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14 狼は不在中
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泉地が獅央家に行き、夏休みに入ると連絡をとる方法もなく、ただ私はいつも通りの日々が過ぎて行った。
マリアステラ学園はスマホや外部と連絡がとれるものは一切禁止されており、職員は登録した連絡先の提出が義務付けられている。
セキュリティのためであり、当然、学園スタッフでしかない私が泉地の連絡先を持つわけにはいかない。
いつ戻るかわからない泉地のためではないけど、夏休みをとらず、帰ってくるのを待っていた。
すぐ帰るって言っていたから。
「あんな別れ方したら気になるじゃないの……」
はぁっとため息をついた。
この不安定な気持ちは泉地の不安な顔なんて初めて見たせい。
学内は人がまばらだった。
夏休みと言っても冬休みと違って、生徒全員が帰るわけじゃない。
生徒にはそれぞれ事情があり、辛い思いをしてきたのは私だけではなかったのだと、マリアステラ学園に入学して知った。
少数ではあるけど、適合者として生まれ、家族の理解が乏しく、家庭環境がうまくいかない場合もある。
そんな生徒のために学園はカウンセラーや私の恩師のように進路指導担当の先生が学園生活を助けてくれるシステムになっていた。
私が学生の頃は夏休みには一度も帰らず、勉強したいからと母に嘘をついていたことを思い出す。
大晦日とお正月の間だけ母の手前、帰省して一年の間、溜まった母の愚痴を聞かされていた。
学園に戻るとホッとして、ここは私を守ってくれる場所だと思えた。
だから、今、実家に帰らない子のために学食を開けることは苦ではない。
「それだけじゃないわね……」
いつもの年より、私の夏休みへの思いは少し違っていた。
誰かを帰ってくるのを待つなんて年は初めてだった。
先に戻った獣人やカヴァリエがそれぞれのパートナーを待つ姿を見ることはあっても、自分がその立場になるとは思ってもみなかった。
「なんだが静かね」
静かなことにも慣れているはずが、しーんとした学食がやけに広く感じた。
「他のスタッフが休みだからでしょ」
私と同じく学食にいたもう一人のスタッフが笑っていた。
ほとんどのスタッフは孫に会いに行くか、ドラマの聖地巡礼ツアーか、温泉旅行に行ってしまった。
「私よりよっぽど人生を謳歌しているわよね」
去年まで自分がこの時間、どう過ごしていたか思い出せない。
ぼっーとしながら、布巾を手にした私はカウンターを何度も拭いていた。
「こんにちはっ!」
突然、明るい声が学食に響いた。
「ひえっ!?こ、こんにちは」
チョコレート色の髪をした明るい雰囲気の学生がキラキラとしたオーラを放ち、近づいて来た。
これはただ者ではなさそうだと思った。
「篠坂美知さん。はじめましてっ! ポーンの鷹我昭良です」
上位六名のうちの一人でポーンの位置。
つまり、泉地と同じ立場の存在だった。
この可愛らしい子がポーン?
あの戦争みたいな戦いに参加して勝ったということ?
まじまじと鷹我君を見た。
「ずっと話してみたいと思っていたんだ。でもね、ナイトが怖くて無理だったんだよ」
鷹我君が何を言うつもりなのか、様子をうかがっていると―――
「警戒しないで大丈夫。敵じゃないよ。ナイトと恋人同士だと気づいているのは今のところ、自分だけだから」
「どうしてあなただけ?」
「キングも知ってるかな? でも、口には出さないからわからないね。俺は鷹の一族の獣人で諜報の鷹我って言われてる。鳥は高いところにいて、いつも見張っているから気を付けて」
「……ストーカーを公言するのもどうかと思うわよ。それから、私は恋人じゃありません!」
「あれ?そうなの?あ、でも、おかしいな」
「え?」
「ナイトの匂いがする」
顔が赤くなるのがわかった。
「なっ、なに言ってっ」
私のその反応を見て鷹我君は目を細めて笑った。
「でも薄い。意外とナイトが紳士的で驚くなー」
うーんと腕を組み、ポーンの鷹我君が唸っていた。
「まあ、いいや。あのさ、ナイトが帰ってきたら、優しくしてあげて。きっと傷ついて帰ってくるからさ」
「心が?」
「違うよ」
「まさか泉地が怪我をしているの!?」
「獅央家に行くってことは戦闘訓練を受けるってことなんだ。これ以上は言えない。ごめんね」
戦闘訓練?
