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(閑話)旅の終わり 新たな始まり

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「なんて豊かなの……」

 それが、ザカリア様の領地に抱いた感想だった。
 ザカリア様の領地に入った途端、まるで別の国に来たかのような空気を感じた。
 花は咲き、緑豊かで、町には他国の品々が並ぶ。
 食事は高価なものではないけど、質がいい食材が使われていることは、見ただけですぐにわかった。

「よそ見をしていると転ぶぞ」
「は、はい」
 
 本日、十回目の『転ぶぞ』である……
 まだ転んだことはないけれど、市場のおばさんと――

『旦那さんかい? 奥さんの体を大事にしてやらなきゃだめだよ? うっかり転ぼうものなら、大変なことになる!』
『大変なことに!?』
『もしかして、初めてお産を経験するのかい?』
『その通りだ』
『はぁ~! こりゃ、人生酸いも甘いも噛み分けたアタシが、いろいろ教えてやらなきゃいけないようだね!』

 ――そんな会話をしていた。
 
「もっと気楽でも大丈夫だと思います。気を付けていますから」
「そんな気楽な話じゃなかった。運動から食事、服装まで注意があった」

 領地をここまで繁栄させたザカリア様だけど、おばさんに圧倒され、完全に負けていた。
 なにか言い返そうものなら、一が十になって返ってきて、話が終わる頃には心配性なザカリア様が誕生してしまった……

「ザカリア様には、じゅうぶん気遣っていただいてます」
「どうだろうな」

 最初の頃は口数も少なく、無愛想なザカリア様だったけど、だいぶ会話も増えた。
 それに、歩く速さについていけず、困っていた私だけど、いつの頃か、ザカリア様は私の歩調に合わせてくれるようになった。
 冷たく見えるのは外見だけで、中身はとても優しい人だ。
 そんな旅も終わり――
 城が見える町まで、辿りつくことができた。
 ザカリア様は、城が近くなると、変装のため顔に巻いていた布を取った。
 
「宿屋ばかりで悪かった。不便だったろう?」

 ザカリア様は城以外の別邸を持たず、領地に入っても宿屋に泊まった。
 領地内の宿屋は、清潔な宿屋と美味しい料理屋が多く、不便に感じるより、とても楽しい道中になった。

「いいえ。私のほうこそ、なにもできず、ついていくばかりで、申し訳なく思っておりました」
「俺は後見人だ」
「え……、ええ」

 私がお金のことや、身の回りのことを気にすると、決まって『後見人』を主張して終わらせる。
 なんだか、ザカリア様のいいように、うまく言いくるめられているような気がしてならない。

「でも、本当に楽しい旅でした。自分の足で歩くことも、いい経験になりましたし」
「そうか?」
「はい」

 今まで、ほとんど自分の時間がなかった私にとって、ザカリア様との旅は目新しいものばかりだった。
 父や兄はお妃として、相応しい振る舞いを求めた。
 昔、わずかな自由時間で、こっそり近くの森へ行ったことがある。
 叱られたけれど、楽しかったのを憶えている。

 ――私の楽しかった思い出はそれだけ。

 だからだろうか。
 このザカリア様と歩む旅路が、すぐに終わってほしくないと思ったのは。

「いつかまた旅をしてみたいです」

 その『いつか』は、まだ遠い――それがわかるザカリア様は無言だった。
 変装を解いたザカリア様と違い、私はまだ顔を隠したまま。
 私の存在が噂になっては困るから、『日焼けしないようにしている』という言い訳で、ずっとベールをかぶっていた。
 それから、髪にはスカーフを。

「セレーネ。少し待て」

 ザカリア様は立ち止まり、私にスカーフを買ってくれる。
 もしかして、旅の思い出だろうか?
 なぜか、立ち寄る町で、毎回、ザカリア様はスカーフを購入してくれる。
 おかげで、色々なスカーフが集まった。
 
