異世界は黒猫と共に

小笠原慎二

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黒猫と共に迷い込む

そして、別れ

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身支度を整えて、さてどこで呼び出そうかと考える。部屋の中でも良いのだろうが、なんとなく味気ない。

「主殿、本当に帰ってしまわれるのか…」

皆の目もウルウル状態。

「今まで有り難うね、皆。皆のおかげで、楽しい異世界生活だったよ」

しょんぼりしていた割には、いつも通りの量を食べるのね。
とにかく宿を出る。お昼はと聞かれたが、今日はいいと断った。

「ありがとうね、ウララちゃん」
「はい。またのお越しをお待ちしております」

にっこり笑顔で手を振ってくれる。
いつも通りの風景に、ちくりと胸が痛んだ。
なんとなく足が向かったのは、あの薬草なんかを採っていた森の中。久しぶりにザクザク歩く。
最初はここから始まったんだよね。
これまでの事が走馬燈のように思い出される。いや、死ぬわけではないのだけど。
あの開けたところへ着いた。久しぶりに来たが変わってない。まあ、ほんの数ヶ月しか経ってないしね。

「久しぶりに来たであるな。ここで初めて、我らは自由になったと実感したのであった」

シロガネが呟いた。

「はじえてとんだ!」

ハヤテも覚えているらしい。

「うぬう…。妾だけ知らぬ…」

いじけてるクレナイ。

「あの頃は、皆の目がまだ暗かったんだっけ」

鳥籠の入り口を開けても怯えて出て来ない妖精。
感情を表さず、全てを諦めてしまったかのようなグリフォン。
人を見下して背に乗せないと言い張っていたペガサス。いや、見下してるのは変わってないな。私以外の人には結構俺様態度だよね。

「そのような頃があったのかえ」

クレナイがちょっと驚いたように呟いた。

「クレナイは、会った時から人の姿になったものね」
「側に人の姿を取っておるものがいるのじゃ。変化しても大丈夫とは思っておった。なにより、主殿は雌であったしのう」

男だったらどうだったんだろう?
最初からぶっとんでいたドラゴン。
そして、今はもういない、この中で唯一の常識人でいつも一歩引いていた、獣人の女の子。

「いろんな出会いがあったねぇ」

各街のギルドマスター、そのギルドの受付嬢さん達。みんな胸がでかかった気がする…。
うちの子らの所業に唖然となる街の人達とか、物珍しさに集まってくる人達とか。
私の考えが分からないと首を横に振る従魔師、共感出来る気がすると首を縦に振る従魔師。
本当に色々な人に出会った。

優しい人、厳しい人、寂しそうな人、苦しそうな人。
色んな人を見てきたなぁ。

「これで、終わりか…」

右手に握った、あの水晶玉を見つめる。
これを割れば、私はあの、家族がいて、戦いのない、平和な日常に戻れるのだ。

「主殿…」
「主…」
「あるじ…」

リン…

皆の顔を見て、にっこり笑う。

「よし、割るよ!」

思い切り地面に叩きつける。

パリン

あっさりと割れた玉は、一瞬キラリと光ると、すぐに跡形もなく消えた。
さて、これで、来るのだよね。
ドキドキしながら待つ。しかし、どこから来るのだろうか?
空から? それともあの黒い穴から?

「もういいのね?」

いつの間にか背後にいた。
ちきしょう、神出鬼没かよ!

「うん。お別れは済んだ」
「分かったわ」

テルデュクスが掌で何かを探るような動きをする。
イレーナが近寄って来る。

「一応体の時間も戻しておくわ。例え数ヶ月でも、大事な時間だものね」
「これはどうも」

柔らかな光に包まれる。すぐに光りは止んだ。
服装も今日は朝から向こうで着ていた服に着替えているし、荷物も自分の分と皆の分ですでに分けている。リュックの中身はここに来た時と同じ中身だ。財布もクレナイに渡してしまっているから、いつでも帰れる。

「さて、で、最後の挨拶は?」

言われて、皆の方を見る。
クレナイの目からは今にも溢れそうになっており、シロガネは既に溢れている。ハヤテも事情を察しているのか、不安そうな顔。リンちゃんもクレナイの頭の上で見た事もない悲しげな顔。

「皆…」

そんな顔されたら、素直に行けなくなるじゃないか!
皆に飛びつく。

「皆、本当にありがとうね。会えて良かった。すんごい楽しかった!」

目頭が熱くなり、勝手に涙が溢れ出す。

「主殿、妾も、主殿に出会えて、果報者じゃ!」
「主、主以外は背に乗せぬと誓うである!」
「あるじ~~~~~!!」

リリリリリン!

リュックに避難したクロを気にせず、皆で抱き合って泣き合った。そのうち、泣いてるんだか笑ってるんだか分からなくなっていく。
一頻り泣いて、落ち着いた頃涙を拭いて、立ち上がる。

「それじゃ、皆、元気でね」
「主殿も!」
「主もであるぞ!」
「げんきする!」

リン!