なぜ、戦闘訓練を受ける必要があるんだろう。
獣人の世界はよくわからない。
獅央家が一番強いってことくらいしか。
マリアステラ学園を卒業したけれど、獣人と関わらないように生きてきたから、知識もあまりない。
「いいえ。教えてくれて、ありがとう」
酷い怪我じゃなければいいけど……
私に事情があるように泉地には泉地の事情があるのだろうか。
『こっちは死と隣り合わせの世界だから、せめて悔いがないように生きるだけ』
前に泉地が言っていた言葉を思い出していた。
「安心した」
にこっと鷹我君が笑った。
「ナイトだけが、好きなのかと思っていたけど、違ったみたいだね」
いつの間に落としてしまったのか、鷹君は床に落ちた布巾を拾って、手渡してくれた。
「あ、ありがとう! 教えてくれたことも……」
動揺してしまい、声が上ずった。
「もうひとつ、教えてあげるよ。ナイトは辛党で甘い物は好きじゃない」
ベンチに座り、私と同じ甘いミルクティーを飲んでいた。
泉地はなにも私に言わなかった。
出会った時、私が渡したのも甘いミルクティーとお菓子だったのに。
嫌な顔ひとつせずに受け取って、ありがとうって言ったのは―――
「気になるってことはもう特別なんじゃないかな? それにお姉さんは適合者なんだから、早くマーキングしてもらったほうがいいよ」
ぎくりとして、鷹我君を見た。
彼も私が適合者だとわかるのだ。
「薬で抑えていても、ちゃんとわかる人にはわかるんだ。だから、気をつけてね。相手を持たない適合者がどんな目にあうかわかるよね? 重罪であっても罪を犯す人間はいるよ」
「……忠告ありがとう。マリアステラ学園内にいる間は安全だから」
「俺が心配してるのは君に危害を加える獣人のことだよ。君になにかあれば、泉地は躊躇いなく殺す」
「殺すって……」
「泉地は人間じゃなく、獣人だよ。そして俺もね?」
獣人の世界には獣人のルールがあり、カヴァリエを奪う時は戦って奪う。
強い者だけがその権利を得る。
それは知っているけど殺すなんて話にまでなるとは思っていなかった。
「大丈夫よ。外の人間で私を適合者だと知っているのは母だけだから」
「嫌な話をして、ごめんね? けど、帰省を遅らせてまで、これを話したのはナイトのことをどう思ってるのか、探りたかっただけなんだ。本当にそれだけ。だから、これからもナイトと一緒にいてあげてよ」
「それは―――」
「あー、言い訳はなしだよ。ナイトにはお姉さんが動揺してたって。ちゃーんと伝えるからねっ!じゃあねっ!」
鷹我くんは手をひらひらと振って、去っていった。
私は布巾を握りしめたまま、しばらく立ち尽くしていた。
マリアステラ学園はスマホや外部と連絡がとれるものは一切禁止されており、職員は登録した連絡先の提出が義務付けられている。
セキュリティのためであり、当然、学園スタッフでしかない私が泉地の連絡先を持つわけにはいかない。
いつ戻るかわからない泉地のためではないけど、夏休みをとらず、帰ってくるのを待っていた。
すぐ帰るって言っていたから。
「あんな別れ方したら気になるじゃないの……」
はぁっとため息をついた。
この不安定な気持ちは泉地の不安な顔なんて初めて見たせい。
学内は人がまばらだった。
夏休みと言っても冬休みと違って、生徒全員が帰るわけじゃない。
生徒にはそれぞれ事情があり、辛い思いをしてきたのは私だけではなかったのだと、マリアステラ学園に入学して知った。
少数ではあるけど、適合者として生まれ、家族の理解が乏しく、家庭環境がうまくいかない場合もある。
そんな生徒のために学園はカウンセラーや私の恩師のように進路指導担当の先生が学園生活を助けてくれるシステムになっていた。
私が学生の頃は夏休みには一度も帰らず、勉強したいからと母に嘘をついていたことを思い出す。
大晦日とお正月の間だけ母の手前、帰省して一年の間、溜まった母の愚痴を聞かされていた。
学園に戻るとホッとして、ここは私を守ってくれる場所だと思えた。
だから、今、実家に帰らない子のために学食を開けることは苦ではない。
「それだけじゃないわね……」
いつもの年より、私の夏休みへの思いは少し違っていた。
誰かを帰ってくるのを待つなんて年は初めてだった。
先に戻った獣人やカヴァリエがそれぞれのパートナーを待つ姿を見ることはあっても、自分がその立場になるとは思ってもみなかった。
「なんだが静かね」
静かなことにも慣れているはずが、しーんとした学食がやけに広く感じた。
「他のスタッフが休みだからでしょ」
私と同じく学食にいたもう一人のスタッフが笑っていた。
ほとんどのスタッフは孫に会いに行くか、ドラマの聖地巡礼ツアーか、温泉旅行に行ってしまった。
「私よりよっぽど人生を謳歌しているわよね」
去年まで自分がこの時間、どう過ごしていたか思い出せない。
ぼっーとしながら、布巾を手にした私はカウンターを何度も拭いていた。
「こんにちはっ!」
突然、明るい声が学食に響いた。
「ひえっ!?こ、こんにちは」
チョコレート色の髪をした明るい雰囲気の学生がキラキラとしたオーラを放ち、近づいて来た。
これはただ者ではなさそうだと思った。
「篠坂美知さん。はじめましてっ! ポーンの鷹我昭良です」
上位六名のうちの一人でポーンの位置。
つまり、泉地と同じ立場の存在だった。
この可愛らしい子がポーン?
