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(閑話)名付け親 ※ザカリア
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子供を育てるのが、こんな大変だとは思わなかった――目の前を鶏がバサッとジャンプした。
鶏が城の廊下を歩いている……
「なるほど。鶏を城の中に入れるという発想が、子供にはあるんだな」
自分が予想外のことも起きる。
感想を述べた俺に対して、セレーネのほうは違っていた。
「ルチアノ! にっ、にわとりっ……」
セレーネは鶏の大群に、悲鳴を上げそうになったのを、なんとかこらえ、鶏を捕まえようとしていた。
だが、鶏を捕まえることができず、涙目だ。
貴族令嬢として、妃候補として育ったセレーネが、鶏を捕まえる方法を知っているわけがない。
一方、息子のルチアノは天使のような笑顔を浮かべている。
「お母様。どうかした?」
ルチアノに悪気がないのはわかっていた。
しかし、城の中が阿鼻叫喚に包まれるのは、時間の問題だった。
「ルチアノ様っ! 庭に魚を飼われては困りますっ!」
「ひっ! 鶏が城の中に!?」
「鶏につつかれたっ!」
「掃除したばかりなのに、鶏の足跡がああああ!」
コッコッコッ……
鶏が鳴きながら、俺の前を横切っていった。
セレーネは捕まえることを諦め、ルチアノに言い聞かせる。
「え、えーと、ルチアノ。魚は川へ帰して、鶏は小屋に戻しましょうね」
本人に困らせている自覚はないため、怒ってはいけない(乳母から借りた育児本参照)。
そんな一文を思いだし、なるほどとうなずいた。
育児については完全に素人である。
「お母様、雨が降って外は寒いよ。 外にいるのは可哀想だから……」
俺の背後で、優しい心をお持ちですねと言ったのは、ジュストだった。
「褒めて伸ばすタイプか」
俺がジュスト言うと、首を横に振った。
「なに言っているんですか。ルチアノ様はお優しい上に天才ですよ」
心からの言葉に、俺は無言になった。
侍女たちまで、それなら仕方ありませんなんて言い出す始末。
セレーネだけが、懸命にルチアノに言い聞かせている状況だった。
「みんな、帰る家があるのよ。魚は川に、鶏は小屋で住んでいるの。ルチアノが帰れなくなったら、どう思うかしら?」
「悲しい……」
「そうよね。じゃあ、お家に帰してあげましょうね」
「お母様。新しいお家にしてあげたらどうかな? 城は立派だし、住み心地は悪くないと思う!」
うっ……と、セレーネが言葉に詰まった。
ジュストや侍女たちが、歓声を上げた。
「ルチアノ様は賢くていらっしゃる」
「可愛らしい上に天才ですわね!」
魚の網を手にし、必死に鶏を追いかけながら、よくそこまで褒められるものだ。
「ルチアノ。池に魚がいたが、今日の昼は魚か?」
「えっ? お昼……?」
「鶏はローストチキンか? 厨房から逃げたようだな」
俺が鶏を捕まえようとした瞬間、ルチアノがダッシュで走ってきて、横から鶏をさらって抱き締めた。
「この鶏は違うよっ! メス! メスだから!」
「ああ、卵用か」
「た、たまご……」
ルチアノがショックを受けているが、城で飼っている鶏は食用である。
「では、昼は魚料理ということだな」
「待って! 食べられる前に戻してくる……。ザカリア様から守らなくちゃ……」
結局、全員で鶏を捕まえた。
雨の中、鶏を小屋へ戻し、魚は川へ放流した。
ルチアノはがっかりしていたが、セレーネはごめんなさいと謝っていた。
「元気すぎて、毎日、負けてしまいます」
「気にするな。元気な方がいい」
俺がそう言うと、ジュストが笑った。
「ルチアノ様のおかげで、城もザカリア様も明るくなって、楽しく過ごせていますよ」
「俺も?」
「お気づきでしょう?」
確かに変化はあった。