イレーナに手を繋がれ、テルデュクスが開いた黒い穴に向かって行く。
手を引かれているのを良い事に、皆に向かってずっと手を振っていた。

「さ、行くわよ」

イレーナの声と共に、穴の中へと足を踏み入れた。




















見慣れた住宅地。
私はクロを抱えて、通り慣れた道に立っていた。

「あれ?」

いつの間に戻って来たんだろう?

「なう」

腕の中のクロが私を見上げている。

「クロ? あれ、いつの間に帰って来たの?」

穴に入ってからここまで一瞬だった気がするんだけど。
あの感動的な最後は何だったんだと言うくらい、一瞬だった。
周りを見渡すも、平日の昼間となると通行人がいることも珍しい。イレーナの姿もテルデュクスの姿もない。

「え~と、帰って来たんだね…」

なんとなく確認をしてしまうのは、仕方ないよね。
まあ、道に突っ立ていても通行の邪魔になるしと、家に向かって歩き出す。

「え~と、あれは、現実にあったことなんだよね?」

なんだか、長い夢を見ていたような、そんな気もする。
寸前まで泣いていたはずと涙を拭った袖口を見ても、涙の跡もない。

「クロ、夢じゃないよね?」

クロは人の話を聞いているのかいないのか、腕の中で寛いでいる。
不安になる。あれは、夢? 全部自分が見た幻? 白昼夢?
クロが猫又になって喋り始めたのも、ただの私の願望? ラノベが好きすぎてそういう世界に行っちゃったみたいな白昼夢?
いや、恥ずかしすぎるんだけど…?

ふと思いだし、スマホを取り出す。電源が落ちている。向こうの世界に行った時、電池が勿体ないからと切ったんだっけ。あれ、それとも使わないからって病院で切ったんだっけ?
不安になりつつも電源を入れてみる。
時間がかかって立ち上がったその画面を見ると、日付と時刻。

3月15日、11:43。

病院に行ったのが半前くらいで、空いてたからすぐに診察室に呼ばれて、注射と簡単な身体検査してすぐに終わって出て来て、ここまで歩いて来て…。
おかしいところはない。
いや、おかしいところがあるわけはないんだ。イレーナ達はいなくなったその日その時間に戻してくれるって言ってたんだから。

しかし…。

こうなってくると、なんだか本当にあったことなのか夢だったのか、自信が持てなくなってくる。

「クロ、あれは、夢じゃないよね?」

再び聞いてみるも、私の言葉なぞ分かるかとばかりに尻尾を振る。
答えてくれないとは分かっていつつも、同じ質問を何度もクロに問いかけながら、家に向かったのだった。

久しぶり…、ではないんだけど、感覚的に久しぶりの我が家に帰り着いた時は歓喜に震えた。その日の私のはしゃぎっぷりに、家族が若干引いていたが。いいじゃない、嬉しかったんだもの!

そして、やはりあれは夢ではなかったと裏付ける物が1つだけあった。

空になったペットボトルだ。

熱中症対策も兼ねていつも水筒代わりに持ち歩いているペットボトルが空になっていた。
これは病院を出る前に一口飲んだから覚えている。半分以上入っていたはずの水が空になっていたのだ。

「クロ…。やっぱり夢じゃなかったんだ!」

喜んで抱きついたら、人の腹を蹴って思い切り逃げやがった。
ちきしょう、猫又だって分かってるんだからね! つれなくするとチュ○ルあげないぞ!


















いきなり家族に猫又になったなどと話しても信じては貰えないだろう。ということで、しょっちゅうクロに話しかけていた。

「クロ? 喋らないの? またお喋りしたいなぁ」
「クロ。ほれほれ、八重子って言ったらおやつをあげるぞう」

と家族のいないところで必死に話しかけていたのだが、クロは全く話そうとしない。
あの生意気な口調も可愛かったのにと、ぶうたれても、クロはそっぽ向いているだけだった。
悲しいなぁと思っていたある日、夢にクロが出て来た。

「八重子、まったく、お主は何も考えておらぬの」

向こうの世界で喋っていたまんまの口調だ。

「わ~い。夢でもいいや。クロとお喋り出来るなら」

やっぱり猫飼い、いや、動物と話せるようになるのは動物好きの夢だよね。
と、クロを抱っこしようと近づこうとするのだが、何故か一定の距離から側に近づけない。跳んでも跳ねても走っても、匍匐前進しても無理だった。

「クロ~、もふれない…」
「アホ。話しを聞け」

辛辣な口調、ご馳走様です。

「まったく、折角我が輩は普通の猫として振る舞っておったのに、八重子は我が輩の正体を周りにばらそうと考えておったろう」
「家族だけだよ」
「考えておったではないか」
「家族ならいいじゃん。お父さんもお母さんも菜々も喜ぶよ。皆クロのこと大好きだし」

クロが大袈裟に溜息を吐いた。

「八重子、物事にはの、触れてはならぬ領域というものがある。その辺りはきちんと見極めなければならぬぞ」
「んん?」

触れてはならぬ? どういうこと?