あの戦争みたいな戦いに参加して勝ったということ?
まじまじと鷹我君を見た。
「ずっと話してみたいと思っていたんだ。でもね、ナイトが怖くて無理だったんだよ」
鷹我君が何を言うつもりなのか、様子をうかがっていると―――
「警戒しないで大丈夫。敵じゃないよ。ナイトと恋人同士だと気づいているのは今のところ、自分だけだから」
「どうしてあなただけ?」
「キングも知ってるかな? でも、口には出さないからわからないね。俺は鷹の一族の獣人で諜報の鷹我って言われてる。鳥は高いところにいて、いつも見張っているから気を付けて」
「……ストーカーを公言するのもどうかと思うわよ。それから、私は恋人じゃありません!」
「あれ?そうなの?あ、でも、おかしいな」
「え?」
「ナイトの匂いがする」
顔が赤くなるのがわかった。
「なっ、なに言ってっ」
私のその反応を見て鷹我君は目を細めて笑った。
「でも薄い。意外とナイトが紳士的で驚くなー」
うーんと腕を組み、ポーンの鷹我君が唸っていた。
「まあ、いいや。あのさ、ナイトが帰ってきたら、優しくしてあげて。きっと傷ついて帰ってくるからさ」
「心が?」
「違うよ」
「まさか泉地が怪我をしているの!?」
「獅央家に行くってことは戦闘訓練を受けるってことなんだ。これ以上は言えない。ごめんね」
戦闘訓練?
なぜ、戦闘訓練を受ける必要があるんだろう。
獣人の世界はよくわからない。
獅央家が一番強いってことくらいしか。
マリアステラ学園を卒業したけれど、獣人と関わらないように生きてきたから、知識もあまりない。
「いいえ。教えてくれて、ありがとう」
酷い怪我じゃなければいいけど……
私に事情があるように泉地には泉地の事情があるのだろうか。
『こっちは死と隣り合わせの世界だから、せめて悔いがないように生きるだけ』
前に泉地が言っていた言葉を思い出していた。
「安心した」
にこっと鷹我君が笑った。
「ナイトだけが、好きなのかと思っていたけど、違ったみたいだね」
いつの間に落としてしまったのか、鷹君は床に落ちた布巾を拾って、手渡してくれた。
「あ、ありがとう! 教えてくれたことも……」
動揺してしまい、声が上ずった。
「もうひとつ、教えてあげるよ。ナイトは辛党で甘い物は好きじゃない」
ベンチに座り、私と同じ甘いミルクティーを飲んでいた。
泉地はなにも私に言わなかった。
出会った時、私が渡したのも甘いミルクティーとお菓子だったのに。
嫌な顔ひとつせずに受け取って、ありがとうって言ったのは―――
「気になるってことはもう特別なんじゃないかな? それにお姉さんは適合者なんだから、早くマーキングしてもらったほうがいいよ」
ぎくりとして、鷹我君を見た。
彼も私が適合者だとわかるのだ。
「薬で抑えていても、ちゃんとわかる人にはわかるんだ。だから、気をつけてね。相手を持たない適合者がどんな目にあうかわかるよね? 重罪であっても罪を犯す人間はいるよ」
「……忠告ありがとう。マリアステラ学園内にいる間は安全だから」
「俺が心配してるのは君に危害を加える獣人のことだよ。君になにかあれば、泉地は躊躇いなく殺す」
「殺すって……」
「泉地は人間じゃなく、獣人だよ。そして俺もね?」
獣人の世界には獣人のルールがあり、カヴァリエを奪う時は戦って奪う。
強い者だけがその権利を得る。
それは知っているけど殺すなんて話にまでなるとは思っていなかった。
「大丈夫よ。外の人間で私を適合者だと知っているのは母だけだから」
「嫌な話をして、ごめんね? けど、帰省を遅らせてまで、これを話したのはナイトのことをどう思ってるのか、探りたかっただけなんだ。本当にそれだけ。だから、これからもナイトと一緒にいてあげてよ」
「それは―――」
「あー、言い訳はなしだよ。ナイトにはお姉さんが動揺してたって。ちゃーんと伝えるからねっ!じゃあねっ!」
鷹我くんは手をひらひらと振って、去っていった。
私は布巾を握りしめたまま、しばらく立ち尽くしていた。
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