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第一章

6 裏の顔(4)

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「ルナリア様。泣かないでください。解雇になってもしかたのないことなんですよ」

 乳母が優しい口調で私に語りかけ、エプロンで涙をぬぐってくれた。

「あの時、お勉強の時間だったのに、止めなかった私たちが悪かったんです」
「ルナリア様が水路に落ちたと聞いて、とても後悔しました」

 ずっとお世話をしてきてくれた乳母と侍女たちが、私のそばからいなくなる――心細いし、寂しかった。
 両親が気にかけてくれず、いつも一緒にいてくれたのは乳母と侍女だ。

 ――お父様たちにお願いして駄目だったとしても、なにもやらないよりいいわ!

「ルナリア、お父様にお願いしてくる! だから、待ってて!」
「まあ! いけません。今日はレジェス様がアギラカリサにお帰りの日ですし、お邪魔になりますよ!」
「叱られるよ。ここにいたほうがいい」

 フリアンが私を止めようとしたけど、するりとかわして、伸ばした手からすり抜けた。 
 部屋を飛び出し、お父様とお母様を探す。
 うろうろしている私に気づいた兵士が驚き、声をかけてきた。
  
「ルナリア様。寝間着姿でどうなさいましたか!?」
「えっと、お父様とお母様はどこ?」
「レジェス様がアギラカリサ王国へ戻る日ですので、お見送りするため、王宮前にいると思いますが……」
「ありがと!」

 兵士が止めた気がしたけれど、王宮の前へ向かって走っていた。
 五歳の子供に王宮は広かった。
 しかも、病み上がりで完全に治っていない。
 ふらふらになりながら、王宮前にたどり着くと、そこには正装したレジェスが、滞在のお礼を述べているところだった。

「オルテンシア王国のもてなしに感謝する」
「レジェス様がいなくなると、とても寂しいです」

 セレステがレジェスの手を握り、お父様は獲物を仕留めたとばかりに微笑んだ。

「レジェス殿下。できれば、いずれセレステの婿として……」
「お父様! お母様!」

 会話が終わるのを待てずに遮ってしまった。
 お父様とセレステが、私の姿を見て嫌そうな顔をした。
 そして、お母様の怖い顔で、ようやく自分が寝間着姿だということに気づいた。

 ――叱られる!

 しまったと思ったけど、もう遅い。

「あなたという子はっ……!」

 お母様の怒鳴り声が響き渡るはずだった。
 それを阻止したのはレジェスで、寝間着姿の私を抱きあげた。

「ルナリア! 俺の見送りにきてくれたのか?」

 レジェスの明るい声に、お母様は私を叱れず、慌てて黙った。

「あれから見舞いも断られて、ずっと会えないままだったから、どうしているのかと心配していた」

 私の顔を見て太陽みたいに笑った。
 お見舞いを断った覚えはなかったけど、高熱が続いていたから、乳母が断っていたのかもしれない。
 ちゃんとお礼をいってなかったことを思いだした。

「レジェス様。助けてくれて、ありがとうございました」
「なんだ。他人行儀だな。もっとこう近しい態度で話したらどうだ?」
「う、うん……」

 でも、ここにはお父様とお母様、セレステがいるから、おかしな振る舞いをするわけにはいかない。
 レジェスのおかげで、今の私は守られている。
 いなくなったら、こうして私をかばってくれる人は一人もいなくなるのだ。

 ――どうか神様。乳母たちだけでも私に残してください。

 乳母と侍女のことを言うなら、今しかなかった。

「お父様、お母様。お願いがあります」
「お願いだと?」

 お父様は見るからに嫌そうな顔をした。

「水に落ちたのは、ルナリアのせいなの! だから、乳母たちを辞めさせないでください」
「そうはいかん。お前の世話をするという役目を果たさなかった」
「ええ。セレステまでショックで熱を出して……」 
「いい子にするからお願い!」

 必死に頼み込んでいると、セレステが横から口を挟んだ。

「お父様。ルナリアが可哀想だわ。赦してあげて」

 私が頼んだ時と違って、お父様の厳しい顔つきが優しいものに変わる。

「しかし……」

 それでも渋るお父様を見て、私は泣きそうになった。

 ――私が二番目だから、お願いを聞いてもらえないの?

