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第一話 狐の嫁入り~お祝いまんじゅう~
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八十八夜を過ぎ、皐月に入ってすぐのこと。
黒留袖姿の女性が朝早くにやってきた。
やってきたのはこの間、饅頭を頼みに来た女性とは別の女性で似ているものの、少し違う。
黒留袖の女性は泣きぼくろがあるきつめの美人は髪を高く結い上げて銀の簪をさしている。
まあ、人ではないだろうなと思いながらも俺は人だということにした。
厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだ。
「千年屋さん。約束のものは出来ていますか」
着物からのぞく白い手は人間が持つような生気をあまり感じられない。
綺麗な手だが、作り物のような手だった。
「もちろん、出来ている」
仕上がった紅白饅頭は箱に入れ、いつでも持って行けるようにまとめて風呂敷に包んである。
「中身は開けてのお楽しみですか」
「ああ」
白の襷を外した。
夜も明けないうちから、作業していたせいで眠い。
風呂に入り、身を清め、あんこを炊いた。
確かにあんこを炊く日は有浄が言うようになにかの儀式のようだ。
決まった手順をふまないとどこか落ちつかず、満足のいくものに仕上がらない。
大量のあんこを炊くと、工場の中は白い湯気で窓硝子を曇らせるくらい暑くなる。
そんな工場の中で鍋から音が聞えてくるようになるまで気長に水気を飛ばし、小豆を煮詰めていく。
耳を澄まして煮る音を聞けば、仕上がりの固さがだいたいわかる。
これはもう経験がものをいう―――と、じいさんが言っていた。
「今日、お嫁にいく私の妹は初代の頃から、ここの和菓子が大好きだったんですよ」
「それはどうも。じいさんにはまだまた及ばなけどな」
「ほほほ。初代さんはなかなかの腕前でしたからね。ここらの者は『千年屋』のお饅頭が供えられると喜んだものですよ」
供えられたら……ね。
そこは聞かなかったことにしよう。
俺は無表情でうなずいた。
さて、仕事は終わった。
俺は寝よう。
欠伸をひとつした。
「確かにお品はいただきました。急にお願いした分、お代は弾んでおきましたよ」
お祝い事だからか、金払いはよく饅頭代は俺が思っていたよりもずっと多かった。
黒留袖を着た女が姿を消すと薄暗く感じていた店の中が明るくなった気がした。
「こないだの狐も厄介そうな手合いだったが、今日の狐もなかなかだったな」
完璧に見えた人の姿でも人とはやはりどこか違うのだ。
そして、俺は前回の狐も今回の狐も―――正体はもうわかっていた。
面倒なことには関わらないほうが吉。
あとは有浄がなんとかするだろう。
さーて、寝るかと思っていると、ちょうど入れかわるようにして兎々子がやってきた。
「安海ちゃん。お疲れさまー! お饅頭できた?」
「俺が疲れていると思ってるなら、休ませてくれよ」
とりあえず、お疲れさまと言っておけばいいと思うなよ!?
朝飯もまだの俺になにをさせようというのだろうか。
「そうしてあげたいけど、有浄さんから嫁入り行列を見たいなら、これをつけて来るように言われたの。安海ちゃんの分も預かったから持ってきてあげたのよ」
兎々子が差し出したのは狐面だった。
「なるほどな」
「有浄さんは私達と知らない仲でもないから、見送ってあげてって言ってたの」
知らない仲ではない。
きっと俺や兎々子のことは幼い頃から知っていただろう。
それに―――俺達より有浄のほうが嫁にいかれて寂しいのかもしれない。
あいつにしたら、家族みたいなものだっただろうからな。
狐面を兎々子に渡したということは来て欲しいのはむしろ有浄のほうなのかもしれない。
「わかった」
眠い目をこすって俺は狐面を受け取った。
兎々子だけ行かせるわけにはいかない。
店にあった和傘を手にした。
「安海ちゃん。こんなに天気がいいのに傘を持っていくの?」
「雨が降るからな」
俺と兎々子は狐面をかぶり、石畳の通りを歩く。
途中で会ったカンカン帽子をかぶった小学校の先生が俺と兎々子を不思議そうな顔で見ていた。
夏祭りでもないのに俺と兎々子がなにをしているのだろうと思っているに違いない。
子供達がきょとんとして、俺達を見ている。
からかったり、馬鹿にするかと思ったが、怯えているのを見て複雑な心境になったことは言うまでもない。
むしろ、からかってくれたほうが笑い話にできたのだが……
だが、はずすわけにはいかない。
これは俺達を人ではないものにするためのもの。
やがて、町内にある一之森神社の鎮守の森が見えてきた。
神社は鬱蒼とした濃い緑の木々に囲まれており、鎮守の森は入らずの森とも呼れて立ち入りを禁じられている。
石畳の道がちょうど終わる頃、俺達とは反対側の道の向こう側から雨が近づいてくる気配がした。
湿気を含んだ風が吹いている。
兎々子が空を仰ぎ、首を傾げた。
「こんなに天気がいいのに雨……?」
雨が降るだろうと思っていた。
なぜなら、狐の嫁入りには雨がつきものだからだ。
