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蝉男
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蝉を取っている者がいると現れる、蝉男という者がいる。
黄色いぴったりとしたスーツを着て、どこかの正義の味方よろしく真っ赤な手袋とブーツを履いて、真っ赤なマントを羽織っている。
蝉男の由来となる男が被っている仮面が、蝉の顔。
顔の上部を隠し、下半分の口はにっかり笑っている。
初めて出会った者はどこぞの変質者かと思うのだが、そいつは捕まえていた蝉を放してしまう以外何もせず、放し終えるとさっさとどこかへ去っていく。
子供たちは大人にその男のことを言うのだが、なぜか大人たちは笑うだけで、その蝉男をどうにかしようとはしない。
蝉を捕まえていた子供たちは不満をぶーぶーもらすも、どうにも出来なかった。
小学5年になった山村亜子はその日、商店街の福引を楽しみにしていた。
ある金額まで買い物をするともらえるその券には番号が書かれており、今日がそのあたり番号の発表の日だった。
最新のVRのヘッドギアが当たるその福引を持って、学校が終わるとわくわくしながら商店街に走った。
結果は惨敗。
どこぞの知らないお兄さんが嬉しそうにヘッドギアを抱えて帰っていくのを見送っただけだった。
「くやしい!」
叫ぶ亜子をお母さんが宥める。
「まあまあ、所詮はくじなんだし。しょうがないでしょ」
「だったら買ってよ!」
「うちはうち。よそはよそ」
伝家の宝刀を出してお母さんは亜子を黙らせる。
亜子も自分のうちがそれほど裕福ではない事はなんとなく感づいていた。
しかし欲しい物は欲しい。
「大人になって自分で稼げるようになったら買いなさい」
「そうする!」
亜子は知らない。その頃になったら今よりもいいゲームやらハードやらが発売されているだろうことを。
亜子は将来、今日逃したヘッドギアを買うことを夢見て、母とともに家路に着いた。
ピンポーン
玄関のチャイムが鳴った。
「亜子、ちょっと出て」
「はーい」
料理中の母の代わりに亜子が出る。
「こんにちは。白にゃん配送センターです!」
爽やかで元気のいいお兄さんが、白い歯を煌めかせてその大きい荷物を持っていた。
いや、地面に置いていた。あまりに大きいので持っているのも大変なのかもしれない。
その箱はお兄さんよりも少し大きく、大人がらくらく入れるくらい大きなものだった。
亜子はハンコを押して、お兄さんを見送った。
玄関に置かれたその大きい箱。
配送の札を見ると確かにここの住所が書かれている。
「あらあら、本当に来たのね」
母がキリがいいのか、台所からやってきた。
箱を開けるのを亜子が興味津々で見ていると、中にいたのは、人だった。
「お、お母さん…」
「違うわよ。ロボット。警備ロボットなんだって」
黒い服、少しいかつい体の、黒いサングラスをかけたちょっと怖い感じの男の人。人?
危ない道の人に見えてもおかしくない。
「えーと、取扱説明書と…」
母が同封されていた取扱説明書を開いて中を読んでいる。
「なるほどね。亜子、試しにここに向かって起動、って言ってみて」
「起動!」
5年生になってそこそこ背も伸びた亜子が、黒服のロボットの胸元に向かって起動と叫んでみた。
「声紋認証。マスター登録完了いたしました。ご命令を」
途端に黒服ロボットが動き出した。
「お、お母さん…?」
マスターの意味は亜子でもわかる。
「近頃物騒でしょ?亜子を守ってくれる警備ロボがいたらなーって思ってね。大丈夫よ。お試し1週間レンタルだからお金もかからないし」
「いや、そこじゃない。なんで私がマスター」
「マスター、ご命令を」
「マスターなんて呼ぶなー!!!」
山村家に黒服警備ロボがやってきた。
黒服警備ロボに「クロ」と名を付け、亜子は次の日早速学校までそれを連れて行かなければならなくなった。
なにせ、マスターは自分のはずなのに、「マスターの母」ということで母の言う事が何故か優先されるのだ。
「解せぬ」
近頃漫画で覚えたセリフをここぞとばかりに発する。
学校の中に入るのは威圧があり過ぎると、校門で亜子の帰りを待って立っているその姿はとても頼りになる警備員のようにも見える。
窓からその姿を見下ろしていた亜子がため息を吐く。
「亜子ちゃん…、あれ…」
「言わないで」
少し引き気味のクラスメイト達。親友の紀子ちゃん(のりちゃん)の笑顔も心なしか引きつっている気がする。
しかし時間とともに子供は順応するもので、昼休みになる頃にはほぼ気にしなくなっていた。
「昨日も出たよ蝉男!」
「15匹も捕まえたんだぜ!」
「俺も13匹捕まえてさー。あと2匹でてっちゃんに追いついたのに!」
蝉取りをしていたのか、男子達が蝉男が出たと騒いでいた。
ついでに見つけたカブトやクワガタも逃がしてしまったらしい。
「なんでケーサツが捕まえてくれないんだよ!」
「本当だよなー」
子供たちは知らない。たかが捕まえた蝉を放してしまうだけの男など警察は取り締まらないことを。
「でも本当、なんで大人達は何もしないんだろう」
「蝉男の事?」
「うん」
変質者が出れば大人達はそれこそ子供たちに心配し過ぎじゃないか?と思えるほどに注意するのに、蝉男については何故か大人達は何も反応しない。
蝉男は変質者の類ではないのだろうか?
