上 下
32 / 33

32 後悔 ※ロザリエ視点

しおりを挟む
 ――裏切り者たちに、帝国の力を思い知らせてやるわ!

 国境を越えたところに、レグヴラーナ帝国の兵とお父様が待っているのが見えた。
 これは、お父様が計画していたとおりの筋書きだった。
 お兄様とお姉様が人質になったとしても問題ない。
 むしろ、敵国で処刑されるなりしてくれたほうが、お父様にとって都合がいい。
 私が傷つけられたり、不当な扱いを受けたら、一気に攻め込んでやると、お父様は意気込んでいるくらいだ。
 私の話を聞いたら、見せしめに町一つくらい焼いてしまうだろう。
 でも、もう遅いわ。
 父様に全部言いつけてやるんだから!
 
「ロザリエ。無事に戻ってきたか」

 私を心配したお父様が、ドルトルージェ王国の国境を越え、大勢の兵士と共に、迎えに来てくれていた。
 早くお父様に、お兄様の裏切りを伝えなくてはと、馬車を降り、侍女たちに支えられながら歩いた。

「お兄様が裏切ったの! お姉様をかばって、私に恥をかかせたのよ!」
「ラドヴァンが裏切っただと!?」

 まさか、お兄様が裏切るとは思っていなかったのか、お父様は激しく動揺した。
 今まで、お兄様はお父様に気に入られようと必死だった。
 いつもお兄様をそばに置いていた私だって、裏切られて驚いたんだから、お父様が驚くのも無理はない。

「それに、お姉様は毒の神の加護を受けてるからって、敵国でチヤホヤされて、私より素敵なドレスを着ていたの! 許せない!」
「毒の神の加護だと? 神など、ただの伝説だろう?」
「違うわ。銀細工みたいな蛇を見たもの」
「では、禁書庫にあった本は、おとぎ話などではなく、本物の歴史書だったということか……?」

 お父様はもごもご言ってたけど、そんなのどうでもよかった。
 私に恥をかかせたお兄様たちが許せない。
 敵国の令嬢たちの前で、お姉様をかばうなんて、ありえないんだから! 

「裏切り者たちに罰を与えて!」

 私のお願いなら、なんでも聞いてくれるお父様。
 それなのに、いつまで待っても返事がない。

「あれは……」
「どうかなさって……?」

 威厳ある態度を見せてきたお父様が、恐怖で顔を歪ませるのを初めて見た。
 お父様の視線を追って振り返る。

「どうしてアレシュ様やお姉様が、私を追ってきたの!?」

 岩の高所にいたのは、腕に鷹を止まらせたアレシュ様、シルヴィエお姉様、ラドヴァンお兄様の三人がいた。
 そして、その後ろには、赤毛の護衛騎士の一団がいるのみで、お父様が驚くほどのものではない。

「あんな少人数で、勝てると思っているかしら? 帝国の兵士たちなら、簡単に倒してしまうわ」

 大笑いする私と、青ざめた顔をしているお父様。
 その温度差は、まるで夏と冬くらいの違いがある。

「伝説と同じだ。神々の化身である獣を連れ歩き、その力は国一つを焼くと……」

 町一つではなく、国だなんて、冗談でしょと思っていた。
 お父様は本気にしているけど、そんなわけない。

「レグヴラーナ皇帝。ドルトルージェ王国と争うということが、、どういう意味なのか、歴史書に残っていなかったか?」

 高みから、私たちに告げたアレシュ様は、王子というより、王の風格を持っていた。
 焦ったお父様は、兵士たちに命令を下す。

「全員、矢を放て!」

 まさか、いきなり戦うことになると思わなかった兵士たちは、隊列を乱し、弓矢を構える。
 大量の矢が、蜂の集団のように襲いかかった。

 ――なに?

