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15 約束したこと
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「これでよかったのよね……」
眠るルチアノの頬を撫でた。
今日、使者を迎えた時のザカリア様の苦しそうな顔を見て、大臣たちのために王宮へ戻ることはないだろうと思った。
それはルチアノも同じだったようで、自分から王の子であることを名乗った。
幼いながらに考え、大切な人々を守ろうとしたのである。
「ルチアノの安全を考えたら、ここにいるべきかもしれないけど……」
王宮へ戻ることを考えたら、眠れず、ガウンを羽織り、バルコニーから庭へ出た。
空には星が瞬いている。
ザカリア様の領地で過ごした七年は、あっという間だった。
私の人生で、最も穏やかで幸せに過ごせた日々。
この日々をくれたザカリア様や領地の人々に、返せるものがあるとするなら、今、この時、王宮へ戻ることが最良の選択だった。
「私はデルフィーナから、ルチアノを守らなくては……」
けれど、次はデルフィーナに負けて追い詰められたら、私だけで済む話ではない。
幼いルチアノはもちろんのこと、後見を引き受けてくれたザカリア様にも迷惑がかかる。
夜風がいつもより冷たく感じたその時、同じように庭園を歩く人がいた。
「セレーネ、眠れないのか」
「ええ……。ザカリア様もですか?」
「一度眠ったが、目が覚めた」
王宮に戻るのが不安なのは、私だけではなかった。
ザカリア様には、一生癒せない心の傷がある。
ご結婚されないのも、引きこもり殿下と呼ばれても、王宮へ戻らなかったのは、お母様の件が忘れられないからだろう。
――巻き込んでしまった。
このまま、領地で静かに暮らせたはずの人だったのに。
「申し訳ありません。私がしっかりしていれば……」
「それは俺のセリフだ。兄上や王宮から、ずっと目をそむけて生きてきた。むしろ、王族の俺こそ、セレーネに謝るべきだと思う」
与えられた領地を繁栄させたザカリア様が、今の王都の惨状に悔やまぬわけがなかった。
でも――
「ザカリア様は王宮に戻るのが、本当はお辛いのではないですか?」
私が言い当てたからか、ザカリア様は心中を語った。
「……いまだに、母が死んだ時の夢を見る。ジュストに頼まれ、セレーネを助けたのは、助けられなかった母の代わりだ」
夜気の寒さからか、微かに声が震えて聞こえた。
「それで、自分が母を助けられなかった罪を帳消しにしようとした」
「ザカリア様に罪なんてありません」
ザカリア様が小さな子供のように見えた。
不思議と、ルチアノくらいの歳頃のザカリア様が、そこにいる気がした。
「俺の力のせいで、母は部屋に閉じ込められ、食べ物も着る物も、最低限の物のみの日々を過ごした。俺がいなければ、母も一緒に閉じ込められることはなかった」
ザカリア様は、自分とお母様のように、部屋に閉じ込められ、同じ扱いを受けている私を見捨てられなかったのだ。
過去を知るジュストから、報告を受け、気にかけてくれていたのだろう。
「償う必要はありませんよ」
私が同じ立場になっても、ルチアノのためなら、その境遇を受け入れるだろう。
自分のふがいなさを感じるだけで、ルチアノを責める思いは一切ない。
ザカリア様を抱き締め、背中を撫でた。
「なにも悪くありません。ザカリア様はなにも悪くありません」
きっと、私にそう言ってほしかったのだと思い、その言葉を繰り返した。
お互いの体温が伝わった時、ザカリア様がお礼の言葉を口にした。
「ありがとう、セレーネ」
体を離し、微笑んだザカリア様は、どこかルチアノに似ていた。
「俺は家族を持たないと決めていた」
七年間、ザカリア様と共に暮らしたけれど、結婚の意思はなく、領地の人々も口にしなかった。
ザカリア様の心の傷が癒えるまで、誰も言えなかったのかもしれない。
「だが、セレーネとルチアノと共に過ごし、家族がいたら幸せなこともあるのだと知れた」
「私もルチアノがいて、幸せに気づかされることが、たくさんあります。それに、今のザカリア様には、たくさんの家族がいらっしゃいますわ」
王宮に戻ることを決めたのは、領地の人々を守るため。
そして、優しいあなたを――
「ザカリア様。私と共に戦ってくださいますか?」
「当たり前だ」
ザカリア様は、いつもの強いザカリア様に戻っていた。
そして、夜露に濡れた花を手折り、花を私の髪に飾る。