一週間もするとその存在に慣れ、付き従うクロにさほどの違和感を感じなくなっていた。
「明日でいなくなると思うと淋しいんじゃないの?」
「いいえ、嬉しいです」
母の言葉に辛らつな言葉で返す。
こんなごついもの付き従えて歩くなど、一般ピープルを地で行く亜子には精神的負荷が大きかった。
帰って来たのでランドセルを部屋に置きに行く。おやつを食べたらのりちゃんと遊ぶ約束をしている。
「あ!」
部屋に入って亜子は、網戸に張り付いているそれを見つけた。
「まさか…、幻の金の蝉…」
体色がまさに黄金色。太陽の光がキラキラと反射している。
普段は蝉にさほどの興味もない亜子であったが、さすがに幻と言われている蝉を前にし、体が硬くなる。
(虫取り網ってどこにあったっけ?)
昔は網を持って走り回ったものだが、5年生ともなると女の子はそんなことはしなくなる。
虫取り網はきっと物入の奥で埃でもかぶっているのかもしれない。
取りに行っていたら逃げてしまうかもしれない。
亜子は咄嗟に麦藁帽を手に取った。これで捕まえられたら御の字だ。
そろりそろりと網戸に近づく。
すると、なんだか蝉の輪郭がぼやけてきた。
「え?」
不思議に思った亜子が立ち止まって蝉を見ていると、蝉の輪郭はますますぼやけ、なんだか大きくなっていく。
見る見るうちに黄金色の光は大きくなり、やがて光が収まった。
「え…、蝉男?!」
窓の外、ここは2階なので屋根の上にでも立っているのだろう。
亜子も昔見たことがある、噂の蝉男が立っていた。
こちらに背を向けていた蝉男が顔だけ振り向き、にっと笑う。
突然亜子は全てを理解した。
何故蝉男が蝉を逃がすのか、何故大人達は蝉男を捕まえようとしないのか…。
「蝉男…」
バン!
突如亜子の部屋にクロが侵入してきた。
「不審者発見」
冷たくそう云い放つと、どこに隠し持っていたのか銃を取り出し、蝉男に向けて引き金を引いた。
バン!