城の中は花が飾られ、庭が手入れされ、食事は茹でただけのジャガイモから、マッシュポテトやミートポテトパイなどが出るくらい変わった。
「せっかく友達から魚をもらったのにな……」
どうやら、池の中の魚は、仲良くなった子供たちからもらったものだったらしい。
からっぽになった池を眺めて、ルチアノががっかりしている。
「ルチアノ。雨が晴れたら、魚釣りへ行くか?」
「釣り!? ザカリア様が、魚釣りに連れていってくれるんですか?」
「ああ」
「行きたいですっ!」
ルチアノは目をキラキラ輝かせていた。
「お母様も一緒に!」
「私? 釣りは教わったことがありませんけど。できるかしら……」
「セレーネは見ているだけでいいだろう」
「そうですか? それなら、ご一緒します」
セレーネだけでなく、ルチアノにとっても、初めての魚釣りだ。
いい経験になるだろう――そう思っていると、ジュストが鶏の羽根をくるくるさせながら言った。
「まるで親子ですね」
「当たり前だ。俺が名付け親だからな」
そう――ルチアノの名は俺がつけた。
「ザカリア様! 雨が止みました!」
窓を眺めていたルチアノが振り返り、灰色の雲の途切れた空を指差した。
眩しい日差しが城を明るく染めた。
◇◇◇◇◇
ルチアノが生まれた日は、朝から雨が降っていた。
「まだか?」
「ザカリア様。今の『まだか』は五十六回目になります。落ち着いてください」
昨晩から、ずっと待っているが、難産らしく、なかなか産まれてこない。
城内は寝不足の人間が続出し、今日は食事も簡単なものでいいと、全員が口を揃えて言うくらい気が気ではなかった。
俺に落ち着けと言ったジュストだが、乳母だった母親に――
『母さん。子供はどれくらいで生まれてくるんだ?』
――と、聞いていたのを俺は見ていた。
乳母から、『あんたは早く結婚しなさい!』と、呆れられ、叱られているところを俺はしっかり目撃していた。
「雨が止みませんね」
ジュストは話すこともなくなったのか、天気の話を始めた。
その時だった。
子供の産声が聞こえたのは。
「産まれましたよ! 男の子です!」
産婆が部屋の扉を開けるまで、とてつもなく長く感じた。
「セレーネ様はお疲れです。今日はザカリア様だけにしてもらいますよ」
手伝っていたジュストの母親が、入ろうとした城の者たちを止めた。
駆けつけた者たち全員が、がっかりしていたが、ジュストの母親には敵わない。
「さあ、ザカリア様。どうぞ」
乳母にうながされ、部屋へ入ると、横になり休んでいたセレーネが、俺に気づき、微笑んだ。
「男の子でしたわ」
「ああ……」
なんと声をかけていいのか、わからずにいると、ジュストの母親が俺に言った。
「ザカリア様。もっと近くで子供を見たらどうですか?」
「だが……」
父親でもない俺が、生まれたての子供に近寄っていいのだろうか。
「ザカリア様。子を抱き上げてください」
「触れても、いいのか?」
「ええ。もちろんです」
セレーネは笑顔でうなずいた。
泣いている子をどう扱っていいか、まったくわからなかったが、そっと抱き上げた。
小さな赤ん坊が腕の中で、元気に泣いている。
大声で泣く赤ん坊に戸惑いながら、セレーネを見ると、彼女は優しげな笑みを浮かべ、俺と赤ん坊を眺めていた。
な俺の記憶の中の母は、いつも暗い顔をしていた――けれど、母もあんなふうに微笑んだことがあったのかもしれない。
「ザカリア様。子に名前をつけていただけませんか?」
「俺が名前をつけていいのか?」
「はい。名付け親になっていただきたいのです」
まさか、独身の俺が親になるとは思わなかった。
だが、腕の中の赤ん坊と俺は、すでに約束しているのだ。
セレーネも赤ん坊も守ると。
疲労していても、セレーネの目は強く――そして、美しかった。
「わかった」
――俺たちは王位を奪いに行く共闘者だ。
この先、子が俺たちを繋ぐ絆の証になるだろう。
