全てを救う、その手には…

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冥色、右手

何色にでも変わる空

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「何とか、間に合ったようだね。いや、君から見れば間に合わなかった事になるんだろうが。」
やせぎすの眼鏡をかけた猫背で白衣の男が階段の下の方から声をかけてくる。
目を覚まさせた男、現実を知らせた男だった。

ボサボサの頭を掻きながらコツン、コツンと革靴で階段を一歩一歩上がり、距離を詰めてくる様は最後通牒を突き付けてきた時の事を思い出して、まるで死神の様に見えた。

「少し時期尚早だったかね?しかしね、そろそろ君は見なければいけないものがあるのだよ。」
俺の横をすり抜け、ドアノブに手をかける。

「何を…」
「ん?」
「何を見ろというのですか?彼女はどこにも居ない、彼女を独りでいかせて、もう何年経ったんですか!?せめて、夢を見れたままなら良かった…それなら、こんな思いなど…」
ドアノブから手を離し、その手を顎に持っていく。

ふむ、それならば…と、死神がこちらを指差す。
「そちらの女性はどうするのかね?君を止めた彼女の手を振り払い、あまつさえ君がそう感じたように『2人が何処にも居ない』という気持ちにさせようというのかね?」
ドアノブに手をかけようとした時に感じた、ギュッ、と強く握られた右手を見やる。

柔らかく、温もりを感じる両手だった。
明らかに俺のより一回り小さいのに、絶対に離さないと決めた気持ちが込められて、強く俺の手を握る。
その持ち主に視線をあげて驚く。

彼女だった。

いや、正確には彼女ととても良く似ていた女性、少女といって差し支えない年齢の子だった。
兎のように真っ赤な目で、涙が頬をつたっているのに瞬きもせずこちらをじっと見ていた。

その嗚咽を我慢するように、強く結んだ唇から漏れる吐息、眼差しが、何処までも。
いつか泣かせてしまった彼女に良く似ていた。

「彼女は君達の娘だよ。」
「娘…私達には子供が?」
「あぁ、そうさ。あの地震の時、彼女は4歳だった。たまたま、君達の結婚記念日の為に実家に預けられていてね。もう、8年になる。」

良く見ると、大人びた所作の中、泣き顔にあどけなさが残っていた。
お父さん、居なくなっちゃヤダ…と消え入るような小さな声を聞いて、全てを思い出した。
彼女の手を握る。
この子が生まれた時の事、初めて沐浴、仕事から帰ってきたら笑いながら玄関まで迎えにきてくれたこと。

「何故、何故忘れてしまっていたのか…」
膝から崩れ落ちながら、俺の右手を握っている、小さな両手を左手で包む。
何故、独りだけ苦しんでいると思っていたのだろう。
何故、大事な人の事を忘れてしまったのだろう…

「健忘性障害、という言葉で一括りにしても良いんだけど、これだけは言っておこう。」
逸らしたくなる目をどうにか抗い、心の中を見透かしたかのような声の主に顔を向ける。

しゃがみこんだ死神が射るような目でこちらを見つめてくる。
「忘れてしまう事は人間ならば幾らでもあるだろう。しかし、君は知ってしまった。目が覚めてしまったのだよ。僕はね、『忘れてたからしょうがないよね。』というスタンスの人間も嫌いだが、知っているのに見て見ぬフリをする人間も反吐が出る程、嫌いなのだよ。君がそうじゃない事を願う。」

特に汚れても居ないのに、立ち上がりながら膝の辺りを手で払い、もう一度死神がドアノブに右手をかける。
「まぁ、とりあえずはこれも何かの縁なのだろうから、せっかくだし君に案内してもらおうか。」
ドアノブが今度こそ開かれた。



「で、先生。この報告書なんですが…」
珍しく、パソコンの前にいるのに手を動かさずボンヤリと頬杖をついているやせぎすの男を見つめる。
ずり落ちた眼鏡は直す気はなさそうだ。
「あぁ、何か不備が?」我関せずというように気のない返事を返す。
「いえ、彼がマンションの内階段、最上階で発見の後に『処置済み』となっているんですが。」

独楽付きの椅子に座ったまま移動し、テーブルの横でこちらに向き合う。
「あぁ、彼はもう大丈夫だよ。たまに定期的に話を聞くだろうが、これからは娘さんと二人で仲良くやっていくだろう。」
「…何をしたんですか?」
「別に。何も。」
チラリとこちらを見て、私の顔に『ウソつけ』と書いてあるのを確認すると、大仰に首をすくめ立ち上がる。

窓際に寄るとこの前の様にカーテンを開ける。
「良く、人は『夜明け前の暗闇が一番濃い』などと宣って、最も苦しいのは全てが終わる前のように言うよね。」
「確かに。」
「良く考えてみてごらん。とんでもない事だと思わないかね?」
「と、いうと?」
やれやれとこちらをチラリと見て、首を横に軽くふる。
「見てごらん。夜になる前の空を。」
冥色の、もうすぐ完全な闇の幕が降りる空を見つめる。
「これが、もうすぐ完全な黒になる。いつ終わるか分からない。その方が絶望的じゃないかね?彩月君。」
私自身も、あの日の事を思い出す。
すべての色が鮮やかさを失ったような風景。
そして、じんわりと黒いモノが心を蝕んでいく。
確かに先なんて見えなかった。
息が出来ない程、辛くて、苦しくて…

何も言わずにいると、少し間が空いて彼が幾分明るい声で何かを指差しながら話し掛ける。

「おっ、ここからも見えるみたいだ。ごらん、前に『とある人』に教えてもらったんだ。ああいう所の下で食べるおにぎりはさぞ、美味しいんだろうね。」
窓に近付き、指差した方向を見つめる。

大きな公園の中央、広場の辺りで沢山の桜がそよそよと揺らめいていた。

【了】

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