先ほどとは違う大きな音が亜子の横をすり抜けていった。
網戸を突き破り、それは蝉男のマントに穴を開け、蝉男がのけぞった。
蝉男はそのまま屋根を転がり落ちていく。
「蝉男!」
亜子はクロに向き直ると、平手でその頬を打った。
しかしその冷たい顔は固く、亜子が打っただけでは軽く動かすことも叶わなかった。
「バカ!!」
そう叫ぶと亜子は急いで外へ、蝉男の元へと走った。
外へ出て自分の部屋の下へと急ぐ。
蝉男が地面に横たわっていた。
「蝉男!」
亜子は蝉男の側に膝を付く。しかしそれ以上どうして良いのか分からない。
「蝉男…!」
救急車を呼べば良いのかどうしようかとオロオロしていると、蝉男が亜子の方に顔を向けた。
その下半分、仮面から出ている口元はいつものようににっこり笑っていた。
蝉男が微かな金の光に包まれる。そして光の粒になって消えて行った。
「蝉男…。貴方がいなかったら、誰が蝉を守るのよ…」
金の幻の蝉、蝉男は、もしかしたら助けを求める蝉たちの想いが作った存在なのかもしれない。
亜子が空を見上げた。一粒の涙がその頬を伝った。
「はい、ご感想」
「最悪。一般人にこんなものいらない」
「辛辣過ぎるわよ亜子ちゃん。一般人には過ぎたものです…。と」
「あとこんな街中で銃をぶっ放さないで」
「そうね。網戸弁償してくれるのかしら」
亜子の部屋の網戸には穴が開いてしまったので、今は応急処置としてテープで止めている。
もうすぐクロを引き取りに業者の人が来るはずだ。亜子はせいせいしていた。
「あんな大男従えてもう歩かなくていいなんて天国だわ」
「確かにねぇ。ちょっと見た目がどうかとは思うわ」
「せめて魔法少女が従えてる精霊みたいな可愛いのだったらね」
「それ良いわね。感想に書いとくわ」
いいのか、と思ったが書いてもどうせ聞き入られる訳もないと放っておいた。
夕方、クロのような黒いスーツを着た、こちらは普通の礼儀正しいサラリーマンに見える業者の人がクロを迎えに着た。
網戸の弁償代を払い、クロを従えてその人は帰っていった。
クロの胸元に何かを呟くと、
「マスター登録解除。試行行動を行います」
とクロが言っていた。
「じゃあね、クロ」
どうしてそんなことを言ってしまったのか亜子にも分からなかったが、今まで必ず返事をしていたクロが何も反応せず車に乗り込んでしまうのを見て、何故か少し胸が痛んだ。
「なんでかな、この前蝉をたくさん捕ってたのに蝉男出てこなくてさ」
「すげー捕まえたよね!」
男子達の話しが耳に飛び込んできた。
どうやらその日はあの日のことのようだ。
あの日、蝉男は生まれてすぐに消えてしまったから、役目を果たせなかったのだろう。
(私のせいかもしれない…)
にっこり笑っていた蝉男の顔が思い出される。
「でも結局そんな捕まえてもうるさいだけだし、なんか可哀相になっちゃってさ」
「そうそう、蝉男出てこないのもなんだか拍子抜けだったよね」
「結局最後は全部逃がしちゃったんだよな」
そう言って笑った男子達。
「どうしたの?亜子ちゃん。なんか嬉しそう」
「うん、ちょっとね」
亜子は少しの間、窓から見える空を見上げていた。
黄色いぴったりとしたスーツを着て、どこかの正義の味方よろしく真っ赤な手袋とブーツを履いて、真っ赤なマントを羽織っている。
蝉男の由来となる男が被っている仮面が、蝉の顔。
顔の上部を隠し、下半分の口はにっかり笑っている。
初めて出会った者はどこぞの変質者かと思うのだが、そいつは捕まえていた蝉を放してしまう以外何もせず、放し終えるとさっさとどこかへ去っていく。
子供たちは大人にその男のことを言うのだが、なぜか大人たちは笑うだけで、その蝉男をどうにかしようとはしない。
蝉を捕まえていた子供たちは不満をぶーぶーもらすも、どうにも出来なかった。
小学5年になった山村亜子はその日、商店街の福引を楽しみにしていた。
ある金額まで買い物をするともらえるその券には番号が書かれており、今日がそのあたり番号の発表の日だった。
最新のVRのヘッドギアが当たるその福引を持って、学校が終わるとわくわくしながら商店街に走った。
結果は惨敗。
どこぞの知らないお兄さんが嬉しそうにヘッドギアを抱えて帰っていくのを見送っただけだった。
「くやしい!」
叫ぶ亜子をお母さんが宥める。
「まあまあ、所詮はくじなんだし。しょうがないでしょ」
「だったら買ってよ!」
「うちはうち。よそはよそ」
伝家の宝刀を出してお母さんは亜子を黙らせる。
亜子も自分のうちがそれほど裕福ではない事はなんとなく感づいていた。
しかし欲しい物は欲しい。
「大人になって自分で稼げるようになったら買いなさい」
「そうする!」
亜子は知らない。その頃になったら今よりもいいゲームやらハードやらが発売されているだろうことを。
亜子は将来、今日逃したヘッドギアを買うことを夢見て、母とともに家路に着いた。
ピンポーン
玄関のチャイムが鳴った。
「亜子、ちょっと出て」
「はーい」
料理中の母の代わりに亜子が出る。
「こんにちは。白にゃん配送センターです!」
爽やかで元気のいいお兄さんが、白い歯を煌めかせてその大きい荷物を持っていた。
いや、地面に置いていた。あまりに大きいので持っているのも大変なのかもしれない。
その箱はお兄さんよりも少し大きく、大人がらくらく入れるくらい大きなものだった。
亜子はハンコを押して、お兄さんを見送った。
玄関に置かれたその大きい箱。
配送の札を見ると確かにここの住所が書かれている。
「あらあら、本当に来たのね」
母がキリがいいのか、台所からやってきた。
箱を開けるのを亜子が興味津々で見ていると、中にいたのは、人だった。
「お、お母さん…」
「違うわよ。ロボット。警備ロボットなんだって」
黒い服、少しいかつい体の、黒いサングラスをかけたちょっと怖い感じの男の人。人?