 アレシュ様が、こちらを見て笑ったのだ。
 慌てた様子はなく、たった一言だけ聞こえた。

「ヴァルトル。風をここに」

 その瞬間、鷹の姿は消え、鷹は風となり、竜巻が生まれる。
 竜巻がすべての矢を飲み込み、折られ、地面に叩きつけられた。

「つ、続けて放てっ!」

 お兄様がいるというのに、お父様は容赦なく命令を下す。
 アレシュ様は指を軽く、矢に向けて動かしただけ。
 矢は見えない風の刃で、切り裂かれ、くだけ散った。
 兵士たちはこれが、偶然でないことに気づく。

「ドルトルージェの王子が、竜巻を起こしたのか?」
「あの力はなんだ?」

 人とは思えない力に、怯えだし、逃げようとする者までいた。

「ここから、逃げられる者は逃げろ」

 お兄様が兵士たちに言った。

「ラドヴァン! 逃げるなど、みっともない!お前は何度逃げるつもりだ!」
「無傷で帰せるのであれば、みっともなかろうが、俺は逃げろと命じる。父上が逃げないというのであれば、一人残ればいいだけのことだ」

 今までご機嫌をうかがっていたお兄様はいない。
 お父様に冷たい態度を見せ、私のことなど、目の端にも映していなかった。

「許さん! 誰でもよい! ラドヴァンを捕らえよ!」

 兵士たちが動く前に、お姉様の声がした。

「レネ」

 お姉様は毒の神の名を呼ぶ。

「な、なんだ。花の香り?」
「甘い香りがするぞ」

 どこにも花は咲いていないのに、風に甘い香りが混じる。
 その香りが毒だと気づいたのは、倒れた兵士を目にした時だった。

「な、なに!? 兵士たちになにをしたの?」
「毒というのは、人を苦しめるものだけではなく、眠らせるための毒もあるんですよ」

 兵士たちは睡魔に襲われ、倒れていく。
 一人、また一人と……
 それは恐怖だった。
 じわじわと効く毒の香り。
 けれど、不思議なことに、私とお父様だけは眠くならなかった。

「ヴァルトル」

 鷹の姿に戻った風の神が、アレシュ様の腕に止まる。
 さっきまで帝国側は、大勢の兵士に囲まれて圧倒的に優位だった。
 それが今では、私とお父様だけが、取り残されている。

「ど、どうして……?」
「風の障壁を作り、眠らないようにしただけだ」

 お父様は偉大なる帝国の皇帝陛下だというのに、剣さえ抜いて構えず、一言も言葉を発することができなかった。
 私たちが反撃できないと思ったのか、お姉様は毒の神とともに、近づいてくる。

「ち、近寄るな! 近寄るなぁ!」
「お姉様に殺されるわ! お父様、私を守って!」
「馬鹿者! 皇帝を守れ!」
「そ、そんな!?」

 私を前に押し出し、お父様はぶるぶる震えていた。
 そういえば、お父様は戦場にでたことがなく、命じるだけだった。
 剣を持ったところさえ、見たことがない。
 いつも危険な場所には、お兄様を行かせていた。

「お父様。兵を退いていただけますか?」
「わ、わかった。そのつもりだ」

 にこっとお姉様は微笑んだ。
 
「でも、お父様。圧倒的に不利な状況で、兵を退却するだけ終わるとは、思いませんよね?」
「なんだと!?」

 お兄様が前に出る。

「父上。皇帝の地位から退いていただきたい」
「ラドヴァン! お前が皇帝になろうというのか……!」

 お姉様がずいっと前に銀の蛇を差し出す。

「ひえっ!」

 私を見捨てて、お父様だけが体を逃がす。

「お父様。これは取引です」
「取引だと?」
「はい。今日、ロザリエにあってわかったのですが、ロザリエの寿命はあとわずかなようです」

 ――私の命が残りわずか!?