それに気づいてない兎々子は虹が出るといいねとのんきなことを言っていた。
黒留袖姿の女性が朝早くにやってきた。
やってきたのはこの間、饅頭を頼みに来た女性とは別の女性で似ているものの、少し違う。
黒留袖の女性は泣きぼくろがあるきつめの美人は髪を高く結い上げて銀の簪をさしている。
まあ、人ではないだろうなと思いながらも俺は人だということにした。
厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだ。
「千年屋さん。約束のものは出来ていますか」
着物からのぞく白い手は人間が持つような生気をあまり感じられない。
綺麗な手だが、作り物のような手だった。
「もちろん、出来ている」
仕上がった紅白饅頭は箱に入れ、いつでも持って行けるようにまとめて風呂敷に包んである。
「中身は開けてのお楽しみですか」
「ああ」
白の襷を外した。
夜も明けないうちから、作業していたせいで眠い。
風呂に入り、身を清め、あんこを炊いた。
確かにあんこを炊く日は有浄が言うようになにかの儀式のようだ。
決まった手順をふまないとどこか落ちつかず、満足のいくものに仕上がらない。
大量のあんこを炊くと、工場の中は白い湯気で窓硝子を曇らせるくらい暑くなる。
そんな工場の中で鍋から音が聞えてくるようになるまで気長に水気を飛ばし、小豆を煮詰めていく。
耳を澄まして煮る音を聞けば、仕上がりの固さがだいたいわかる。
これはもう経験がものをいう―――と、じいさんが言っていた。
「今日、お嫁にいく私の妹は初代の頃から、ここの和菓子が大好きだったんですよ」
「それはどうも。じいさんにはまだまた及ばなけどな」
「ほほほ。初代さんはなかなかの腕前でしたからね。ここらの者は『千年屋』のお饅頭が供えられると喜んだものですよ」
供えられたら……ね。
そこは聞かなかったことにしよう。
俺は無表情でうなずいた。
さて、仕事は終わった。
俺は寝よう。
欠伸をひとつした。
「確かにお品はいただきました。急にお願いした分、お代は弾んでおきましたよ」
お祝い事だからか、金払いはよく饅頭代は俺が思っていたよりもずっと多かった。
黒留袖を着た女が姿を消すと薄暗く感じていた店の中が明るくなった気がした。
「こないだの狐も厄介そうな手合いだったが、今日の狐もなかなかだったな」
完璧に見えた人の姿でも人とはやはりどこか違うのだ。
そして、俺は前回の狐も今回の狐も―――正体はもうわかっていた。
面倒なことには関わらないほうが吉。
あとは有浄がなんとかするだろう。
さーて、寝るかと思っていると、ちょうど入れかわるようにして兎々子がやってきた。
「安海ちゃん。お疲れさまー! お饅頭できた?」
「俺が疲れていると思ってるなら、休ませてくれよ」
とりあえず、お疲れさまと言っておけばいいと思うなよ!?
朝飯もまだの俺になにをさせようというのだろうか。
「そうしてあげたいけど、有浄さんから嫁入り行列を見たいなら、これをつけて来るように言われたの。安海ちゃんの分も預かったから持ってきてあげたのよ」
兎々子が差し出したのは狐面だった。
「なるほどな」
「有浄さんは私達と知らない仲でもないから、見送ってあげてって言ってたの」
知らない仲ではない。
きっと俺や兎々子のことは幼い頃から知っていただろう。
それに―――俺達より有浄のほうが嫁にいかれて寂しいのかもしれない。
あいつにしたら、家族みたいなものだっただろうからな。
狐面を兎々子に渡したということは来て欲しいのはむしろ有浄のほうなのかもしれない。
「わかった」
眠い目をこすって俺は狐面を受け取った。
兎々子だけ行かせるわけにはいかない。
店にあった和傘を手にした。
「安海ちゃん。こんなに天気がいいのに傘を持っていくの?」
「雨が降るからな」
俺と兎々子は狐面をかぶり、石畳の通りを歩く。
途中で会ったカンカン帽子をかぶった小学校の先生が俺と兎々子を不思議そうな顔で見ていた。
夏祭りでもないのに俺と兎々子がなにをしているのだろうと思っているに違いない。
子供達がきょとんとして、俺達を見ている。
からかったり、馬鹿にするかと思ったが、怯えているのを見て複雑な心境になったことは言うまでもない。
むしろ、からかってくれたほうが笑い話にできたのだが……
だが、はずすわけにはいかない。
これは俺達を人ではないものにするためのもの。
やがて、町内にある一之森神社の鎮守の森が見えてきた。
神社は鬱蒼とした濃い緑の木々に囲まれており、鎮守の森は入らずの森とも呼れて立ち入りを禁じられている。
石畳の道がちょうど終わる頃、俺達とは反対側の道の向こう側から雨が近づいてくる気配がした。
湿気を含んだ風が吹いている。
兎々子が空を仰ぎ、首を傾げた。
「こんなに天気がいいのに雨……?」
雨が降るだろうと思っていた。
なぜなら、狐の嫁入りには雨がつきものだからだ。
それに気づいてない兎々子は虹が出るといいねとのんきなことを言っていた。
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