異世界は黒猫と共に

小笠原慎二

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黒猫と共に迷い込む

零れ話~あの時の裏側~

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「大好きだよ、コハク。ずっとずっと大好き。絶対に忘れないから」

ご主人様がぎゅっと抱きしめてくれた。今までで一番力強い抱擁だった。

「ありがとうございます。私も、ご主人様のこと大好きです。誰よりも尊敬しています」

私も強く、強く抱きしめ返した。
名残惜しそうにご主人様が手を解く。その顔はとても辛そうで、本当に正直な方だ。

「コハク、我が輩からも礼を言う。八重子が世話になった」
「私の方がお世話になりましたよ。クロさんも、ありがとうございました」
「うむ」

小さな黒猫が小さく頷いた。
皆の顔を見回す。ご主人様、ハヤテ、リンちゃん、クレナイ様、シロガネさん。

「本当に、お世話になりました。ありがとうございました」

もう一度、皆に向かって頭を下げる。
クレナイ様とシロガネさんは悲しそうな顔。リンちゃんも苦しそうな顔をしている。ハヤテは分かっていないのだろう、不思議そうな顔をしてこちらを見上げている。ご主人様は、我慢出来なかったのか滝のような涙を流している。それでも必死に口角を上げて、笑顔を保とうとしている。
ああ、なんて、なんて私は幸せ者なんだろう。

奴隷の館にいた頃は、冷たい床に寝転びながら早く終わりが来ないかと思っていたけれど。
あの日ご主人様に出会って、私を引き取って頂いて、色んな事をさせて頂いて。全てを諦めていたのに、人生の終わりにこんなに楽しい毎日が待っていたなんて。
顔も覚えていないけれど、もし両親に会えたなら私はきっとこう言うだろう。
産んでくれてありがとう。色々あったけど、私はやはり生まれてきて良かったと。ご主人様に出会えて、私は本当に幸せだった。

「クロさん、お願いします」
「うむ」

座っていた黒猫が、こちらへと歩み寄る。

「クロ…」
「大丈夫だの。苦しませはせぬ」

ご主人様、笑顔が崩れてますよ。
この不思議な黒猫が大丈夫だと言うのだ。多分、苦しむ事など感じることもなく、終わりを迎えられるのだろう。
本来なら、あの冷たい床の上で絶望にくるまれて終わりを迎えるはずだったのだ。こんなに、こんなに大好きな人達に囲まれて逝けるなんて、私は贅沢だ。
ご主人様ににっこりと笑いかける。大丈夫です。私は怖くない。だって私、今とても幸せなんですもの。

ゆっくりと目を閉じた。

「ゆくぞ」

黒猫の声が聞こえた。
とうとう終わりがやって来るんだ。あんなに願っていた終わりが。

でも、ここに来て、私はもっと生きたかったなぁと思ってしまう。もっとご主人様と一緒にいろんな所に行って、色んなものを食べて、ずっと側で、その笑顔を見ていたかった。
いつから私はこんなに欲張りになってしまったんだろう。
ご主人様に笑いかけて貰えるのが嬉しくて、頭を撫でて貰うのが嬉しくて、奴隷では無くて普通の女の子として扱って貰えるのがとても嬉しくて…。そして、恥ずかしくて、くすぐったくて…。

そんな事をいろいろ考えていたのだが、なんだかいつまで経っても終わりが来ない。

「?」

おかしいなと思って目を開けると、いつの間にか真っ暗な空間に1人立っていた。
いつの間にか終わっていたらしい。本当に何も感じなかった。さすがはクロさんだ。

「死後の世界って、こんなに暗いんだ…」

そして、1人だ。
誰もいない。真っ暗闇に1人。

「・・・・・・」

終わったんだ…。そう思うことが、とても辛い。目頭が熱くなっていく。目の前が潤んでいく。

「うむ。滞りなく、無事に済んだのだの」
「え?」

どこからともなく声がした。

「ここだの。ほれ」

声のした方、足元を見ると、真っ暗闇の中に真っ黒猫がちょこんと座っていた。何故かくっきりはっきり黒猫の姿が見える。

「え? クロさん?」

何故? え? クロさんもまさか、死…。いや、この黒猫が死ぬと言うことが信じられない。

「いやいや、我が輩はちゃんと生きておるのだの。さて、なんと説明したものやら。まあ簡単に言えば、コハクの精神と魂を我が輩の中に取り入れた、ということだの」

さっぱり分からないのですが…。

「コハクの、そうだの、身体はきちんと死を迎えておる。それ、これが今外で起きていることだの」

クロさんが前方を手で示すと、突然前方の空間に窓のようなものが出来た。その向こうには、泣き喚きながら私を抱きしめるご主人様の姿。皆も悲愴な面持ちで側で項垂れている。

「え? …ええ?」

なんですかこの景色?

