もらったもの

小笠原慎二

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拾ったもの

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明里ちゃんが言うには、明里ちゃんが俺を避け始めたその日から、俺の背中に黒い人影が覆い被さっていたらしい。
明里ちゃんはその黒い人影がとてつもなく怖くて俺を避けていたのだそうな。
俺が嫌われたわけではないという事が分かって一安心。
しかし、その黒い人影の事が分かって? さらに恐怖が増した。

「信じてくれて良かった。人によってはおかしな人扱いしてくる人もいるから」

明里ちゃんがほっと胸を撫で下ろしている。うん。結構あるんだよな、彼女。じゃなくて。

「それ、絶対良くない物だと思う。どこで拾ったのか、心当たりない?」
「心当たり…」

ふと思い出す。あの自転車だ。あの日、どうしてあの自転車を借りて行こうなどと思ったのだろう。いつもそんなこと考えたりしないのに。特に罪の意識もなく、俺は自転車を勝手に乗り回した。
あのあと自転車は消えていたから、誰かがまた乗っていったか捨てたかしたのだろう。多分。
しかし自転車を盗んだとも決まりが悪くて言えず、

「特に…」

と答えてしまう。俺が嫌な奴だと思われたくない。

「毎夜、夢を見るんだ。黒い影が玄関先から、だんだん俺に近づいて来る夢…」
「それ絶対マズイ奴!」

明里ちゃんが叫んだ。

「もう近いの?」
「俺の部屋に入ってきてる。あと7歩も進んだら俺に届くと思う」
「あと7日…」

と、明里ちゃんが突然誰かに電話し始めた。

「もしもし? おばさん?」

明里ちゃんのおばさんらしい。

「急だけど、これから会えない? うん。駅で待ってるね」

明里ちゃんが電話を切り、俺の目をしっかり見て来た。

「時間あるんだよね? 私のおばさん、私よりもそっちに詳しい人なの。急だけど会ってくれる?」
「あ、ああ…」

こちとら誰かに相談したいと思っていたし、渡りに船であった。













明里ちゃんのおばさんは明里ちゃんに少し似ているが、ちょっと目つきの鋭い怖い感じ、いや迫力のある感じの美人だった。名前は高梨明美。明里ちゃんのお母さんの旧姓だそうな。
目の前のコンビニのイートインコーナーに入り、適当にコーヒーを飲む。

「これは、あたしにも手に負えないね」

おばさんがいきなり切り出した。

「拾わされたね、それ。まずいね。かなり食い込んでる」

ここで普通なら俺の隣に明里ちゃんが座って事情を説明するのだろうけど、怖いからとおばさんの隣に座っている。ちょっと哀しい。

「正直に言いな。何をした?」

迫力のある言い方に、俺は冷や汗を垂らしながら、どうしようかと迷い出す。真実を話したら明里ちゃんに嫌われてしまうかもしれない。

「正直に言いなと言ってるだろう!」

静かだけど圧のある言い方に、俺はちびりそうになる。ここで嘘を吐いてもバレてしまいそう。

「そ、その…。自転車を、盗みました…」

正直に話した。明里ちゃんの顔が見れない。ああ、俺、なんであんなことしてしまったんだろう。

「次を探してたそれに掴まっちまったんだね。バイト始めたばかりだっけ? 疲れてたんじゃないかい?」
「え、ああ、はい」

確かに疲れていた。慣れないバイトでてんてこ舞いだった。

「そこにつけ込まれたね。知り合いのお寺があるから、そこに行ってみよう。明日にでも。もしかしたらどうにかしてくれるかもしれない」
「え、明日もバイト…」
「命とバイトとどっちが大事だよ!」
「い、命です…」

ちなみに明里ちゃんとほぼ同じシフトなので、バイトに入れないということは明里ちゃんに会えない。

「あたしまで休むわけにはいかないから、おばさんと行って来て? 大場君、なんとかなるといいね」

明里ちゃんが微笑んでくれた。自転車を盗んだ俺なんかに…。
それだけで幸せな気分になれた。














結論から言うなら、俺はお寺に行けなかった。
その日も同じ夢を見た。黒い人影がやはりまた近づいて来ている。
そして朝になった。待ち合わせの時間に合わせて仕度をしていたのだが、

「ぐ…」

突然のお腹の痛みに、俺は動けなくなってしまったのだ。
なんとか電話した母親が救急車を呼んでくれて、俺は病院に担ぎ込まれた。
検査の結果、胃に腫瘍があるとのことだった。

