異世界は黒猫と共に

小笠原慎二

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黒猫と共に迷い込む

コハクとの別れ

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朝起きると、コハクがやはりいつものように顔を洗えるように待機していた。
最後の最後までなんて良い子…。
いやいや、泣いてはいかんいかん。
いつも通りに朝食。しかしコハクが食べようとしない。

「私の分はこの後の皆さんの為に取っておいて下さい」

と頑なに首を振る。

「昨晩、とても美味しい物を頂きましたし」

無理に食べさせる訳にもいかず、もそもそとコハクを除いて食べる。

「ねーたん? ん」

ハヤテが食べないの?とばかりにコハクに自分の持っているお肉を差し出す。コハクは笑顔で「いいんですよ」と言ってハヤテに食べろと促す。
く、目頭が熱くなる…。

もうあと数時間…。いや、そんなことは考えない。
何事もなかったように、いつものように振る舞う。のは難しいものだ。
できるだけ自然にと心がけると、何故か体がぎくしゃくしてしまうのは何故だろう。
食事を終えて、片付ける。そして、出発の準備を整えて…。

「ご主人様」

コハクに声を掛けられ、思わずビクッと体が反応してしまった。

「なななななな、何かな?」

どもりすぎだろ自分!」
コハクはちょっと困ったかのような顔をして、

「お願い致します」

と言った。
お願い?お願いってなんだったかしら?
思考が空中分解しそうになるが、

「そうか、決心はついたかの」
「昨日からついてますよ」

クロが答えやがった。コノヤロウ。

「コハク、もうか?」

聞こえていたのか、クレナイ達もやって来た。

「クレナイ様、お世話になりました」
「うむ。妾も其方からは色々教えてもらったのじゃ。其方のことは永劫忘れぬぞ」
「我も、コハクの事は忘れぬ。主の次に大事な人間であった」
「ありがとうございます」

リリリン

「リンちゃん、リンちゃんには本当にお世話になりました」

リン…

差し出された手の指に触れ、寂しそうに頬を寄せた。

「?」

ハヤテだけは分かっていない。

「ハヤテ、ご主人様の言う事をよく聞いて、無茶はしないようにするんですよ」
「あい!」

良い返事を返した。

「ご主人様、こんな私を拾って下さって、本当にありがとうございました。できればもっとお側にいたかったですけれど。こんな私で申し訳ありません」
「謝る事なんてないでしょう。コハクは良くやってくれたじゃない。私は、色々助けられたよ。コハクがいて楽しかったよ…」

あ、駄目だ、涙が…。

「大好きだよ、コハク。ずっとずっと大好き。絶対に忘れないから」

ぎゅっとコハクを抱きしめる。

「ありがとうございます。私も、ご主人様のこと大好きです。誰よりも尊敬しています」

コハクも抱きしめ返してくれる。この温かな存在がいなくなるなんて、誰か冗談だと言って。
コハクの体が静かに離れる。離したくないのに、引き留められない。

「コハク、我が輩からも礼を言う。八重子が世話になった」
「私の方がお世話になりましたよ。クロさんも、ありがとうございました」
「うむ」

コハクが皆の顔を見回す。

「本当に、お世話になりました。ありがとうございました」

深々と頭を下げる。
もう涙が滝になって止まらない。でも、口角は頑張って上げる。最後は笑顔。それだけは守りたい。

「クロさん、お願いします」
「うむ」

私の足元で待機していたクロが、前に出る。

「クロ…」
「大丈夫だの。苦しませはせぬ」

そうだけど、そうじゃない…。
コハクがにっこり笑って、目を閉じた。

「ゆくぞ」

何をしたのかは私には分からない。しかし、クロの言葉の後に、すぐにコハクの体が揺れ、崩れ落ちる。その体を、いつの間にか人の姿になっていたクロが支えた。

「…、もう?」
「うむ。苦しむ事はなかったぞ」

そりゃ一瞬でしたからね。何をしたのかさっぱりでしたよ。
クロがコハクの体を横たえる。眠っているようにしか見えない。
触れるとまだ温かい。思わず口元に手を持って行くが、呼吸が感じられなかった。