「映像、という知識はないか。まあそうだの。それは置いといて、現実にお主はあの通り死んでおる」
「え? え? じゃあ、ここにいる私は?」
「身体から切り離された精神と魂だの。さ~て、どう説明したら分かりやすいかの?」

クルマなら説明しやすいのにとよく分からないことをブツブツ呟いている。

「えと、死んだら、死者の国へ行くのではないのですか? ここが、死者の国なのですか? だったら何故クロさんが?」
「ふむ。魂の概念はあるようだの。まあ、死んだら死者の国…便宜上それでいいか、に行くのではあるが、それを留めて我が輩の中に押し込んでおるのだの」
「はい?」
「我が輩は妖であるからの。そういうことができるのだの」
「はあ?」
「ううむ。説明しづらい…」

その後、クロさんが頑張って説明してくれたのだが、古来より妖という存在は、生者の魂を食べる事があるのだそうで。クロさんの場合は、魂ではなく、精神のみを食らうこともできるのだそうな。
分かるような分からないような。
その力を使って、私の魂をクロさんの中に取り込んだのだそうで。

「つまり、私はクロさんに食べられたのだと言うことですか」
「ううむ。厳密には違うのだが、そういうことになるかの…」

クロさんも渋い顔をしている。

「私を食べて、どうするのですか?」

クロさんの一部になってしまうのかしら? そうだとしたらある意味ご主人様と一緒にいられていいのかもしれない。

「いやいや、コハクを食べることはせぬ。いや、食べたのだが…そうではなく…。そうではなくてだの! お主には八重子も世話になった。だからの、もしお主が希望するのであれば、適当な身体を見付けて、八重子の側に生まれなおすことも可能だと言いたかったわけだの。もちろん、コハクがこのまま両親がいるかもしれぬ死者の国へ行きたいと言うのであれば、解放することも出来る」

え?
生まれなおす?
ご主人様の側に?

「え? は? いや、どうやって? え? そんなことも出来るんですかクロさん…」
「それくらいなら朝飯前だの。で、どうする? まあすぐに答えぬでも良いが。時間はあるし、ゆっくり考えても良いぞ」

混乱する。
死者の国へ行かなければならないのではないのか?
両親に会えるかもしれない?
でも顔も覚えていない…。

「私…、私…」
「ゆっくり悩むが良いの。答えが決まったら聞かせておくれ」

そう言って、黒猫はそこにうずくまった。
眼を瞑ると本当にどこに目があるのか分からなくなってしまう。
ご主人様はそれがまた可愛いと黒猫の顔をじろじろ眺め回して嫌がられていたっけ。

私もなんとなく座り込んで、膝を抱えて考える。
このまま死者の国へ行けば、両親に会えるかもしれない。顔も覚えていない両親だけど、会ってみたいと思うことはある。だけど…。
目の前に開かれた窓は開いたままで、今度はハヤテが私の体に抱きついて喚いている。
視線の高さからして、これはクロさんが見ているものなんだと気付く。クロさんが見ているものを、私に見せてくれてるんだ。
ご主人様は説得を諦めて、しばらくハヤテをそっとしておこうということになったみたい。ハヤテ、ご主人様の言うことをちゃんと聞くように言ったのに…。

「いずれ分かると思う」

と言ったご主人様の顔は、目が腫れぼったくなってしまっている。
ああ、ちゃんと水で冷やさないと…。
そんなことを思っても、もうご主人様には声は届かないのだ。何もできない。なんだかそれがとてつもなく歯がゆい。どうして私はご主人様の側にいられないのか。水を用意して、タオルを用意して、せめて顔を冷やして差し上げないと…。

「クロさん…」
「うむ? 答えは出たかの?」
「はい。出ました」

黒猫が起き上がり、側に寄ってきた。隣に座って、一緒に窓を見上げる。

「死者の国へは待つこともなく行けると思うぞ。ここに残るならば適当な体が見つかるまで待って貰わねばならぬがの」
「分かってたんですか?」
「なんとなくはの」

他愛もない話しをしながら、ご主人様が水に濡らしたタオルを目元に当てている。クロさんが進言してくれたのだ。

「私、ご主人様が笑った顔を、もっと見たいんです。ご主人様が笑っているのを見ると、私も嬉しいんです」
「うむ。それは我が輩にも分かるぞ」

お互いに顔を見合わせ、笑う。
この黒猫には全部お見通しだったのだ。
私がこんなにも、ご主人様のことが大好きなのだということが。










余談。
「適当な体が見つかったが、さすがに記憶をすべて持って行くのは厳しいものがあるでの。ある程度封印して行くぞ」
「ええと、ご主人様分かってくれるでしょうか?」
「八重子も鈍い奴ではあるが、そういう所では鋭いこともある。多分、大丈夫であろうの」
「ちょっと不安が残るんですけど…」
「駄目でも我が輩がなんとかするでの」
「お願いします…」
成長するに従って、少しずつ記憶の鎖が解けていくようにして、そして2人は新しい体へと宿った。
八重子がちゃんと見付けてくれるように祈りながら。
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