「日本の昔話を忘れたのか? 雪女は正体がバレたらどうなった?」

正体がバレたら…、子供と共に雪山に消えて行った…。

「狐の女房の話もあったろう」

正体がバレたら…、こっちは子供置いて山に帰っていった…。

「え…。そんなわけ、ないよね? だって、クロは、猫だよ?」
「妖には妖のルールというものがある。向こうの世界では妖がそもそもおらぬかったから、我が輩も気儘に振る舞っていたが、この世界ではそうもいかぬ」
「え? そんな、こと、ないよね? だって、…だって」
「我が輩は一生懸命普通の猫として振る舞っておったのだがの。やはり、知られてしまった。そうなると、我が輩ももうここにはいられぬの」

「知らない! 私クロが猫又って知らない! だから、クロは消えなくていいでしょう!」
「八重子。もう遅いのだ」
「やだ! 私は知らないから! もう話しかけないから! クロは普通の猫でいいから! 側にいてくれるだけでいいから! 昼寝してるだけでいいから! おやつ食べてるだけでいいから! 遊んでるだけでいいから! だから、だからどこにも行かないで!!」
「八重子、世話になったの」
「してない! まだ全然してない! まだまだ足りない! そうだ、おやつ、チュ○ル1年分まだあげてない! マグロの切り身もあげてない! まだまだ全然何もしてない!」
「たくさん貰ったのだの。この命を、安全な生活を、美味い飯を。味わったのだの」
「やだやだやだ! まだ全然足りないよ!!」
「八重子、この姿ではもう会うことは出来ぬが、達者での」

そう言うと、クロが背を向け歩き出した。

「クロ!!」

追いかけても距離は縮まらないどころがどんどん開いていく。

「クロ!! クロォ!!」

闇に溶けるように、黒猫の姿が消えていった。


















「クロ!!」

自分の叫び声で目が覚めた。
嫌な夢を見た。そう思っていつものように左腕で探るが、いつもの感触がない。

「まさか…、いやそんな、先に起きてご飯食べてるんでしょ」

不安に駆られ、部屋を飛び出る。
時折先に起きて、誰かにご飯をねだって食べていることもあるのだ。今日もきっとそうだ。

「クロは?!」

クロのお食事処のリビングに駆け込むも、その姿はない。

「クロなら、あんたの所にいるんじゃないの?」

お母さんが不思議そうな顔で私を見る。

「いないのよ!」

そう叫んで、家中を探し回る。猫が潜んでいそうな所、クロのお気に入りの場所。

「八重子、朝から何やってるんだ」

お父さんが険しい顔でやって来た。

「クロがいないの!」
「いつものようにどこかその辺にいるんじゃないのか?」
「お姉、うるさいよバタバタ」
「クロは?! クロは見なかった?!」
「いつもお姉の布団で一緒に寝てるじゃん。今朝はまだ見てないよ」
「クロ…」

家中を探し回るも、クロの姿はなかった。
リビングにへたり込む。

「クロが、クロが、いなくなっちゃった…」

そう言うと、涙が溢れて来て止まらなくなった。

「お姉…」
「八重子…」

お母さんと妹が顔を見合わせる。お父さんも困ったように私を見つめていた。

「きっと、どこか窓が開いてる所からとか、また出てっちゃったのかもしれないよ。しばらく待ってみたら? 帰ってくるかもしれないよ?」

菜々の言うことにも一理ある。しかし、あんな夢を見た後じゃ、それはないことは分かる。

「そういえば、変な夢を見たのよね…」

お母さんが首を傾げた。

「夢でクロちゃんが、一言鳴いて、背を向けて歩いて行っちゃうの。なんだか悲しかったわ」
「母さんも見たのか?」
「え? お父さんも見たの?!」

3人が顔を見合わせる。
そうか、クロは皆にも挨拶して行ったんだ。
そうなると、涙は余計に溢れて来て、止まらない。

「う、う、うわああ~~~~~~」

ついには大声で堰を切ったように泣き出してしまったのだった。

「ちょ、お姉…」

菜々が慌ててタオルを持って来てくれる。本当に良い子だ。優しい子だ。
タオルに顔を埋めて、せめて声を抑える。でも止まらない。

「ごめ、ごめんなさい。わた、私が、悪いの。私が…」
「いや、八重子、昔から猫は死期を悟ると姿を消すとも言うし…」
「そうよ。お別れできなかったのは残念だけど、挨拶に来てくれたんだし…」

お父さんとお母さんが慰めてくれる。
でも、違うんだ。クロが姿を消したのは、寿命なんかじゃない。



私のせいなんだ。
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