四季を指揮する。

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夏、壮麗の層雲

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黒岳ロープウェイに着くまであと三分。
朝早くからホテルから出たのに、日の出の時刻をとうに一時間程過ぎているため、もう外が明るい事にびっくりする。
何人かの観光客と一緒に、示し会わせた訳でもないのに同じ方向に歩くのが何故だか少し嬉しくなる。

ロープウェイの始発はまだ動いていない。

思っていたより小さめの建物、外付けされた階段を一歩一歩上がり、レンガ造りの入り口に『大雪山層雲峡・黒岳ロープウェイ』とかかれた文字の下をくぐり抜けると更に人が溢れていた。
結構な割合の人が登山の格好をしており、彼女なら急に「私達も散策しよう!」と言い出しかねないので、連れて来なくて良かったと心の底から思いながら少しにやけてしまう。
チケットを買って、ロープウェイに乗る列に並ぶと、前に並んだ登山家よろしく重装備の夫婦が目につく。
「だけん、言うたろうが。」
「そんなこと言っても…」
「良いから、渡しなっせ。」
朝早いからか機嫌が悪いのかと思いきや、奥さんが旦那さんに荷物を渡す。
「もうすぐ、ロープウェイ乗るっつたい、今から本番やけんね。無理せんね。」
ありがとう、と言う奥さんに思わず心の声が漏れてしまったらしい。
こちらを振り向き謝ってくる。
「ごめんなさいね、騒がしくして。」
「いえいえ、こちらこそすいません。何か喧嘩してるのかと思ったら旦那さんがあまりに優しくて。」
顔を見合せ、笑う二人。
「確かに、知らない人から見ると喧嘩腰の会話に見えるかもしれませんね。」
熊本出身の御夫婦らしく、銀婚式の御祝いでここに来たらしい。
「元気な内にね、したいことを出来たらと思って、この人と。」どうやら、今日はリフトで黒岳の上に行ったらそのまま旭岳まで縦走するらしい。
「楽しそうですね。」の一言に笑顔で返す夫婦を見ていたら眩しくて、目が眩みそうになる。

ロープウェイの始発時間が近づき、電車の様な車両が見える位置まで移動する。
待ち合い室ではこんなに沢山の人ならば次のロープウェイに乗ることも覚悟していたが、どうやら杞憂に終わりそうだった。

車両に乗り込み、ゆっくりと車両が動き出す。
みるみる高度が高くなり回りの乗客が凄い凄いと眼下を見下ろしている。
俺は回りの人と逆方向を向き、雲で隠れている山頂を見つめた。
せっかくだ、どうせ見るのなら彼女と一緒が良いだろう。と思いながら。

約7分の空の旅を終えて、皆が五合目にあるロープウェイから降りて、各々の目的地へ歩を進める。
俺は建物の最上階の展望台を目指して階段を上がる。
その途中でスマホを取り出し、見慣れた名前を探し、馴染みのない、いつもの受話器ではなく、ビデオカメラの絵柄を押す。
朝早い時間だから、何度かかけるのを覚悟していたが、思ったより早く彼女の顔が見れた。
「おはよ~」と、いつものと変わらない顔で出迎えてくれた事が嬉しい。
早いね、というと「何、パジャマ姿でも期待したの?」とにんまりと返してくる。
そこから、いつもの会話をした後に「それじゃあ、一緒に見ようか。」と声をかける。
「うん!」と待ちきれない子供の様に頷く彼女に、俺もまだ見ていないからどうなってるか分からないよ、と予防線を張る。
せーの、の掛け声で建物の外を見つめると同時にスマホもそちらに向ける。
「お~、雲の上だねぇ!」
「凄いねぇ…」
「本当にねぇ…」

それは、本当に見事な雲海だった。
眼前に雲が広がり、ここから遠くに見える山までを白く染め、まるで海じゃなく。
「川みたいだねぇ…」と彼女がほぅ、と呟く。
そのまましばらく黙ったままで、二人ともじっと雲海を見ていた。
いつか、彼女と来れたなら。そんな言葉を飲み込んで。
たっぷり5分程見続けて、どちらかともなく話し出す。
まるで動いてるみたいだ、神様になったみたいだ、夏にも見られるんだねぇ。と取り留めのない話をしていると唐突に彼女が、そうだ!と叫ぶ。
「今度、二人で日帰り旅行に行きたいな。京都とかなら近場じゃない?」
流石に日帰りといえども旅行はなぁ…と考えていると。
「良いじゃない、一回位。私も写真でしか見たこと無いところに行ってみたい!」
まぁ、そうだよなぁ…
彼女のお父さんにお伺いをたてる事を考えながら彼女に了承の意を伝える。
喜ぶ彼女をスマホ越しに見ながら、今度逢う時は旅行雑誌をお土産にしてあげようと強く思う。

スマホの画面を暗くし、ポケットに仕舞いながら建物の外に出る。
地図を探しながら雲海を横目に見る。
ゆっくりと歩きながら、地図を確認しリフト乗り場を探す。

次、もし彼女と来れたならば…
そんな淡い期待を持ちながら緑が目に見えて鮮やかなスキー用リフトに乗り、七合目を目指す。

サプライズで連れてくれば良いと下見をしに行く、上から見る雲海も壮麗で素晴らしいと言える様に。

彼女の笑顔を思い浮かべながら。
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