 お姉様の言葉に耳を疑った。

「なんですって……?」
「体内の毒が、徐々に強くなっているようなのです。レネの力で、それが見えたため、急いで薬を渡したのです」
「早く言いなさいよ! お姉様、薬を持ってきて!」
「私はひと瓶だけだと言いました」

 お姉様は悲しい顔をし、目を伏せた。
 
「今まで私は、何度もロザリエと仲良くなろうとしてきました。でも、それをロザリエは否定し続けましたね」

 なんだか雰囲気がいつもと違うことに気づいた。
 お姉様は私に怒っているのだ。

「兵士たち一人一人に家族がいます。それを考えず、感情に任せて兵を動かしたことは許せません」
「お、お姉様待って、薬をまた作って! お願い! お願いよ!」
「ええ。それは構いません。ただし、解毒薬は渡せません。延命のための薬のみです」

 お姉様は怒っていた。
 今まで、お姉様が本気で怒ったところを誰も見たことがなかった。

「薬が欲しいのであれば、二度とこのような真似をしないこと。そして、戦争を仕掛けるような真似をしたら、薬を渡さないと、覚えておいてください」

 お姉様は自分だけのためには怒らないけれど、人々のためには怒るのだと知った。
 もし、お姉様が呪われていなかったら、お父様の後継者はお姉様だったかもしれない。
 目覚めた兵士たちは、お姉様の声が聞こえたらしく、それを聞いて涙を流していた。
 
「お父様はどうされますか? 可愛い娘に生きていてほしいでしょう?」

 お父様はうつむいた。
 お姉様が要求しているのは、ふたつ。
 ドルトルージェ王国に攻め込まないこと。
 お兄様の即位を認めること。
 これは、脅迫同然。

「ドルトルージェ王国は神が住む土地。その土地に戦争を仕掛けるということは、神に刃を向けたのと同じ。退位だけで済むのをありがたく思ってほしいものだ」

 追い討ちをかけるアレシュ様の言葉――お父様が敵うわけなかった。

「……承知した。無傷でいられることを感謝する」

 お父様はアレシュ様にひざまずいた。
 私も死にたくないのなら、そうするしかなかった。
 ――自分の命と引き換えに、ドルトルージェ王国に従いながら、生きていく未来が決まったのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

職業『お飾りの妻』は自由に過ごしたい

LinK.
恋愛
勝手に決められた婚約者との初めての顔合わせ。 相手に契約だと言われ、もう後がないサマンサは愛のない形だけの契約結婚に同意した。 何事にも従順に従って生きてきたサマンサ。 相手の求める通りに動く彼女は、都合のいいお飾りの妻だった。 契約中は立派な妻を演じましょう。必要ない時は自由に過ごしても良いですよね?

王太子様には優秀な妹の方がお似合いですから、いつまでも私にこだわる必要なんてありませんよ?

木山楽斗
恋愛
公爵令嬢であるラルリアは、優秀な妹に比べて平凡な人間であった。 これといって秀でた点がない彼女は、いつも妹と比較されて、時には罵倒されていたのである。 しかしそんなラルリアはある時、王太子の婚約者に選ばれた。 それに誰よりも驚いたのは、彼女自身である。仮に公爵家と王家の婚約がなされるとしても、その対象となるのは妹だと思っていたからだ。 事実として、社交界ではその婚約は非難されていた。 妹の方を王家に嫁がせる方が有益であると、有力者達は考えていたのだ。 故にラルリアも、婚約者である王太子アドルヴに婚約を変更するように進言した。しかし彼は、頑なにラルリアとの婚約を望んでいた。どうやらこの婚約自体、彼が提案したものであるようなのだ。

【完結】私は側妃ですか? だったら婚約破棄します

hikari
恋愛
レガローグ王国の王太子、アンドリューに突如として「側妃にする」と言われたキャサリン。一緒にいたのはアトキンス男爵令嬢のイザベラだった。 キャサリンは婚約破棄を告げ、護衛のエドワードと侍女のエスターと共に実家へと帰る。そして、魔法使いに弟子入りする。 その後、モナール帝国がレガローグに侵攻する話が上がる。実はエドワードはモナール帝国のスパイだった。後に、エドワードはモナール帝国の第一皇子ヴァレンティンを紹介する。 ※ざまあの回には★がついています。

お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして

みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。 きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。 私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。 だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。 なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて? 全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです! ※「小説家になろう」様にも掲載しています。