雨が止み、オレンジ色の光が窓から射し込み、部屋を照らした。
「ルチアノ」
セレーネは眩しそうに我が子を眺めた。
雨が止み、燃えるような光の中で、ルチアノは誕生した――
鶏が城の廊下を歩いている……
「なるほど。鶏を城の中に入れるという発想が、子供にはあるんだな」
自分が予想外のことも起きる。
感想を述べた俺に対して、セレーネのほうは違っていた。
「ルチアノ! にっ、にわとりっ……」
セレーネは鶏の大群に、悲鳴を上げそうになったのを、なんとかこらえ、鶏を捕まえようとしていた。
だが、鶏を捕まえることができず、涙目だ。
貴族令嬢として、妃候補として育ったセレーネが、鶏を捕まえる方法を知っているわけがない。
一方、息子のルチアノは天使のような笑顔を浮かべている。
「お母様。どうかした?」
ルチアノに悪気がないのはわかっていた。
しかし、城の中が阿鼻叫喚に包まれるのは、時間の問題だった。
「ルチアノ様っ! 庭に魚を飼われては困りますっ!」
「ひっ! 鶏が城の中に!?」
「鶏につつかれたっ!」
「掃除したばかりなのに、鶏の足跡がああああ!」
コッコッコッ……
鶏が鳴きながら、俺の前を横切っていった。
セレーネは捕まえることを諦め、ルチアノに言い聞かせる。
「え、えーと、ルチアノ。魚は川へ帰して、鶏は小屋に戻しましょうね」
本人に困らせている自覚はないため、怒ってはいけない(乳母から借りた育児本参照)。
そんな一文を思いだし、なるほどとうなずいた。
育児については完全に素人である。
「お母様、雨が降って外は寒いよ。 外にいるのは可哀想だから……」
俺の背後で、優しい心をお持ちですねと言ったのは、ジュストだった。
「褒めて伸ばすタイプか」
俺がジュスト言うと、首を横に振った。
「なに言っているんですか。ルチアノ様はお優しい上に天才ですよ」
心からの言葉に、俺は無言になった。
侍女たちまで、それなら仕方ありませんなんて言い出す始末。
セレーネだけが、懸命にルチアノに言い聞かせている状況だった。
「みんな、帰る家があるのよ。魚は川に、鶏は小屋で住んでいるの。ルチアノが帰れなくなったら、どう思うかしら?」
「悲しい……」
「そうよね。じゃあ、お家に帰してあげましょうね」
「お母様。新しいお家にしてあげたらどうかな? 城は立派だし、住み心地は悪くないと思う!」
うっ……と、セレーネが言葉に詰まった。
ジュストや侍女たちが、歓声を上げた。
「ルチアノ様は賢くていらっしゃる」
「可愛らしい上に天才ですわね!」
魚の網を手にし、必死に鶏を追いかけながら、よくそこまで褒められるものだ。
「ルチアノ。池に魚がいたが、今日の昼は魚か?」
「えっ? お昼……?」
「鶏はローストチキンか? 厨房から逃げたようだな」
俺が鶏を捕まえようとした瞬間、ルチアノがダッシュで走ってきて、横から鶏をさらって抱き締めた。
「この鶏は違うよっ! メス! メスだから!」
「ああ、卵用か」
「た、たまご……」
ルチアノがショックを受けているが、城で飼っている鶏は食用である。
「では、昼は魚料理ということだな」
「待って! 食べられる前に戻してくる……。ザカリア様から守らなくちゃ……」
結局、全員で鶏を捕まえた。
雨の中、鶏を小屋へ戻し、魚は川へ放流した。
ルチアノはがっかりしていたが、セレーネはごめんなさいと謝っていた。
「元気すぎて、毎日、負けてしまいます」
「気にするな。元気な方がいい」
俺がそう言うと、ジュストが笑った。
「ルチアノ様のおかげで、城もザカリア様も明るくなって、楽しく過ごせていますよ」
「俺も?」
「お気づきでしょう?」
確かに変化はあった。
城の中は花が飾られ、庭が手入れされ、食事は茹でただけのジャガイモから、マッシュポテトやミートポテトパイなどが出るくらい変わった。
「せっかく友達から魚をもらったのにな……」
どうやら、池の中の魚は、仲良くなった子供たちからもらったものだったらしい。
