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2 私の日常

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私が働くマリアステラ学園は獣人と適合者マリアの女性を交流させ、獣人が花嫁を選ぶための場所である。
獣人は人間の―――それも適合者マリアでなければ、生まれないという。
普通に暮らしていれば、どこにその適合者マリアがいるかわからない。
効率よく獣人を適合者マリアと出会わせる場所がこのマリアステラ学園なのだ。
そして、適合者マリアを保護する場所でもある。

「今年の一年生の獣人はここ数十年で一番の年じゃないかねぇ」

マリアステラ学園の学食で働いて四十年という古株のおばちゃんが昼の賄いを出しながら言った。
お昼の賄いは麻婆豆腐と麻婆ナスの丼ぶりにからあげのせ丼。
そして、春雨にキュウリや卵をいれたさっぱりとした酢の物がついている。
味噌汁と中華スープ、お茶やコーヒーはセルフで好きなものを自分で持ってくる仕様で、余ったおかずは皿に好きなだけのせて食べられるという体重増加必至のシステムだった。
もちろん、なにもない日もあるのでそういう時は残り食材から適当になにか作る。
食材ロスを減らすためギリギリで作っているから、今日はまあまあ残っているほうだった。

「はい、みっちゃん。コーヒーに砂糖をとミルクを入れたよ」

「ありがとう」

砂糖を受け取って二杯目の砂糖をプラスすると古株のおばちゃんがなんとも言えない顔をして、私を見ていた。

「みっちゃんは言うことは辛口なのに食べるものは甘口だね」

「別にいいでしょ。頭に糖分をあげてるのよ」

よけいなお世話とばかりに甘いコーヒーを口に含んだ。
だいたい甘くしちゃ駄目っていう法律はないのよ!
とはいえ、私は紅茶のほうが好きでよく飲む。
でも、学食のセルフにはコーヒーかほうじ茶しかないから、紅茶という選択肢はなかった。

「一年生に優秀な獣人達が大勢入って来たらしいよ」

「首席入学は獣人の王に君臨し続けている獅央しおうの御曹司だってねぇ」

「はー。さすがねぇ」

「これから、三年間の波乱は覚悟しておくんだね。獅子の獣人が入学すると学園が荒れる」

さっきまで全員、わいわいと楽しく話していたのに古株スタッフのその一言でしんっと静まり返った。

獅央家しおうけが入学すると荒れるの?」

「そうさ。知らない人が多いだろうけど、私はしっかり覚えているよ。忘れられないくらい酷い有様だったからね。今、入学してきた獅子の父親が在籍した三年間は学園内が地獄のようだったよ」

ごくんっとからあげを飲み込んだ。
働き出して、初めて重々しい空気に触れ、ここが獣人達が集まる特別な場所であることを思い出した。
獣人達の世界は弱肉強食。
強い獣人がトップに立ち、人間の世界とは違う、彼ら独自のルールがあるとか。

「今回は場合によってはもっとひどいことになるかもしれないね。なんせ、狼と鷹、熊に龍、豹がキングになれる器の獣人だからねぇ……」

「彼らを止められる適合者マリアがいるといいけどね」

どこから聞いてくるのか、おばちゃん達は情報通だった。
獣人達の上位六名をチェスの駒に例えるのが習わしで、キング、クイーン、ルーク、ビショップ、ナイト、ポーンと生徒達はそう呼ぶ。
チェスの呼び名にランクは関係なく、キングがトップということだけがはっきりしていた。

「でも、さすがに三年生には勝てないでしょ」

けれど、今のところまだその一年生達はただの学生で無名。

「近いうちにキング以下六名が変わるよ」

まるで予言者のように古株スタッフは告げたのだった。
狼の獣人といえば、狼谷かみや泉地いずち
優秀だと聞いていたけど、すでに上位六名の候補者として名前があがるくらいだとは思いもしなかった。

「あんなぼんやりした子が?」

うっすらと記憶にあるのは茶色の前髪が目にかかり、眠そうな顔でこちらを見ていたことくらい。
獣人だから、イケメンはイケメンだったけど、ぼっーとしているイメージのほうが強かった。

「ん? みっちゃん、ぼんやりって誰がぼんやりなんだい?」

「えっ!? なんでもないわよ。春はぼんやりしがちだなって言ったのよ」

危ない、危ない。
ここでよけいなことでも言おうものなら、『みっちゃんのタイプはあんな子かい?』『よし! おばちゃんがいい人探してきてあげようね』なんて流れになってしまう。

「ごちそうさま。私は早番だから、もう帰るわね」

朝食担当は朝が早い。
お昼の賄いを食べたら一日の仕事が終わる。
仕事が終わった私が帰る場所はマリアステラ学園内の町だった。
町にはマリアステラ学園で働く教師やスタッフ達のアパートがあり、そこで外と変わらぬ生活を送ることができるようになっていた。
なにからなにまで至れり尽くせり。
この学園は特別だから。
獣人には女性が生まれず、人間の女性なら誰でもいいわけではなく、適合者マリアでなければ子供ができない。
学園は数少ない適合者マリアを保護するための施設でもある。
適合者マリアへの特別措置はそれだけじゃない。
政府は適合者を守るため、適合者の家庭には月々の生活費が支給される。
家族三人が余裕をもって暮らせるだけの金額でそれだけ適合者マリアにたいして手厚いのは獣人達がすでにこの国の重要な地位を占めているからだと言われていた。
とはいえ、私のようなしもじもの存在に関係ない話。

「誰が上だろうと下だろうと関係ないわ」

帰り道にある自動販売機で冷たいミルクティーを買って、桜並木を眺めながらアパートへの道をのんびり歩いた。
お花見気分で歩く私は春を満喫していた。
この時の私はまだ去年と同じ日々が続くことを疑っておらず、まさか自分が獣人と関わるようになるとは思ってもみなかったのだった。
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