【完結】私、殺されちゃったの? 婚約者に懸想した王女に殺された侯爵令嬢は巻き戻った世界で殺されないように策を練る

金峯蓮華
恋愛
侯爵令嬢のベルティーユは婚約者に懸想した王女に嫌がらせをされたあげく殺された。 ちょっと待ってよ。なんで私が殺されなきゃならないの? お父様、ジェフリー様、私は死にたくないから婚約を解消してって言ったよね。 ジェフリー様、必ず守るから少し待ってほしいって言ったよね。 少し待っている間に殺されちゃったじゃないの。 どうしてくれるのよ。 ちょっと神様! やり直させなさいよ! 何で私が殺されなきゃならないのよ! 腹立つわ〜。 舞台は独自の世界です。 ご都合主義です。 緩いお話なので気楽にお読みいただけると嬉しいです。

妹に虐げられましたが、今は幸せに暮らしています

絹乃
恋愛
母亡きあと、後妻と妹に、子爵令嬢のエレオノーラは使用人として働かされていた。妹のダニエラに縁談がきたが、粗野で見た目が悪く、子どものいる隣国の侯爵が相手なのが嫌だった。面倒な結婚をエレオノーラに押しつける。街で迷子の女の子を助けたエレオノーラは、麗しく優しい紳士と出会う。彼こそが見苦しいと噂されていたダニエラの結婚相手だった。紳士と娘に慕われたエレオノーラだったが、ダニエラは相手がイケメンと知ると態度を豹変させて、奪いに来た。

この度、猛獣公爵の嫁になりまして~厄介払いされた令嬢は旦那様に溺愛されながら、もふもふ達と楽しくモノづくりライフを送っています~

柚木崎 史乃
ファンタジー
名門伯爵家の次女であるコーデリアは、魔力に恵まれなかったせいで双子の姉であるビクトリアと比較されて育った。 家族から疎まれ虐げられる日々に、コーデリアの心は疲弊し限界を迎えていた。 そんな時、どういうわけか縁談を持ちかけてきた貴族がいた。彼の名はジェイド。社交界では、「猛獣公爵」と呼ばれ恐れられている存在だ。 というのも、ある日を境に文字通り猛獣の姿へと変わってしまったらしいのだ。 けれど、いざ顔を合わせてみると全く怖くないどころか寧ろ優しく紳士で、その姿も動物が好きなコーデリアからすれば思わず触りたくなるほど毛並みの良い愛らしい白熊であった。 そんな彼は月に数回、人の姿に戻る。しかも、本来の姿は類まれな美青年なものだから、コーデリアはその度にたじたじになってしまう。 ジェイド曰くここ数年、公爵領では鉱山から流れてくる瘴気が原因で獣の姿になってしまう奇病が流行っているらしい。 それを知ったコーデリアは、瘴気の影響で不便な生活を強いられている領民たちのために鉱石を使って次々と便利な魔導具を発明していく。 そして、ジェイドからその才能を評価され知らず知らずのうちに溺愛されていくのであった。 一方、コーデリアを厄介払いした家族は悪事が白日のもとに晒された挙句、王家からも見放され窮地に追い込まれていくが……。 これは、虐げられていた才女が嫁ぎ先でその才能を発揮し、周囲の人々に無自覚に愛され幸せになるまでを描いた物語。 他サイトでも掲載中。

強すぎる力を隠し苦悩していた令嬢に転生したので、その力を使ってやり返します

天宮有
恋愛
 私は魔法が使える世界に転生して、伯爵令嬢のシンディ・リーイスになっていた。  その際にシンディの記憶が全て入ってきて、彼女が苦悩していたことを知る。  シンディは強すぎる魔力を持っていて、危険過ぎるからとその力を隠して生きてきた。  その結果、婚約者のオリドスに婚約破棄を言い渡されて、友人のヨハンに迷惑がかかると考えたようだ。  それなら――この強すぎる力で、全て解決すればいいだけだ。  私は今まで酷い扱いをシンディにしてきた元婚約者オリドスにやり返し、ヨハンを守ろうと決意していた。

処理中です...