からっぽになった池を眺めて、ルチアノががっかりしている。
「ルチアノ。雨が晴れたら、魚釣りへ行くか?」
「釣り!? ザカリア様が、魚釣りに連れていってくれるんですか?」
「ああ」
「行きたいですっ!」
ルチアノは目をキラキラ輝かせていた。
「お母様も一緒に!」
「私? 釣りは教わったことがありませんけど。できるかしら……」
「セレーネは見ているだけでいいだろう」
「そうですか? それなら、ご一緒します」
セレーネだけでなく、ルチアノにとっても、初めての魚釣りだ。
いい経験になるだろう――そう思っていると、ジュストが鶏の羽根をくるくるさせながら言った。
「まるで親子ですね」
「当たり前だ。俺が名付け親だからな」
そう――ルチアノの名は俺がつけた。
「ザカリア様! 雨が止みました!」
窓を眺めていたルチアノが振り返り、灰色の雲の途切れた空を指差した。
眩しい日差しが城を明るく染めた。
◇◇◇◇◇
ルチアノが生まれた日は、朝から雨が降っていた。
「まだか?」
「ザカリア様。今の『まだか』は五十六回目になります。落ち着いてください」
昨晩から、ずっと待っているが、難産らしく、なかなか産まれてこない。
城内は寝不足の人間が続出し、今日は食事も簡単なものでいいと、全員が口を揃えて言うくらい気が気ではなかった。
俺に落ち着けと言ったジュストだが、乳母だった母親に――
『母さん。子供はどれくらいで生まれてくるんだ?』
――と、聞いていたのを俺は見ていた。
乳母から、『あんたは早く結婚しなさい!』と、呆れられ、叱られているところを俺はしっかり目撃していた。
「雨が止みませんね」
ジュストは話すこともなくなったのか、天気の話を始めた。
その時だった。
子供の産声が聞こえたのは。
「産まれましたよ! 男の子です!」
産婆が部屋の扉を開けるまで、とてつもなく長く感じた。
「セレーネ様はお疲れです。今日はザカリア様だけにしてもらいますよ」
手伝っていたジュストの母親が、入ろうとした城の者たちを止めた。
駆けつけた者たち全員が、がっかりしていたが、ジュストの母親には敵わない。
「さあ、ザカリア様。どうぞ」
乳母にうながされ、部屋へ入ると、横になり休んでいたセレーネが、俺に気づき、微笑んだ。
「男の子でしたわ」
「ああ……」
なんと声をかけていいのか、わからずにいると、ジュストの母親が俺に言った。
「ザカリア様。もっと近くで子供を見たらどうですか?」
「だが……」
父親でもない俺が、生まれたての子供に近寄っていいのだろうか。
「ザカリア様。子を抱き上げてください」
「触れても、いいのか?」
「ええ。もちろんです」
セレーネは笑顔でうなずいた。
泣いている子をどう扱っていいか、まったくわからなかったが、そっと抱き上げた。
小さな赤ん坊が腕の中で、元気に泣いている。
大声で泣く赤ん坊に戸惑いながら、セレーネを見ると、彼女は優しげな笑みを浮かべ、俺と赤ん坊を眺めていた。
な俺の記憶の中の母は、いつも暗い顔をしていた――けれど、母もあんなふうに微笑んだことがあったのかもしれない。
「ザカリア様。子に名前をつけていただけませんか?」
「俺が名前をつけていいのか?」
「はい。名付け親になっていただきたいのです」
まさか、独身の俺が親になるとは思わなかった。
だが、腕の中の赤ん坊と俺は、すでに約束しているのだ。
セレーネも赤ん坊も守ると。
疲労していても、セレーネの目は強く――そして、美しかった。
「わかった」
――俺たちは王位を奪いに行く共闘者だ。
この先、子が俺たちを繋ぐ絆の証になるだろう。
雨が止み、オレンジ色の光が窓から射し込み、部屋を照らした。
「ルチアノ」
セレーネは眩しそうに我が子を眺めた。
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