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23 敵国?いいえ、楽園です!

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 ドルトルージェ王国は世界でもっとも歴史の古い国である。
 レグヴラーナ帝国で、他の神々についての書物や伝承を目にしたことがなかった。
 そして、私には毒の神の加護があるというけど――

「シルヴィエ様。なにをなさっているんですか?」

 石を持ち上げたり、草むらをかき分けていたのが、おかしかったのか、声をかけてくれたのは、ナタリーだけだった。
 ナタリーは臨時で、風の宮の侍女になり、王太子妃付きとして働いている。

「あっ! ナタリー、ちょうどよかったです。神様を探していました。毒の神様といういのは、蛇の姿をしているそうなので、こういうところにいないかなって……」
「言い伝えではそうらしいですが、草むらにはいません」
「えっ!?」

 慌てて、石を元の場所に戻した。
 けっこう大きな石だったけど、それをひょいっと持ち上げたせいか、遠巻きに眺めていた侍女たちから、悲鳴が上がった。
 表情を崩さないのはナタリーだけだった。

「ふう……。これで元通り」
「シルヴィエ様は力持ちですね」
「わかりますか? 私、こうみえても畑仕事で鍛えた筋肉はなかなかのものなんですよ」
「なぜ畑仕事を?」
「帝国では、幽閉されていたので、食事も寂しくて。それで、食卓を豊かにするために畑をしていたんです」

 あまり表情に変化のないナタリーだったけど、私の言葉にわずかながら、しんみりした表情を浮かべた。

「そうだったんですか。ご苦労なされていたんですね」
「大工仕事も得意なので、なにかあったら遠慮なく言ってください。屋根の雨漏りも直せますよ」

 得意顔でウインクすると、ナタリーはわずかに身を引いた。

「力持ちなのはけっこうですが、今のところは間に合っております」
「残念ですね……。せっかくなにかお役に立てるかと思ったのですけれど」
「そういえば、シルヴィエ様の刺繍を王妃様が褒めていらっしゃいました」
「本当ですか? つたない刺繍でしたけれど、王妃様に喜んでいただけてよかったです」

 食事の際に、私の刺繍の腕前を尋ねられたので、刺繍を施したクッションカバーを贈らせていただいた。
 気に入ってくださるか不安だったけれど、猫を連れていらっしゃったから、猫の絵柄にした。
 それがよかったのかもしれない。
 
「国王陛下は演奏会にて、奏でられたハープの音色が美しかったとおっしゃられてました」
「光栄ですわ」
「シュテファン様は馬の遠駆けに誘いたいそうですよ」
「遠駆けですか? ぜひご一緒したいです。今、シュテファン様と乗馬の練習をしているので、とても励みになります」

 馬に乗ったことがなかった私は、シュテファン様と一緒に練習中だった。
 アレシュ様との新婚旅行では、各地にある神々の廟を巡る予定になっている。
 神々の廟を巡ることで、ドルトルージェ王家の一員として、認められるという意味合いもあるそうだ。
 その廟があるのは、山頂や森の奥だったりと、場所は様々で、馬に乗れた方が移動しやすいとの理由から、乗れるようになったら、出発する予定になっていた。

「シルヴィエ様は上達が早いそうで、新婚旅行に行く日も近いとか」
「私、旅行は初めてで、すごく楽しみにしているんですよ。楽しみがあるから、上達も早くなるのかもしれません」

 ナタリーと話していると、爽やかな風が吹いて、甘さを含んだ微かな香りが私の元へ届く。
 振り返ると、そこには、腕にヴァルトルをとまらせ、アレシュ様がいた。

「アレシュ様。お仕事は終わったのですか?」
「ああ。王宮にいると、父上にこきつかわれて困る。だが、新婚旅行の許可をもらったぞ」

 アレシュ様は国王陛下の補佐として、忙しい日々を送っている。
 次期国王として指名され、すでに即位することが決まっていた。
 継承争いとは無縁の平穏な空気は、帝国とまったく違う。