「コハク…」

やっとちょろちょろの滝になっていた物が、決壊したかのように溢れ出してきた。

「うあああああああああ!!!!」

コハクに抱きついて、声を上げて泣いた。
その体はもう動かない。私の涙にも声にも反応しない。
皆も側で目元を拭っていた。
ハヤテだけ、悲しそうな困ったような顔をして私を見上げていた。















一頻り泣いて落ち着くと、さてコハクの遺体をどうしようかという話になる。
この世界ではやはり土葬が中心らしい。まあ、人1人を焼くって、結構大変だしね。
でも今はクレナイがいる。頑張ればコハクを焼く事も出来るというが…。

「今日すぐに火葬は精神的にきついです」

いや、早くしないとその、腐食とかが始まっちゃうのは分かるけど。日本でもお通夜とかあるわけだし、やっぱり死んだって言う事が皆の中でストンと整理出来ないと、焼くって言うのはかなり抵抗がある。
コハクはまだ死にたてのほやほや。もう数時間もすれば死後硬直も始まるんだろうけど。
その頃になれば、体中の血液が下に溜まって、顔色も悪くなって、いかにも死んでますという感じになるんだけど。
まだ血色も悪くなっていない。触ればまだ温かい。この状態で焼くのは、精神的にきつい。
外傷のせいで確実に死んでますってんなら話は別かもしれないけど。

「ならば土葬だの」

いや、そうなんすけど…。

「おねーたん?」

ハヤテがコハクをつんつんして、起きろと促している。

「ハヤテ、コハクはもう起きないのよ」

頭を撫でて説明する。

「おきない?」
「そう。もう、コハクは…、おき…、起きない…」

また滝が…。

「なんでー?」

くそう、小さい子に説明するの難しいな!

「えーと、ハヤテも、獲物を獲ってくるでしょ?」
「あい」
「その時、獲物はもう動かなくなってるでしょう?」
「あい」
「それと同じことよ」

ハヤテが首を傾げた。

ぬおおおおお。

「ハヤテ。コハクはもう一緒には行けぬのじゃ」
「あい?」

クレナイが助け船を出してくれた。

「コハクはもう動かぬ。故に、ここに置いて行くのじゃよ」
「おいてく?」
「バイバイするってことよ」
「バイバイ?」
「そう、バイバイって。お姉ちゃんバイバイって」
「やー!」
「ハヤテ?」
「バイバイやー!」

ハヤテがコハクにしがみついた。

「バイバイやー! ねーたんいくー!」
「ハヤテ…」

あああ、また滝が本流になってしまう。

「ハヤテ、いかん。コハクはもう死んでおるのじゃよ。じゃからバイバイするのじゃ…」
「やーのー!」

コハクにしがみついたまま、ハヤテが首を振る。

「ハヤテ…」
「やー!」

ああこれ、駄々っ子状態だわ…。

「ハヤテ!」
「やー!」
「クレナイ…。抑えて」
「主殿…」

無理にハヤテを引き離そうとしていたクレナイを押し止める。

「落ち着くまで待とう」
「良いのか? 主殿…」
「ハヤテも、分かってくれると思うよ」

時間が経てば。

「ハヤテ…」
「やーのー!」
「分かった。向こうで待ってるから、後でおいでね?」
「やーのー!」

コハクに顔を押しつけて離れようとしない。
渋るクレナイを引き連れて、ハヤテから距離を取った。

「もしかしたら、またここで野宿かも。薪、集めておこっか」
「主殿、良いのか?」
「時間が経てば、分かると思うんだ」

いずれ、コハクの体は硬直が始まり、残っていた温もりも消えて行く。血液の流れもなくなって顔色も蒼白になる。
死んだ後の叔母を見せられた時、これ、人間?と首を傾げてしまった。
あまりに血の気がなくて、ただの肉の塊を叔母のように仕上げただけのようにしか見えなかった。
葬儀の時にはきちんと死に化粧がしてあって、化粧のおかげで生前の叔母のように見えていたが。
あの状態になってしまえば、きっとハヤテも分かるんじゃないかと、確信は持てなかったが、とにかく今は待つしかないと、野宿の準備をしながらハヤテが落ち着くのを待ったのだった。
