「必ず、ルチアノを王にするぞ」
「はい」
七年間の平穏な日々が終わった日、私たちは共に戦う約束をした。
眠るルチアノの頬を撫でた。
今日、使者を迎えた時のザカリア様の苦しそうな顔を見て、大臣たちのために王宮へ戻ることはないだろうと思った。
それはルチアノも同じだったようで、自分から王の子であることを名乗った。
幼いながらに考え、大切な人々を守ろうとしたのである。
「ルチアノの安全を考えたら、ここにいるべきかもしれないけど……」
王宮へ戻ることを考えたら、眠れず、ガウンを羽織り、バルコニーから庭へ出た。
空には星が瞬いている。
ザカリア様の領地で過ごした七年は、あっという間だった。
私の人生で、最も穏やかで幸せに過ごせた日々。
この日々をくれたザカリア様や領地の人々に、返せるものがあるとするなら、今、この時、王宮へ戻ることが最良の選択だった。
「私はデルフィーナから、ルチアノを守らなくては……」
けれど、次はデルフィーナに負けて追い詰められたら、私だけで済む話ではない。
幼いルチアノはもちろんのこと、後見を引き受けてくれたザカリア様にも迷惑がかかる。
夜風がいつもより冷たく感じたその時、同じように庭園を歩く人がいた。
「セレーネ、眠れないのか」
「ええ……。ザカリア様もですか?」
「一度眠ったが、目が覚めた」
王宮に戻るのが不安なのは、私だけではなかった。
ザカリア様には、一生癒せない心の傷がある。
ご結婚されないのも、引きこもり殿下と呼ばれても、王宮へ戻らなかったのは、お母様の件が忘れられないからだろう。
――巻き込んでしまった。
このまま、領地で静かに暮らせたはずの人だったのに。
「申し訳ありません。私がしっかりしていれば……」
「それは俺のセリフだ。兄上や王宮から、ずっと目をそむけて生きてきた。むしろ、王族の俺こそ、セレーネに謝るべきだと思う」
与えられた領地を繁栄させたザカリア様が、今の王都の惨状に悔やまぬわけがなかった。
でも――
「ザカリア様は王宮に戻るのが、本当はお辛いのではないですか?」
私が言い当てたからか、ザカリア様は心中を語った。
「……いまだに、母が死んだ時の夢を見る。ジュストに頼まれ、セレーネを助けたのは、助けられなかった母の代わりだ」
夜気の寒さからか、微かに声が震えて聞こえた。
「それで、自分が母を助けられなかった罪を帳消しにしようとした」
「ザカリア様に罪なんてありません」
ザカリア様が小さな子供のように見えた。
不思議と、ルチアノくらいの歳頃のザカリア様が、そこにいる気がした。
「俺の力のせいで、母は部屋に閉じ込められ、食べ物も着る物も、最低限の物のみの日々を過ごした。俺がいなければ、母も一緒に閉じ込められることはなかった」
ザカリア様は、自分とお母様のように、部屋に閉じ込められ、同じ扱いを受けている私を見捨てられなかったのだ。
過去を知るジュストから、報告を受け、気にかけてくれていたのだろう。
「償う必要はありませんよ」
私が同じ立場になっても、ルチアノのためなら、その境遇を受け入れるだろう。
自分のふがいなさを感じるだけで、ルチアノを責める思いは一切ない。
ザカリア様を抱き締め、背中を撫でた。
「なにも悪くありません。ザカリア様はなにも悪くありません」
きっと、私にそう言ってほしかったのだと思い、その言葉を繰り返した。
お互いの体温が伝わった時、ザカリア様がお礼の言葉を口にした。
「ありがとう、セレーネ」
体を離し、微笑んだザカリア様は、どこかルチアノに似ていた。
「俺は家族を持たないと決めていた」
七年間、ザカリア様と共に暮らしたけれど、結婚の意思はなく、領地の人々も口にしなかった。
ザカリア様の心の傷が癒えるまで、誰も言えなかったのかもしれない。
「だが、セレーネとルチアノと共に過ごし、家族がいたら幸せなこともあるのだと知れた」
「私もルチアノがいて、幸せに気づかされることが、たくさんあります。それに、今のザカリア様には、たくさんの家族がいらっしゃいますわ」
王宮に戻ることを決めたのは、領地の人々を守るため。
そして、優しいあなたを――
「ザカリア様。私と共に戦ってくださいますか?」
「当たり前だ」
ザカリア様は、いつもの強いザカリア様に戻っていた。
そして、夜露に濡れた花を手折り、花を私の髪に飾る。
「必ず、ルチアノを王にするぞ」
「はい」
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