「新婚旅行に行けるなんて、とても贅沢な気がします」
「シルヴィエは欲がない」
「そんなことありません。そのうち、町にも行ってみたいですし、王宮だけでなく、色々な方々とふれあいたいと思ってます。やりたいことがたくさんありすぎて、困ってるんです」

 嬉しい悩みだけど、一日の時間は限られていて、なかなか実践できない。
 頬に手をあて、ため息をついた。
 なにがおかしかったのか、アレシュ様は声を殺して笑っていた。
 毎日が珍しい物ばかりで、今日のアレシュ様の肩掛けの織物も初めて見る物だった。
 この国の物は、どこか神秘的な雰囲気がある。

「素敵な織物ですね。昨日見た織物と同じ素材の糸でできているのに、まったく違う気がします」
「ああ、わかるか? 絹糸にもランクがある。それぞれの糸に合った使い方をしている」
「興味深いですね」

 すでに何枚も織物を見てきた。
 目新しさはあるけれど、私はこの国を『異国』とは思わなくなってきていた。

「興味があるなら、週末に織物工房へ出かけよう」
「はい! ぜひ! シュテファン様もお連れください。この間、私が蜂蜜農家を見学したと言ったら、とても羨ましがっていました」
「わかった。シュテファンも誘おう」

 それも全部、ドルトルージェ王家の方々が私を受け入れ、家族として扱ってくれるから。

「シルヴィエ。今日の花は南方で咲く赤い花だが、どうだろう?」
「可愛い花ですね。初めて見る花です」

 アレシュ様は手にしていた珍しい花を私の髪に飾った。

 ――毎日、必ず花をくれる。

 アレシュ様は私と約束した言葉を守り、ドルトルージェ王国に咲く花で、私の日常を彩る。

「廟を巡れば、毒の神の姿を見れるようになるかもしれない」
「早く毒の神様の姿を見たいです。そして、私もアレシュ様のように、みなさんのお役に立ちたいと思っております」

 ナタリーがちらりとアレシュ様を横目で見る。

「アレシュ様のように役に立つですか?」
「はいっ!」
「ほとんど覗き見では……」
「ナタリー! シュテファンが呼んでいたぞ!」

 ナタリーがなにか言いかけていたのに、それをアレシュ様がすばやく遮った。
 
「シュテファン様が? では、私はいったん失礼します」

 深々とナタリーはお辞儀をし、足早に去って行った。

「仕事はできるが、ナタリーは正直すぎる」
「正直なのはいいことですわ」
「時と場合による」

 風の神の化身、鷹のヴァルトルは庭に出ると、空高く飛んでいく。
 とても気持ち良さそうに飛ぶ。
 それを見上げていると、アレシュ様が私の髪に触れた。
 触れられるのに、驚いてしまう癖が、まだ抜けてなくて、アレシュ様が苦笑する。

「申し訳ありません。いきなり触れられるのはまだ慣れてなくて……」
「わかってる。少しずつ慣れていけばいい」

 私は人から触れられるのに慣れてない。
 触れられるとわかっているのなら、平気だけど、突然だと身構えてしまう。
 また誰かを傷つけるのではないかと、不安になるのだ。

「早く毒の神様の姿が見えるようになりたいです。そしたら、もっと力をうまく使えるようになるでしょうし」
「それが廟を巡る一番の目的だからな」

  古い神々を追い出した帝国では、毒の神の力が制限された状態だった。
 すべての廟を巡れば、この国の者だと神々に認められ、ヴァルトルたちのように、姿を見せることができるはず――と、ドルトルージェ国王陛下から、教えていただいた。

「シルヴィエは毒の神を憎むだろうと思っていた」
「なぜですか?」
「毒の神が加護を与えなければ、普通の皇女として暮らせたはずだからな」
「加護がなければ、今ごろ、私は死んでいたでしょう。私が帝国を滅ぼすと予言者に告げられてしまったら、赤ん坊の私は抵抗もできません」