「ルナリア、泣くな」
「れ、レジェス様?」

 私の顔を覗き込み、レジェスは『平気だ』という代わりに微笑んでみせた。 
 
「悪いのはルナリアではない。セレステは俺がいたから気を遣い、ルナリアを散歩に誘った。俺がいなかったら、なにも起こらなかったはずだ」

 セレステは笑顔のままだったけれど、こわばった笑みを浮かべていて、さっきまでのセレステとは違う。

 ――お父様とお母様に、セレステは事実と違うことを吹き込んでいたんだわ。

 私が勉強を怠けたくて散歩に出たとでも、言っていたのだろう。

「優しいセレステは、レジェス様に楽しんでもらおうとしたのでしょうね」

 お母様はそれでもセレステを正当化する。

「あなた。今回はルナリアを赦してあげましょう。乳母と侍女を探して雇うのも大変ですわ」
「うむ……」

 セレステが誘ったと知った途端、私を見る目が変わった。
 私が言っても信じられないけど、レジェスは別らしい。
 嘘がつけない性格だし、明るくて人を惹きつける。
 それに、レジェスの言葉には力があった。

「わかった。しかし、今回だけだからな」
「ルナリア。これに懲りたら、いい子にするんですよ」

 ――乳母と侍女たちが解雇されずにすんだ!

 泣きたいくらい嬉しかった。
 私が喜びのあまりなにも言えずにいると、レジェスが私を地面に下ろして頭をなでた。
 まるで、『よくやった』というように。

「よかったな」

 泣くのをこらえ、何度も首を縦に振った。

「ルナリア、俺に手紙を書け。悩みでもなんでもいいから相談しろ。いいな?」
「うん。ありがとう、レジェス様!」

 レジェスはぽんっと私の頭を叩いた。
 その瞬間、なにか予感がした。

 ――なんだろう、この気持ち。

 アギラカリサ王国の末の王子レジェス。
 上には年の離れた王子が三人もいて、レジェスが王になる可能性が低いと言われている。
 でも、私はレジェスに王の資質があると思った。
 突然訪れた直感。
 根拠はなにもないけれど、急にレジェスが特別な存在に見えた。

「ん?」
「えっと……。ルナリアもいつかアギラカリサ王国へ行ってみたいな!」

 一瞬だったけれど、レジェスの顔が険しくなった気がした。

「ああ。遊びに来い! そうだな……。それまでにはマシにしておく」

 ――マシに? いったいなにをマシにするの?

 なんだかレジェスの言葉がひっかかったけど、すぐにいつもの明るい表情に戻った。

「じゃあな、ルナリア」

 レジェスは馬の手綱を手にする。
 正装し、従者に囲まれたレジェスは大国の王子という雰囲気があった。
 明るいアギラカリサ王国の末の王子のレジェス。
 太陽みたいなレジェスをセレステが好きになるのも無理はない
 隊列が見えなくなるまで見送った。
 隊列の最後尾が見えなくなったら、お父様とお母様は政治の話をしながら、中へ入っていく。
 セレステは両親がいなくなるのを待ち、私とセレステの二人になると、私と向き合った。

 ――やっぱり笑顔。
 
 それもとびきりの天使みたいに可愛い笑顔だった。
 でも、中身は天使じゃない。

「水路に落ちて、高熱を出したのに平気なんて、本当にルナリアは強い子ね」

 その笑顔が怖いと思う一方で、セレステから逃げてはいけないと思った。
 セレステと向き合い、立ち向かわなくては、私は二番目のまま。

「うん。ルナリアは強いよ?」

 にこっと笑うと、わずかにセレステがひるんだ。

「だから、今度は落ちないように気をつけるね!」

 やられるだけの妹ではないと、セレステに教えた。
 今までみたいに、うまく騙せると思ったら大間違い。
 私はこの先、不幸な結末迎えないためにも、今から少しずつ私のできることを増やしていく。
 たとえ、両親が私を一番だと思わなくても、私のそばには、乳母や侍女がいる。
 そして、レジェスが力になってくれると言った。
 今はそれでじゅうぶんだ。

 ――小説『二番目の姫』は始まったばかりなのだから。
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