他愛もない話をして、外なのに昼寝までして。太陽が大分傾いて来た時、ハヤテがやって来た。

「あるじ…、おねえたん、かたい…」

硬直が全身に広がったのだろう。

「つめたいの、あったかいのしてね、でもつめたいの」
「そう、そうなんだね…」

ハヤテがグリフォンの姿に戻って、コハクに寄り添っている場面があった。あれは、私が夜寝る時に寒くないようにとしてくれている時と同じだ。きっと冷たくなってしまったコハクを一生懸命温めていたのだろう。
抱きしめて、頭を撫でてやる。

「お姉ちゃんはね、もう死んだの。もう動かないの。もう温かくならないのよ」
「なんで? なんでちぬの?」
「生きてるからよ。生き物はいずれ、皆死ぬの」
「あるじも?」
「そう。私もいずれは、ああやって動かなくなって、冷たくなるの。いずれはね」
「やー。ちぬのやー」
「うん、やだね。とってもやだね…」

ハヤテなりに死を理解したのか、グズグズと泣き崩れた。私も一緒に涙を流す。
しばらくそうして、2人でコハクの為に泣いた。














遺体をそのままにしておくのも嫌だったので。というか、ここまで来ると、精神的にも死んだと言う事が受け入れられたので。
土葬にすることにして、シロガネにコハクが入れそうなくらいの穴を掘って貰った。
崖に近いと崖が崩れた時に大変なので、景観をぎり保てる森の近くへ。

「軽いのだな…」

運んでいたシロガネが呟いた。
もとより小さな体。食べさせてはいたが、病気もあってあまり太れなかった。
その小さな体を穴の中に横たえ、取って来た花を周りに供える。

「このピンクの花が似合うわ」

と、コハクの髪に添えてやる。
みんなで取って来た花で、コハクの体をほとんど埋め尽くした。

「綺麗だね、コハク。これで寂しくないかな?」

この世界の葬儀は知らないけど、さすがに6文賎握らすわけにもいかないし。一応銀貨を一枚握らせておく。この世界にも三途の川の渡し賃がいるかは分からないけど。

「金を埋めるのかや?」
「私の世界の風習なの」

金貨だと墓荒らしにあうかもしれないから。銅貨の方が良かったか?相場が分からん。
最後に皆でもう一度コハクをじっくり見て、ゆっくりと土をかけて行く。

「さよなら…、コハク…」

足元から、徐々に体が埋まり、胸、肩、そして、かけずらかった顔にも土を被せ、とうとうコハクの姿が見えなくなった。
また涙が溢れてきて、上を向く。最後はシロガネが綺麗に土を被せてくれた。
少し盛り上がった土の上に、シロガネが持って来たちょっと四角い大きめの石を乗せた。
これで完成だ。

「シロガネ、石に字とか、彫れる?」
「石に字であるか?」

地属性の魔法でも、そういう細かい物は難しいらしい。

「妾に任せるである」

とクレナイが爪を出して来た。
さすがドラゴンの爪。


『コハク ここに眠る』


と彫ってもらう。うん、それらしくなった。

「なるほど。これなら分かりやすいであるな」
「確かに、これなら普通の石と間違え難いのじゃ」

人間だけの風習なのかしら?

ハヤテがそこにそっと花を添える。リンちゃんも石の上にそっと乗って、寂しそうに下を見ている。
その夜は皆やはり動く気力もなく、夕飯も適当に食べて、早々に寝た。
ハヤテがいつもよりも側に来て、温もりを求めるように顔を埋めてきた。
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