「詳しく検査しないとわかりませんが、悪性のものかもしれません。お若いから進行が早かったのかも…」

悪性のもの。つまり、癌かもしれないということだ。そのまま入院することになってしまった。
連絡をしたおばさんが駆けつけて来てくれた。

「大丈夫かい?」
「こんな感じですけど…」

空きがないので個室に入っている。一人は気楽だけどちょっと寂しい。

「すまない…。あたしにはどうしようも…」
「大丈夫ですよ。もしかしたら、あの家にいたものかもしれないんだし」
「いや。…まあ、そうだね…」

おばさんの視線のふらつきで、俺はそれが俺の背後にいるのだということが分かった。
俺、死ぬんだろうか…。








その日の夜も夢を見た。
病室の扉は閉められている。
俺から5歩離れた距離に、黒い人影は立っていた。

「来るな…」

初めて俺は声を出した気がする。
すると、そいつが笑った。黒くて分からないのに、何故か笑ったのが分かった。そしてそいつが俺に向かって手を伸ばして来て…。

「うわあああああああ!!」











「大場君?! どうしたの?!」

看護師さんに揺り起こされて目が覚める。
ああ、まだ生きている。

「怖い夢を見たのね。ずいぶんうなされてたわ」
「す、すいません…」
「いいのよ。また眠れる? 眠れなかったら睡眠薬持って来るけど?」
「だ、大丈夫、だと思います…」
「そう。何かあったらいつでも呼んでね」

そう言ってナースコールを枕元に置いて、看護師さんは出て行った。
とてもじゃないけど、眠る事など出来なかった。













「大場君!」

仕事終わりに明里ちゃんが駆け付けてきてくれた。友人達とは疎遠になっていたし、突然の事だから他に見舞客もない。
明里ちゃんは小さな花束を持って来てくれた。

「ゆっくりして行ってね」

と母親がにやにやしていたのがちょっとむかつく。

「大場君…」

明里ちゃんの視線の動きで、後ろの奴がいることを認識してしまう。

「昨日、黒い奴が手を伸ばして来た…」
「!」
「俺…、死ぬのかな…?」
「そ、そんなこと、言っちゃダメだよ!」

必死な明里ちゃんの瞳。でもその瞳は嘘を言っているのが丸わかりだ。彼女には分かっているのだろう。黒い奴がいる限り、俺に未来はない。

「そうだよな」

無理に笑ってみせる。明里ちゃんもぎこちない笑顔を見せた。
うん。ぎこちなくとも、笑っている顔の方が良い。
あのファミレスで、明里ちゃんの笑顔を見て、胸が温かくなったんだ。だから、俺はあそこでバイトしようと思えた。

「俺、もっと仕事したかったな」

明里ちゃんと一緒に。という言葉は濁して。

「店長さん達も心配してたよ!」

明里ちゃんは明るく店の様子を話してくれた。













「いいよ。見送りなんて」
「暇だから。行かせて」

点滴で痛みを和らげているから、歩けないこともない。この先もう外に出ることも出来なくなるかもしれない。俺はちょっと無理を言って見送りに行かせてもらった。母親も一緒なのがちょっとな。

「今日はありがとうございました」

母親が明里ちゃんに頭を下げる。

「いえいえ。早く、お元気になれるといいですね」

明里ちゃん、笑顔がぎこちないよ。

「それじゃ、大場君…また…」
「うん。またね」

明日にはどうなっているのか分からないけれど。あいつは今夜もやって来るだろうし。はっきり言って眠るのが、夜が来るのが怖い。
あと5日…。5日後、俺は、生きているんだろうか…。
明里ちゃんが俺に向かって手を振りながら歩き出す。その時何処の馬鹿か、猛スピードで駐車場を走ってくる車があった。このまま行くと彼女にぶつかる。

「危ない!!」

弱った体でも、火事場の馬鹿力というのか、彼女を突き飛ばす事くらい出来るものなんだな。

「大場君?!」

明里ちゃんの叫び声を聞いた後、俺は意識を失った。














結論から言うと、俺は生きている。
運良く?あの車に足を掠められただけで、あとは倒れた時にコブが出来たくらいだった。本当に運が良かったと医者にも言われた。
そして、腫瘍も消えた。
医者も不思議がっていたが、ほんの2、3日前までしっかりはっきり映っていた腫瘍が、きれいさっぱり消えてしまっていたのだ。
まさにミステリー。
そして、あの夢も見なくなった。
明里ちゃんが言うには、

「あの車が持って行ってくれた」

のだそうだ。
本当に、不思議なこともあるものだ。

「良かったじゃないか」

後日、おばさんと会った時に言われた。

「その車が全部持って行ってくれたんだろう? その車の持ち主が今頃どうなってるかは知らないけど、まあ自分で拾った物だし、自分で片付けるしかないよね」

とコーヒーを美味そうに飲んだ。

「それにしても」

と、今度は俺の隣に座ってくれている明里ちゃんと俺を交互に見る。

「あんたらの縁も、呼ばれたものかもしれないね」

とニヤリと笑った。
二人で同時に赤くなる。

「明里がいなければあたしと会うこともなかったろうし、その車と出会うこともなかった。もしかしたら、あんたの命を救うために、何かしらの力が働いて、明里と会わせたのかもね」
「そんなこと、あるんですか?」
「あるよ。ご先祖様とか、土地神様とか、まあいろいろね。つまり、あんたが死ぬにはまだ早いってこった。良かったじゃないか」
「ああ、まあ、はい…」

あれから、俺達、付き合ってます。はい。
俺は回復し、学校にも通うようになり、仕事にも復帰した。疎遠になっていた友達ともまた絡むようになり、俺は普通の暮らしに戻っていった。








もし、何か道に落ちている物に惹かれたとしても、安易に手を出してはいけない。
それはもしかしたら、あなたを待ち伏せている物かもしれない…。
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