 もちろん、捨てるという選択もあったそうだ。
 けれど、これが毒の神の加護とは気づかず、私の呪いと判断した。
 赤ん坊を捨て、誰かに拾われ、帝国を呪って滅ぼすのではというパターンをお父様は考えたらしい。
 それで、皇宮で監視されて育てられた。

「アレシュ様。人は生まれる場所も条件も選べません。一番の呪いは、自分は絶対に幸せになれないと思い込む呪いです」

 アレシュ様は髪に触れたまま、私を見つめる。

「自分自身を不幸にするのは、毒の神でありません。幸せを目指さず、不幸なまま、なにもかも諦めてしまうことです」
「そうだな。そうかもしれない」

 髪に口づけ、アレシュ様は笑う。

「なら、俺は幸せにすると誓おう。シルヴィエが幸せだと思えるように」

 私はここで、幸せになれる。
 いいえ、すでに幸せだと思っている。
 そう伝えようとした時、庭がざわついた。

「なんだ? ヴァルトル、戻れ」

 アレシュ様は警戒して、ヴァルトルを呼び戻す。
 ヴァルトルは庭園の木々の隙間をすり抜け、まっすぐにこちらへ飛んでくる。
 地面から、なめらかな曲線を描き、肩の高さまで、上昇し、風が起きて、前髪が跳ねる。
 両翼を何度かはばたかせて、アレシュ様が差し出した腕に止まった。

「素敵ですね!」

 ヴァルトルは鷹の形をしているけど、本性は風。
 立派な翼と凛々しい顔つきをしている。
 部屋に風が吹き込み、客人を連れてきた。

「古き神――いいえ、それは風の神のお姿。やはり、ドルトルージェの王族は、他国の王族とは異なりますな」

 庭に入ってきたのは、庭師たち――黒髪に青い瞳をした男。
 帝国の庭師、ハヴェルだった。
 
「王族の方は、生まれた時、神から加護を授けられると聞いております。アレシュ様は風の神、弟のシュテファン様は水の神というように」
「なるほど。お前が新しく入った庭師か。庭師たちが騒いでいた。各国の王宮の庭を手掛ける天才庭師が、やってくると」
「天才ではありません。すべて、草木が美しく育つ手伝いをしているだけのことです」

 ハヴェルは有名な庭師だったようで、各国の王族たちの事情にも通じている。
 なぜ、ハヴェルがここにいるのだろう。
 帝国の庭師として、雇われていたはずなのに。

「これから、新婚旅行へ行くのだが、庭に花を増やしてほしい」

 私のために庭師を雇ったのだとわかった。

「承知しました。シルヴィエ様が気に入られるような花を考えましょう」
「ハヴェル……。なぜ、帝国からこちらへ?」
「帝国との契約は終了し、新しい勤め先を探していました。シルヴィエ様の庭は弟子に任せてありますので、ご安心を」
「そうですか。もしかして、私のせいで解雇されたのではありませんよね?」
「もちろんです。帝国と結んでいた雇用契約の年数が終わっただけのことです」

 黒い髪と髭の奥にある青い瞳からは、本心を読み取ることがでできない。
 優しかったハヴェルを思いだし、一瞬だけよぎった疑念を消した。

 ――もしかして、お兄様かお父様がなにかたくらんでいるのではないかと思ったけど、ありえませんよね。

 ハヴェルが私を裏切るわけないのですから。
 
「新婚旅行からお戻りになられる頃には、庭の花を増やし、楽しめるようにしておきましょう」
「楽しみにしている」
「ええ。ハヴェル、ありがとう」

 廟を巡る期間は一ヶ月。
 ハヴェルがやってきた次の週、新婚旅行へ旅立ち、ドルトルージェ王宮を離れたのだった。   
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