危ない道の人に見えてもおかしくない。
「えーと、取扱説明書と…」
母が同封されていた取扱説明書を開いて中を読んでいる。
「なるほどね。亜子、試しにここに向かって起動、って言ってみて」
「起動!」
5年生になってそこそこ背も伸びた亜子が、黒服のロボットの胸元に向かって起動と叫んでみた。
「声紋認証。マスター登録完了いたしました。ご命令を」
途端に黒服ロボットが動き出した。
「お、お母さん…?」
マスターの意味は亜子でもわかる。
「近頃物騒でしょ?亜子を守ってくれる警備ロボがいたらなーって思ってね。大丈夫よ。お試し1週間レンタルだからお金もかからないし」
「いや、そこじゃない。なんで私がマスター」
「マスター、ご命令を」
「マスターなんて呼ぶなー!!!」
山村家に黒服警備ロボがやってきた。
黒服警備ロボに「クロ」と名を付け、亜子は次の日早速学校までそれを連れて行かなければならなくなった。
なにせ、マスターは自分のはずなのに、「マスターの母」ということで母の言う事が何故か優先されるのだ。
「解せぬ」
近頃漫画で覚えたセリフをここぞとばかりに発する。
学校の中に入るのは威圧があり過ぎると、校門で亜子の帰りを待って立っているその姿はとても頼りになる警備員のようにも見える。
窓からその姿を見下ろしていた亜子がため息を吐く。
「亜子ちゃん…、あれ…」
「言わないで」
少し引き気味のクラスメイト達。親友の紀子ちゃん(のりちゃん)の笑顔も心なしか引きつっている気がする。
しかし時間とともに子供は順応するもので、昼休みになる頃にはほぼ気にしなくなっていた。
「昨日も出たよ蝉男!」
「15匹も捕まえたんだぜ!」
「俺も13匹捕まえてさー。あと2匹でてっちゃんに追いついたのに!」
蝉取りをしていたのか、男子達が蝉男が出たと騒いでいた。
ついでに見つけたカブトやクワガタも逃がしてしまったらしい。
「なんでケーサツが捕まえてくれないんだよ!」
「本当だよなー」
子供たちは知らない。たかが捕まえた蝉を放してしまうだけの男など警察は取り締まらないことを。
「でも本当、なんで大人達は何もしないんだろう」
「蝉男の事?」
「うん」
変質者が出れば大人達はそれこそ子供たちに心配し過ぎじゃないか?と思えるほどに注意するのに、蝉男については何故か大人達は何も反応しない。
蝉男は変質者の類ではないのだろうか?
一週間もするとその存在に慣れ、付き従うクロにさほどの違和感を感じなくなっていた。
「明日でいなくなると思うと淋しいんじゃないの?」
「いいえ、嬉しいです」
母の言葉に辛らつな言葉で返す。
こんなごついもの付き従えて歩くなど、一般ピープルを地で行く亜子には精神的負荷が大きかった。
帰って来たのでランドセルを部屋に置きに行く。おやつを食べたらのりちゃんと遊ぶ約束をしている。
「あ!」
部屋に入って亜子は、網戸に張り付いているそれを見つけた。
「まさか…、幻の金の蝉…」
体色がまさに黄金色。太陽の光がキラキラと反射している。
普段は蝉にさほどの興味もない亜子であったが、さすがに幻と言われている蝉を前にし、体が硬くなる。
(虫取り網ってどこにあったっけ?)
