋』に新たな客が訪れた。
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