「髪を見て、ジュストが驚くだろうな」

 私より、ザカリア様のほうが、短くなった髪を気にしていて、どうしても、短い髪に目がいくようだった。

「短い髪のほうが、慣れると楽ですし、私は気に入っているんですよ」
「長い方が似合っている」

 ザカリア様と目が合い、風がふわりと前髪をなでた時、馬のひづめの音がした。

「ザカリア様、セレーネ様! ご無事で!」

 城からの迎えがやってきて、騒然となった。
 
「ジュスト。城で待っていろと伝えただろう? それから、名を呼ぶな。目立つ」
「申し訳ありません……。じっとしていられませんでした」

 ジュストは一人だけでなく、他にも部下と思われる人たちを連れていた。

「ジュスト様は、毎日、巡回とか言って町の門の前で立ってました」
「遠駆けで、ちょっと遠めの町にも……」
「おい、言うな」

 ジュストは部下を睨みつけた。
 心配する気持ちはわかる。

「道中、ずいぶんのんびりでしたね。ザカリア様、旅を楽しんでいらっしゃったようで何よりです」
「ジュスト。ザカリア様は私の体を心配して……」

 辛口なジュストを止めた。

「いいえ。ザカリア様は旅がお好きなんですよ。領主の椅子に座る仕事が、一番お嫌いなんです」

 ザカリア様はジュストの小言を黙って聞いている。
 
「セレーネ様。ジュスト様がザカリア様に、失礼なことを言っていても、気になさる必要はありません」
「ジュスト様はザカリア様の乳母の子でして。兄弟のように育ったので、ザカリア様は頭が上がらないんですよ」

 城までの道すがら、ジュストの部下が教えてくれた。
 ザカリア様の城は強固な要塞で、優美な王宮とは真逆だった。
 庭には花は植えられておらず、雑草だらけ。
 そして、城の中には、絵の一枚すらかけられず、寒々しい雰囲気だった。

「驚いたでしょう。ザカリア様は、ルドヴィク様と違って華やかさとは無縁のお方でして」
「でも、領地の町はとても綺麗で華やかでしたよ……?」

 ジュストの部下たちは気まずそうな表情を浮かべ、私に言った。

「あれはですね。その……。貧乏な領地から逃げて来た民が多いからなんです」
「豊かで平和な土地に人は集まりますから、華やかになるっていうか……」

 貧しい王の領地から、豊かなザカリア様はの領地に人が移動したのだ。
 私は王妃だったけれど、自分がいかに勉強不足で力が足りていなかったのか、思い知った。

「ザカリア様に学ぶことは多そうですね」

 尊敬のまなざしを向けた瞬間、ジュストがすばやく私に注意した。

「悪いところは学ばないでください。セレーネ様、髪が……なぜ、髪を……」

 私の短い髪に、ジュストが気づき、動揺していた。

「ジュスト、驚かないで。髪は古着屋の奥様に差し上げたのよ。デルフィーナが王妃になり、王都の暮らしが厳しくなったことに、ジュストも気づいていたでしょう?」
「そうですが……」

 ちらりとジュストはザカリア様を見る。

「ジュスト。私の判断で、勝手に髪を切ったのよ。変装もしなくてはいけなかったし、ちょうどよかったの」
「俺が切らせるわけないだろう。お前が怒るだろうと思った」
「当たり前ですよ! まるで、罪人のように髪が短くなって……」

 罪人なんて、おおげさな気がしたけれど、城の中に入ったとたん、そうでもなかったことを知る。
 私の髪を見た侍女たちが息を呑んだ。

「なっ……! か、髪がっ! 女の命の髪が!」
「まさか、王宮で切られたとか?」
「酷い、酷すぎるわっ!」

 事情を知っているらしい侍女たちが、私の姿を見て大騒ぎになり、侍女たちだけで、王都に攻め込むのではないかというくらいの勢いにまで発展した。
 それを止めるため、ジュストが長い説明する羽目になった。
 こうして、身を隠しながらの領地暮らしが始まったのだった――
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