昔は網を持って走り回ったものだが、5年生ともなると女の子はそんなことはしなくなる。
虫取り網はきっと物入の奥で埃でもかぶっているのかもしれない。
取りに行っていたら逃げてしまうかもしれない。
亜子は咄嗟に麦藁帽を手に取った。これで捕まえられたら御の字だ。
そろりそろりと網戸に近づく。
すると、なんだか蝉の輪郭がぼやけてきた。
「え?」
不思議に思った亜子が立ち止まって蝉を見ていると、蝉の輪郭はますますぼやけ、なんだか大きくなっていく。
見る見るうちに黄金色の光は大きくなり、やがて光が収まった。
「え…、蝉男?!」
窓の外、ここは2階なので屋根の上にでも立っているのだろう。
亜子も昔見たことがある、噂の蝉男が立っていた。
こちらに背を向けていた蝉男が顔だけ振り向き、にっと笑う。
突然亜子は全てを理解した。
何故蝉男が蝉を逃がすのか、何故大人達は蝉男を捕まえようとしないのか…。
「蝉男…」
バン!
突如亜子の部屋にクロが侵入してきた。
「不審者発見」
冷たくそう云い放つと、どこに隠し持っていたのか銃を取り出し、蝉男に向けて引き金を引いた。
バン!
先ほどとは違う大きな音が亜子の横をすり抜けていった。
網戸を突き破り、それは蝉男のマントに穴を開け、蝉男がのけぞった。
蝉男はそのまま屋根を転がり落ちていく。
「蝉男!」
亜子はクロに向き直ると、平手でその頬を打った。
しかしその冷たい顔は固く、亜子が打っただけでは軽く動かすことも叶わなかった。
「バカ!!」
そう叫ぶと亜子は急いで外へ、蝉男の元へと走った。
外へ出て自分の部屋の下へと急ぐ。
蝉男が地面に横たわっていた。
「蝉男!」
亜子は蝉男の側に膝を付く。しかしそれ以上どうして良いのか分からない。
「蝉男…!」
救急車を呼べば良いのかどうしようかとオロオロしていると、蝉男が亜子の方に顔を向けた。
その下半分、仮面から出ている口元はいつものようににっこり笑っていた。
蝉男が微かな金の光に包まれる。そして光の粒になって消えて行った。
「蝉男…。貴方がいなかったら、誰が蝉を守るのよ…」
金の幻の蝉、蝉男は、もしかしたら助けを求める蝉たちの想いが作った存在なのかもしれない。
亜子が空を見上げた。一粒の涙がその頬を伝った。
「はい、ご感想」
「最悪。一般人にこんなものいらない」
「辛辣過ぎるわよ亜子ちゃん。一般人には過ぎたものです…。と」
「あとこんな街中で銃をぶっ放さないで」
「そうね。網戸弁償してくれるのかしら」
亜子の部屋の網戸には穴が開いてしまったので、今は応急処置としてテープで止めている。
もうすぐクロを引き取りに業者の人が来るはずだ。亜子はせいせいしていた。
「あんな大男従えてもう歩かなくていいなんて天国だわ」
「確かにねぇ。ちょっと見た目がどうかとは思うわ」
「せめて魔法少女が従えてる精霊みたいな可愛いのだったらね」
「それ良いわね。感想に書いとくわ」
いいのか、と思ったが書いてもどうせ聞き入られる訳もないと放っておいた。
夕方、クロのような黒いスーツを着た、こちらは普通の礼儀正しいサラリーマンに見える業者の人がクロを迎えに着た。
網戸の弁償代を払い、クロを従えてその人は帰っていった。
クロの胸元に何かを呟くと、
「マスター登録解除。試行行動を行います」
とクロが言っていた。
「じゃあね、クロ」
どうしてそんなことを言ってしまったのか亜子にも分からなかったが、今まで必ず返事をしていたクロが何も反応せず車に乗り込んでしまうのを見て、何故か少し胸が痛んだ。
「なんでかな、この前蝉をたくさん捕ってたのに蝉男出てこなくてさ」
「すげー捕まえたよね!」
男子達の話しが耳に飛び込んできた。
どうやらその日はあの日のことのようだ。
あの日、蝉男は生まれてすぐに消えてしまったから、役目を果たせなかったのだろう。
(私のせいかもしれない…)
にっこり笑っていた蝉男の顔が思い出される。
「でも結局そんな捕まえてもうるさいだけだし、なんか可哀相になっちゃってさ」
「そうそう、蝉男出てこないのもなんだか拍子抜けだったよね」
「結局最後は全部逃がしちゃったんだよな」
そう言って笑った男子達。
「どうしたの?亜子ちゃん。なんか嬉しそう」
「うん、ちょっとね」
亜子は少しの間、窓から見える空を見上げていた。
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